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45 侍女アルマの手腕1~フェブラントの闇

 


 村の事、ヴェインの事、レオの事、ユグズの事。

 色々考えていたら、とめどなく涙が溢れてきた。

 借りた本を汚すわけにはいかないと、調べる事を一時中断し涙を拭き鼻をすする。


 こんな情けない姿、誰にも見られたくないと思っていた私を嘲笑うかのように、侍女アルマが少し遅めの昼食を運んできた。


「まあまあまあまあ! そんなに目を赤くして」


 慌てて目元を隠す私の腕を、アルマがガッチリと掴んで無理矢理開かせてくる。

 私はそこそこ年を重ねた女性にも腕力で負けるのか……!


「こすっては駄目ですよ。少しお待ちくださいね」


 そう言い残し、昼食をテーブルに並べた後どこかに消えてしまった。

 あまり腹は空いていなかったが、用意してくれたものを残すのは気がひける。

 パンをちぎり、温かなスープに浸しながら食べていると、アルマがタオルを持って戻ってきた。


「さあ、こちらを瞼に乗せてくださいね」


 半ば無理矢理ソファーに寝転がされ、湯気がたつ温かなタオルを乗せられる。


「昼食もタオルも遅くなって申し訳ありません。火を使える召喚師が出払っておりますのでね。火を起こすのにも料理をするのも時間がかかってかって……」


「ああ、それは不便であろうな」


「もう、そうなんですよ」


 召喚師が1番必要とされるのは、日常の生活だ。

 火を起こす、水を出す、食材を冷やす。

 一家に1人召喚師と言われるほどだ。


 だが、王族貴族ならまだしも、庶民がそれを行うのは無理がある。

 召喚師を専属で雇う給金を払えぬからだ。

 庶民は、何世帯かで1人の召喚師を雇っているのが多数であろう。

 それが無理な世帯は、自分達で火を起こし、井戸や川で水を汲むしかない。


「王宮なら専属の召喚師がいるであろう? どこに行ってしまったんだ?」


「王宮の専属召喚師は、ドラゴニアに避難した王族貴族と一緒に。民間の召喚師もいますけど、そちらは一般庶民の避難所に詰めていますからね。アイミュラー軍が侵攻してくるっていう時に庶民を蔑ろにして、暴動を起こされては大変ですから」


 タオルを乗せられ、真っ暗な視界の上から、アルマの声が降ってくる。

 優しい声だ。


「……ん? フェブラントは、庶民用の召喚師がいるのか?」


「ええ、そうですよ。軍属とはまた違うんですけどね。国が雇ってお給料を出しているんです」


 ……なんと。

 それではフェブラントでは、召喚師を利用せぬ家庭はないという事なのか。

 国が召喚師を雇い、庶民の日常生活を向上させるなど。

 アイミュラーでは出てこぬ発想。目から鱗だ。


 冷めてきたタオルをよけ、ソファーから起き上がる。

 あまり休んでもいられぬ。


「少しはマシになりましたね。後で、また温かいタオルを持って参りますから」


「いや、大丈夫だ。ありがとう」


 専属の召喚師がおらぬなら、何をするにも手間で時間がかかるだろう。

 私の赤く腫れた目元は、わざわざ手間をかけなくともそのうち治る。


「ですが、そのお顔が姫様にみつかったら、またからかわれますよ?」


「うぐ……」


 アルマの指摘に、私は言葉を詰まらせる。

 言われてみれば確かにそうだ。

 あの王女は、ここぞとばかりに目元が腫れるまで泣いた事をあげつらうであろう。


「しかし……私は情けないな。泣くまいと決めたのに、泣いてばかりだ」


 誰に聞かせるでもない、ポツリと漏れでた一人言をアルマが拾った。


「何を仰ってるんですか。知っていますか? ドラゴニアでは、泣いた分だけ人は強くなるって言われているんですよ」


「そうなの……か?」


 初めて聞いた。


「ええ。ですから、そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ」


 春の陽だまりのように、私のささくれだった心を溶かし丸くしてくれる。

 慈愛に満ちた瞳は、まるで……

 その温かさに誘われ、自然と私も笑顔になる。


「なら、私は無敵だな」


 辛くて寂しくて、泣き続けた私だ。

 自慢ではないが、流した涙の量では1位2位を争う自信がある。


「まあそれはドラゴニアだけで、フェブラントでは涙を流すは弱者の証。と言って馬鹿にされるんですけどね」


 穏やかな笑顔のまま、刃を振り下ろしてきた。


「それをわざわざ私に伝える必要があるか!?」


 油断していた私に、ざっくりと突き刺さったぞ!?

 全く、イリアレーナ王女(主人)に似て何という侍女なのだ。

 刃が突き刺さった自分を慰めていたら、アルマがその優しい笑みを曇らせながら言った。


「だから、姫様は泣けないんです」


「ん?」


「シヴァと契約して加護が敷かれるようになってから、フェブラントは寒さが厳しい国になりました。今でこそ大丈夫ですが、建国当初はその慣れぬ寒さに苦労したそうです。建物も服も生産物も、全てが寒冷地仕様ではありませんでしたから」


「……」


「召喚師と召喚獣が大きな力になりました。ですが、フェブラントは敗戦、内乱からの建国。殆どの召喚師がアブガルカ湿地帯に沈み、限られた人数しかおらず、利を受けられたのは少数でした」


 それはつまり……

 惨状を思い浮かべてしまい、私の顔はきっと青ざめたのだろう。

 アルマが沈痛な表情をしながら頷いた。


「一部の権力がある層が大半を独占し、傷ついた民達には行き渡らず、召喚師の奪い合いが始まりました。飢えと寒さで体力のない子どもや老人の弱者から倒れていきました」


「ドラゴニアや、他の地域に助けを求める事は出来なかったのか?」


 目を伏せながら、アルマが横に首を振る。


「あの時代は全ての地域が疲弊していました。ドラゴニアは若干の余裕があったとはいえ、他国を救援するほどの余裕はありません。ドラゴニアに避難しようとする民を、国境壁が拒みました。フェブラントには、弱者が生きられない時代があったのです」


 昔のフェブラントの寒さは、流れる涙を凍らせるほど。

 あの厳しい時代を忘れない為という戒めなのだろうか。


「悲しい話だ」


 そんな背景があるのだ。

 弱さを(いと)うのは、仕方がないことなのかもしれない。

 だが、生き辛かろうに。


 フェブラントの厳しい寒さ、その時代の辛苦はシヴァがもたらしたものだ。

 その原因となシヴァの契約者に、より厳しい目が向けられるのは当然の事なのだろう。

 フェブラントにとって、シヴァとその契約者は加護をもたらす存在であると同時に、畏怖する存在、災厄でもあるのか。


 ……アイミュラーでは、名ありと契約したルーシェは誉れ高き扱いだった。

 学園や皇都ではお祭り騒ぎになり、誰もがルーシェを褒め称えており、まさしく英雄のようなものだった。

 嘘と偽りにまみれた虚飾の国と馬鹿にしていたが、名ありの契約者の扱いはアイミュラーの方がまだマシか。


「貴殿が姫様の事もフェブラントの事も良く思っていないのは存じております。いきなり拐われてきたのですから当然です。ですが、姫様の事を、少しは知っておいてほしかったのです」


「……それを知って、私が態度を変えるとでも?」


「いいえ。ただ、知っておいてほしかった。それだけでございます」


 はぁ、と息を吐き、険のある空気を吹き飛ばす。

 侍女にあたるほど、私は愚かではない。


「侍女の領分を超えてまで進言するとは、何があっても文句は言えないのではないか?」


 そこまでの忠を尽くすとは。


「うふふ。私は姫様の乳母で、教育や養育を担当していたのですよ」


 何と。母親同然ではないか。


 アルマは色々教えてくれた。

 本来なら王女の養育担当になどなれる身分ではない事。

 息子が召喚師としての才があり、貴族に養子に出た事。

 その養子先の推薦で養育担当になった事。


「ふむ。王女の養育担当に推薦できるとは。かなりの力を持った貴族ではないか? ご子息はかなりの才を見込まれたのだな」


「そうですね。それでも、普通の王族なら養育担当にはとうていなれませんでした。後のシヴァの契約者という避けられる存在だったからこそ、私が選ばれたのです」


 貧乏くじを押しつける存在を探していたから、ちょうど良かったというところか。

 ここで恩を売っておけば、息子の出世や養育先での安全も保証される。


「確かにそのような事も言われました。ですが、私が引き受けたのはそれだけではありませんよ」


「む、それはどういう事だ?」


 私が尋ねれば、聖母のごとき笑みを浮かべながら愛しそうにどこかを見つめる。


「初めてお会いしたのは、姫様が2歳になる少し前の事です。たどたどしく歩いて、少し不安そうな目をしながら、私の裾をお掴みになられましてね。その時に、私の腹は決まったのです」


 どういう事かと聞いたその答えは、人によって賛否が別れるものであろう。

 曰く、シヴァの契約者になる王女は、契約前までは蝶よ花よと育てられるそうだ。

 袖にして育て、契約後に反旗を翻されない為に。

 幼い頃の幸せな思い出で、心を縛るのだと。

 大切な人がいれば、その者を守る為に反抗する事など考えなくなる。


 イリアレーナ王女にとって、それは実の母親らしい。


「美しく優しく、幼い姫様を真綿で包むように慈しんでおられました」


 アルマは、シヴァの契約者がどんな扱いを受けるか知っていた。

 その王妃とイリアレーナ王女の心労を少しでも減らしたいと、養育担当を引き受けたらしい。

 せめて自分だけでも、イリアレーナ王女の側にと。


「……本当に、お主は侍女の鑑だな」


 いや、侍女や乳母としてだけではなく、アルマ個人としてイリアレーナ王女の側に立つと決めたのだろう。

 その包み込むような慈しみはどこから来るのか。

 ここまで愛されるイリアレーナ王女に、私は嫉妬を覚え、次いで同情してしまった。


 愛し慈しまれながら育った王女が、シヴァとの契約を機に、正反対の生活に叩き落とされるのだ。

 愛する母からは引き離され、昨日までは優しく話しかけてくれた人が一転、自分を怯えたような目で見てくるのだ。

 どれだけ戸惑っただろうか。


 私は、最初から知らなかった。

 知らないからこそ耐えられたのだ。


 最初から愛情を知らないのと、知った後に取り上げられるのとでは、どちらが辛いのか……

 いや、そんな問答はきっと意味がない。

 それは、永久に答えが出ぬ問いなのだろう。



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