40 イリアレーナ王女1~対面、氷の女王シヴァ
そこにいたのは、可愛らしい少女だった。
幼さの残る顔立ち。
低めの身長に不釣り合いなほどに、長い銀髪。
髪飾りは何もつけず、ただ垂らしたその髪は、膝下まで伸びている。
肌は異様に白く、氷のような蒼い瞳がやけに目立つ。
室内だというのに、首もとに白い毛皮がついたマントを羽織り、手袋まではめている。
着ているドレスも、華やかさより防寒を優先しているようだ。
フェブラントの王女は、寒がりなのだろうか?
私も寒いのは嫌いだから、そこは親近感がわく。
一見、国中にシヴァの加護をしけるような術師には見えない。
だが、可愛らしい少女が身に纏うには強大すぎる魔力が、彼女がシヴァの契約者だという事を物語っていた。
あれは、フェブラント一の兵器だ。
椅子へと一直線に続く絨毯を踏みしめ、フェブラント王女の前へたどり着く。
私が入ってきてから、王女はずっと顔に微笑をはりつけている。
「ようこそ、バハムートの契約者様。私はフェブラント第一王女のイリアレーナ。フェブラントは貴方を歓迎いたします」
鈴が転がるような、高めの声。
「ようこそ、だと? 無理矢理連れてきて、よく言えたものだ」
私より身分は上だが、誘拐犯に使う敬語は持ち合わせておらん。
「あら、嫌われてしまいました? ですが、私は貴方を助けたつもりなんですけどね」
「助けただと?」
その言葉に、思わず眉間に皺がよる。
クリアヌスタ峡谷で私に危険などなかった。
人をいきなり拐っておいて、恩をきせるような言い方に、私は感情を害された。
それを察したのか、イリアレーナは微笑をはりつけたまま、理由を口にする。
「理由を知ったら、私に感謝するようになりますよ。貴方達の計画が、台無しになるところだったんですから」
「計画だと?」
まさか、知られているはず……
イリアレーナ王女は、何がおかしいのか、口元に手をあてながらクスクスと笑う。
「何も知らないと思いまして? フェブラントがアイミュラーのような後進国に遅れをとるわけないでしょう? 全て知っていましてよ。ドラゴニアへ入国して皇帝を殺そうとしている事とか、ね」
背筋が冷えた。
何故?何故それを知っている!?
私達の計画の根幹。
知られては終わってしまう事を、何故こいつが!?
顔に出てしまったのか、そんな私を見て、イリアレーナ王女はさらに笑みを深くする。
「当たり、でしょう?」
何故、どこから?
それは、私やクリストファー殿下、ローゼリア、バド等近しい人間しか知らぬはず。
まさか……
「諜報員……か?」
イリアレーナ王女はそれには答えずに、笑顔を向ける。
一体誰が……いや、誰かと決まったわけではない。
召喚獣を隠密行動させてる可能性もある。
「うちのスパイはとても優秀だから、私は色々知っているんです。だから、アイミュラーの皇女も貴方の友人も連れてこなかったんですから。友人とか言っておいて、2人とも貴方を騙しているんですよ? そうですね、たとえば――」
「――黙れ」
自分でも驚くほどに、低い声が出た。
この女が何を言おうとしているかは解らぬが、それは私が聞く必要がない事。
いや、聞いてはいけない事だ。
ローゼリアやバド本人の口から聞くならともかく、第三者の口から、面白がっている女の口から知らされるなどあってはならない。
「――その口を直ぐにとじろ。私の友人達を侮辱し貶めるなど、相応の覚悟があっての事だろうな」
内から何かが沸き上がってくる。
バハムートの魔力?
違う。これは、バハムートではない。
もっと別の……他の何か……
「――我の友人をけなすなど、我を侮辱した事と同意」
私の意識は薄れていき、何かが私の口を、身体を動かす。
「――その罪、償ってもらうぞ。氷の」
右手が意思に反してあがっていき、掌をイリアレーナ王女に向ける。
力がそこに集中して、掌が火傷するほどに熱い。
掌を向けられたイリアレーナ王女は、またしても笑っていた。
腕を組み、慌てた様子もなく大胆不敵に。
その姿はまさに支配者。
このような力、誰かに当たってはひとたまりもない。
駄目だ、駄目だ……!
必死に抑えようとしても、身体はびくともしない。
私の身体は何かに支配されている。
駄目だ、やめろ。と呟き続ける私を、何かが見つめていた。
こらえきれず、いよいよ掌から魔力が放出されようとする時、私から王女を庇うように、蒼い光を纏いながら一人の女性が現れた。
「――やりすぎです」
涼しげな声を出す女性。
髪も瞳も肌も蒼く、冷たい風とともに現れたその人は、一目で人間ではないと解る。
蒼い髪はイリアレーナ王女よりも長く、まとめても尚、地面に触れる。
肌を多く露出する衣装を着、妖艶かと思えば清純そうな表情も見せる、魔性の女性。
これが、名あり氷の女王シヴァ。
シヴァの冷風が私の頬を撫でた瞬間、掌に集中していた魔力は霧散し、身体の自由が戻ってきた。
倒れたくなるのをこらえながら、身体に酸素を送り込む。
「シヴァ、呼んでないわよ」
不機嫌そうに、目の前の女性の名を呼ぶイリアレーナ王女。
やはり、この女性はシヴァで良いのか。
「そうは言っても、今危なかったでしょう? やたらに喧嘩をうるものじゃないです」
呆れたような声音のシヴァ。
そのやり取りにイリアレーナ王女とシヴァの絆が見えたような気がして、正直羨ましかった。
小言の応酬をしあう中、ガラゴロと車輪の音と二人を諌める初老の女性の声。
「客人の前で何をやっているんですか? 二人とも」
私をここまで案内してくれた侍女だった。
サービスワゴンを押す彼女は、何かを運んできたらしい。
「全く、一人で大丈夫というから私は席を外しましたのに。いいですか。日頃から言ってるように、フェブラントの王女としての自覚を……」
「あ~はいはいはい。わかってますー」
耳を押さえながら、口をとがらせるイリアレーナ王女。
ようやく、年相応の表情が見れたような気がした。
こちらが素なのだろう。
そして、精神的な上下関係も見えた。
この侍女は単なる侍女ではない。
「シヴァもアルマも一々うるさいんだから」
ふむ、侍女はアルマというのだな。
腰に手をあてて、くどくどとイリアレーナ王女にお説教をし、イリアレーナ王女は不機嫌そうにそっぽを向き、シヴァはそんな二人を微笑ましそうに、ほんの少し困ったように見つめている。
……兵器などと思ったことを、心の中で謝罪する。
この者は強大な魔力を持ち、名ありのシヴァと契約していたとしても一人の人間だ。
私は、大切な事を見失っていたようだ。
「あーもー。お説教はもうたくさんです。アルマ、準備を」
「かしこまりました」
一礼し、複数個ある扉の一つに手をかける、アルマと呼ばれた侍女。
そのままサービスワゴンを押し、部屋の中へと運んでいった。
「それでは、どうぞこちらへ。バハムートの契約者様。お茶をしながら、説明させていただきますわ」
先程のようなはりつけた微笑に戻り、マントを翻しながら部屋へ促す。
私はため息をつきながら、後につづいた。
案内された部屋は、今までの殺風景さとはうって変わって、物にみちあふれていた。
書斎らしく、大きな机の上には大量の書類と羽ペンが。
壁は一面本棚で、所狭しと本が並べられている。
そして、この部屋の壁にも窓はなかった。
天井の明かりとり用の窓だけだ。
机の前のソファーとテーブルに、侍女のアルマが茶とケーキを用意していた。
白い湯気があがり、豊かな香りをかもし出す。
その香りは、私をソファーに座らせるには十分な効果があった。
私の正面にイリアレーナ王女とシヴァ。
アルマは給仕の為に横に控えている。
「先ほどは、我が主が失礼をしました。どうぞ、召し上がってください」
私の正面に座っているシヴァ。
その扇情的な衣装はけしからん。
召喚獣であろうと、年頃のうら若き婦女子がそのように肌を露出してはいかんのだ。
目のやり場に困るではないか。
直視しては失礼、と視線をシヴァから外す。
すると目敏いイリアレーナ王女が、ニヤニヤしながら自分の胸元を強調してきた。
「あらあらあらー? シヴァの肉体に魅了されちゃいましたかー? そうですよねー、バハムートの契約者様はお年頃ですもんねー。いつも側にいるのは、貧相なアイミュラー皇女ですし」
ええい、ニヤニヤグフフとうざったい。
それに、ローゼリアの事を貧相と言うな、貧相と。
スレンダーと言え。
「じーつーはー、私も胸には自信があるんですよー。見てみます? 見てみます?」
そう言いながらマントの前をあけ、厚めの生地の下にある自身の胸を前につき出す。
真冬の防寒用の服でもわかるほどの膨らみは、その巨大さをものがたる。
確かに、胸はあるようだ。
ローゼリアよりは確実にある。
幼い顔と小さな身体に不釣り合いなほどの大きな胸は、一部の男性からは熱狂的な支持を得られるだろう。
だが……
「ふん、胸がでかいから何だと言うんだ。バドの胸囲に敵う者などいるはずがない」
「な、ちょ! あんな筋肉ダルマと一緒にしないでくださいよ! 向こうは筋肉! こっちは胸!!」
胸囲に大層な自信があったのか、ギャンギャンとわめきたてる。
「えぇい、やかましい! 私はでかすぎる胸に性的魅力は感じん! 何度言ったら解るのだ! 私が重要視するのは胸部から臀部にかけてのボディラインだ!」
「貴方の性的嗜好なんて知りませんよ! この胸を無視するとは、何という不届きものですか!」
「知るか! 垂れてるだけの奇乳など単なる肉ではないか! シヴァの方がまだ、みられる体型をしとるわ!」
「なんですってー!!」
テーブル越しに掴みかかってこようとするイリアレーナ王女。
一国の王女が、テーブルに足を乗せて乗り越えようとするのはどうかと思うのだ。
振り上げられた王女の腕を何とか掴み、振り下ろされるのを阻止したが、
「っ!?」
異様な冷たさを感じ、慌てて腕を離す。
今のは……?
服の上からだというのに、まるで氷のように冷たかった。
暖炉に火がたかれ、部屋は温かく保たれているというのに。
イリアレーナ王女にとっても、知られたくなかった事だったのか、ばつの悪そうな顔をしてソファーに座り直した。
私に掴まれた腕を、執拗にさすっている。
「姫様、お戯れは終わりましたか? フェブラントの姫君がそのように裾を振り乱すものではございません。しかも、お客様に対してなんと失礼な」
アルマが追究を防ぐかのように、口を開く。
「……悪かったわよ」
顔を横にそむけ、ボソリと謝罪のような言葉を口にするイリアレーナ王女。
「契約者様、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるアルマ。
これではもう、先ほどの事を聞けぬではないか。
私はもう、この空気をしめる言葉しか口にできぬ。
「私は気にしていない。こちらこそ、一国の王女に対して不敬が過ぎた。申し訳ない」
「寛大なお心に感謝いたします」
このアルマという侍女、やはり出来る。
だが、収穫もあった。
イリアレーナ王女はローゼリアとバドの外見まで把握している。
私は、警戒を深くした。





