39 私はかすみを食べて生きているわけではない
夢を見た。
金色の髪をなびかせる女性。
隆起した岩山、眼下に広がる草原、重い雲が渦巻く曇天。
この風景は、見た事がある。
ここは、竜王山の山頂。
バハムートのすみかだ。
「貴方は最強の召喚獣なんでしょ!? ミストレイルに住んでるのに、何故郷の危機にふんぞり返ってるのよ!」
髪や顔は土で汚れ、粗末な服は擦りきれて更にボロボロになっている。
靴は途中で脱げたのか、足は血だらけだ。
この女性は誰かと思ったが、すぐに合点がいった。
ここは竜王山。
最強の召喚獣は、考えるまでもなく竜王バハムート。
ならば、救国の聖女エルマ=ビーフィルズだ。
彼女の顔や姿は後世に伝わっていないが、唯一、その髪は見事な金髪だったと言われているのだ。
しかし、その髪色以外は伝承と似てもにつかん。
絶世の美女や美少女と言われているが、お世辞にも絶世とは言えん。
体型もボンキュボンのバインバインではなく、どちらかと言うと貧相だ。
むしろ、鶏ガラであろう。
元々ああいう体型なのか、戦時中だからかは解らぬが。
性格も、おしとやかで清楚な、いかにもな聖女として伝わっているが、あの様子を見るにそうではない。
身分も、貴族だったのではないかという考証が一般的だが、服装を見るに、平民であろう。
何故か三ツ又にわかれた鍬を持っているからな。
十中八九農民か。
全く、伝承というのは中々当てにならん。
「聞いてるの!? ねえ! 寝ている場合じゃないでしょう!?」
その巨体を横にし、寝そべっているバハムートの足を、物怖じもせず揺する聖女エルマ。
その豪気さには惚れ惚れするものがある。
私は、この機会に。と、周囲の魔力を探査する。
隷属契約で召喚はできなくとも、これくらいは可能だ。
バハムートの魔力は感じられても、こんなに近くにいる彼女からは、何も感じ取れない。
やはり、彼女は――
『うるさいのぅ……』
心底面倒くさい、というような間延びした声。
あの時聞いたものと同じ。
竜王バハムートの、声。
高いような低いような。
幼いような老練のような、不思議な声。
何故か、ゾクリと身体の底が震える。
それは、一体どんな感情からだったのか。
ゆっくりとその巨体を起こし……
目が、合った。
◆◆◆◆◆◆
「…………」
ゆっくりと目をあけ、今の場面を反芻する。
今の夢はもしや……
「バハムートの過去……か?」
だが、どうしてバハムートの過去など夢にみたのか。
カルト、ベル、デラニーのいずれの過去も見た事などないというのに。
考えていてもしょうがない。
とりあえず起きるか、と身を起こし、固まる。
「ここは、どこだ?」
そうだ。私は、どこぞの巨大な氷鳥にくわえられて拐われたはず。
そして、くわえられたまま気を失ったのだ。
慌てて身なりを確認する。
服……いつものローブ姿だ。
持ち物……母上の蒼玉の短剣、ブラックスピネルの杖。近くのテーブルの上に置いてある。
寝ているベッドは天蓋つき。
枕も敷布も掛布も、モッコモコ。最高級の羽毛だろうか。
部屋も広々としており、調度品も高価な物だ。
窓から射し込む光は明るく、外を確認するともう大分太陽の位置は高かった。
昼前、といったところか。
窓の外は一面の雪景色だが、部屋の中はそう寒くもない。
大きな暖炉が赤々と燃え、部屋の中を快適に保ってくれている。
扉には当たり前のように鍵がかかっていたが、とりあえず、誰かは私の身を害そうという気はないようだ。
あったら、牢屋にでも放り込まれているだろう。
私を捕らえたのは氷の鳥だった。
あれは、シヴァの眷属か魔力で作成したものだろう。
やはり……
「ここは、フェブラントの王都……か?」
シヴァの契約者は、フェブラントの王女だと言っていたが……
「拐われる理由が、全くもってわからんな」
あるとすればバハムートだが、何の用だ?
しかし、ドラゴニアの国境付近まで連れてきてくれたのはありがたい。
フェブラントの王都からドラゴニアの国境は、目と鼻の先。
何とかして脱け出して、ドラゴニア国内へ入らねば。
それで、アイミュラー軍の侵攻は終わり、クリストファー殿下が皇帝の座につく。
そうすれば、ローゼリアもバドもゆっくり暮らせるようになり、民に被害がいく事もない。
疲弊したアイミュラー国内は、クリストファー殿下が建て直してくださる。
うむ。拐われてしまったが、幸先いいぞ。
残してきてしまったローゼリア達や、ヴェインとレオの事が心配だが。
ローゼリアの今の状態では、私がそばにいない方がいいだろう。
ヴェインとレオは、ユグズがどうにかしてくれる……はず。
どうすれば、ローゼリアを少しは楽にしてやれるのだろうか。
やはり、知らない振りが一番良かったのか?
いや、今な後回しだ。
バドなら、少しはいい方向にむけてくれるだろう。
私が今やる事は、ドラゴニアへ向けて出発する事だ。
1人だからこそ、ポジティブにいかねば。
寂しさと不安で押し潰されてしまうからな。
早速カルトとベルを呼び、窓をぶち抜いてもらおうと思ったが。
「これは……」
部屋全体に、魔力と召喚獣を阻害する陣が敷かれてある。
カルトとベルを呼ぶにしても、まずはこの部屋から出なければ。
「しかし、出ると言っても……」
扉は固く閉ざされ、窓も同様。
しかも、窓の下を覗いてみれば、かなりの高さがある。
雪で衝撃が緩和されないだろうかと、考えたが、外は零下。
ガッチガチに固まって、氷になっているだろう。
この高さから飛び降りれば、私は死ぬ。
はあ。私は軟禁される事に縁があるらしい。
よくよく見れば、テーブルの上に水差しと軽食がある。
これで喉と腹を満たしつつ、犯人の訪れを待つとしよう。
私は、布巾がかけられた皿を手にとった。
「…………」
私は1人、羽毛布団にくるまりながら寒さにガタガタと震えている。
空腹を訴える腹の音は、寂しげに、時に絶望をあらわしながら鳴り続ける。
布巾の下にあった軽食は、ハムとチーズが挟まれたサンドイッチ、大きめのソーセージであった。
ソーセージは若干冷え、脂が白く固まっていた。
野営中ならともかく、冷えたソーセージなど食べたくはない。
なので、部屋の暖炉で少し温めようとした。
暖炉のそばにあった串につきさし、炙りつつあたためた。
そこで、サンドイッチも少し温めようと思ったのが、運のツキだった。
皿ごと暖炉の近くに置き、熱気で温めた。
そろそろいいかと思い、皿を持ち上げようとした時、そばに突き刺してあったソーセージがバランスを崩し、灰の中にダイブした。
慌てた私はソーセージを救出しようと立ち上がった瞬間に、サンドイッチを蹴飛ばしてしまい、サンドイッチも暖炉の中にダイブした。
食料を2つとも失った私は、何を思ったか水差しの水を暖炉にぶっかけた。
結果、食料も水も失い暖炉の火も失った私は、どんどん気温が下がっていく冷えた部屋で、空腹と寒さに耐えている。
暖炉の火をつけ直そうと思ったが、マッチ等の火をつける道具はどこにも見当たらなかった。
まあ見つかっても、私がマッチで火をつけられるかどうかという問題が残るのだが。
だが、さしあたって一番の問題は空腹だ。
確かに、私は少食だ。
食事の時間を削り、勉学を優先していた為、採る量もごく僅か。
だったが、決して何も食べずに生きてきたわけではない!
私も人間だ!少しは食べなければ死んでしまう!
……あぁ、腹が空いた。
食べられるものがないか、部屋の中を見回す。
……が、何もない。
流石に、灰は、な……
腕を伸ばし、テーブルの上に置いてある杖を手に取る。
ああ、召喚さえ使えれば……
昔の輝かしき日々を思い返す。
苦楽をともにしてきた、ブラックスピネルの杖。
「今は、歩く時に使う本当の杖になってしまったな」
せめて、この空き時間で旅の汚れをとってやろう。
身体を動かせば、少しは暖まるし気も紛れるだろう。
……ん?んんんんんんんん!?
杖の魔石、ブラックスピネルにヒビが入っていないか!?
表面上は何ともないが、目視で確認できぬ内部の奥底。
そこに、微細な傷が確認できる。
何故、こんな事に?
ヴェインとレオを助ける時に、アイミュラー軍の兵士をぶん殴った時のものかと思ったが、違う。
物理的な傷であれば、表面にできるはずだ。
だが、この傷は内部。
これは、召喚や魔力を行使した時にできる傷だ。
だが、いつ?
竜王山に旅に出る時に、装備品のチェックは念入りにした。
だとすると……
「私の記憶が途切れている時。バハムートとの契約に挑んだ時に、何かがあったのか……」
バハムートが私の影に住み着いたのも、これが原因なのだろうか?
ブラックスピネルが気に入らないから、影にしたのだと思っていたが、傷がついていたからだった?
だとしたら……いや……それは考えすぎか?
それはともかく、傷がついた石があるのはチャンスではないか?
魔石や宝石の中には、高純度の魔力が詰まっている。
私の魔力を大量に流し込めば、暴発して爆発する。
なら、窓くらいはぶち破れるはずだ。
部屋全体に魔力を阻害する陣が敷かれてあり、コントロールが難しく普段より大量の魔力が必要だが、私の魔力量ならいける。
問題は、この空腹と体力でどこまでいけるかという問題だが、脱出できるなら些末な事。
全身全霊で魔力を込めよう。
外の冷気も、カルトと合流できたなら、彼がカバーしてくれる。
私は杖を握りしめ、精神を集中する。
その時、集中を阻害するかのようにノックの音がした。
ちっ。なんと、タイミングの悪い。
私は集中をやめ、震える唇で返事をした。
「失礼しま……って、何これ!? さっむい!!」
入ってきたのは、侍女服に身を包んだ初老の女性。
私は優雅に、食料と火を要求した。
「ふう。やっと生き返ったぞ」
暖炉にはまた火が灯され、温かなスープとパンが私の胃を満たす。
「それは、ようございました。ですけど、暖炉もお食事もダメになるなんて、一体何があったんですか?」
「…………」
仕事を増やしてしまって、大変申し訳ないとは思う。
だが、優しき侍女の疑問には、答えられないのだ。
「不測の事態が起きたのだ」
「不測の事態……ですか?」
首をかしげないで欲しい。
あのような大失態、誰にも話せん。
「確認したい事があるのだが、ここはフェブラントで良いのだろうか?」
「ええ、そうですよ。フェブラント王都、王宮の一室でございます」
ふむふむ。私の予想はあっていたわけだな。
私の立場はわからぬが、微妙なものである事は間違いあるまい。
ならば、その私と相対するこの侍女はそこそこの地位で、信頼されている立場であろう。
今の現状を打破する切り札にもなるかもしれん。
これは、今は残しておこう。
手にした杖を、そっとテーブルに戻した。
「さあ、体調は大丈夫ですか? 姫様がお呼びです」
「姫様?」
まさか……
「フェブラント第1王女イリアレーナ様です」
それは、名ありシヴァの契約者。
いきなりのご対面か。
いきなり人をさらうような輩なのだ、油断はできない。
気合いを入れねば。
「さあ、参りましょう。姫様のところへご案内いたします」
「……」
イリアレーナ王女のもとへ向かう為に、王宮内を歩く。
王宮内でも、離れなのだろうか?
私達以外に人の気配がしない。
だが、調度品も高価な物が飾られ、壁や床等に施された細工も美麗だ。
意外だな。
軍事国家と言うから、もっとゴツゴツとした砦のような城を想像していたが。
むしろ、技術的なレベルはアイミュラーよりフェブラントの方が上なのではないかと思うくらいだ。
軍事力も技術もフェブラントが上。
建国年数はアイミュラーの方が古いというのに、フェブラントは大戦からの五百年で、アイミュラーを完璧に抜き去っている。
フェブラントは召喚師の育成にも力を入れていると聞く。
そのような国に侵攻した事の愚かさが、身に染みてくる。
国から出なければ解らなかった、アイミュラーの浅慮さ。
「……」
足取りが重くなる。
クリアヌスタ峡谷にいた時より、体が重い。
シヴァの魔力は、タイタンよりは私に合わないらしい。
それでも、関所で倒れた時よりは幾分かマシだが。
通路を進むにつれて調度品がなくなり、装飾も何もない簡素な壁になっていく。
曲がり角や部屋へ続く扉もなくなり、窓も消えた。
私はどこへ案内されているのか。
暫く歩いたのち、突き当たりに大きめな両開きの扉を見つけた。
この扉も華美な装飾などはない、簡素な物だった。
「こちらになります」
重そうな音をたてながら、扉がゆっくりと開いていく。
侍女の女性は、扉を開けた後、礼をしつつその場から動こうとはしない。
……え?私一人で行くのか?
ついてきてくれないのか?
心細さを抱えながら私は一歩部屋に入り、ゆっくりと辺りを見回した。
私の正面。少し離れたところに、一人の少女が見える。
全体像は把握できるが、顔の細かな造形は見えぬ距離。
白一色の天井と床。一脚の椅子という簡素すぎる部屋。
一脚だけの椅子が広い部屋の奥にポツンと置かれ、そこまでの道は赤い絨毯が彩る。
広い部屋には椅子しか置かれていなく、横に見える3つの扉の奥にまた部屋があるのだろう。
部屋の窓は、天井にある明かりとりの窓のみで、照明器具は壁に数個あるランプのみ。
この広い部屋を照らすには、心もとない数だ。
シンプルで無駄なものは省いた部屋といえば聞こえはいいが、これはシンプルというよりは殺風景としかいいようがない。
離れとはいえ、かりにも王宮の一室が……
これではまるで……
いや。今はそんな事を気にしている場合ではない。
椅子の前に立つ少女に向かって、私は一歩を踏み出した。





