29 過去話バドとの初対面
私がバドと出会ったのは13歳の冬。
次の春に学園に入学するという時だった。
私はバルモルト家の馬車に乗り、召喚術の本を読んでいた。
もう少しで学園に入学する私はとても焦っていた。
ルーシェと差をつけなくてはいけない。
優秀な成績をとらなくてはいけない。
バルモルト家の一員として、トップ以外の成績は許されない。
期待と落胆に追いたてられるように、ページをめくっていた。
するといきなり急停止し、私の形の良い鼻が前方にぶつかった。
そして今度は前側が持ち上がり、私は後ろへと転がった。
「なんなのだー!?」
泡食っていたらバランスが元に戻り、私はその衝撃でまたもや前の方へ頃がり、今度は頭をしたたかに打ち付けた。
1人悶絶し、何があったのかとこみ上げる怒りを手に馬車の扉を開けた。
「何があったのだ!」
「ああ、カミュ様。申し訳ありません。いきなりこの男が」
「何?」
外に出てみれば、うろたえる御者と、馬車の前に立ちふさがるとてつもなくでかい巨体の男。
その巨体の男がバドだった。
体格が違いすぎて、その時は同い年とは思わなかったが。
その当時から低身長で筋肉がつきにくい体型にコンプレックスを持っていた私は、高身長でムッキムキなバドに嫉妬した。
気に入らない男認定をし、敵視した。
馬車からおりず、掴まりながら見下ろし声をかけた。
「ふん。そこの、バルモルト家の馬車を停めるとは何事だ。この私の歩みを妨げたのだ。さぞや、重要な案件なのだろうな」
うむ。嫌な男炸裂だ。
機嫌が悪かったとはいえ、これは私の黒歴史だ。
丸っきり、悪役ではないか。
バドは、そんな私に眉ひとつ動かさなかった。
当時の私は、バルモルト家の名前を出しても怯まないバドに、少なからず警戒心と恐怖を抱いた。
「街中でどれだけの速度を出しているんだ。危うく、街の人達がひかれるところだった」
「何?」
見れば、家族連れと思わしき集団が馬車の近くで震えていた。
「ふん。それがどうした。そんなもの、この私の歩みを妨げる理由にはならん」
「……何?」
「馬車が急停止したせいで、私は顔や身体を打ち付けた。そちらの被害の方が甚大だ。私に関係のないものがどうなろうと、知ったことではない」
その言葉で明らかに気分を害したであろうバドが、馬車に立っている私に近づいてきた。
私は馬車の高さが足されているのに、平地に立っているバドとさほど目線が変わらなかった事が、私をさらに苛立たせた。
「人命より、お前の顔と身体の方が大事なのか?」
「当たり前であろう。私は貴族、お前達は平民。命の価値も何もかもが違う。比べる事が間違っているのだ」
「そうか……」
ゆらり、とバドの巨体が揺れる。
私はふんぞり反ってはいたが、穏やかだった目の前の巨体の持ち主が、牙をあらわにした猛獣に見えて、内心冷や汗ダラダラであった。
言いすぎた、ヤバイ。どうしようとオロオロしつつ、真摯に謝罪するという選択肢を持たなかった私は、見せかけだけを取り繕っていた。
「なんだ、お主。何をする気だ。私が誰か解っているのだろうな。皇家にも縁のある、バルモルト家の者だぞ。そんな私に手を出したら、お前など――」
言い終える前に、私はバドのビンタによって吹っ飛んだ。
馬車の床に盛大な音をたてて倒れ込み、衝撃が走った頬を触りながら呆然とバドを見る。
バルモルト家の人間に、実際に手をあげる者がいるとは思わなかったのだ。
周囲にいた人々も、バドが私をビンタしたのを見るやいなや、巻き込まれたくないと、蜘蛛の子を散らすように去っていった。バドが助けた平民の家族連れもだ。
「お前は間違ってる。お前は上に立つ人間なんだろう? 何があったのか解らないけど、上にいる人間が、自分の事だけ考えて、自分の感情に突き動かされちゃ駄目だ」
手をあげられたという怒りでバドを睨み付けたが、彼の目には私に対する怒りは見えなかった。
あったのは、私に対する憐れみ。
見下されたと感じた私は、激昂した。
「何故私が、お前のような者に見下され手をあげらなければならぬのだ! 自分の事だけ考えてはいけないだと!? 他者の事を考えて動けるのは余裕があるからだ! 私にそんな余裕などあるか! お前だって、結局は助けた者達に見捨てられているではないか!」
バドはそれでも感情を荒立たせず、少し困ったかのように首をかしげていた。
それが何だかとてつもなく気にくわず、視界に入れたくなくて、御者に八つ当たりするように馬車を出発させた。
「何をしているのだ! 早く出せ!」
「か、かしこまりました……!」
ガラゴロと音をたてながら、ゆっくりと回りだす車輪。
私はずっとこちらを見続けているバドに背を向け、また視線を本に落とした。
その後私は、ユニコーンと契約する術師が常駐している国立の病院へと向かった。
バドのビンタによって吹っ飛んだ私の身体も頬もすごい事になっていたのだ。
身体は打ち身と青あざだらけ。
肋骨や腕の骨にはヒビが入り、頬は腫れ上がり奥歯は抜けた。
仮にもバルモルト家の者がこんな怪我をするなんて、なにがあった!と大騒ぎになった。
誰にやられたと詰め寄られたが、転んだ。召喚で失敗をした。で押し通した。
不機嫌に八つ当たりをしたあげく、その相手から説教されてビンタされたなど言えるわけがない。
初対面の他人に不機嫌に八つ当たりをし、バルモルト家の名を汚したと知られるくらいなら、自分の失敗にした方がいくらかマシだ。
カルトからも、何をやっているんだ。と、呆れたような視線で見られたが。
それが、私とバドの最悪な初対面だった。
その後、私達は学園の入学式で再会した。
バドの召喚師らしからぬ風貌は、見る者達の度肝を抜き、例外なく皆ポカンと口をあけていた。
私も例にもれずその1人だった。
強烈な印象のバドを覚えていた為、何故お前がここにいる。という思いだったのだが。
同い年で、バドに召喚の才があると知った時はさらに驚愕した。
後ろめたさでいっぱいだった私は、バドから視線を外したが、バドは目敏くも私に気づき、あろう事かにこやかに話しかけてきた。
「おー、あの時の貴族の息子じゃないかー。一緒の学校なんだなー、よろしくー。名前、なんて言うんだ? 俺はバドゥル=マルタン。バドでいいぞー」
「何故、にこやかに話しかけてくる! 私達の間に、何があったか忘れたのか!」
「何があったか? うーんと……ケンカしたな」
「ケン……カ?」
ニコニコと微笑みながら言うバドに、呆気にとられた。
あれは、ケンカなど生易しいものだったか?
「で、名前はー?」
苛ついた私は、バドを無視していた。
その間も、「名前はー? 名前はー?」と、上から声が降ってくる。
そのうち諦めると思ったが、バドは結構しつこかった。
やっと諦めたかと思えば、
「そうかー、名前忘れちゃったのかー」
「自分の名前を忘れるわけがなかろう! カミュ! カミュ=バルモルトだ!!」
「そうかー、カミュかー」
思わず自分の名前を教えてしまった自分の迂闊さを恥じたが、名前を知ったバドがとても嬉しそうで……
「3年間、よろしくなー。カミュー」
そんな言葉にも、つい返事をしてしまった。
その後ローゼリアも来て、自己紹介をして、私達はぶつかり合いながらも何だかんだ一緒にいた。
本格的に友人になったのは、2ヶ月後の実習の時だったろうか。
夏期休暇前の実習。
土属性の召喚獣を学ぶ為、既に廃坑になった坑道へ出掛けたのだ。
その時に何やかんやあって落盤し、私とバドは崩落した坑道に閉じ込められてしまった。
「くっ! 何でこんな目にあわねばならぬのだ!」
召喚して脱出すればいいのだが、実習で召喚しまくった私はすでに魔力が切れていた。
「まーまー、そんなに慌てなくても大丈夫だぞー」
「どうしてお主はそんなに落ちつていられるのだ! 私達が潰されずにいるのも奇跡なのだぞ! いつ、また崩れるやもしれぬというのに!」
パラパラと、天井から小石が落ちてくる。
「っ!」
暴れてはまずい。
「坑道で起こりうる事故は、落盤、水没。そして、酸欠だぞー」
「……そのような事、知っている!」
乱暴に、バドの横に腰をおろす。
「先生達もローゼリアも、俺達が落盤に巻き込まれた事は知ってる。すぐに掘り出してくれるさー」
このような事態でも冷静さを失わず、決して慌てたりなどしない。
頼りになると同時に、自分との格の違いを思い知らされる。
この先も決して、私はこの男に敵う事はないのだと。
「……ちょうど良い。お主に聞いておきたい事がある。私達が初めて会った、あの馬車の件だ」
「んー?」
「お主は馬車にひかれそうだった平民を助けたが、私とのいさかいの間に逃げられていたな。貴族と事を構えているお主に巻き込まれてはかなわないと」
私の記憶違いでなければ、助けてもらった礼も言われていないはずだ。
「再会した後に、せっかく助けたのに逃げられて腹がたたないのか聞いたら、お主はしょうがないと言った。あれは、どういう事だ?」
私なら、助けたのに礼もなしか!と、腹立たしく思うだろう。だが、バドは「しょうがない」と微笑んだのだ。
「何故、あそこで笑えるんだ。何故そこまで、人の為に何かをできるんだ」
突き刺さる、あの時言っていたバドの言葉。
「何故、捨てられたのに笑っていられる……」
「んー、良く解らないけどなー。人間は自分を守る生き物だろう? あの家族連れは子どももいた。そりゃー、見知らぬ俺より子どもを優先させるだろー」
「助けられたのに礼も言わずに、か」
吐き捨てるように呟く。
「切羽詰まってたんだろー」
のほほんとしているバドの声。
「しょうがない。人間は弱い生き物だからなー」
「俺も含めてなー」と呟くその言葉は、どこか自分に言い聞かせてもいるようで。
納得できる答えが返ってこなかった事に苛ついた私は、ブスくれながら手元の小石をいじった。
「バドの言っている事は、私にはよく解らん!」
「あっはっはー。俺も良く解らない」
「なんだ、それは……お主、人を助けてばかりで何も返ってこず、損ばかりしているではないか」
呆れながら返せば、バドが「よっこいしょ」と言いながら、腰をあげた。
「さーて、話も終わったしそろそろ出るかー」
「バド、お主魔力が残っていたのか?」
「残ってるわけないだろー」
腕を回したり屈伸したり、何故か一人準備運動をするバド。
「……お主、何をする気だ?」
とてつもなく嫌な予感がする。
「何って? 岩を取り除いて脱出するんだぞー」
そう言いながら、バドは己の肉体一つで、岩をどかしていく。小さい岩も大きい岩も、バドにかかれば小石のように簡単に取り除かれていく。
動かせないような硬い岩が出てきたら、その拳で叩き割る。
ものの十分もせずに私達は陽の光を浴びる事ができ、救助の掘削準備をしていた皆を驚かせた。
「んー、やっぱり太陽は素晴らしいなー」
「汗一つかかないとは……お主、本当に人間か」
「当たり前だろー、他に何だって言うんだ」
伸びをしながら、外を堪能するバド。
「あー、そうそう。人は弱い生き物って言ったし、あの家族連れは逃げちゃったし。カミュは、俺を損してばっかりって言うけどそうでもないんだぞー」
「ん?」
「あの後、家族連れは皆そろって、お礼を言いに来てくれたんだー。助けてくれてありがとう、置いて逃げちゃってごめんなさい、って」
「ふん。礼と謝罪など当たり前であろう。嬉しがって言う事ではない」
「それでも、俺は嬉しいんだぞー。その状況で戻ってくる人なんて滅多にいないからなー」
……確かに、見捨てた相手のところに戻ってきて謝罪と礼など。とてもやりにくい事であろうな。
「人間には確かに弱いところも卑怯なところも、駄目なところもある。けど、そんな風に優しくて強いところもあるんだよ。だから、俺は人間が好きなんだ」
その言葉に嘘はないのだろう。
バドの瞳は幸せに満ちていた。
私とは本当に住む世界が違う人種なのだと、背を向けて歩きだそうとしたら、
「カミュに何かあったら、俺が全力で助けるからなー。何かあったら言うんだぞー」
「……ぇ、何故だ?」
思いもよらぬ言葉を投げ掛けられ、進もうとしていた歩みが止まる。
「何故って? 友達だからに決まってるだろー」
「友……達?」
「そう、友達ー」
友達。その単語を、何度も何度も反芻した。
「友達……そうか。私とバドは友達だったのか……」
「今まで何だとおもってたんだー?」
「いや、何とも思っていなかった」
「ひどいなー、カミュ!」
肩を落としながら落ち込むバドだったが、すぐに顔をあげ、また笑顔に戻った。
「でも、これで覚えたろ? 俺とカミュは友達。何かあったらちゃんと言うんだぞー」
「気が向いたらな」
ひどいなー、というバドの声を聞き流し、また歩き始める。
今度は背を向けずに、横並びに。
あの時は言わなかったが、友達と言ってくれた事が嬉しくて、何だかくすぐったくて。
私も、自然と笑顔になっていた。
バドが言っていた事は、数年たった今でもよく解らない。
見知らぬ他人をも助けるバドと、自分自身だけで精一杯になってしまい、大切な人達がいればいい。と考える私は、価値観も何もかもが違う。
だが、それでも変わらぬ事は、バドは私の大切な友人だという事だ。
あの時、背を向けて歩き去らなくて良かった。
あそこが、私の人生の転換点の一つだった。