21 アブガルカ湿地帯1~アイミュラーの血溜まり
湿って黒く染まる、木材の通路の上を歩いていく。
パッと見、葦等の植物が生える、いたって普通の湿地帯だ。
ここの何が、ローゼリアを忌避させるのか。
湿地帯に入ってから、ローゼリアの表情はずっと暗い。
「ローゼリア、話しにくいなら俺が話そうかー?」
「……気遣いありがとう、バド。でも、アイミュラーの皇女として私が話しますわ」
歩みはとめず、ゆっくりと歩きながらローゼリアが話し出す。
「五百年前のアイミュラーとドラゴニアの『ミストレイル大戦』。それはアイミュラーに致命的打撃を与えました」
救国の聖女エルマが、バハムートを使役したからだな。
「竜王バハムートにより大損害を与えられたアイミュラー軍は壊走。多くの兵士や術者が戦死しました。生き延びた兵士や術者も、多くの人がアイミュラーの皇都にたどり着く事は出来ませんでした。そして、兵士達が1番亡くなったのがこの湿地帯なのです」
つまりここは……
「五百年前の兵士達が眠るお墓のようなものですわ。五百年前は、ここは乾燥が激しく水分に乏しかった土地だったそうなのです。水分をとる事ができず、また乾燥地帯を越える体力もなく。餓えと渇きによって、生き残った兵士達の8割がここで力尽きたのだと」
思わず湿地帯を見回してしまう。
しかし、五百年前には乾燥地帯だったのに何故湿地帯に?
「詳しくはわかりませんわ。ですが、兵士達の血と嘆きがここの湿地帯をつくりあげたのだと言われています。ここの水は全て、兵士達の血と涙なのだと。湿地帯の正式名称はアブガルカ湿地帯。別名を『アイミュラーの血溜まり』です」
巨大な湿地帯の全てが、兵士達の血と涙……どれだけの命がここで……
彼らの悲痛な思いや無念を思うと、胸が苦しくなる。
「水の中を見てみてくださいな」
水の中?
何か、小さな赤い花が大量に……
「ここにしか咲いていない花です。五百年前、ここに湿地帯ができてから咲いているものですわ。一年中、枯れる事なくずっと……」
枯れる事なく咲き続ける、血のように赤い花。
それは無念の死を遂げた兵士達の血と涙を養分にしているのだろうか。
だから枯れる事なく咲き続ける。兵士達が癒されるまで、ずっと……
私は少しでも彼らの慰めになるようにと、十字をきった。
「ローゼリアはアイミュラーの皇女だから、ここに来にくかったのか?」
兵士達がここで無念の死を遂げたのは、ローゼリアの先祖の命だから。
「それもありますが、一番はここの噂ですの。カミュ、ここの湿地帯は何かが変だと思いませんこと?」
「何かが?」
私は湿地帯を見回しながら考える。が、何も思いつかん。
「耳をすませてみてくださいな。何かが聞こえますか?」
ローゼリアに言われた通り、耳元に手をやり音に集中する。
が、これは――
「何も、聞こえない?」
冬だという事を差し引いても、何も聞こえない。
命の営みが、正の息吹が何も感じられない。
鳥の声も、獣が動く音も、魚が跳ねる音も。何も。
私達以外の命の気配がしない。この規模の湿地帯でこれは……
「これは異常だ……」
「ええ。湿地帯になってから、何故かここは生き物が住みつかない場所になってしまいました。そして、兵士達の亡霊が血を求めて生き物を引きずり込むと噂されているのです。郷愁の念からか、アイミュラー国民は特に引きずり込まれやすいとか」
「……待て、それは噂か?」
「ええ、噂ですわ」
「実際に引きずり込まれた者は?」
「私は知りませんが、旅商人の間では誰々が引き込まれたと有名ですわね」
「俺も叔父さんの友人の商人から、聞いた事あるなー。特に夜が危険なんだとー」
………………よし。
「全速力でぬけるぞ!」
非業の死を遂げ、恨み辛みを遺すのは当然の事であろう。
彼らが安らかに眠れるのなら、私はいくらでも悼むし、彼らの為に祈ろう。
だが!引きずり込まれるのは断じて断る!!
私は濡れるのも寒いのも嫌いだ!そして泳げん!溺死も凍死もごめんこうむる!!
「異議なしだぞー」
「同じくですわ」
私達はなるべく早足で湿地帯を進んだ。
順調に進み、このままなら陽が落ちるまでには確実にぬけられるだろうという時、私は何か視線を感じた。
「カミュ? どうしましたの?」
「いや、今何かに見られていたような……」
「幽霊かー?」
「こらバド! 死者で脅かすような真似をしてはいけませんわ! カミュが夜眠れなくなってしまいますわよ」
「そっかー、ごめんなー。幽霊達。後、カミュ」
おい、適当につけ足すな。
それに、私は幽霊が怖いからといって夜眠れなくなるほど子どもではない。……多分。
いや、今までは何かあったらカルトがいたし。寝るのも仮眠程度で長時間寝るという事もなかったし……
その時、背後で草を踏みつける音がする。
「ひいぃっ!」
私は急いでバドの背中に隠れた。
「やっと見つけたぞ! 反逆者め!!」
背の高い草の中から現れたのは、ボロボロという表現が相応しい様相の女性。
まとめたワインレッド色の髪は崩れ、顔や服に汚れがつきすりきれている。
茶色の瞳はぬれており、涙ぐんでいる模様だ。
服装からするに、アイミュラー軍所属の召喚師だろうか。
召喚師が何故、腰帯に剣を佩いているのかが謎だが。
見た事がない剣の形だ。儀礼用だろうか。
さっきの視線は、この者か?
まあ、あの様子から見るに精鋭ではなさそうだ。
あまり心配はいらぬだろう。
バドとローゼリアもそう思ったのか、警戒をゆるめている。
「私はアイミュラー軍召喚部、第4小隊所属の三等術師。アシュリー=ジネヴィラ。反逆者ども、大人しくお縄につくがいい!」
「「「……」」」
名乗りをあげたアシュリーという女性。
私達は、何だ。という風に警戒をといた。
ダランとした私達が解ったのだろう。
彼女は、キャンキャンとわめきだした。
「何なの、その態度はー! ほ・ば・くするって言ってるでしょー!」
と、言われてもな……
「捕縛するならどうぞ、ご自由に。貴方にできるのなら、ですけど」
小馬鹿にするように、オホホホとローゼリアが口元を隠す。
気持ちはわかるが、それではまるで悪役だ。
軍の三等術師は最下級の兵士で、私達より実力は大幅に劣る。
召喚師の実力は何で決まるか。
一番は、名ありと専属を結べるかどうかだろう。
そして、一般の術師にとって一番重要なのが、契約していない召喚獣をいかに早く召喚できるかだ。
ローゼリアは優先契約の召喚獣がいる。
バドも魔力量は決して多くはないが、巨体に似合わず素早く名無しを召喚する。
軍の基準に合わせたら、ローゼリアは一等、バドは二等術師の実力がある。
ジネヴィラという家名は聞いた事がないし、召喚に名をはせた貴族ではないだろう。
魔力も大したことはない。
三等術師なら優先もいないし、召喚速度も並以下。
私達が彼女を怖れる理由がない。
そして……彼女は女性にしては細身で背が高い。
バドほどではないが、私よりは確実にあるだろう。
……うむ。私の敵だ!
「無視するなー! 最早私は三等術師じゃない! お前たちを見つける過酷な旅を続ける中、私は優先契約をする事ができたのだから!」
その言葉に、バドとローゼリアが名無しを召喚し攻撃をしかける。優先契約できるほどの召喚師なら、油断していたらこちらがやられる!
「あうっ!」
「「「……」」」
私はてっきり、向こうも即座に優先を召喚し、息もつかせぬ召喚獣の戦いが始まると思っていた。
だが、相手は召喚陣を起動する間もなく、ローゼリアのケルピーの一撃をくらい倒れてしまった。
「動かぬのだが、大丈夫か?」
「……知りませんわ、そんなの。向こうも召喚すると思って、特別力を弱めたりなんてしていませんもの」
まさかヤッてしまったのかと心配していると、「んもぉっ!」と牛のような声を出し立ち上がった。
「何してくれてるのー!? ここから、どうやって私が優先契約を交わしたかのサクセスストーリーが語られるのに! 涙なしには聞けない話だよ!?」
とてつもなく興味がないサクセスストーリーなのだが。
「上官や先輩から、お前はここにいても足手まといだから、別ルートで反逆者達を追え。っていう切ない命令にもくじけずに、たった一人で出発した私の追跡劇!」
誰も頼んでないのに、仰々しいポーズつきで語り出してしまった。
「雪にも負けず、寒さにも負けず、寂しさにも負けず! 汚れと臭いにまみれ、ケブモルカ大森林で迷子になっても! シクシク泣いていたらいきなり森が炎につつまれてパニックになっても! 私は負けない! そう、今までの苦労はこれからのエリート人生を送る為の努力! 過程!」
一々ポーズを変える相手を見るのがとてもうっとうしくなってきた。
「優先契約の召喚獣がいたら、無条件で一等召喚師に昇進。お給料もあがって休みもとりやすくなってウハウハになって――って、そこぉ!」
1人で語っていた女兵士が、ビシィッ!と私達を指差す。
「何で人の話を聞かないで、ゆったりくつろいでいるの!」
私達3人は、アシュリーという女兵士を放っておいて各々休憩していた。話も長くなりそうだったからな。
「歳上の人の話を聞かない人は成功しないんだよ!」
「……歳上? 誰がだ?」
「私。君たち、学園の3年生でしょ? 私は21歳、卒業済み。ね? 私の方が歳上」
「年齢詐称していません事?」
「失礼な!」
立ち居振舞いから、とても歳上のようには見えない。
同年代、もしくは年下だ。
「もー怒った! 失礼な反逆者達を捕縛します!」
杖を構え、召喚陣を起動するアシュリー。
バドとローゼリアもそれに合わせ、名無しを召喚する。が、
「あや、ちょ、あ、あっ! あぁぁぁぁー!!!」
ダパーンと水しぶきをたて、沼地に落下するアシュリー。
実に不幸な出来事だった。雪で足を滑らせ落下してしまうなど。
「え? ちょ、動けないんだけど!?」
泥にズッポリとはまってしまったらしい。
この真冬に……不幸な。
「ここは底無し沼等ではありませんから、問題ありませんわね」
「そうだなー、不幸な出来事だったぞー」
「え? ちょ、助けてくれないの!?」
困惑するアシュリーに、私達は背を向けて歩き出す。
誰が、自分達の追撃者をご丁寧に助けるのだ!
今のうちに距離を取る!
さらば、女兵士。
アイミュラーの故国を懐かしむ英霊達よ、そなたらにはあの女兵士を捧げよう。
なので、私達は無事に通して欲しい。
「誰かー、助けてー!!」
知るか!!
私達は、追撃者の情けない声を背中で聞きながらその場を後にした。





