2 嫌な夢の記憶~寒いのは嫌いなのだ
「……お前は、何を寝ぼけた事を言っておるのだ?」
「寝ぼけているのでも何でもなく、事実です。父上」
あれから、私はしばし呆然とした後、皇宮に出かけ父を訪ねていた。
父はバルモルト家の当主であり、アイミュラー皇国の大臣でもある。
青銀色の髪と口ひげを短く保ち、切れ長の瞳からのぞく同系色の瞳は、冷たい光と有能さをうかがわせる。
私は、何一つ父上に似なかった。
髪の色も、瞳の色も……
今いる場所は、大臣である父の執務室だ。
大量の本に大量の書類。
本なんて、本棚に収まりきらないのかそんな時間もないのか、机の脇に高く積まれている。
いつもは秘書や執事が脇に控えているが、私が人払いを頼んだので今は二人きりだ。
「じゃあ、何か。あの竜王バハムートと専属契約を結んだが、バハムートは力を貸してくれる事もなく、お前の影に住み着き、お前の魔力を使ってひきこもっていると? そしてお前は、バハムートと専属契約を結んだ為に、他の召喚獣の力も借りられずに、魔力も凡人レベルにまで落ち込んだと?」
「そうです」
「馬鹿も休み休み言えー!」
ビリビリと父の怒号が響く。
「あの竜王バハムートが、自分で動くのは面倒だから、寄生する為に丁度良く来たお前と契約を結んだなど、バハムートを馬鹿にするのにもほどがある!! しかも、術者の体内や影に住み着くなど、聞いた事がないわ!!」
召喚師にとって、最強と名高い竜王バハムートは憧れの存在。
神とも言える。
そんなバハムートが、面倒くさがりのひきこもりで惰眠を貪っているなど、許せなかったのだろう。
私だって以前はそう思っていた。
寝息だの寝言だの散々聞かされ、直にひきこもり宣言をされた今となっては、微塵も思っていないが。
「では、父上。この影はどう説明するのですか?」
私の足元にくっきりと見える影。
「ぐ、ぐぬぬ……」
父上が持っていた杖で、影をつついている。
意を決したように杖を一振りし、小さな魔力の流れと共に、召喚獣が姿をあらわす。
『はぁーい、フェアリーちゃんよ。何か用事?』
出てきたのは、掌サイズの小さな妖精。
名無し召喚獣のフェアリーだった。
父上が優先契約を結んでいる1体で、個体名をユースと言う。
大分昔から契約しているらしく、私が物心ついた頃にはすでにいた。
アイミュラー皇国の大臣だが、腕利きの召喚師でもある父上にとって、フェアリーを呼び出すのは造作もない事だろう。
ゴツい親父に可愛い掌サイズのフェアリー。
何故か、吹き出したくなる。
「ユース。早速で悪いが、この影を見てくれ。この影の魔力は……」
『キャアーー!』
父上が話している途中で、ユースは影を見て悲鳴をあげた。
飛ぶのをやめて、影に向かって土下座している。
『バ、ババババハムート様! 私のような矮小なフェアリーが御身の上を飛び回り、申し訳ありません!! なにとぞ、なにとぞご容赦をー!』
その勢いに、私も親父もポカーンとしている。
人間には無理だが、召喚獣同士はお互いの魔力の流れを見る事ができるらしい。
父上も、それでフェアリーを呼んで判断してもらおうと思ったのだろう。
だが、土下座は予想外だ。
『え? 許していただける? 寛大な処置、有り難き幸せ! え? 説明ですか? はい、了解しました! このユース! しっかりと説明いたします!!』
「……」
「……」
ユースは土下座のまま動かない。
……生きてるか?
その次の瞬間、ユースはすごい勢いで飛び上がり、父上の顔にベチョッとはりついた。
『アールー!! バハムート様がいらっしゃるなんて聞いてないわよ! ビックリしたじゃない!』
アルというのは、父上の愛称だ。
アルビレオ=バルモルト。
当主でもあり大臣でもある父を愛称で呼べる者は、そうはいないだろう。
『しかも、何!? カミュ坊がバハムート様と契約って! 目ん玉飛び出るかと思ったわよ!』
おい、その呼び方やめろ。
『とりあえず、バハムート様は、確実にカミュ坊と契約しているわ。機嫌を損ねないようにね!』
ビシィッと指を突きつけてくるが……
「ユース。そのバハムートは私の中に寄生してグータラ寝て過ごすと言っていたが……」
『あのバハムート様が、そんな事言うわけないじゃない! もし言ったとしたら、何か理由があっての事よ!』
グータラ寝て過ごすのに、何の理由があるというんだ。
ただの面倒くさがりじゃないのか。
『とーにーかーくー! バハムート様は私達召喚獣の中でも、神!そのバハムート様に失礼な態度とったら、あんた召喚獣達から袋叩きよ! 気を付けなさい!』
そう言い放ち、ユースは消えてしまった。
帰ったのだろう。
「だ、そうですよ。父上」
「うぅーむ」
バハムートとの契約が事実だと知った父上は、苦虫を噛み潰したかのような顔で、頭を抱えていた。
「とりあえず、皇帝陛下と話して方針を決めるからお前は家に帰っていろ」
という事で、追い出された。
皇帝陛下はこの国のトップで、父上とは長年の友人でもある。
家に帰っていろ。とは言われたが、正直この先の事を思うと帰りにくい。
私は召喚師を養成する学園の3年、最上級生だ。
3ヶ月後には卒業し、就職する。
だがバハムートと専属契約をかわした為、他の召喚獣は使役できない。
肝心のバハムートは寝てばかりいる。
……え、就職できなくね?
私つんでね?
召喚師の勉強しかしてきてない私が、他に何ができるというのだ。
土木やら何やらの力仕事も、名無し召喚獣を使役した召喚師の仕事だ。
召喚師が関わってない仕事……
政治、受け付け、ウェイター、研究者、シェフ……
ウェイターならいける……か?
いや、ダメだダメだ!!!
エリート召喚師の道を歩んできた私が、今さら別の道など!
私のプライドが許さん!
だが実際、私は卒業後どうすればいいのだろう……
私は足取り鈍く帰宅の途についた。
「カミュさん。帰っていたのですか」
帰宅した私は、その声を聞き更にゲンナリとした。
声の主は、シア=バルモルト。
私の母だ。
私の髪の色も、髪質も、瞳の色も。
全てがこの人に似た。
明るめの赤茶色の髪も。何度とかしても、ピンピンとはねる癖ッ毛も。黒色の瞳も。
そう言えば、旅から帰国した挨拶をしていなかったな。
バハムートから衝撃発言を聞かされた後、すぐに父上の元に向かったから。
「ええ、つい先程。挨拶が遅れまして申し訳ありません、母上。先に父上のところに行っていたものですから」
「そうですか。それで、目当てのバハムートとは契約できたのですか?」
私の心配も何もなく、聞くのはそれだけなのか。
「貴方はバルモルト家の跡取りなのですから、中途半端は許されません。あの女の子どもに負けぬように――」
ああ、私の中に何か重苦しいものがたまっていく。
「全く。貴方が出来の悪い子だから、私がこんなに苦労しているのです。見なさい、また皺が増えてしまったわ」
この人の話を聞く度に、眼前が暗闇で染まり、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、息が苦しくなる。
「カミュさん、聞いているのですか?」
ああ、私はこの人が嫌いだ。
半ば無理矢理あの人との会話を切り上げ、自室に戻りベッドに倒れこむ。
ストレスなのかなんなのか、頭痛がする額をおさえる。
あの人は昔からいつもああだ。
母は、皇家の縁戚になる名家出身の令嬢だ。
皇家とバルモルト家の関係性強化の為に、父と結婚したらしい。
見栄とプライドの塊のような人で、あの人から愛情をかけられた事は一度もない。
できなかった事をヒステリックに罵倒され、打ちのめされた記憶はあるが。
疲労からか、瞼がどんどんおちてくる。
ああ、嫌だ。
こんな気分で寝ると、決まって嫌な夢を見る……
「ごめんなさいー! だしてー!いい子になるからー! もっとがんばるからー! おかあさまー!!」
暗くて狭い物置小屋に閉じ込められて、扉をドンドン叩く子どもがいる。
その頬は赤く腫れ、幾筋もの涙の跡。
髪の毛を掴んで引きずられたのか、ボサボサだ。
懇願する声に応える者は誰もなく、聞こえるのはヒューヒューと吹きすさぶ風の音だけ。
「グスッグスッ」
鼻をすすり、涙を拭き、小屋の隅で体育座りをして、自分の膝を抱き締める。
すきま風が入り込む粗末な小屋は、とても寒い。
後で、その小さくて粗末な小屋は、わざわざ折檻用に特別に建てたのだと知った。
すきま風が入り込むような建築もわざとだと。
折檻中は毛布も食事も何も与えられず、いつも空腹と寒さに震えていた。
できない自分が悪いのだと自分を責め、でもどうしようもなく寂しくて。
いつか本当の両親が迎えに来てくれ、優しく抱き締めてくれるのだと夢想し、自分を慰めた。
「……ゆめ、か……」
大分寝てしまったらしい。部屋の中が薄暗い。
頭痛は……少しはおさまっている。
「私はもう……何も出来ぬ幼子ではないのだ」
悪夢を振り払うように、私は勢いよく立ち上がった。