15.5 side ローゼリア
お馬鹿なカミュを放っておいてエリンの小屋に入ると、そこはとても暖かく、私は野草や香草の匂いに包まれる。
エリンのベッドにバドは大きすぎたのか、床に大量の布で作られた布団の上に寝ていた。
聞こえてくるバドの規則正しい寝息に、私はホッとする。
「……お茶」
「あら、ありがとうございます」
エリンはいつの間にかフードとコートを脱いでおり、薄金の柔らかな髪の毛の小さな三つ編みが、両肩にかかっていた。
木で作られたカップに注がれている温かな液体。
少しずつ飲むと、それは薬草茶だという事がわかった。
適度な苦味と甘さ。身体の芯から温もり、一気に疲労が襲ってくる。
「……疲れ、とれるから」
「ありがとう」
窓から外を見ると、倒れこんでいるカミュがユニコーンに囲まれてつつかれているのが見える。
それを見て、私は人知れずため息をつく。
本当に、お馬鹿で抜けているんだから。
「……どうかした?」
「いえ、何でもないんですのよ。それより、エリンは凄く優秀な召喚師ですのね。幼くしてあんなに自然に召喚を行うなんて」
同じ召喚師として、憧れと尊敬。
そして、妬みを抱かずにはいられない。
こんな羨む感情、カミュ以来だった。
カミュは、抜けてて自惚れでドジで運動音痴で失言も多いけれど、召喚師としての実力は同年代では抜きん出ていた。
物覚えが悪く不器用で時間がかかるけれど、コツを覚え理解した後の習熟度は凄まじいものがあった。
そして、生来の魔力量。
今は抜けたりドジなところが目立っているけれど、学内でのカミュは冷静沈着なエリートそのものだ。
自分はいつか、彼らのような高みにたどり着けるのだろうか。
「……そんなこと、ないの」
私の言葉を否定するように、フルフルと首を横に振るエリン。
三つ編みが小さく揺れ、その可愛らしい仕草に思わず頬がゆるんでしまう。
「……わたしは、すごい召喚師じゃない。すごいのは、ここの土地」
「どういう事ですの?」
「……わたしが召喚を使えるのは、森の中だけ。わたしはユニコーンの護り手だから、森が力を貸してくれてるの。森から出たら、わたしは召喚を使えない。すごく苦労する」
「あの、ユニコーンのフォルマジーアは? 貴方の契約召喚獣ではありませんの?」
「……フォルマジーアは友達。わたしが契約してるのは、この土地。もっと具体的に言えば、あの樹」
そう言ってエリンが指したのは、窓の外の大樹。
泉の中央にあったあの樹だった。
「……あれは、この森の中心。森のお母さん。あの樹がある限り、わたしはこの森の中では負けない」
植物や土地と契約を結ぶ召喚師というのもいるのか。
世界は果てしなく広い。
「……ご飯とお風呂の準備する。ゆっくりしていって」
「エリン、大変有り難い申し出ですけど、あまりゆっくりもしていられませんの。バドが目覚めたら、すぐに行かなくては」
「……急ぎの用事?」
「ええ」
エリンに事情を話しても大丈夫かと一瞬だけ逡巡する。
まあ、大丈夫かしら。
ここにアイミュラー軍はたどり着けないでしょうし、エリンが私たちに何かをするという事もないでしょう。
過ごしたのはわずかな時間だけれども、この子は率先して人を騙し傷つけるような人間ではないという事はわかる。
この子が立ち上がるのは、森を害する相手のみ。
「実は――」
私は、エリンに今の私達の状況を説明した。
「……急いでるのはわかった。でも、あの人後5時間くらいは目覚めない」
それは、ちょうど夜明けくらいの時間。
「……休んでいって。ここなら、変なのからも見られない」
「変なもの?」
「……ん。よくわからないけど、嫌なものが時々見てる。でも、ここなら森の結界が守ってくれる。外でも、バハムート様の側なら大丈夫」
変なもの……何かしら。
心当たりはないのだけれど、カミュとバドなら解るかしら。
「それなら、お言葉に甘えますわ」
「……ん」
エリンはお風呂の支度をしてくる。と小屋の外に出ていった。
一人になると、どっと疲れが込み上げてくる。
この先の事を思うと、とても不安になる。
先ほど、バドを失いそうになった恐怖。
まだ、指先が震えている。
カミュには、私がお父様を止める。だなんて、格好つけて言ったけれど、本当はとても怖い。
お父様を失う。私がそれを幇助する。
そう考えると、叫びだしたくなってしまう。
思い出の中の優しいお父様が、私の足を絡めとる。
私の決意を鈍らせる。
爪が食い込むほど拳を握りしめて、痛みで自分を保つ。
外からカミュの声が聞こえてきて、何事かと外を見る。
すると、ユニコーンに泉に突き落とされているところだった。
また、何かやらかしたんだろうか。
お馬鹿だと呆れつつ、カミュの表情がある事に私は安堵する。
カミュの色々な表情を見るなんて、本当に何年振りだろう。
ずっと昔、小さい頃のカミュは優しく傷つきやすい子どもだった。
人の痛みを感じて泣き、自分の痛みを噛み殺して我慢する。
自分より人を思いやる事ができる、優しい人だった。
それが変わってしまった。
変わらざるを得なかった。
彼なりに、必死だったのだろうと思う。
いつも真顔で、何かを思い詰めて、時折泣きそうな顔で。
何かを探して、でも見つけられない。迷子の子どものようだった。
私やバド、彼の契約召喚獣が側にいても、声をかけても足りなかった。
彼が一番に追い求めていたのは、親からの承認。
親からの愛情だったから。
決して得られぬものだと解っていながらも、求めて仕方がなかった。
あの頃の彼は、見ていられなかった。
それが、今少しは笑えている。
周囲を見る時間と余裕ができてきている。
こんな非常時だというのに、それが私には飛び上がるほどに嬉しい。
失敗してはならないと、焦燥感に包まれた彼はもういない。
守りたいと思う。
彼は、幼い私の心を救ってくれた。
今度は、私が守る番だ。
守る為にはどうすれば良いのか。
今の私の実力では何もかも足りない。
誰かが怪我をしても、それを治す事すら……
視線をあげた先には、多数のユニコーン達。
そうだ、ここでユニコーンとの契約に挑戦すればいいのでは?
ユニコーンは、名無しでは随一の回復力をほこる。
だけど……躊躇してしまう。
失敗したら、というしり込みからじゃない。
ユニコーンという召喚獣の特異性。
それは、大多数の女性が嫌だと思うものではないだろうか。
私が悩んでいると、ノックの音とともにカミュが姿をあらわす。
「この先の事を少し考えたのだが、ローゼリアはユニコーンと契約したらどうだ?」
デリカシーも何もない一言に、私はカミュの頬に右ストレートを炸裂させた。





