11 軟禁3~隷属契約
――君はバハムートと専属契約をしているらしいね。その契約を、今すぐに解除してほしい――
「……」
クリストファー殿下の発言。
それに、私は警戒を強くした。
何もできず、バハムートと会話もままならない。
それでも、バハムートと契約しているという事実は、私にとって唯一の武器であり切り札だ。
何故破棄してほしいのか。その理由も言わない相手を、信じきることはできない。
この方は、私の敵ではなくとも、100%味方でもない。
何より、契約解除したことが露見しては、ローゼリアとバドが皇帝陛下に殺されてしまう。
私は、弛んでいた気を引き締める。
殿下も察したのか、やってしまった。というような顔をしていた。
「すまない、警戒させてしまったようだね」
「当たり前です。契約解除をしたら、ローゼリアとバドを殺すと言われました。友人を見殺しにはできません」
「それは当然だ。何故私が契約解除を頼んだか。それから、説明しよう」
コクリ、と殿下が紅茶で喉を潤す。
「ドラゴニアとアイミュラーの関係性は知っているかな?」
五百年前の、大戦の事だな。
聖女エルマとバハムートにより、アイミュラーは壊走した。
「ローゼリアとバドから」
「うん、それなら話が早い。その時に結ばれた、竜王バハムートが住まう地に攻めこまないという条件。ドラゴニアの王都ポルディアンヌで結ばれたから、ポルディアンヌ条約って言うんだよ。でも、バハムートと救国の聖女エルマの名前をとって、バハムート・エルマ条約って言った方が通りがいいんだけど――」
とてつもなく脱線してきている。
その世間話的なものは、今必要なのだろうか。
「おおっと、いけない。会話をしているのに、歴史的背景やなにやらを説明して脱線するのは、私の悪い癖なんだ」
自覚していたのか、この方は。
「いつもなら侍従が止めてくれるんだが、今回は重要な話だから置いてきたんだよ。えーと、で、どこまで話したかな。そうそう、2国間で結ばれた条約の話だったね」
この、人を振り回すマイペースさ。
クリストファー殿下の侍従は、さぞや苦労しているに違いない。
誰かわからぬ侍従に、私は慰労の念を捧げておいた。
「ここからが本題だ。この時の条約締結は、ただ書面にして終了というものではなかった。契約した者の言葉を遵守させる、古の時代の制約の魔導具が使われた」
古の時代。
何があったか、何が起こったか、ほぼ全てが謎に包まれている時代だ。
数多の研究者や学者達が、こぞって研究を重ねているが、高い召喚技術があったらしい、というくらいしか解っていない。
確か、クリストファー殿下も、古の時代を研究するために留学していたはずだ。
「その制約の魔導具は、魂に制約と契約を刻み込む。要するに、破ったら死んでしまうってことだね」
「その制約は、クリストファー殿下やローゼリアにも?」
「いや、私とローゼリアにはついていない」
その言葉を聞いて、少しだけホッとする。
「仕組みは解らないんだけどね、アイミュラーの皇位についた瞬間に、制約は魂を縛り付けるらしい。そして、軍事的行為をもってドラゴニアを侵した場合に、魔導具は命を奪う」
グシャリ、と握り潰す振りをする殿下。
「命を奪う、これは確実だ。5代前の皇帝が、軍を編成し、軍がドラゴニアの国境を越えた瞬間に亡くなった。その時皇帝は、遠いアイミュラーの皇都にいたにも関わらずね。勿論、偶然という可能性もある。だけど、偶然の一言で片付けられるほど、小さな事実でもないだろう?」
確かに。
確実に偶然だと言えない限り、皇帝陛下の命を危険に晒す行為はできないのだろう。
だが、それを聞いて、尚疑問が残る。
「貴方は、私に何をさせたいんだ?」
「……」
穏やかに話していた、クリストファー殿下の空気が変わる。
ローゼリアや周囲が話していた、研究馬鹿のボンボンが纏う空気などではない。
触れたら斬れる、抜き身の刃だ。
ゴクリ、と唾を呑み込む音がやけに大きく聞こえる。
「ふぅ……」
ソファーに座っていた殿下が立ち上がり、窓へ近づく。
「カミュ、君はこの国をどう思う?」
どう、と言われても。
ローゼリアやバドにアイミュラーの真実を聞かされるまで、どうとも考えもしなかった。
私にとっては、アイミュラーではなく、バルモルトが全てだったから。
「6年、私は外からこの国を見てきた。変えるべきだと思ったよ。情報を制限し、隠し通し、召喚師や貴族以外の生活の事など何も考えていない。現皇帝陛下の代になってからは特にだ。商品の流通も人の出入りも何もかもを制限し、衰退の道を辿るだけ。このままでは、早晩アイミュラーは滅びてしまう」
国が滅びる。
その単語に、冷や汗をかく。
「父が退位し、私が皇位に就くまでなど待っていられない。その数年ですら、今のアイミュラーにとっては致命的だ。私が建て直す。私が皇位につく」
つまり……それは……
「君がバハムートとの契約解除をすれば、バハムートの住みかはドラゴニアに戻る。父がそれを知らずにドラゴニアに侵攻すれば、封印具は作動する」
暗殺
この方は、皇帝陛下を、実の父親を……
弑し奉る。
そのような覚悟が、私にあるか……?
そのような事、バレたら第1皇位継承者といえど、死刑は免れない。
なのに、何故危険を侵し、私に教えたのだ。
そのような信頼関係など、私と殿下の間には一切ない。
「君が、ローゼリアの大切な友人だからだよ」
返答は、意外なモノだった。
「留学して国を離れてからも、ローゼリアと文のやり取りはしていたからね。君とマルタン君の事は、結構な頻度で書かれていたよ。人となりもね」
それだけで?
「ローゼリアは私の大切な妹だ。その妹が信頼している人間なら、私も信頼する事ができる」
それだけで、自分の計画を私に話したのか。
確かに、この方の契約にバハムートは必須だろう。
だが、全てを話さなくても、この方なら私を丸め込むことができたろうに。
「信頼して味方になってほしい人には、ちゃんと情報は開示しないとね。全部教えすぎだ! とか、よく怒られる。裏切られたらどうするんだ! とかね」
きっと、苦労人の侍従にだろう。
「こういう所が、お前はトップに向いてないって言われる理由なのかな」
そんな事はない。
駆け引き、というものがこの方には欠けているのかもしれない。
だが、人を惹き付ける能力、トップに立つ覚悟がこの方にはある。
少なくとも、私はローゼリアやバドを殺すと言った現皇帝陛下より、クリストファー殿下を支持したいと思った。
この方の全てが演技で、私がうまく丸め込まれた可能性もある。
それでも、ローゼリアを大切な妹だと仰ったあの眼差しに、嘘はないと思った。
ローゼリアとバドに危害を加えないと言ったことに、嘘はないのだろう。
その他の全てが嘘でも、ローゼリアとバドが無事なら……
「解りました。クリストファー殿下の側につきます」
どっちみち、一人でこの現状を脱出できない私は、クリストファー殿下の案に乗るしかない。
「光栄だ。よろしく頼むよ」
差し出された右手を握りかえす。
これで、運命共同体?
だが、一つ問題がある。
「では、早速バハムートの契約解除を頼む」
「その事なんですが……」
「契約解除ができない……?」
クリストファー殿下が愕然としている。
それはそうだろう。
殿下の計画は、バハムートの契約解除が前提になっている。
それを根底から覆されたんだ。
……私のせいか?
「バハムートと初めて会話した時、私の専属召喚獣だと言っていました。ですが、実際には契約解除もできないし、会話も何もできません」
顎に手をあて、考えているクリストファー殿下。
「なので、専属契約じゃないのでは。と疑問に思っていたところだったのです。殿下は、何か別の契約をご存知ですか?」
「……バハムート殿、失礼いたします」
そう言いながらしゃがみこみ、バハムートがいる私の影を撫でたりつついたりしている。
皇帝陛下のハーピーに攻撃された時と違い、好きにさせているようだ。
私の体調も悪くはならない。
殿下が、バハムートに敬意をはらっているからだろうか。
「ふむ……『隷属契約』の可能性がある」
「隷属契約?」
聞いたことのない、名称だ。
「多分、間違いないだろう。今ある契約方法の中で、一方から契約解除ができないのは隷属契約だけだ」
隷属契約。
それは、召喚師と召喚獣二者の同意の許で結ばれる契約だが、優先や専属との大きな違い。
それは、「主」が同意しないと契約解除ができない事。
優先も専属も、良き隣人、対等な立場での契約だ。
だが、隷属は違う。
どちらかを「主」とし、どちらかを「隷」とする。
基本的には、召喚師を「主」とするらしい。
「隷」の召喚獣が契約解除を申し出ても、「主」が同意せねば、制約は死ぬまで続く。
そして、「隷」は「主」以外との契約はできないが、「主」は何体もの「隷」と契約できる。
専属と違い、常に側にいる必要はない。
召喚獣を良き隣人として考える召喚師としては胸糞悪いことに、この隷属契約は悪徳召喚師が名無しをこき使う為に結ばれることが多いんだとか。
現に、他国では隷属契約の被害にあった名無しが多数いるらしい。
隷属契約はわかった。
だが、何故私とバハムートは隷属契約を結んでいるのだ?
私から解除できないところを見ると、バハムートが「主」で私が「隷」なのだろう。
だが、私はこの契約に同意した覚えはない。
「……いや。記憶を失っているから、同意したことを忘れているだけなのか?」
だが、何故私は隷属契約を……
私の性格上、自身を「隷」とする契約は断固として拒否するような気がするのだが。
しなければならない、相応の理由が?
いや、待て。バハムートが何か言っていた。
何て、何て言っていた?
思い出せ、思い出すんだ!
『あ~、修復時の作業で吹っ飛んだか? 覚えているのも面倒だし平伏されるのも面倒だし、まあいいや』
『……まあ、いい。記憶がなくなってても影響少ないだろ。そのうち、思い出すかもしれないしな』
修復時の作業……?
私は何か怪我をした?
いや、そもそも自殺をしに竜王山へ行ったのだ。
自身を「隷」にしてまで、生きながらえようとする……
足りない。
何か、決定的なパーツが足りない。
「カミュ?」
「いえ、なんでもありません」
今は、私が隷属契約を結んだ理由や経緯を探るべき時ではない。
「契約解除ができないならできないで、やりようはある。……カミュ、もう少しの間、ここで大人しくしていてくれるか」
「はい」
「時が来れば、君に多大な労力を要求することになる。今しばらくの間、ゆっくりしていてくれ」
穏やかな微笑みと声音で、多大な労力をあっさりと要求してくる殿下。
それを見て、ローゼリアの悪魔の微笑を思い出した私は、やはり殿下とローゼリアは兄妹なのだと改めて実感した。





