Secondo magic 形あるモノ 4
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「ねぇねぇ、ここで待とうよ。ここがベストポジションよ」
彼女はウキウキである。しかも今日は妙に馴れ馴れしい。
「いいと思います」
「あと三十分くらいだっけ?」
時間を聞かれるのはこれで六度目。
「そうだと思います」
「もう帰ってきているかしら?」
「そうだと思います」
「心頭滅却すれば火もまた熱しよね」
「そうだと思います」
「あんた、私の話し聞いていないでしょ」
「そうだと思います」
「あのねぇ~」
「ごめん、違うこと考えていた」
許してもらえないのはわかっていたが、笑ってごまかす。案の定、肘打ちが脇腹に食い込むが、絶妙に手加減されたので痛いとは言えない。
「予行練習になったでしょ」
卑しく微笑む彼女の名前は五味さん。彼女には僕が理不尽な被害をこうむる未来が見えているらしい。頼った僕が馬鹿だった。無理やりでも恨まれてもいいから影野君を引っ張ってくるべきだった。そうすればいくらか負担は分散されたかもしれない。
「早く来ないかしら」五味さんはワクワクである。
「僕は来てほしくないんだけど」
「怖いの?ブルッちゃってるの?」
煽ってくる五味さんで、もう勘弁してほしいわけで、泣きたい気分だ。
「怖くないわけないでしょうが」
キレそうになってしまい、危うく語尾のボリュームを上げて理性を手放しそうになった。
「あらあら、冷静にならないと計画が破綻しちゃうわよ」
真っ当な忠告も挑発にしか聞こえない。後悔先に立たず。選択は間違っていたのか?と自分を疑う。
五十七分前の出来事……帰りのショート・ホームルームが終わって、三階の五味さんの教室へ。すでに天山さんはいなくて、元彼に会うのが楽しみで真っ先に帰ったと推測できた。彼女の家の住所を聞くために、ちょうど帰ろうとしていた五味さんを捕まえる。
『どうして住所を知りたいの?なぁ~んて、野暮なことは聞かないわ』
天山さんが五味さんにも元彼が隠し撮りした画像を見せて自慢したはずで、ある程度事態は把握している気はしていた。それに妙に勘が鋭いところがあるから侮れない。
『時間がないので、早く教えてくれませんか』
『いいわよ。ただし私も行くわ』
そして、いまに至る。あのとき、他のクラスメイトに聞けばよかった。選択肢はいくらでもあったはず。邪魔くさくてしょうがない。
「角度的にあの方向から撮影していた画像に見覚えがあるわ。ここから見えないわね。ちょっと移動しましょう」
五味さんが指を差して率先して行動する。
天山さんの家の近辺で撮影している画像が多く、文面やカウントダウンを表示させていることから、直接家に来るというのが、五味さんの推理で僕も異存はない。恐ろしいくらい彼女は前向きだ。何がそうさせるか、なんとなく理解できる。他人の書いたラブレターを勝手に開封して読んでしまうくらいだから、面白がっているだけだろう。
天山家は薄茶のシンプルでモダンな二階建て。玄関ポーチはこぢんまりとしているが、美しく植栽されたた花壇があって手入れが行き届いている。どこかの家とは大違いだ。見栄を張らず、こぢんまり纏まって誰からも嫉まれない印象の一軒家。
試行錯誤の末、天山家から十メートル離れた斜め前にある電信柱の陰から見張ることにした。
「こそこそ隠れていたら怪しまれるから、学校帰りに会話しているカップルの体でいきましょう」
なんだ、その設定?とは思ったが、他のアイディアもなく、従うことにする。あと七分くらいの辛抱だ。
「ところで、あなたは何をするつもりなの?」
いまさらそれを聞くのかと思う反面、非常に答え難い質問だ。
「危険を未然に防ぐ」
「やだ、かっこいい」五味さんは感情を抜いた声で言う。
「心にない事を冗談でも言わないでください」
「天山さんの危機を回避してあなたに得することあるの?」
やけに食い下がってくる。
「青信号を渡るとき無意識に足が動くだろ?それと同じです」
「ふ~ん」鼻を鳴らした五味さんの表情は納得していない。
「来るとすれば、そろそろかな」
話を逸らためにスマホの時計を確認すると、カウントダウンが設定された時間が過ぎていた。できることなら元彼の気まぐれな悪戯であってほしい。
安堵する僕をよそに「天山さんが言っていたけれど、元彼は本当に恥ずかしがり屋かもしれないわね」と五味さんがぽつりともらし、僕の手を握って五メートルくらい先の電柱の陰に強制連行される。天山家の目と鼻の先で「あなたエサになりなさいよ」と言われてしまう。理解するまで少し時間がほしかったのに、肩を押され「がんばって!」といままで見たことない笑顔で送り出され、天山家の敷地内に惰性で足を踏み入れてしまう。
キョロキョロ見渡しても静かな住宅街に人影はない。五味さんが人差し指で何かを押す仕種を繰り返す。わかりましたよ、と心の中で返事をして、ドアホンを鳴らした。すると、荒々しい足音が外まで聞こえくる。
「トモヤ!」玄関のドアが勢いよく開け放たれた。
「や、やぁ……」顔の筋肉を無理やり動かして苦々しい笑顔を作る。
「なにしにきたの?」
笑顔の天山さんの表情が途端に曇り、顔の中心にシワを寄せ集め、不快感丸出しの表情に切り替わる。
「話を聞いてください」
「彼氏が来るんだけど」
「わかっています」
「用があるならさっさと話して」
「いや……そのぉ~」迫力に押されそうだ。このままだとせっかく来た意味がなくなる。これから僕は生まれて初めて意識して犯罪を決行しなければいけない。
──ええぃ、どうにでもなれ!
じっくり考える余裕もなく弾き出された作戦なのだからしかたないのだと、妥協の産物である黒い思考を心の底から突き上げて勢いをつける。「しばらく、じっとしてくださいね」僕は天山さんを思いっきり抱きしめ、この瞬間、強制猥褻罪、暴行罪、軽犯罪法違反などの罪が確定。思いのほか体が細くて良い匂いがした。
「ちょ、ちょっと……」
かなり戸惑っているが、背中を軽く両手で小突いてくるだけで意外に拒まれない。
「もう少し我慢してください」
「は、離して……よ」
びっくりが頂点に達しているのか、それとも緊張して動けなくなったのか、抵抗してくる力が弱まる。
「お、おい、玄関先でなにをしているんだ?」男の聞き覚えのある声。
ゆっくり振り向くと、影野君が腰を抜かしそうな表情をして立っていた。
「いや、これは……」僕は目を疑い、息を呑む。
──まさか、そんなところに……。
影野君が来てくれたことよりも予想外ではないが、とある人物が予想外のところに隠れていたことに驚きを隠せなかった。天山家の道路を挟んだ向かいの家のブロック塀に、曲線で構成された三つの円弧の家紋のような模様に穴が開いているのだが、そこから覗いている男を発見。
「天山は俺のモノだぁー誰にも渡さないぞー」
僕は挑発するにしては安っぽい言葉を連呼した。見え見えの挑発である。
それでも効果てき面で、金髪のチャラそうな男がブロック塀を飛び越えてきた。目を吊り上げ、嫉妬心丸出しの鬼の形相で、前髪がやたら長く、てっぺんをツンツン立たせ、チェーン付きで黄色と黒のストライプ柄の二つ折り長財布がポケットからはみ出して宙に浮かぶ。
ホストっぽい……元彼に間違いない。
僕の考えた作戦に想像以上にノリノリで出てきたのはありがたいが、かなりお怒りの様子で前のめりになって猛然と突進してくる様はイノシシそのもの。けれど、感情に体がついてこれず、トモヤがコケた。いや、違う。前がよく見えていなかった彼のミスもあるが、影野君が片足を水平に伸ばして引っかけたのが原因だ。
影野君の功績は転ばせただけじゃなく、トモヤが何かを落として慌てさせた。ただし、軽いのに物騒な音がした。正体はキラリと光る刃物で、逆側の刃がノコギリみたいなギザギザになっているサバイバルナイフ。殺傷能力は十分。這ってサバイバルナイフを拾い、トモヤはこちらを睨む。
「トモヤ……」天山さんは吐息のようにもらす。
「うわぁぁぁぁあぁあ~」
トモヤは足をかけられた相手に見向きもせず、寝取られたと思った僕に向って再び突っ込んでくる。
自分が壁となって犠牲になるか、体をくるりと反転させて天山さんを盾にするか、戦って体のあちこちを刺されるかなど、イメージはしたけれど、自分がケガをしなくても女の子を犠牲にすれば、周りからの非難は避けられず、どれを選択してもバッドエンドになってしまう。
僕の思考はサンドイッチ状態になり、抱きしめていた天山さんと体当たりしてきたトモヤの間に挟まった僕は物理的にもサンドイッチになる。避けきれず、グニャと背中から嫌な感触が伝わってきた。天山さんは言葉にならない悲鳴を上げ、トモヤは僕の背中に刺さったサバイバルナイフを抜けず、手を振るわせながら離れていく。
そこへ小走りでやってきた五味さんなのだが、躓いて転びそうになりながら、口に両手を拡声器のように添えて叫んだ言葉が俊逸だった。
「きゃぁ~誰かぁ~火事よぉ~」
五味さんの甲高い声が住宅街に響き渡る。外の騒ぎに気付いた近所の人が家の中から表に出てくうると、トモヤは四つん這いで昆虫みたいな動きをしながら天山家から逃げ去る。
「文化祭の映画を撮影してたのぉ~ごめんなさぁ~い」五味さんが頭を下げて謝ると近所の人は家の中へと引き返す。もし〝通り魔よぉ~助けてぇ~〟とか〝強盗よぉ~助けてぇ~〟と叫んでいたら、近所の人達が出てきたか疑問だ。火事なら自分の家にも被害が及ぶ可能性を心配して様子を見にくるわけで、女の人が襲われそうなシチュエーションを連想してしまうと、家に閉じこもっていれば被害はないわけで、五味さんが火事のキーワードを使って叫んだのはナイスアイディアとしかいいようがない。
「だ、大丈夫か?」心配して影野君が駆け寄ってきた。
僕は手を背中に回してぴょんぴょん跳ねて痛がる。
「へっ?!」影野君から変な声が出る。僕が意外に元気だからだ。「確実に刺されたように見えたんだが……」
「実は……」天山家に来る前にコンビニでガムテープとコンニャクを買い、それから五味さんの家に行き、腐るほどとあるダンボールを腹巻のように巻いてガムテープでコンニャクを貼りつけて武装してからここにやって来たのだ。
刺される可能性を考慮して防弾チョッキの代わりになるモノを体につけましょうと、提案してきたのは五味さんで感謝しないといけない。なぜダンボールだけじゃなくコンニャクなのかと五味さんに尋ねると〝犬や猫を抱いたとき、体温で命の尊さが伝わってくるでしょう。それと同じでコンニャクで人体に近い感触を与えてみるのよ〟と言われた。
「心配して来たが、損した気分だな」
影野君は、自分は損得で行動するタイプで性格が悪いのだぞ、みたいな尖った不良キャラをアピールしてきたが、僕にはストレートな嫌味に聞こえなかった。
玄関のドアがガチャと閉まって天山さんが家の中に消えてしまう。
「お礼くらい言ってもいいのにね」
五味さんは不満そうではあるが、別に僕は天山さんに謝罪されても、されなくてもなんとも思わない。
「いまの修羅場をどのように判断するか、彼女しだいだが、こんなことはもうおしまいにすべきだな」
影野君がもう手を引けよ、みたいなニュアンスを残す。彼なりに僕を気遣ったのだと思う。
「でも、まいたったなぁ」
僕はブレザーのジャケットの背中の穴を見て嘆く。
「それくらいで済んだのはむしろ奇跡だ」と言った影野君は去っていく。ちょっと怒っているのかもしれない。おそらく塾は途中で抜け出してきたのだろう。明日改めて礼を言おう。
「新しい制服買うの?」
なぜか僕に付き添うように歩いている五味さんが尋ねてくる。
「新しいのは買えないな。明日からしばらくジャージを着て登校かな」
クリガニを報酬として払った影響が出てしまった。高校生のお小遣いでこれ以上の出費は痛い。すでに毎週楽しみにしていた『週刊ヨンデー』を買うのは控えている。親にお願いするのは簡単ではあるが、制服に穴が開いた原因を追究されるわけで色々と面倒だ。
「私の家の近くに服が擦り切れたり、虫で生地に穴が開いていたり、タバコの焼け穴なんかを裏地から採取して穴を元どおりにする『かけつぎ専門店』があって、五千円くらいで修理してくれるわよ」
「すぐに直してくれるのかな?」
「一時間あれば十分」
「へぇ~でも、また今度にするよ」
ガムテープとコンニャクも買ったので財布の中身も底をついていた。
「貸してあげようか?」
僕の顔を覗き込むように聞いてくる五味さん。
「金の切れ目が縁の切れ目になるかも」
五味さんからお金を借りるわけにはいかない。今回のことでかなり貸を作ってしまったという心理から、ことわざを引用したが、意味深な言葉になってしまった。
「エンって丸い円のこと?」五味さんは首をかしげた。天然なのかちょっと頭が弱いのか、それにしても〝縁〟の部分を聞いてくるあたり、勘の良さは侮れない。
「はよ、教えなさいよ」五味さんが肘でついて急かしてくる。
「よく意味もわからずにことわざを使ってしまったので、気にしないでください」
どんな縁かと聞かれれば腐れ縁なわけで、それ以上でもそれ以下でもない。適当に対処するしかなかった。
「ふ~ん」五味さんは面白くなさそうに返事をした。
なんとなく二人並んで歩いていると、ただならぬ関係と見られてもしかたないが、そんなことを考えている僕のほうが彼女を意識しているのではないだろうか?二人の関係を名づけるなら、腐れ縁から派生した師従関係がもっとも適しているわけで、五味さんに聞けば裏稼業の広報担当とか言われそうだ。これからもこき使われるのを覚悟しないといけない。
「なにぼぉ~としているの?」
五味さんが不意を衝くように僕の顔を見ながら質問してきた。
「別にぼぉ~としていません。いろいろ考えていたんですよ」
「なにを考えていたの?あなたに考えるようなことがあるの?」
「なんで悪意ある方向に言い直すんですか」
「キザっぽいこと言っても似合わないわよ」
「別にキザっぽいこと言ってないんですけど……」
「上級生に口ごたえするなんて生意気ね」
冗談っぽく言ってはいるが、本当に今日はやけに突っかかってくる。しかもあざといのが、年増のアニメ声優が小学生の声真似する口調である。なぜそんなことをする必要があるのか、なにかのメッセージなのか?
あくまでもいやらしくない視線で五味さんを観察すると、五味さんの歩き方に不自然さを感じた。歩く速度は僕についてきているのだが、リズムがおかしい。右足を庇う歩き方。〝きゃぁ~誰かぁ~火事よぉ~〟と叫ぼうとしたとき、足を挫いてしまったらしい。
「右足が痛いんですか?」
「やっと気づいてくれたのね」
五味さんは不敵な笑みで僕を見た。
──気づかれるのを待っていたのかよ。はっきり言ってくれよ!わかりにくいわ!
突っ込みは今日の活躍に免じて腹の底に沈めておく。
「止まってください」僕はしゃがんで五味さんの足を触る。五味さんは抵抗しなかった。片手で握って指がとどくくらい細い足首で、腫れてはいないが僅かに熱がある。「帰ったらテーピングか湿布をしてください」
「薬局に寄らないといけないわね」
「どうぞ」僕は屈んだまま猫背になる。
「恥ずかしいわよ」
「痛いのを我慢するか、恥ずかしいのを我慢するか、どっちを選びます?」
しばらくしてから五味さんは僕の背中に覆いかぶさってきた。ゴミ屋敷に住んでいるくせに良い匂いがする。天山さんも抱きしめたし、今日はラッキーなのかアンラッキーなのかよくわからない日だ。おんぶして歩いても苦にならない。四十キロないかもしれない。
「なに考えているの?」
「なにも」
「嘘言うんじゃないわよ」
「動かないでください」
「いやらしいこと考えているでしょ」
五味さんが察しよく追及の手を伸ばしてくる。
「はい、はい、体重がどれくらいあるかなと想像していました」
五味さんの反応が面白そうなので正直に話す。
「最低ぃぃ~」予想どおりの反応。
「当ててあげましょうか?」
「怒るわよ」と言いながら口調は穏やか。
「お願いを聞いてくれたらやめます」
「言ってみなさい」
「もし今度探し物があったら、カニカマで手を打ってくれませんか?」
「ダメ」五味さんがキュッと首をしめてくる。
無意識に密着してきたのだろうが、ドキッとしてしまった。