Fifth magic 姉妹 2
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季節はすっかり変わってしまった。残暑も去り、木々にひっついていた葉はカサカサで、風が吹くとあっさり別離して飛んでいき、登校時は特に寒くてマフラーや手袋をしないと後悔する日もすぐ明日にも訪れそうで、葉が落ちた木を見ているだけで寒さが肌に伝わってくる。
沙耶ちゃんに会った翌日から五味さんは完全に消えた。見事に消えた。影野君にも頼んだが、五味家のネットの情報は抹消されたみたいにきれいになくなったという。TV出演したことがきっかけで独自ドメインサイトに中傷記事を投稿されていたが、それも消え、専門の業者と弁護士とのタッグじゃないと無理だろうと影野君が分析してくれた。天山さんが担任の先生に五味さんの転校先を聞くと『相手側から個人情報の開示は許可されていない』と言われ、門前払いだったらしい。先生が言う相手側は五味家ということになり、ネットでの風評被害、野次馬や落書きなどの直接的な被害を受けていたことを考えると対処法としてわからなくはない。
五味さんがいなくなっても学校生活は普通に送れるし、以前より不便さもなく、快適ではあるけれど、どこか体の一部がなくなったようで、風穴が空いているようで、体が軽くなったはずなのに足が重く感じる。五味さんのことで頭が一杯になると精神のバランスが崩れる傾向があり、そろそろ限界かもしれず、今日こそは特効薬を見つけないといけないし、一人だけ、一人だけなのだが、五味さんの居場所を知っている可能性がある人物に心当たりがあった。
藁にもしがみつきたい心境で、少しだけプラス思考が芽生えると足が軽くなった気がするから不思議だ。人間は細胞で形成されているわけだが、皮膚や骨だと二百種類、目だけで一億個以上あり、全体だと六十兆個あるといわれているが、人間って意外に単純な生き物なのかもしれない。休み時間に尋ねようかと思ったが、プラス思考は良い方向へ流れを転化させるみたいで、前を歩く登校中の心当たりを発見して声をかける。
「ちょっと話がある」
肩に手をのせて引き止め、僕にして珍しく乱暴な手段を選んだ。
「なんですか?」
意外にびっくりしていない様子の匠君は、不機嫌そうな眼差しで僕を見る。
「聞きたいことがある」
「遅刻したくないので早口で言いますが、五味家を買い取ったのは匠オシャンティーです。僕はなにも言っていませんし、逆に怒っています。あの家を田舎にある廃れた郷土館みたいに保管する気です。僕は誰かに住んでほしくて設計したのに、見世物になるくらいなら早く壊してほしいくらいです。お母さんとは口を利く気も顔を合わせることも当分したくないので、五味さんの引っ越し先なんて知る方法はありませんよ」
聞きたいことを察しよくすべて答えてくれた匠君は一礼して去り、希望はあっさり秋風に飛ばされてしまった。
──万策尽きたかな。
自分の無力さを痛感するのは何度目だろう。
そして、また日常という学校生活が始まろうとしていた。
影野君と会話は弾んだがどこか上の空になり、元気がないな?とか五味さんのこと考えているのか?と質問され、昼休みは錆びた螺旋階段のところへ避難。登校時より陽が出ていたので寒くはなく、風も止んでいた。購買のクリームパンを食べようと思ったが、食欲がなくコーヒー牛乳だけで腹を満たす。
「そんなに甘党だったかしら?」階段の下から懐かしい声が聞こえてきた。鉄板できている階段なので誰かが歩いてくればカンカンと音がするのに、なにも聞こえなかったし、人の気配は皆無だったはず。「糖尿になるわよ」体を気遣ってくれるとは珍しい。「なに黙ってんの?」上目使いで不機嫌そうに見られても幸せを感じる僕がいる。
「幽霊かと思ったんだよ」
久し振りの対面なのに自然に話しかけられた。
「大袈裟ね」
うちの学校の制服を着て階段を上ってくる五味さんがいる。二か月ぶりに見る彼女は髪形だけが変わっていた。肩まであった髪の襟足をクルンと跳ねて内巻きにパーマをかけている。
「元気そうだね」
「黒須君も元気そうじゃない」
「そうでもなかったりする」
「あら、私の観察眼を否定するわけ?」
「そうじゃないよ」
「ところで……」五味さんが腰に手の甲を当てて、私、怒っています!のポーズをとる。「どうして私を必死に探してくれないのかしら?」
「ごめん、力不足を痛感したよ」
「そんなにあっさり謝られたら、こっちは拍子抜けじゃない」
「僕は五味さんのように魔法は使えないからね」
「いまはもう使えないわよ」五味さんがすっきりした顔で告白する。
「プールの水がなくなったから?」
「あの家に住まないと決心した時点で魔法は使えなくなったわ」
「そんな理由で使えなくなるんだ」
「私が魔法を使えなくなったことがうれしいの?出たわね、黒須君の黒い心が」
「黒い心ってなんですか」笑いながら否定する。
「聞き逃すところだったけれど、そんな理由って、どういう意味なのかしら?」
「深い意味なんてないよ」
五味さんに言葉尻を攻められたが、懐かしい感覚に心が支配されてしまう。
「魔法を使えるようになったのも悲劇のヒロインを演じるようになってからだから、私の内に秘めた能力が『忘れ物窓口』の扉をこじ開けたのかしらね」
「悲劇のヒロイン?」
「妹が死んでから残留思念が強烈に拡張した気がする」
残留思念という言葉を沙耶ちゃんも口にした。姉妹で口裏合わせする理由もないし、間接的に魔法の力を信じてしまう材料が与えられた気がする。
「悲劇のヒロインを演じていたわけですね」
「気づかなかったのかしら?背中に漂う悲哀のオーラを」
五味さんが、私、女優よ!みたいな髪をかき上あるポーズをした。
「自慢することですか!」ちょっと叱ってやると五味さんは舌を出す。
「五味さんの憂いや悲壮感を見て満足するほど、僕はSじゃありませんから」
「やはりMだったのね」
「お願いだから、僕の言ったことを理解してください」土下座する勢いで懇願する。
「あなたを理解していないと思ってるの?」
五味さんはハサミと蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具を取り出して敵意を剥きだす。
「学校にまでそんなモノ持ってこないでください」
「そんなモノ?言ったわね」
「謝りますから武器をしまってください」
「二ヵ月たっても成長していないわね」
「二ヵ月で成長を望まないでください」
「私はがっかりよ」
「僕には喜んでいるように見えますけど」
そんな五味さんは成長したんですか?と言い返したかったが、五味さんが頬の筋肉をピクピクさせていまにも噴き出して笑いそうなので指摘せざるを得ない。
「そうね、心の底からこの学校に戻れたことを喜んでいるわ。髪は染められるし、パーマはかけられるし最高よ」
「そんな自由な校則はうちの学校にはありませんよ」
「あら、そうなの?」五味さんはすっ呆ける。この学校に戻ってきた理由のひとつに髪を自由にできる、なんて言われても説得力がなく、学校やクラスの雰囲気に馴染めなかったと言われたほうが納得できるが、深く追求するつもりはない。
「今回のような想いはしたくないので、SNSの連絡先を交換してもらってもいいですか?」
スラックスのポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す寸前に思い切って聞いてみる。
「えっ、ええ、いいわよ」五味さんはすぐスマホを出して交換してくれた。「そ、それでいいのよ」と、どうやらもっと早く僕が頼むのを待っていたみたいだ。
「ネットからは隔離した世界で生きたい人かなと思った」
こちらとしてはスマホを持っていると言わなかったあんたにも責任の一端はあるんだと弁解したいが、彼女には言い訳にしか聞こえないはずなので冗談で流す。
「そうね、ネットの世界に疎いのは認めるわ」五味さんはクルッと背中を向けて僕らの住んでいる街を見下ろす。「これからはネットの世界も支配しないといけないわね」
──〝も〟って、これまで他になにかを支配したんですかね。
僕はバレないように苦笑した。
「甲殻類機動隊の結成が急務ね」
五味さんはシャキン、シャキンとハサミを鳴らし、アニメで長年シリーズ化され、有名なSF作品に出てくる組織の名前をもじって怪しい目論みを思い立つ。
「それはなんのための組織なんですかね?」笑いを堪えながら尋ねた。
「大人が絡むとろくなことにならい。でも、私が大人になれば自分の家を取り戻せるわ。そのためには電子決済などを操作してネットを活用しないといけないわ」
「それはネット上の仮想通過を違法に横取りするつもりなんですね」
「察しがいわね。さすが広報部長」
「あの家を取り戻したくなった理由はなんですかね?」
沙耶ちゃんが言った〝私のことを忘れなきゃいけないの〟の言葉は重く、尊重しないといけない。犯罪をほのめかす発言よりも家を取り戻す目的のほうを僕としては容認できない。
「だって探し物の依頼を受けないと、毛ガニをたくさん食べられないでしょ」
「それだけですか?」
「他になにがあるのよ?」
僕が半分呆れて尋ねると、五味さんの目が点になる。
──あぁ~この人は食い意地が汚いだけだった。
「そ、そうですね。納得しました」
返事をしたが、内心は記憶からの残念なお知らせが届き、落胆するしかない。
「協力してくれるでしょうね?」
五味さんが僕の顔を見据える。その中二病的発想の組織に僕も入れということのようだが、かき回される未来が安易に予測できた。
「謹んでお請けいたします」
心にもない返事をしてしまう。相撲取りが昇進のときに使う台詞を引用してふざけたのは照れ隠し。
しかし、そんな僕の意味不明な気遣いに、五味さんが気づくはずもなく「差し迫った問題があるのよ」と自分本位に話しを進めてくる。
「驚きませんから、なんでも言ってください」
どうせ学校近くの新しい物権探しだとか、ひょっとするとすでに甲殻類機動隊のアジトを確保していて掃除してくれとかロクなことじゃないんだろうなと推測できた。
「二ヵ月休んでいたから留年するかもしれない。だとすると計画が一年伸びてしまうわ」
五味さんの問いかけてきた問題は爆弾投下に近い。
「五味さんが僕と離れたくないのはよくわかりました。でも、留年は勘弁してください。というか転校してなかったんですね」
冗談を含みつつ拒絶ではなく、叱咤激励の意味を込めて言ってやった。
「この螺旋階段のように、二人の遺伝子は繋がっているのかもしれないわ」
下ネタなのか哲学的な切り替えしなのかよくわからないが、僕を見る五味さんの笑顔はすべての悩みを吹き飛ばす力があった。
「意味深ですね」僕は笑って言う。
「そうよ、私が食べたいくらい好きなモノは、妹、黒須君、カニの順番よ」
「僕は二番目なんですね」
「あら、二番じゃ駄目なんですか?」
「安っぽい政治家のような台詞はやめなさい!」
「あら、さらっと毒を吐いたわね」
「五味さんの毒舌が移ったんですよ」
「あら、私は人の悪口を言った覚えはないけれど」
「そ、そうですね……」
そういえば個人を中傷することは、言ってない気もする。計算なのか、それとも天然なのか、一生消えない疑問なのかもしれない。
「失礼ですが、勉強はできるほうなんですか?」
「その質問は愚の骨頂よ」
わざと難しい言葉を使って頭を良さそうとしているのか、見分けられない。彼女のミステリアスさは底がないみたいだ。
「本当に出席日数が足りないのならアウトですね。診断書でも偽造できれば問題ないですけど」
「なるほど、良いアイディアね」
「今日学校に登校しているってことは、これから休まなければ大丈夫じゃないですか?」
「あと三日休んだから留年決定よ」
「休まないように健康管理に気を付けてください」
「だ、か、ら、協力しなさいよ」
突き放す言い方にちょっと腹を立てたのか、五味さんが指を三回差しながら言う。
「さっき協力しますって言いましたよね?男に二言はありません」
「頼りにしているわよ」
嫌味を言われると思ったが、励まされた。
「あ、ありがとうございます」
本当に予想がつかない人だ。
「あなたといると退屈しないわ」
「それはこっちの台詞です」
二か月の空白があってもなにも変わらない。この二人の空気感が永遠に続くなんてことがあるのだろうか?
魔法があれば可能かもしれない。物理的に媒介して魔法を引き出すモノがあるはずなのだが、それはまたの機会にしよう。焦ることはない。五味さんとは長い付き合いになりそうなのだから。




