Fourth magic 声優の卵 2
2
午後六時二十八分四十九秒……『忘れ物窓口』ではスマホの電波は通じず正確な時間はわからないが、僕がおじいちゃんからもらった五気圧防水で機械式の腕時計は正常に機能する。まだ約束の時間まで一時間くらいあるが、チラチラ腕時計が気になってしまう。
「お弁当箱をカウンターに置いちゃおうか?」
退屈していた五味さんが久々に口を開く。
「やめなさい」お弁当箱を持ったので、本気で止めた。
「オーデション中に彼女が消えたら面白いじゃない」
本気なのか、冗談なのか、五味さんがちょっかいをかけてくる。
「悪戯じゃすまないよ」
「なに本気で注意してんのよ」
冗談だと気づかない僕に不貞腐れてしまう五味さんの心理状態に悩んでしまうわけだが、怒って本当でやらかす可能性もあるわけで、いまは彼女を刺激せず、余計なことを言わず、由々(ゆゆ)しき事態を招くのは避けよう。
「すいませんでした」ここは素直に謝っておくのがベスト。
「なにその言い方は?ケンカ売ってんの?」
五味さんの食ってかかる病がはじまった。
「退屈なのはわかりますけど、もう少し我慢してください」
「へぇ~私に命令するんだ」
「もうなんなんですか」さすがに少しイラッっとくる。
「あなたってなかなか本性表さないけれど、いまちょっと出したわね」
「絡まないでください」
冷静さを失わないように無理やり笑顔を作って取り繕う。
「あら私の存在を拒否するわけ?」
「そんなこと言ってませんけど……」
僕がどんなことを言っても難癖をつけて突っかかってくる気のようだ。
「裏の顔を出しなさいよ」
「嫌です」という単純な逃げ口上しか浮かばない。
「その反応は裏の顔があるわけね」
「本心をさらけ出さないと、五味さんの巧みな話術から解放してもらえないんですかね?」
お願いするのではなく、やや非難する口振りになってしまった。
「他人行儀なその言葉遣いにはうんざり」
冷淡な視線を五味さんからぶつけられる。
「五味さんこそ僕を否定してるんじゃないの?」
言ったあとで、好きか嫌いかの選択を自分が迫っているような気がして緊張してきた。
「そんなこと言わなきゃいけないの?」
静かな声で聞き返されたが、全くの正論で反論できない。照れ隠しで笑って誤魔化すのも男らしくないと思ってしまうと黙るしかなく、五味さんから冷たい視線を浴び続けなければいけない。
腕時計をまた見てしまう。時間は午後七時三分。さっき見たときより時間が止まっている気がしてならない。秒針の動きが鈍く、人間の心理や都合によって目に映るものが変化することを知った。
「ここは時間が存在するんだな」
カウンターから僕の様子を窺っていたトモヤが会話に割り込んできたが、ナイスタイミングであり、ナイスアドバイスと言わざるを得ない。
腕時計が動くことにこれまで不信感なんてなかったが、時間が流れるというのは少なくてもここは四次元の世界。零次元は方向のない点のような世界。一次元は一本の線で縦と横しかなく、二次元は上下に前後の奥行がプラスされる面ができた世界。三次元は高さも加わった立体的な世界で僕らが生きている世界。そこへ友達と待ち合わせで時間を決めると四次元の世界になる。いままでプールから行き来して時間が歪んでタイムリープしたことはないし、四次元以上の世界は存在していないと思う。僕の知識で考えるのはここまでが限界なのだが、確実にわかっていることは女の駅員さんがこの世界の鍵のような気がする。
「何を考えてるの?まぁ想像はつくけど」
五味さんから発せられ言葉にこれからも一々ドキドキしないといけないのかと思うと、やることは限られる。
「ついついこの世界のことを考えてしまうんだ」
馬鹿正直に胸の内をさらけ出すしかないようで、それは五味さんが望んでいることだ。
「いまの口調はポロリともらしたんじゃなく、はっきりとした意思表示のように聞こえたけど?」
「僕は弱い人間なんです」
「単に嘘をついてるだけよ」
「そのとおりだと思います」
「まだ猫を被る気なの?」
「裏表ある性格はどうしようもないんです」
「〝守りますよ〟と言ったときは表の顔?裏の顔?」
いまさらそこを掘り起こしてくるのか?という詰問に困っていると、まるで五味さんの感情とリンクするように地面が揺れた。突き上げるような足元からの振動。あっという間に建物の崩壊がはじまり、天井パネルが床に落ちてパーンと派手な音をさせて煎餅みたいに割れた。「危ない!」五味さんの頭を両手で押さえつけるようにしてから覆いかぶさる。抵抗する様子がなく、ちょっと体も震えていた。
地震は数秒でおさまった。しかし、まだ、五味さんは脅えている。地震は一瞬の出来事で落ち着き、余震もない。一体何が誘因となったのか思慮してみる。
「地震が起こるなんて知らなかったぞ!」
トモヤからの苦情はほっといて、その後ろにいたはずの女の駅員さんがいないことに違和感を抱く……のが、遅かった。彼女が背後に立って「お姉ちゃんをいじめるなぁ~」と喋ったのだ。色々おかしい。まず、女の駅員差さんは大人なので五味さんの妹ではないと思われるが、口調は子供で、なのにこもった声で抑揚がなくて僕の耳にはこの上なく不気味に響き、ホラー要素満載で、完璧に僕が標的で恨まれているのは解せない。彼女がどうやって移動したかは知らないが、その僅かに姿を消した数秒間で揺れはおさまり関連性を疑わざるを得ない。
「やめて!」五味さんが声を張り上げると女の駅員さんの動きが止まる。両手を伸ばし、手を輪のような形にして僕の首を絞める寸前で、ピタッと電池が切れたみたいに停止した。
「あ、ありがとう」恐怖するよりも早く、緊急事態が秒速で片付いて感謝する。
「まだ油断しないで、私の精神状態は不安定だから」
うつむいている五味さんの表情がよく見えないのでわからないが、声は沈みがち。
これで彼女の精神状態がリンクしていたことがはっきりした。
「駅員さんは五味さんの妹なの?」
言った直後に僕の質問が間違っていることにすぐに気づいた。人間じゃない。間近で見て質感が人間の肌からは程遠いフェルトで出来ていて、ぬいぐるみなどに使われる材質。よく見れば目は楕円形に黒い点をつけているだけの粗末な作りで、動いていたとはいえ、どうしてこれが本物の大人の女性に見えていたのか不思議で、自分の目が節穴すぎて笑えるレベルだ。
「手芸で縫い合わせただけの人形だったのか……」
過ごした時間が僕よりも長いトモヤのショックは計り知れない。
「もう襲ってこないかな?」
五味さんに尋ねると「大丈夫だと思う」と静かに答えた。
「根拠は?」トモヤがデリカシーのない追及をしてきたのは想定内のパターンなのだが、五味さんが踏み込んだ発言をしてくれるのではないかという希望を持って僕は静観する。
「ここは私が妹の未来を想像した世界なんだから、ちゃんと後始末はつけるわ」
五味さんはトモヤに弱音を見せないためなのか、空元気に近い口調で言う。
それから僕の方を見て「小枝ちゃんのことは忘れてないわよ」と自ら念押しする五味さんには救いがあり、平常心は取り戻しつつあるように感じた。
予定の時間がきて、落ちてしまった弁当箱をテーブルに戻すと、人間の形をした透明な揺らぎが発生し、間もなくすると小枝ちゃんが目をパチパチさせながら姿を現す。濡れると思ったのか、スク水を着て手には大きな半透明のゴミ袋を持ち、そこには制服や鞄が入っていた。彼女の説明によると消える瞬間を見られないために、コンビニのトイレに入って七時半になるのをじっと待っていたらしい。
「あれ、なにかありました?」
小枝ちゃんが連絡通路の半壊状態に気づき「小さな地震があっただけ」と答えてやると安心したように胸を撫で下ろしたが、大きなぬいぐるみがうつむき加減で腕を伸ばし、今にも動き出しそうな姿勢で固まっているのが不気味らしく、遠巻きに眺めている表情に明るさはない。
「彼、このぬいぐるみに首絞められそうになったんだぜ」
トモヤが怖がらせようと余計なことを言う。
「このぬいぐるみ、あなたの後ろにいたわよね。というかぬいぐるみに見えなかったんだけど……」
なぜか反応してしまう小枝ちゃんは怖い物見たさならぬ、怖い物知りたさなのかもしれない。
「ところであんたはなんでカウンターから出てきてるの?」
五味さんが怪訝な顔でトモヤに尋ねた。
「こ、ここに居られるわけないだろ」
声は震え、懇願するような表情をするトモヤにどんな鬼畜な対応をするのか見物だったが、五味さんは全員でコインロッカーに向かうことを反対しなかった。
僕が「しばらくここに来ないことを約束してくれませんか?」と優しく穏やかな口調で心配して問いかけたことが、五味さんを素直にさせたのか、彼女は軽くうなずいただけでなにも言わなかったのは幸い。
プールから平穏無事に出ることに成功したが、陽はすっかり暮れて濡れてしまったのでかなり体は冷えてしまった。
「シャワー浴びてく?」
五味さんが小枝ちゃんに尋ねたわけだが「えっ?いいのか?」トモヤが代わりに答えた。
「死ね!」瞬発力で冷たい言葉を浴びせた五味さんの目は吊り上がっていた。
「じょ、冗談だよ」シャレが通じず、予想外に嫌悪されたトモヤは肩をすくめ「地元に帰ってやりなおすよ」と誰もおまえの将来なんか興味ないのに、これから先の情報を言うと片手を振ってキザっぽく帰っていく。
小枝ちゃんは家の門限の時間が差し迫っているにもかかわらず、シャワーを浴びてから家に帰ったのだが、その去り際にジロジロ僕の顔を見て「黒須さんってカニみたいな顔をしていますね」と誰かに言われたことを反芻されてしまう。
「良く言われるよ」
お礼を言われると思った僕は思いっ切り梯子を外され、苦々しく笑うことしかできなかったが、精一杯のやせ我慢で送り出してあげた。そんな僕の心中などつゆ知らず、彼女はスキップしながら帰って行く。
「フラれた男ってかっこ悪いわね」
後ろにいる五味さんからきついひと言が飛ぶ。
「フラれたわけじゃないですけど、かっこ悪いのは認めます」
振り向くとなぜか自然に笑顔になれる不思議さ。
「あなたと一緒だと飽きないわ」
僕の言いたかった台詞を五味さんが言ってしまう。
「ところでトモヤに〝殺す〟じゃなくて〝死ね!〟と言ったのはなぜ?」
恥ずかしさのあまり話しを逸らせるにしても、どうでもいい質問をしてしまった。
「大人への脱皮かしら」カニ好きの五味さんらしい表現だ。
「死ね!も自殺ほう助の立派な犯罪ですけどね」
「私が刑務所に入ったら更正して出てくるまで、長ぁ~い目で見てね」
五味さんは両手で自らの目を横に細く伸ばして、僕の顔を真似する。
「はいはい、わかりました」
「返事は一回でいいのよ」
口調は怒っているのではなく、軽やかな音楽のように流れた。