Third magic 夏休みの悲劇 7
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頭を下げ、四つん這いで息を整えるポーズを三人仲良くしていると、なんて無駄なことをしているのだろうと思う。体力消耗で二人が戦意喪失しているのは不幸中の幸いだ。
「疑問があります」五味さんに話しかける。
「えっ?私に聞いているの?」
「そうだよ」
「なに?」
「もっと抵抗すれば、引っ張られることはなかったと思うのですが?」
五味さんは小柄でも前進バネ仕掛けのように体幹が強い。いくら鳩尾を喰らったとはいえ、意識が飛んだわけでもなく、匠君の顔に引っかき傷くらいはつけられたはず。
控えめな忠告をしたつもりなのに、五味さんには嫌味に聞こえたらしく「そうね」と冷たい態度で突っ返された。他の可能性として何かを隠していることも考えられる。彼女にもここに来る理由があったのかもしれない。助けを求めてきたくせに、開き直れるのは間違ったことはしていないという確信があるからだろう。
「僕は余計なことをしているのかな?」
意地悪して聞いてみると、五味さんは「いいえ」とだけ答え、やけに素直な感じがして気持ち悪くなり、結局聞かなければよかったと後悔することになる。
「そんなことより……」急に五味さんの目つきが変わった。
匠君が走って逃げる。サバイバルナイフを持っていないみたいで、プールで手放したらしく、一方の五味さんはハサミと蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具をちゃんと握っていた。武器の保持の有無は勝敗を分ける。
「どうせ逃げられないんだから、ゆっくり行きましょう」
「僕は別に追わなくてもいいんだけど」
わざと反対意見を言うと五味さんに睨まれてしまう。どうやら彼女も匠君が来た理由をなんとなく気づいているようで、僕は安堵する。〝優しいね〟と言いそうになったが、確信はないので喉の奥に押し込む。
二人で歩きながら『忘れ物窓口』に行くと、匠君が首を左右に振って逃げ場所を探していて、僕らに気づくと顔が引きつく。
「武器を持ってないと心細いのね」
勝ち誇った顔を見せつける五味さんは、シャキンシャキンとハサミの刃を鳴らす。さっきの 〝優しいね〟は早くも撤回しないといけないが、彼女は行動と思っていることが逆の場合があるので、真に受けてはいけない。しかし、そんなことより、気になってしょうがないことがあるのだが。
「ここで働いているのかよ!」
僕の突っ込みはカウンターテーブルに顎をのせて暇そうにしているトモヤに向けられる。
「反省するまでここで働けってさ」
トモヤは不貞腐れるように視線を後ろにやると、そこには女の駅員さんが立っていた。
「会話できたのか?」刺された相手なのに、平然と会話できる自分が不思議ではあるが、これも『忘れ物窓口』の奇妙な空気感と尽きない好奇心のせいかもしれない。
「いいや、メモを渡されただけで一度も口を利いたことがない」
「でしょうね」と僕は納得する。五味さんが探し物を申告するときも一方的に話すだけで、女の駅員さんは口をいっさい動かしていない。
「刺して悪かったな」唐突にトモヤが謝ってきた。
「ダンボールとコンニャクで防御していたからケガはないです」
「そうだったのか。なにもかもお見通しだったんだな」
反省しているようなので僕は「そうですよ」とだけ返す。
「ところで、そいつはなんなの?探し物があるなら早くしてくんないかな」
トモヤが横柄な口調で匠君を扱う。二人に面識はないようで、ネットでのやり取りだけで落書きの指示に従ったと思われる。
「あんた現実逃避したくてここにきたのね」五味さんはトモヤに興味がないようで、匠君に向かって冷たい口調で追及する。「自殺ができないからって、ここで生きることを選択するなんてどうかしているわ」
「ど、どうしてわかった?」匠君は驚いた様子で聞いたけれど、どこか演技っぽい。
「それ以外にここに来る理由なんてないわ」
「探し物があったかもしれないでしょう」
匠君が白状しておきながら否定した。本心を隠しておきたい心理を五味さんに揺さぶられて不安定な返事をしてしまったらしい。
恐らく五味さんの推理は正しく、匠君は五味さんを刺すチャンスがあったのに、それをしなかったのは、自分が設計した家をゴミ屋敷にされた恨みよりも、ここに来たい目的があったからだ。ただし、自殺は飛躍しすぎだとは思う。
「自分が設計した家以外の物なら、すぐにお金で買えるご身分なんでしょう。親が地元で有名な匠オシャンティーならお金に困らない生活をしているわよね。それなのに、わざわざ私を道連れにしようとしたのは、美しいお姉さんにずっと寄り添ってほしかったんでしょう。このスケベ、変態野郎!」
「あなたはただの道案内役です」
無茶苦茶な理論を押し付けられた匠君は猛烈に拒絶する。
「そんなことより早く探し物を……」
「うるさい!」二人の会話を聞いていなかったのか、馬鹿なのかよくわからないトモヤの言葉をひと蹴りした五味さんは、ハサミと蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具を重ねて火花を散らす。
「私の心は湿気ってないわよ」
「親からはプレッシャー、学校ではいじめられて、僕には居場所なんてないんだよ!」
匠君が鬱積している心境を爆発させた。夏休みに頼んだバスケットボールの話は本当だったのか?と再確認する質問は顔に泥を塗るみたいなので自重しておく。
「意外にここは居心地良いんだぜ。腹も減らないし、他人に干渉されることもないし。ただ、後ろにいるお姉さんは無表情でちょっと怖いけどな」
話し相手がよっぽどほしかったらしいトモヤが遊び半分で誘惑を始めた。
「それのどこが居心地良いんですかね」
会話したいんだろうなと思い、突っ込んであげた。
「僕はもうなにもしたくないんだよ」
匠君が元気のない声でうなだれる。
「自分で死ぬ勇気がないだけでしょう」
五味さんが辛辣に言葉をぶつけた。
「そうだよ」恥も外聞もなくあっさり認めてしまう匠君の本心がちょっとわかってきた気がする。彼の探し物は〝居場所〟なのではないだろうか。
「似た者同士なんだから仲良くここで暮らせるかもね」と言いながら武器を擦って火花を出すのをやめようとしない五味さんはブレなさすぎである。
「でも、高校くらいは出たほうがいいんじゃね」
トモヤから信じられないくらい真面で適切なアドバイスがなされた。けれど、言い方が軽いからなのか説得力を感じない。
「ここで一生を終えても、高校から大学に進んでも、あんたの人生なんてお先真っ暗よ!」
五味さんはテンション高く吐き捨てる。なぜ彼女がここまで怒り心頭なのかといえば、匠君のための演技だと信じることにする。
「身も蓋もないことを言いますね」
匠君は笑顔を取り繕う。
「匠君にどちらでも好きな道を選ばせてあげたらいいんじゃないですか?」
僕はこのままだと埒が明かないと思い、本人の自主性に任せる選択肢を与える。
「それはこれで刺すより、もっとひどいことをしてもいいということかしら?」
五味さんがハサミの刃を開き、その間から僕を見詰めながら尋ねてきた。刺したり、切り刻んだり、していいなんて一言も言っていない。わざと間違えて理解しているとしか思えず、会話の方向転換を余儀なくされる。
「匠君より僕のほうが罪深いですよ……僕は五味さんの魔法の秘密が知りたい……と思っていた時期がありました」
心が揺れ動いている苦しい胸の内を吐き出す……振りをする。
「刺そうとした相手に、さっきから庇ったり、〝君〟づけしたり、おかしいと思った」攻撃対象が自分になってしまったのかと勘違いするくらい、五味さんの声が冷たく聞こえた。「黒須三蛇君、あなた私の魔法の秘密を探るために近づいたのね」はじめてフルネームで呼ばれ、ドキッとさせられた。もちろん威圧や恐怖の類で、異性によるときめきのようなものはない。
「言い訳する気はないけれど、五味さんの家に出入りするようになったのは、自然の成り行きだよ」
「本当かしら?サービスで秘密を教えてあげましょうか?」
「できたらお願いします」
「嘘よ、教えなぁ~い」
五味さんはハサミと蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具を×印のように重ねてダメ、ダメと小刻みに二つの武器を重ねてウザさ満開の笑顔を見せてきた。
──ふざけてるのか!
と、叫びたいところをグっとこらえる。自分にも下心があったので強気に出られないのが辛い。
「あれだろ、ここは妹さんの記憶なんだろ」
トモヤからカウンターで強烈な発言が飛び出す。
「知ったかぶりするんじゃないわよ!」
五味さんが乱暴な口調で食ってかかる。怒ったということは遠からず当たっている部分はあるようだ。
「そんなに怒らないでください。僕は魔法の秘密はもう知りたくありませんから」
トモヤを擁護して割って入ってしまった。〝妹〟というキーワードは腫れものに触るようなもので、面倒な事態になるのは避けたい。
「心では正反対のこと思っているくせに、聖人ぶらないでもらえる」
不貞腐れ意味に第六感で僕の心理を読んでくる五味さんが怖い。
「正直残念な気持ちもあります」
「〝も〟ってなによ?」
五味さんが不満そうに聞いてくる。
「深く追求してはいけないという理性もあります」
「〝も〟ってなによ!」
「今回ここに来てから精神が不安定ですね」
自分も当てはまることだけれど、五味さんに八つ当たりしている気がして罰が悪いけれど、たまには強引に押して説得する必要がある。
「そんなこといま関係ないでしょ!」
「もういいんです。楽になりましょう」
「うるさい!」
「僕は五味さんが心配なだけです」僕は目で訴えた。
「うるさい!」
「妹さんのことは記憶の一部になっていると思うけれど、心の負担を少しでも減らす努力はしましょうよ」
「うるさい!」五味さんが僕の体に寄り掛かるように体当たりしてきて、僕は慌てて包み込むように抱きしめる。
「見せつけてくれますね」匠君が冷めた流し目を送ってくる。
「だな」トモヤも同意してうなずく。
二人の冷たい視線を浴びてしまい、照れくさくて恥ずかしさもあるが、うれしさもあり、五味さんの体を自ら引き離せられない。
「妬かないでくださいね」僕は冷や汗を掻きながら言う。
「そんなにうらやましくないですね」
そう言いながら、どこか羨ましそうな匠君。
「だな」トモヤはあまり関心がなさそうだ。
殺伐とした空気が解除され、これは五味さんの魔法なのではないだろうかと思う。
「ちょっと妹のことを鮮明に思い出しちゃったみたい」
五味さんはゆっくり腕を伸ばし、右目から涙を流す。でも、僕は同情できず、笑いそうになるのを必死にこらえた。なぜなら彼女がハサミの先を使って涙を拭ったからだ。面白い女である。
「あなた、この女は俺のモノだぜ、とか思ってないでしょうね」
「な、なにを言ってるんですか」
ひょっとすると僕の顔はにやけていたかもしれないが、心の中で五味さんを女と呼び捨てにしていることがバレているとは思えず、ここぞという場面での勘の鋭さは恐縮するばかり。
「ところで、あんたにはここが天国だと思っているのよね?」
五味さんは匠君に質問した。
「天国とは思えませんが、ここは安全地帯です。パニックルームです」
「だったらここに居させるわけにいかないわ」
「嫌です」駄々をこねる匠君の決意は固そうだ。
五味さんと匠君のやり取りは終わりなき水掛け論の展開をみせるのかと思いきや「ここにあなたのお母さんを連れてきてもいいのよ」と五味さんがこれ以上ない脅迫を突き付けると、匠君の顔が急に真っ青になる。「親子水入らずで、暮らすのもいいんじゃないかしら」悪戯に湾曲させた目で五味さんが見詰めると、匠君は喉仏を動かして唾を飲み込んだ。
「息子さんは私の家に居ますよ、とか言えば駆けつけて来るタイプのお母さんなのか?そんなことになったら面倒くさいことになりそうだな」
トモヤが面白くなさそうに不満をもらす。
思わぬところからのアシストで匠君がひれ伏して倒れ、四つん這いになって体を重そうに支えた。