Third magic 夏休みの悲劇 4
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ただいま午前二時十一分四十六秒。
なんか『カシャ……』とシャッター音が聞こえた気がした。スマホの画面を見たまま寝落ちしてしまって無意識のうちにカメラ機能のアプリを押してしまったのか?考えにくい。空耳だと片づけるほうが論理的で、これといった害がないのだから気にする必要はないだろう。
明日、というかすでに今日なのだが、お盆に母親の実家にお墓参りに行く予定を突然キャンセルして、友達と遊ぶ約束を優先したいと電話したら、『この親不孝!』という母親から本気の叱責を受け、強制連行を促す電話が折り返しくるのではないかと、神経を尖らせて起きていたのだから一睡もできるはずがい。
念の為に影野君にアリバイ工作をお願いしたが『泊まっちゃうのか!ひとつ屋根の下で夜を過ごすのか!邪魔はしないぜ』と煽りを受けた。彼なりに興奮しているようだ。おもちゃにされる材料をまた与えてしまった。
スマホのアプリのゲームで時間を潰していたけど、ネットの世界から遮断している五味さんは充電器を持っていない気がするし、肝心なときに残量がなくなってしまう恐れがあるので電源を切る。
待てよ、もしかしたらスマホを持っていないというのはこっちの勝手な思い込みで、五味さんが寝ている部屋へ充電器を探すという大義名分のもと、忍び込めるのではないだろうか?あらぬ方向へ妄想が膨らむ。高校二年生の多感な時期の男子には厳しい状況。気持ちを整理しよう。
五味さんの家は毎日のように掃除しているのに、しばらく自分の部屋を整理整頓していないから明日やろうかな……そっちの整理じゃない。五味さんを自分がどう思っているか整理する必要がある。彼女はカニ好きで食い意地が悪く、性格は最悪。小さくてかわいく見た目は満点。しかも服を掴んで〝待ってよ〟なんてツンデレ的な魔法を使われたら……女は卑怯だ。
半分食べてと言われた夕食も緊張で喉が通らず、真面に顔を見られなかった。いつもより会話が進まず、五味さんは食事が終わると〝寝る〟とだけ言い残して自分の部屋へ。僕が意識しているように見えて居づらかったのか、それとも五味さん自身が意識して恥ずかしくなったのか、いまとなっては知る由もない。
いやいや、それよりも魔法の秘密を探ることが先決ではないのか?いっそのことなにか起こってくれたほうが気楽なのではないか?落書きは五味さんの自作自演という線もあるぞ!そう考えると影野君や天山さんだって怪しいのではないか?赤やら青やら黄色やら緑やら様々な色のコードが絡まって思考が混乱する。時限爆弾を解除する気持ちでパチン、パチンとハサミでコードを次々切っていく。イメージするのは五味さんが使っているキッチン用ハサミ。余計な思考が排除できたと思ったら真っ黒いコードだけが残った。これを切ったら思考停止になるのか?けれど腹黒いことばかり浮かんでしまういまの状態を遮断できるなら切ってもいいかもしれない。
迷いなく切ってやった。
切断された真っ黒いコードは火花を散らす切れた電線のように暴れてのた打ち回る。悪あがきにしか見えなかったのだが、まるでこの思考は消せませんよ、とでもいいたげに真っ黒いコードはきれいに再生され、僕の中に残った思考は〝魔法の秘密を探ることが先決ではないのか?〟だった。
真っ黒いコードは邪推が詰まっているのかな……と知的に考え込む自分に酔ったことが不吉な状況を招いたのか、静寂を破る音が思考を停止させる。
玄関のドアが勢いよく開く音がして、Hの左下のキッチン&リビングの部屋から右上の姉妹の部屋へ急ぐ。五味さんがいない?!ミスった。最初から玄関の方へいけばよかった。玄関のドアが壁にぶつかる大きな音は、犯人が慌てて逃げていったからだ。右上の姉妹の部屋からガラス壁をスライドさせて外へ出る。
月光に反射して、なにかが銀色に輝いていた。
「あなたをカニのようにバラバラにして食すわよ」
久々に聞いた台詞で、初対面で僕も言われたことを思い出す。とりあえず五味さんの安全を確認できてほっとした。
シャキンと金属と金属がぶつかる耳障りな音。そして遠ざかっていく足音と逃げていく黒い影。どことなく見覚えのある動き。僕が追いかけようとすると「もう、犯人がわかったわ」と五味さんが制する。「ふっ……これさえあれば異世界に引き込めるわ」五味さんが鼻で笑う。
──異世界と言い張るのはそろそろ限界だと思うぞ。
右手にハサミ、左手の蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具にはチェーンに繋がれた黄色と黒のストライプの派手な柄の長財布が巻きついていた。ハサミで切り離したらしいが、中身を見るまでもなく、持ち主はトモヤ。
朝になってそのことを教えると、さすがに天山さんの顔が曇る。
「すでに縁を切ったあなたが、気に病むことはないわ」
珍しく、本当に珍しく優しい言葉をかける五味さん。
「ありがとう」天山さんからも貴重で丁寧な感謝する言葉が口から出てくる。
その他にもトモヤは書き欠けの落書きやスプレー缶など多くの犯罪の痕跡を残した。どうやら五味さんも眠れなかったらしく、すぐに怪しい物音に気づいたらしい。よくわからないのは、なぜ五味さんの家を狙ったのか?ということだ。天山さんから標的を変えた理由がわからない。とりあえず、ますます臭くなったプールを潜ることになり、五味さんが『忘れ物窓口』で女の駅員さんと会話すると、カウンターの上に人間の形をした透明な揺らぎが出現。それ目がけて天山さんが乱暴に長財布を投げた。すると、キョロキョロして落ち着きのない様子のトモヤが出てくる。長財布が人間を落し物として認識した瞬間だ。
「久し振り」天山さんが低い声で言うと、トモヤはストンと腰を落とす。
「なんでおまえが……俺、家で寝ていたはずなのに、ここはどこなんだ?」
「ここは、あなたの知らない世界よ」五味さんがハサミをチョッキチョッキさせながら答えた。「なぜ私の家に落書きしたのかしらねぇ~」
「そ、それは、あんたが有名人で顔と名前と住所がわかったから」
五味さんから殺意を感じたのか、即答してくれるトモヤ。けれど、以前から用意していた台詞にも聞こえる。
「あのとき、尻尾を巻いて逃げたくせに、よく私の顔を認識できたわね」
〝あのとき〟とは僕が刺された場面のことで、こっちが復讐する理由は十分あるのに理不尽すぎるトモヤの蛮行だ。
「どう考えたってあそこに集まっていたのは、全員グルだろ」
「グル?犯罪者のくせに被害者面するつもりなのかしら」
五味さんはニヤリと笑い、ハサミを水平に振った。あまりの素早さになにが起こったのかわからなかったが、トモヤの金髪の毛がはらりと散り、前髪パッツンになったのを見て察した。
「三分で毛ガニを完食した世界記録は伊達じゃないわよ」
ギネス記録なんてハッタリだろうが、五味さんはかなり自信満々で信じ込ませてしまう演技力がある。
「ぐふっ」天山さんが噴き出して笑う。
「えっ、なに?俺、髪切られた?」
トモヤが自分の髪を両手で触りまくるが、鏡がないので無駄な悪あがきだった。斜め十五度くらいに右から左へ上がる感じで前髪がカットされている。
「前髪が斜めに切られている」影野君が冷静に教えた。
「ひぇ~」ホストとしての命を断ち切られたトモヤは絶望と恐怖に慄く。
「驚かないで、まだウォーミングアップなんだから」
五味さんの左手には逆手に握った蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具、右手のハサミも逆手に持ち替えて刃を閉じ、刺す気満々の体勢を整えた。
「ら、落書きした……だ、だけだろ」
トモヤの震える声から恐怖心が伝わってくる。
「聞きたいことがあるの」
「な、なんでも聞いてくれ」
「妹のことをどこで知ったの?」
五味さんが自分で妹を殺したことを前提に質問しているように聞こえた。
「まだ付き合っていた頃、そいつの家で大量の手紙を読んだ」
トモヤの視線は天山さんに向けられた。彼女と出会ったことを後悔しているような目は死んだ魚のようで、ストーカー行為の熱は冷めているように感じる。
「そこから先は私が答えるわ。ある日教室に行くとほぼ全員の机の上に手紙が置いてあったの。五味さんがプールで妹を溺れさせて死なせたとか、そんなことが書いてあった。クラスのほとんどは嘘だと理解していたけれど、何人かは黒板に飛躍して書いてエスカレートさせていたわ。手紙は学校や近辺で捨てるとさらに噂が広がる可能性があるから、私が全部持ち帰ったの。それをこいつが盗み読みしていたのよ」
「手紙はいつの話しなのだ?」影野君が天山さんに質問する。
「六月の中旬くらい」
「先生に言わなかったのか?」
「五味さんが、大人が絡むと面倒なことになるからと言って拒否したの」
「でも、どうしていまの時期に落書きする気になったのかしら?」
五味さんが追及の目をトモヤに向ける。
「それは……おまえらに屈辱的な姿をさらされた復讐だ」
〝あんなこと〟とは僕が刺されたときだ。あの決死の覚悟をした僕を皆が忘れてしまっているようで悲しい。
「なぜ、私なのかしら?」
「だから、その手紙とかTVで住所とかいろいろわかったからだ」
「だ・か・ら?」五味さんは指を入れる部分を軸にハサミをクルクル回して威圧する。言葉遣いが逆鱗に触れたらしい。「だいぶこの世界に慣れたようだから、しばらくここで暮らしなさい」彼女の冷たい命令口調が構内に響くと、その声に反応するように動いた女の駅員さんがトモヤを羽交い絞めにする。
「さぁ、帰るわよ」五味さんのかけ声が勇ましく、誰からも異論が出ずに皆が従う。
反抗的な態度が命取りになるのを目の当たりにした光景。トモヤの「置いていくなぁ~」という叫び声が聞こえたが、クズにはちょうどよいお仕置きかもしれない。
五味家のプールから出てからは女組がバスルームに直行して、その後に男組が入るのが慣例になっている。シャンプーやボディーソープはネットで海外のモノを購入。日本製よりも体臭がきつい外国人が使っている海外製品のほうがプールの悪臭を誤魔化せる。そんな僕の気遣いを知らないであろう三人は、風呂上りにいつも「すごくきついニオイがする」などと言って体のニオイを嗅いだりするのも慣例。
「アイツ嘘をついてるわね」デッキチェアに寝そべっている天山さんが唐突に言った。
「そんな感じがするわね」と同じく隣で横になっている五味さんが応える。
「アイツ〝俺、家で寝ていたはずなのに〟と言っていたでしょう。午前七時くらいから午後三時まで配送のバイトで、午後八時から朝の四時まではホストクラブ。『忘れ物窓口』に呼んだ時間はバイト中のはず。休んだという可能性もあるけれど、仕事しなくても暮らしていける環境が短期間で整ったのよ」
「お金でも貰ったのかしらね」
五味さんが天山さんからの情報を分析した。おそらく当たっている可能性は高いかもしれない。誰かの差し金で、お金が口止め料なんて構図はよくある話しだ。
黙っている影野君も異論がないみたいだ。疑えば切りがないのだが、トモヤがなにかを隠している気はする。僕ならあんなところにおいてけぼりにされそうになったら、捨て身の覚悟で強烈な脅しをかける。例えば舌を噛んで死ぬぞ!とか、トモヤのような叫び方では物足りず、用は必死さが伝わってこなかった。隠したいこと、後ろめたいことがあるから思い切ったことができなかった。というのが僕の推理。
「あんな奴のことは忘れましょう」五味さんがトモヤを亡き者として扱う。「あそこで人間が長時間いたらどうなるか、ちょうどいい実験になるわ」
さらりと恐ろしい発言をした気もするが、影野君と天山さんは別のことに興味があるらしく「今日も泊まるのかしら?」とか「状況は微妙だな」とこっちを見て僕の行動を予想する。
「掃除してきます」うまい切り替えしが浮かばず、無理やり用事を作る。
「逃げたわ」
「逃げたな」
二人がかなりウザい存在になっているのは気のせいだろうか?
しばらくすると、玄関の方から二人が帰る物音がした。二日連続で余計な気を回して早めに帰ったようだ。自分でもどうすべきか迷っていると、僕がいるキッチンのところへ五味さんがやって来た。
「冷蔵庫にアイスキャンディーが入っているから持ってきて」
そういうと五味さんは裏庭の方に姿を消す。
なぜかドキドキしてくるわけだが、言われたとおり冷凍室にひとつだけ入っていた『白黒ジャンボアイス』という商品名のアイスキャンディーを持っていく。
「これから昔話をするわ」僕を待っていた五味さんが後ろ向きのまま話し始める。「昔々ガラスハウスに仲良しの姉妹が住んでいました。家の裏庭にプールがありましたが、妹は水族館を想像して沢ガニをプールに入れました。それを見たお姉さんは妹の喜ぶ顔が見たくて、お年玉を使って生きている毛ガニを買って放しました。妹は毛ガニに気づきました。プールの中で苦しそうに口からブクブク泡を吹いている毛ガニを見て可哀想になり、助けるためにプールに入りました。しかし、陽が落ちて薄暗かったこともあり、底にいる毛ガニをなかなか捕まえられませんでした。その後、沈んでいる妹を姉が見つけましたが、家族は崩壊。それからのお姉さんは世の中のカニを食い尽くすことを誓いました」
「それって……」
「笑って誤魔化すくらいの力量がほしいわね」
深刻な話しをしたのに、振り向いた五味さんは笑顔。励ましの言葉も見つからず、手持無沙汰ではなかったのでアイスキャンディーを渡す。
「ありがとう」やけに素直な五味さんは袋を破ると、ポキンとアイスを折り「どっちがいい?」と尋ねてくる。アイスキャンディーは真ん中から割れてミルクとチョコ味に分かれる仕掛けで、手で持つ棒が二つあり、一人で二つの味を楽しめるし、二人で分けて食べることもできる。なんのお礼かわからないが、好きな方の味をもらえるようなのでミルク味を選択した。
「へぇ~ミルク味が好きなんだ」
五味さんはチョコ味を舐めながらほっとした様子。
──チョコ味を食べたいなら、選ばせなければいいのに。
僕の勘は正しかった。アイスキャンディーを差し出すとき、ややミルク味の方が前に出ていた。僕と食べるために用意していたのか?と聞く勇気もなく、久し振りに食べるアイスキャンディーに集中する。
「あっ!」思わず声を上げてしまった。
「どぉひぃたの?」
僕が突然声を上げたので、アイスキャンディーを頬張っていた五味さんが不思議がる。
「なんでもないよ」
照れ隠しのためにアイスキャンディーをかじると、口の中の冷たさが即座に脳へ移動してキーンと頭痛が襲う。アイスクリーム頭痛なんて名前がついているらしいが、うっかり大きめに口に入れてしまった。吐き出すわけにもいかず、アイスキャンディーの塊が口の中で早く溶けるように舌で転がす。なぜかアイスキャンディーが二本に割れる場面がリピートされた。一つのものが二つに分かれた。一つだと思っていたものが実は二つだった。徐々に溶けていくアイスキャンディーの甘さと冷たさを忘れるくらい思考力がフル稼働。ラスボスが二人いたっていいじぁないか。僕の頭の中でほぼ事件の筋書きが見えてきた。もちろんどうやって無事に解決できるのかが難しいわけだが、まずは学校がはじまる夏休みが終わるまで待たなければいけない。
「そんなにおぃひぃ?」
僕がにやけている顔を見た五味さんは、最後の欠片を口に入れながらアイスキャンディーの味の感想を聞いてくる。
「最高においひぃ」
ヒントって意外なところに転がっているものだと思いながら、アイスの最後の欠片を堪能する僕なのであった。