Third magic 夏休みの悲劇 3
3
とりあえずホームセンターに出かけた。最近は便利なもので『落書き消してやる君』というとてもわかりやすいネーミングの商品があり、用途に【油性のスプレー、ラッカー系塗料、インク等の汚れを落とす強力洗浄剤】と記した歯磨き粉が入っているようなラミネイトチューブの万能クリーナーを即購入。
買い物に集中したいが〝どうしてわかったのかしら?〟はどう考えても落書きの文字が間違っていないということになる。できることなら否定してほしかったが、あのあと五味さんは冷静そのもので、家にある洗剤で消せるか試し、駄目だとわかるとホームセンターの近道を教え、お金を渡し、いつもと変わらない様子で僕を顎で使った。
自称〝カニバリズム〟らしいから人殺しはお手の物なのだろうが、『人殺し一家』『妹殺し!』『殺人犯はまだここに住んでいます』を総合すると両親と五味さんで妹さんを殺したことになるが、それはありえないし、事件ならTV出演していた家族でもあるのでマスコミの扱いは大きくなるはずなのに、学校でも噂を耳にしたことがない。事故ならニュースにならない可能性はあるのではないだろうかと、できるだけ自分へのダメージを少なくする方向へ思考を働かせる。
『夢の家へリフォームGOGO』の番組の中では仲睦まじい姉妹に見えた。ガラスの家が建つまで五味家は幸福だったはず。それからなにがあったのか、僕は知らない。僕は五味さんのことを何も知らないのだ。僕も自分の家族のことを話すことなんてないし、興味もないだろうし、お互いの家族の情報を共有するなんてこの先もないような気がする。そんな僕が妹さんのことを聞けるわけがない。
〝どうしてわかったのかしら?〟の言葉が何度も頭の中へ反芻されてくる。あの瞬間、僕の背中はゾクッとした。冗談に聞こえなかったのは事実。だからって疑っているわけじゃない。五味さんのオーラに押されただけだ。僕は信じてやらないといけない立場だ。ホームセンターまでの行き返りの道中、考えていたのは五味さんのことばかり。本当に色々悩ませてくれる人だ。
五味家に着くと影野君と天山さんが落書きを前に呆然としていた。二人で一緒にいるのはめずらしい。
「五味さんは?」と僕は二人に尋ねる。
「ちょっと犯人を突き止めたいからプールで考えるって」
教えてくれたのは天山さん。
「悪意や恨みが募ったけしからん落書きだな」
影野君はおかんむりで腕組みしながら落書きを睨む。
「警察に連絡しないの?スマホで撮影しとく?」
天山さんにしては優しい気遣いで、五味さんを心配してのことだろう。
「今回はすぐに消して、もしまた落書きされたら警察に通報しよう。撮影は僕がするよ」僕はポケットからスマホを取り出す。「服が汚れちゃうから落書きは僕が消すよ」
「五味さんの様子を見てくるわ」
積極的な行動を示す天山さんが心強く感じる。女子同士ならわかりあえる部分があるかもしれない。
「五味家がリフォームして一年経ったが、いままで〝只今参上!〟とか相合傘で名前を書いていく程度の落書きはあったらしいが、このような陰湿な落書きはなかったようだ」
影野君は僕がいないときに五味さんから聞いたらしい情報を教えてくれた。
スマホでカシャと落書きを撮影したのち、ホームセンターのロゴがプリントされたビニール袋からラミネイトチューブの『落書き消してやる君』を取り出す。
「落書き程度なら、いいのだが」影野君が意味深に読点を入れる。
「エスカレートすると思う?」
「可能性はないとはいえないな」
影野君と意見は一致。
「この部分が気になるんだ」
スポンジに『落書き消してやる君』を染み込ませて、まず〝妹〟を真っ先に消すことにする。
「ちょっと調べてみるか……」影野君がスマホを取り出してなにかを調べはじめた。「すでにあることないこと書かれているな」
影野君がスマホの画面を見せてくれた。SNSの掲示板に【『夢の家へリフォームGOGO』の出演でお馴染みのS高校の五味千瑠孥さんは妹殺し】というスレッドに『五味家はいまじゃゴミ屋敷になってるぞ』『こいつサイコパスじゃね?』『こいつの親父が事件を隠蔽したらしいぞ』『なんでニュースに流れないんだよ?』『ゴミ屋敷に住んでるって神経どうかしてるわな』などの批判的で明らかに嘘だとわかる適当なコメントが大勢寄せられ〝妹〟がキーワードになっており、落書きと時間差なしにネットが反応していることに驚く。
「落書きされて、すぐにスレッドが立ち上がってるな」
影野君も落書きした犯人とネットで情報の拡散を狙った犯人が、同一犯である可能性が高いことに気づいたようだ。
それと個人的なことではあるが、SNSで五味さんの下の名前を知ることになったのはちょっと残念な気持ちになる。だけど、なんて読むのだ?チ・ル・ドと読むのかな。
「おまえ五味さんの妹のことでなんか聞いているか?」
「ぐ、具体的には、な、なんにも……」
前から引っかかっていた〝カニは死んだ妹の敵だから〟と五味さんが言った台詞をそのまま影野君に話しても単なる告げ口になってしまいそうで、歯切れの悪い答え方になってしまった。
「聞けないよなぁ~」影野君が語尾を延ばす。重い展開になっている会話を和らげようとしてくれている気がする。「さすがにそこは踏み入れてはいけない領域だよな……あっ?!」スマホを見ていた影野君が短く驚きの声を上げた。
「どうしたの?」
「削除されていたはずの学校の裏サイトがまた復活している」
影野君のスマホの画面を覗く。
うちの学校の写真にドロドロした血が上から流れ、全体が真っ赤に染まり、裏掲示板を閲覧できる画面に切り替わる。安っぽいホラーゲームみたいな合成で学生でも作れるレベル。僕は数回見たことはあるけれど、全体のデザインが変わっていないので、管理人は同じ人物かもしれない。
「学校の裏サイトの管理人は誰なんだろう?」
「危ないと感じると一時的に閉鎖したり、復活したりすばしっこいやつだ」
まるで管理人のことを知っているかのような影野君の言い方だった。それにしてもタイミングがよすぎる。SNSにコメントが書き込まれた日付と時間、裏サイトの復活と落書きのタイミングは偶然では片づけられない。
落書きを消すスポンジに自然に力が入る。監視カメラを仕掛けるとか対策はあるが、あまり現実的じゃない。これだけ計画を立てる相手だとすると、用心深く監視カメラの死角に潜むことも考えられる。仕掛ける僕らは素人なのだから、ちゃんと映ってなかったなどのミスも出るだろう。寝ずに監視して見回るという地味で根気のいる方法しかない。
その後、影野君が手伝ってくれたことと『落書き消してやる君』の力もあり、ガラスはピカピカになり、落書きはきれいに落ちた。
「ところで、どうして俺には〝君〟づけなのだ?」
影野君がどうでもいい質問をしてくる。
「影野君は誕生日が二ヵ月早いから」答えてやると「義理堅いね」と影野君は微笑む。
「ちょとぉ~もう全部消しちゃったのぉ~」
天山さんが大きな声を出して、水着姿で走ってくる。
「やっぱり遅かったわね」
後ろをついてきたスクール水着の五味さんがため息をつく。
「あんた達仕事早すぎ」
天山さんは褒めているのではなく、どちらかといえば怒っているみたいだ。
「忘れ物窓口に行ってきたの?」
「そうよ」僕の問いかけに応えた五味さんが説明をはじめる。「『忘れ物窓口』に落書きの文字をそのまま持って行けば、逆に忘れ物が忘れた人を探し求めてカウンターで受け取れる。つまり、物が人間を落し物として『忘れ物窓口』で受け取れるわけ」
「そんなことが可能なの?」
「そういうこと」
僕の聞き返しになぜか得意気にうなずく天山さんは誇らしげだ。
「つまり逆法則ってわけか」影野君は理論に納得の様子。
「でも、洗い落としてしまったから無駄になったわ。液体物量的制限とかで、水などの液体は無理。落書きが残っているガラス片を持っていければ可能だったかも」
ペンキが落ちて濡れている地面を見詰めて五味さんが言った。
「物に感情はないのにどうやって落し物だと教えるんだ?」
影野君が根本的な疑問を呈する。
「いままでもそうだけど、私が『忘れ物窓口』で申告するの」
思い当たるのは必ず最初に女の駅員さんと会話していたときで、申告するならあの場面しかない。
解決策はあるが、証拠となる利用できる物がなければどうしようもない。他にアイディアが浮かばず、時間は無駄に流れ、夕方になってしまう。
「泊まって見張ってあげようか?」
裏庭で二人きりになるチャンスを狙って尋ねた。二人がいる前だと恥ずかしがって拒否すると思ったからだ。
「必要ないわ」やけに冷たい口調で突き放された。気を使って言ってやったのに木っ端微塵に粉砕されてしまう。
「はいはい、人が折角……」
後ろに視線を感じて振り向くと、影野君と天山さんが裏庭出入口のドアの陰から覗いていた。
「いまのは告白かしら」と天山さん。
「間違いない」力強くうなずく影野君。
二人で勝手に会話を成立させ、よからぬ憶測をしている。
「あのね、勘違いされるのは困るんだけど」
勘違いではなく、二人が面白がっているのはわかっているが、抵抗はしておきたい。
「黒須君って意外に大胆ね。私も抱きつかれたことあるし」
「いろいろ尽くしているのに、見事にフラれたようだな」
「次はどんな手を使う気かしら」
「実力行使の線も捨てきれない」
二人の悪意ある分析は底がない気がしてきた。僕は薄い水色のTシャツを着ていたが、片腕の短い袖を脇までまくって近づいていくと、二人はクモの子を散らすように逃げていく。
ここで僕が嘘でも怒ってしまうと、五味さんを否定することにならないだろうか?彼女のどこの部分の否定かはわからないけれど、存在自体を否定してはいけない。なんかおかしい。自分自身を誤魔化しているのか?それを二人は見抜いている?!いやいや、こいつらは僕をからかっているだけだ。影野君、僕は心の中で〝君〟ではなく〝こいつら〟と呼び捨てにするくらいできるんだぜ。天山さん、僕は心の底からあなたを受け入れていない。
僕は寛大な心の持ち主じゃないし、いつも冷静沈着じゃいられるわけじゃないし、常識人でもない。人間なんて未来永劫安定した精神状態を維持できるわけじゃなく、いずれ劣化してしまう。二人の行動が冗談だとわかっていても許せなくて黒く染まる可能性だってある。
──いや、すでに闇落ちしているかも。
僕は二人を追いかけながら別のことを考えてしまう。
視線は五味さんへ。
影野君と天山さんの声は聞こえているはずなのに、まったく反応していない。デッキチェアで横になって日光浴をはじめた。彼女が動じていないのは、逆に意識していると思っていいはず。こんなときに冷静でいられるはずがない……普通なら。
あなたは魔法を使えるし、リスペクトしていますよ、五味さん。
自分が特別な存在だと夢を見せてほしい年頃なのに、五味さんのお蔭で自分は夢見る少年じゃいられないことを悟らせてもらった。彼女は別格で人間の殻を破ってしまった存在。選ばれたのか、不思議な力を授かったのかはわからないが、『忘れ物窓口』は異世界じゃない。あの地下の連絡通路の世界観は異世界とは程遠く、半人前以外は日常的なもので現実味がある。五味さんの家にラノベ系の小説を見たことがないので、彼女は異世界をイメージできないはず。彼女の思惑が絡んで生まれたもので、もとから存在していた世界観に僕らが飛び込んだのではないと思う。
残る可能性は、五味さんの心が創り出した世界観が具現化された心象風景で、彼女がすべてのルールを決めているのではないだろうか?彼女は人間の殻を破って魔法を使っているが、あの連絡通路が空想の産物だとして、外へ出られないようになっているのは、結界と同じ役割ということになる。
──僕ならもっと壮大な世界観を想像する。
どれでも嫉妬していないといえば嘘になる。彼女は『忘れ物窓口』で魔法を使える。
──僕は……魔法の秘密を知りたい!
この欲求はどうあがいても捨てきれず、この本心は墓場まで持っていく自信がない。五味さんの魔法は、妹さんが深く関与しているのではないだろうか?すべてが知りたい。五味さんのすべてが知りたい。奴らを追いかけなければいけないのに、五味さんに視線がいってしまう。首を振って妄想を離脱させた。
僕の掃除のお蔭で廊下は走れるレベルにまですかっかり片付き、五味家の本来の姿が見えてきた。Hの左下の部屋はキッチンだけかなと思っていたら、ゴミを片づけるとスペースが広がり、キッチン&リビングだったことがわかり、リビングだと思っていたHの右上の部屋にはかわいらしいベッドが二つあり、姉妹の部屋だったことが判明した。しかしながら外から見られないように、ガラス壁を見貼りするように、最小限のゴミの山は片づけてはいないので、昼間でも薄暗いのは変わらない。
影野君と天山さんは玄関のドアから外に出たりして五味家の周りをグルグル回る。僕から逃げて、追いかけっこは体力の消耗戦となり、限界が見えてくると「貴様らぁあ~」と声を張り上げることしかできなくなくなり、疲れて地面に膝をつけた。
「体力なさすぎね」
「こんな黒須を見られるのは貴重だぞ」
二人はプールがある裏庭にいた。
デッキチェアで寝そべっている五味さんがクスッと笑う。あんた、呑気だな。その余裕は魔法を使えることで生まれるのか?
夕方になると僕の怒りは収まり、コンビニでお惣菜やらを買って皿に並べ、あとは電子レンジで温めるだけにセットする。セットしてからサラダの買い忘れに気づく。いつもは栄養バランスを考えて果物か生野菜を必ず用意していた。いつの間にか五味さんの夕飯を用意するのが日課になっていた。
直接指示されたわけじゃないが、キッチンを見るとカニの殻しかないときがあり、五味さんは夕飯をカニだけですませている想像ができた。お節介と思いながらコンビニ弁当を右下のキッチン&リビングに置いておくと、翌日、同じ場所に空の弁当のケースがあった。もちろん水洗いはしていないが、弁当のケースの上に必ず千円札がのせられている。意外に律儀なのは驚いた。
「また明日ね」
「それではまた明日」
二人は僕を避けるように先に帰ってしまう。いや、気を利かせたのかもしれない。
「キッチン見てきたけど、いつもより品数が少ない気がするんだけど」
帰ろうとする僕を追いかけてきて五味さんが不満をもらしてきたが、ツンツンした言い方ではなく申し訳なさそうな表情もしている。
「基本調理はできないから、あまり期待されても困ります」
「そろそろコンビニ弁当も飽きてきたんだけど?」
低姿勢の質問口調で声が小さく、あざといおねだりでもなく、嫌悪感を抱かせない言い方に聞こえた。僕が五味さんに洗脳されている兆候なのかもしれない。
「今後努力してみます」
スーパーのタイムセールを狙えば一人用のサラダセットくらい買えるかな?と考えながら靴を履いて立ち上がり、後ろ向きのまま軽く手を振って別れを告げた……のに、前に進めさせてくれない逆の力が邪魔をする。
「待ってよ」五味さんが僕のTシャツを片手で引っ張って生地を伸ばしてきた。