Third magic 夏休みの悲劇 2
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夏休みも中盤を過ぎ、佳境に差しかかろうとしていた。
現在の時刻は朝の六時。
今日はいつもより朝早く五味家に向かい、換気のためにガラス壁を解放してからの買い出しである。実は昨日の午後、なんとこの時期に鍋パーティーをすることになってしまった。五味さんが冷蔵庫に入っているカニの鮮度を気にして鍋にしようと言い出したからで、味見したカニの身はそのまま食べるには塩気が強く、確かに鍋にすればちょうどよいダシが出るかもしれない。朝やればそんなに熱くないと五味さんが念押しすると、話がとんとん進み、開催の運びとなった。
揉めたのは鍋を何味にするかである。真っ先に手を上げたのは天山さんで、美容に良いという理由で豆乳味という変わり種を提案してきた。次に影野君がしょうゆ味を希望。五味さんがシンプルな塩ちゃんこ味。バラバラである。僕はなんでも言いと投げやりに答えた。どうせカニ以外の食材を買ったり、具材を切ったり、味付けする面倒な役目をやらされるのだから。
僕の意見なんて無視してくれればいいのに、皆の視線が集まっていることに気づき『カニの味を一番引き出すのは塩ちゃんこですかね』と提案。あくまで提案だったのだが、五味さんが笑顔で『やっぱり、そうよね』とパン!と両手を叩き会議は終了。お金を出してくれると言ってくれたし、文句はない。けれど、そのときに天山さんの舌打ちを僕は聞き逃さなかった。あとでなにか言われそうで、天山さんに脅える日々である。
そんな前日の出来事なのだが、奇跡が起きた。淡い靄が発生するくらい、とても寒いのだ。北国とはいえ、夏休み中にこの寒さは異常。予報ではお昼になると平年並みに気温は上昇するらしく、めちゃくちゃ汗を拭き出しながら食べることにならないのはありがたい。
買い物を終え、早朝のコンビニでなんでも揃う便利さに感謝しつつ五味家に帰ることにする。豆腐、ちくわ、こんにゃく、白菜、鶏肉、肉団子、おまけに淡いピンクが彩りに良いかなと思ってエビ団子も購入。具材とそのまま暖めるだけで完成する鍋用のスープが入ったパックを数え、買い忘れがないかレジ袋の中身を見る。
内部コーティングされたパックを捨てるときは洗って資源ゴミに出すのかなと考えながら歩いていると、五味家の前に人影を発見。鍋パーティーの開始は午前八時。しかし、いまは午前七時を過ぎたばかり。どれだけ鍋を待ち望んでいるんだよと思ったが、近づくにつれ、白い幕が徐々に取り払われていくと知らない人物だった。僕よりも身長が低い男子。
「ひょっとして誰かに鍋パーティー招待された?」
鍋のことばかり考えていたので、妙な質問からファーストコンタクトをとってしまった。
「い、いいえ」戸惑いながら答えてくれる男子。白地によくわからない英語がプリントされたTシャツに黒いジーパンという軽装で、ほっそりした輪郭に狐目、高くて大きな鼻、Uの字にやや上がった口角の唇に緩みがなく、小さい顎が引き締まった顔立ちを演出して賢そうに見える。
「あ、ごめん。なんの用?」
咳払いをして体裁を整えてから改めて聞く。
「ここって探し物屋さんですよね?」
「まぁ、そうだね。正確には、失くしたモノを探します屋だけどね」
訂正しておかないと、変な名前で知れ渡り、単純な落とし物を一緒に探してくれる人達だと勘違いしてしまう可能性がある。最初は僕自身も探し物屋だと宣伝していたくらいで、いまになって裏稼業の長い正式名称を言った五味さんの意図が理解できた気がした。
「札岸高の生徒?」僕は自分が通っている高校か確かめる。
「はい、一年生です。探してほしいモノがあります」
丁寧な言葉遣いで後輩として好感が持てた。
「責任者を呼んでくるから待ってな」
「はい」何時間でも待ってくれそうな男子生徒の笑顔。
リビングらしい部屋で寝ている五味さんを起こすと「鍋できた?」と寝ぼけ眼だったが、お客さんが来たと告げるとシャキッと立ち上がった。ただし、水玉のパジャマ姿である。
「着替えてからにしてくださいよ」と注意したが、僕の手を払いのけて行ってしまう。
「なにを探してほしいの?」
玄関に直行した五味さんは、自己紹介をせずにいきなり要件を聞いた。
「バスケットボールです」
一年生には刺激が強いかなと心配したけれど、男子は冷静に答える。パジャマ姿に色気を感じなかったのは幸い。
「バスケットボールくらい買えばいいじゃない」
五味さんが早く片づけたいのか冷たくあしらう。
「早急に取り戻したいんです」
少し間があって一年生男子が答える。
「探しても見つからなかったのか?」
今度は僕が質問する。いまの五味さんがなにを言い出すかわからない。
「見つけることが許されない場所にあります」
クイズを出されたのか?と思ってしまうほど、解釈が難しい言い回しで反応に困る。
「あなた、いじめられているの?」
変なところだけ感が鋭い五味さんが直球で聞いてしまう。
「そうですよ」
答えなければいいものをはっきり答えてくれる一年生男子。
「男らしいのね」お姉さん目線で称賛する五味さんは「いらっしゃい」と家の中へ招き入れると、一年生男子が靴を脱ぎ、そのまま持って五味家に入る。
予想どおり緑色の水のプールに飛び込むと聞かされると、さすがに引いていた。しかも暑さのせいか、水溶き片栗粉を入れたみたいにトロットロッに水質が軟化して気味悪さが倍層している。
「大丈夫、俺も行くから」
僕ではなく俺を使って上級生気分を味わう。
「どこへ?」
一年生男子が緑色のプールを見詰めたまま尋ねてくる。
「忘れ物窓口へ」と端的に答えてやると、一年生男子は顎に手のひらを添えて悩む。色々な情報を得て五味家まで来たみたいだが、さすがにプールの底に忘れ物窓口があることまでは知らなかったらしい。
「行けばわかりますね」
「ところでなくなったバスケットボールを最後に触ったのは君なのか?」
せっかく行っても手に入らないこともあるので、聞いてあげた。
「はい、そうです」
「いじめられていたのなら、最後に触ったのは隠した人物じゃないの?」
五味さんは傷口に塩を塗るようなこと言う。
「いいえ、学校のバスケットボールを橋の上から投げるように命令されたんです」一年生男子はいじめの闇を告白する。「投げる瞬間をスマホで撮影されて、SNSに投稿すると脅されました」
陰湿ないじめが絡んでいたことになる。そしてまたSNSである。現代社会ネートワークの罪は重い。
「さぁ服を脱ごうか」
「は……はい」物分かりが良さそうに見えた一年生男子でも、さすがに緑色のプールに飛び込むには心構えが必要なようだ。
「まず服をビニール袋に入れて」
「わかりました」
その後、水着に着替えた五味さんが来て、僕は学校で使っているサポーターを用意していたが、一年生男子はパンツ一枚で僕と五味さんの間に挟まってプールに飛んだ。水中はヌメッとした生温かいゼリーがまとわりついてくる感覚に囚われる。
出入口のコインロッカーに着き、杓子定規な説明をしてやると〝半人前〟を見ても一年生男子は狼狽せずに扱いやすかった。
『忘れ物窓口』の様子は変わらず。五味さんが真っ先に受付の女の駅員さんに話しかけるのはいつものこと。一年生男子が呼ばれると、遠目からでもわかる球体がカウンターにのせられ、触れるとジワジワと茶色いパネルと黒い繋ぎ目のゴムの質感が浮かび上がった。
「ありがとうございます」
一年生男子は深々と頭を下げたが、女の駅員さんは無表情で無反応。『忘れ物窓口』から離れたとき「あの駅員さんは人間なんですか?」と聞かれたが、首をかしげることしかできなかった。姿がはっきり見えるということは〝半人前〟ではないと思うのだが、だからといって人間だとは言い切れない。タイミングをみて五味さんに尋ねたいところ。
「面白い経験ができました。ありがとうございました」
プールから出ると、一年生男子から感謝された。
「カニ、忘れないでよ」五味さんがいつものように釘を刺す。
「はい、毛ガニですね」
「これから鍋やるんだけど一緒に食べないか?」
一人増えても材料は余るくらいあるので、声をかけた。
「いいえ、遠慮しときます」
一年生男子は丁寧に断る。初対面でしかも上級生といきなり鍋パーティーの中に入るのはハードルが高いかもしれない。
「ところで君の名前は?」
帰ろうと背中を向けた一年生男子に尋ねた。
すると「名前って必要ですか?」と『忘れ物窓口』の女の駅員さんと区別できないくらいの無表情さで聞き返されてしまう。いじめられていることは話してくれたのに、名前は伏せておきたい理由がわからない。自分を慰める言葉が見つからずに僕は佇む。
「余計なこと聞くからよ」
五味さんは冷たく僕を非難して家に入っていく。
僕はあとから来た影野君と天山さんにも意見を窺った。
「いじめられたことを初対面で同じ高校の上級生に告白して、名前を教えたときのデメリットを考えなかったのか」
「あんた、いじめられている下級生の名前を聞くなんて鬼畜ね」
二人に言われて、なぜかものすごく悪いことをした気分になる。それにしても妙に二人の息が合っているように見えるのは勘違いだろうか?
気を取り直してゴミを片づけてから、スペースを確保できた場所にテーブルを置いて仕込みに入る。具材を適度に切り、毛ガニは身が取りやすいようにハサミで殻の上側半分をカットしたり、小鉢と割り箸を四人分並べたり、ガスコンロをONにして塩ちゃんこ味のパックを開けてスープを投入へ。鶏肉と肉団子とエビ団子を入れ、グツグツ沸騰してからカニと野菜類も加え、お玉でアクを取ってスタンバイOK。ネットのレシピどおり工程は無事終了。
「おいしいぃぃぃ~カニの身にダシが染み込んでるぅぅぅ」
フライング気味にカニの脚を食べた五味さんは昇天。
「あっ……うまっ」影野君が口をハフハフさせて言う。
「あら、本当においしいわ。すごいわね」
天山さんからもお褒めの言葉をもらった。
「カニと鳥肉でダシも出ているから」という僕の説明は耳に入っていないらしく、皆は夢中で鍋を突く。
「舐めた箸を入れないでください」
「ここにお玉あるからこれ使って」
「具がなくなったらおじやにしない?」
「その前にうどん入れよう」
「うどん買ってきてないし、朝からどんだけ食べるつもりですか」
飛び交う会話、瀬戸物の小鉢にカニの脚が当たる音、ダシをすする音、すべての音が心地よく聞こえ、楽しい朝食はあっという間に終わった。
「またやろうか?」影野君からそんな言葉が出る。反対する人は誰もいなかった。
「今度は絶対に豆乳鍋」
天山さんが箸で身が入っていないカニの脚を持ち上げてこっちを見る。
──なんのアピールだよ。それが毛ガニでクリガニじゃないのはわかってるから!
「そうですね、考えておきます」
「色々な味を試しましょうよ」
五味さんの主張で少なくてもあと二、三回はやるとになると思ったが、もう二度と鍋パーティーを開くことはなかった。
次の日、五味家で事件が発生。
Hの右上のリビングらしい部屋のガラス製の壁に赤やピンクや緑などで『人殺し一家』『妹殺し!』『殺人犯はまだここに住んでいます』という悪質な落書きがされていた。朝に来た僕が最初に見つけ、五味さん本人にすぐに教えるべきか悩む。塀などがなく、ガラスの壁を含めて開放的な五味家なので、落書きし放題ではあるが、恨みが伝わってくる文字の数々に悪意を感じる。近所の人の嫌がらせだろうか?昨日の鍋パーティーがうるさかったのだろうか?バイクに乗った族が気まぐれで書いたようには思えず、TVの影響で迷惑して引っ越した家族の憂さ晴らしの可能性もあるし、恨まれる要素は多い。穏やかじゃない落書きはすぐ消すべきだろう。でも、消すには時間がかかりそうで、また明日書かれていたら、しばらく続きそうな気がする。
どちらにしても五味さんが知ることになるのは時間の問題。
「なにしてんの?」五味さんが玄関から出てきた。本当に勘の鋭い人である。
「いや、その……」
返事に戸惑う僕に一瞬不審そうな視線を走らせたあと、ガラスの壁に書かれた落書きに視線を注ぐ五味さん。自分から報告しなくて済んで気楽になれたが、彼女が言ったひと言に驚愕せざるをえなかった。
「どうしてわかったのかしら?」