Third magic 夏休みの悲劇 1
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夏休み突入である。北国なので暑い地域の学校より短いだろうが、夏休みに変わりはなく、海だ!山だ!宿題がなんだ!と叫びたいのは全国共通の学生の気持ち。しかしながら僕は、五味さんの裏稼業を手伝っている。
『明日から〝失くしたモノを探します屋〟として協力してちょうだい。もし断るなら夏休み中に自宅に押しかけてお願いしに行くから』と脅されたのが夏休み直前の日のこと。
『僕は五味さんの裏稼業の広報担当じゃないですよ』
『何言ってるの?広報担当じゃなく、広報部長よ!』
はっきり断ったはずなのに、微妙に会話が成立しないのは腹正しく、広報担当というエサを自ら与えてしまった反省点もあり、夏休み毎日家を訪れる粘着性も彼女ならやりかねないこともあり、僕は『ありがとうございます』と言って了承したのだった。
夏休みに入って一週間で二回プールに入ることになり、滞りなく案件を処理。
五味さんが〝失くしたモノを探します屋〟として認知されてきたらしく、男子学生が家のカギ、女子生徒が夏休みの宿題プリントで、共に二年生でたわいのない失くしたモノだった。
「ねぇ~冷たいモノ持ってきてぇ~」
遠くから聞こえる五味さんの声。
僕はHの左下のキッチンに行き、冷蔵庫から飲み物を取ってくる。夏休みに入ってから毎日来ることになって完全に召使い扱いである。いや、完全に下僕である。天山さんの元彼に刺されなかったことや足を捻挫させてしまった原因もないとはいえないし、食生活も偏っているはずで、掃除をしたり、コンビニやスーパーで買い出しに行ったり、世話を焼くのが義務として定着してしまった。
それにしてもガラスハウスの夏は地獄だ。
まず熱伝導率は半端なく、蒸し風呂状態である。全部がガラスの壁なので窓がないともいえるし、全体が窓である。ただし床から天井までの高さと両手を広げたくらいの幅があるガラス壁が簡単にスライドさせられる箇所があるので、朝一番でドアやガラス壁を開けて通気性を良くして熱を逃がすのが日課としなければいけない。
ガンガン冷房を利かせたいところだけれど、エアコンは夏休み直前に故障したらしく、新しいのを買う予定もないらしい。お金はあるので機種を選ぶことや手続が面倒なだけだと思う。扇風機があれば暑さは凌げる地域なのだが、ガラスハウスでは問題ありなので、日中は皆プールサイドに出ている。相変わらずガラスの壁際にはダンボール箱や発泡スチロールの箱を山積みしてあるが、生ゴミ類は全部処理した。その結果廊下や各部屋はかなり広く感じられるようになり、裏庭もきれいに芝を刈ってゴルフ場っぽくして見栄えをよくした。
『忘れ物窓口』から帰ってきたとき、体についた汚いプールの水を洗い流すためにバスルームも清掃した。排水口のニオイは難攻不落で、詰まっている排水口に棒を突っ込んで掻き出すと、閲覧注意レベルの得体の知れない黒い物体が出てきたのはさすがに萎えた。
嫌な思い出は頭を振って排除して、仕事に集中しないといけない。
冷蔵庫は裏稼業の報酬であるカニが充実し、そこからポキンと折ったカニの脚と適度に冷えた缶ジュースをお盆にのせる。この暑さで冷蔵庫が壊れればいいのに、と思いながら扉を閉めた。
裏庭まで運び、テーブルにお盆を置くと、五味さんはスナック感覚でカニの脚を頬張る。椅子に座り、サングラスをかけ、リゾート気分を満喫し、幸せそうだ。ちなみに〝冷たいモノ〟の中にカニの脚を用意するのは、居酒屋のお通しと同じ。
そして、やや離れた木陰のポジションで本を読む影野君。彼が五味家に居る時間は僕より短いが、彼もまたほぼ毎日来ている。僕の家にマンガを読みに来たつもりが一緒に来てしまったのが入り浸るきっかけとなった。花見や遠足で使う青いビニールの敷物と水筒と弁当まで持参している。影野君いわく、TV放映直後は五味家の周りは野次馬が増えた一方で、近所迷惑している人が引っ越した家も少なくなく、最近は逆に静かだという。いわれてみれば周囲は静かで、セミの鳴き声しか聞こえない。読書には最適な環境だ。
清潔になった五味家の静かなプールサイドなのだが、ちょっと拒否感を覚えるのは、プールに張っている緑色の水。水を抜いて清掃することを五味さんに拒否された。理由は『忘れ物窓口』に行けなくなるから。せめて半分でも水を入れ替えようと申し出たけれど、老舗のウナギ屋の秘伝のタレを継ぎ足すような真似なんかできないわ!と猛烈に断られた。単純に考察すると余計なことしたくないのだろう。何かをすれば入口が閉ざれる恐れがあると考えるのが妥当かもしれない。
せめて、消臭剤くらい入れたいなぁ~と思いながら日々プールを見詰める。
謎だらけのプールで五味さんから教えてもらったことは皆無で、こちらが勝手に推測するしかない。わかっていることは、彼女が付き添わないと『忘れ物窓口』へ行けないようだ。他にも色々聞きたいが、プールの謎よりも不可思議な事案が昨日から発生中。
「なんで、おまえがいるんだよ!」思わず大声を出す。
「なによ、静かにしなさいよ」
サングラスをクイッと上げ、非難する視線を浴びせてきたのは天山さん。
五味さんも天山さんもサングラスをはめて水着姿。五味さんがスクール水着で天山さんはヒラヒラがある黄色い水着。あまりジロジロ見てしまうと文句を言われそうなので、違いはそれくらいしか確認できない。
三日前、天山さんが五味家にやって来て、クーラーボックスに入った毛ガニを『犯罪者のトモヤが家に来る危険があるので、夏休み中匿ってください』と頭を下げて賄賂を渡し、五味さんはひとつ返事で了承。次の日にはタクシーでテーブルと高級リゾートに置いてあるようなリクライニングできる真っ白いデッキチェアを二つ運んできた。賄賂って大事だと痛感させられる。
犯罪者のトモヤと言ったのだから、きっぱり愛想が尽きたと判断できるが、気に食わないのは僕に〝ありがとう〟のひと言もないこと。刺されたし、ブレザーには穴が開いてしばらくジャージ登校だったし、真っ先に謝るべきなのは僕なのに、目が合ってあの事件以来最初に言われたのが『あら、生きてたの』である。平然とのんびりと夏休みを満喫している姿を見ているとイラッとする。
「私にも飲み物お願い」
「はっ?」聞き返したのはもちろんわざとだ。
「冷蔵庫にペットボトルのミルクティーを補充してあるから」
「自分で持ってこいよ!」
僕がこれほどキレるとは自分でもびっくり。きっぱり、はっきり、わかりやすい態度を表明できたのは、自分で自分を褒めてあげたい。なのに、天山さんはクスクス笑う。僕が怒った顔そんなに面白いのか?五味さんは顔を背けて笑いを我慢して、影野君までもマンガで顔を隠して肩を揺らす。見た目って大事なんだなと思い知らされ、人は身の丈に合った行動をしなければいけないようである。
──あんたらと違って僕には仕事があるんだ。
Hの左下のキッチンに向かい、散らばるコンビニの弁当箱を水洗いして半透明のゴミ袋に入れ、洗剤を染み込ませたスポンジで高硬度感あふれる人口大理石のシステムキッチンをピカピカに仕上げる。ニオイの発生地域を浄土化して休もうとしたところへ、天山さんがやってきた。ミルクティーを取りにきたらしい。
「あなたが持ってこないから、自分で取りにきたわ」
「悪うございましたね」
それって僕に言う必要があるんですかね?当然のことを恩着せがましく言われたので、年老いた婆さんみたいな口調で嫌味をぶつける。
「そんな態度でいいのかしら」
明らかに僕よりも怒っている様子が感じられる言い方をしてくる。むしろ感謝されないといけないに、僕がなにをした?関わりたくないので無視していると、天山さんが冷蔵庫の下段の冷凍室から毛ガニを出して見せた。
「これが、毛ガニよ」
「知ってるよ」
「私が買ってクーラーボックスで持ってきたやつ」
「だから、わかっていますよ。おいしそうですね」
会話を断ち切るべく、お世辞で交わす。
「これはク・リ・ガ・ニじゃないのよ。本物の毛ガニなのよ」
天山さんがわざと言葉を区切りながら、僕の息の根を止めにくる。
「へ、へぇ~そうなんですか」
──しまった!声が動揺してしまった。
「そして、あなたが持ってきたカニがこれよ」
天山さん冷凍室の奥に手を伸ばしてカチンコチンに凝ったカニを取り出す。
「私が買った毛ガニの形は四角形であなたが買ってきたのは五角形」
二つのカニをくっつけて並べて違いを示される。
「その五角形のカニがなぜ僕が買ったやつだとわかるんですかね?」
「あなたが買ってくれたカニを大切に食べ残していたのか、奥に隠れるようにあったから気づかずに放置されたものかは知らないけれど、これが証拠よ」
天山さんはカニの裏側を僕に見せた。そこには霜がついて四角いメモ用紙が貼りつき『黒須君が買ったカニ』と黒いマジックではっきり書いてあった。
「それは……証拠にあらない(・・・・)ね(・)」
意図的にはではなく、無意識に噛んでしまい、言い返す言葉があらぶってしまう。
「あなた五味さんに毛ガニだと偽ってクリガニを報酬として支払ったのね」天山さんはこれみよがしに毛ガニを突き出す。「見た目はすごく似ているけど、全然値段が違うわよね。長万部のカニって国産じゃなく外国からの輸入モノも扱っているところがあるのね」
天山さんがクリガニの説明を五味さんに耳打ちしてチクる光景が、鮮明な映像として飛び込んできた。五味さんは顔を茹でたカニのように真っ赤にさせ、蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具を逆手で掴み、僕に向かって刺す。先端が割れた鋭利な刃物ではるが、人間を刺すために特化された道具ではないのに、僕の下腹部にすんなりと侵入してくる。目の前が真っ暗になり、思考が遮断された。「お願いです。五味さんには内緒にしてください」言い逃れできず、屈服するしかない。
「考えとくわ」天山さんは冷凍室にカニを仕舞いながら言った。
「約束ですよ」
「どうしようかしら」振り返って薄っすら白い歯を見せて天山さんが笑う。
「そ、そんな……」
「あなたは、私に不満をもらせる立場なのかしら?」
「彼女はこの世のカニをすべて食い尽くしたい!という夢があって、それを壊さないでください」
追い詰められて無理やり五味さんに責任転嫁してしまった。
「カニを食い尽くす?誰でも夢を見る自由はあるわ。でも、夢は壊すためにあるのよ」
「哲学っぽく言うな」
「あら、また口調が横柄になってきたわね」
「突っ込んだだけです。ごめんなさい」
「でも、カニマスターとしては失格よね」
──カニマスターって五味さんのことか?毛ガニとクリガニを見分けられたおまえのほうがカニマスターなのは認める。
「なんでもするから黙っていてください」
心で思っていることが吐き出せず、頭を下げるしかない。
「私の頼み事を聞いてくれるなら黙ってあげる」
「なんでしょうか?」
「喉が渇いたら冷蔵庫から飲み物を持ってくること」
「かしこまりました」
「他にもあるけど、後々お知らせするわ」
軽く手を振ってキッチンから去る天山さんは悪魔にしか見えない。
「普通は頼み事ってひとつじゃないのか」
独り言が虚しくて泣きそうになる。




