プロローグ
私は妹の夢をよく見る。
夏の足音が近づいてきたらしく蝉しぐれが煩くて、セミって夜行性じゃないはずなのに夜鳴きをするのだと、このときはじめて知った。
一度目を開けてしまうと、なかなか眠れず、手で耳を塞いでも効果がない。妹と戯れる楽しい夢を邪魔されて布団を蹴飛ばして八つ当たりして上半身を起こし、年寄りくさい深いため息をもらす。
足に何かが当たった。ベッドの下に本が無造作に広がった状態で落ちている。勝手に私のスペース領域に入ってきた妹が、勝手に本を持ってきて勝手に座ってさっきまで読んでいたマンガ本だ。
『彼女がローマ風呂へタイムスリップしてしまいました』という人気マンガで、アニメや実写映画化されている原作。確か女子高生が自宅のバスタブで潜って遊んでいたら、ローマ帝国時代のお風呂へタイムスリップするという内容で、私が読んだのは二年前で妹にあげたものだった。
今更読んでいたの?もしかしたら読み返していたのかもしれないけれど、ちゃんと片づけくらいはしてほしいと姉として嘆く。妹は定期的に部屋を掃除するし、床に放置されている本はきちんと棚に戻すし、整理整頓をさりげなくするタイプで、勉強も得意。姉から見れば完璧な妹で、自慢な妹なわけで、姉の私を反面教師として着実に育っている。
──決してだらしない性格ではないのに、おかしいな?
珍しいこともあるなと、寝落ちする前の状況を思い出してみる。妹は絨毯が敷いてある床に座ってマンガを読み、私はベッドで寝ながらTVの歌番組を見ていた。毎週楽しみにしている歌番組なのだけれど、学校で流行っているボカロの踊りベスト5というコーナーが急にはじまって眠気が襲ってきた。再び目が開いたのは、歌番組のちょうど終わり頃で制作スタッフのテロップが流れていて、私は三十分くらい寝ていたことになる。その間に妹は部屋から出ていったらしく、トイレか飲み物でも取りにいっただけかもしれないと推理した。
内容がわかっているマンガを読めば眠気を誘えるかもしれないし、妹が読みかけの『彼女がローマ風呂へタイムスリップしてしまいました』を手に取り、リモコンでTVの電源を落とす。
そのとき、ドアから生ぬるい風が部屋に侵入してきた。ドアをきっちり閉めていないのが原因で、マンガのことといい妹にしては考えられないミスの連発。私がキッチンのドアを少しでも開けて出ていこうとすると、冷房の電気代がもったいないからと、妹に怒られたことがある。玄関や廊下の間接照明を皆が寝静まってから全て消してくれるしっかり者なのに、今日はどうしたんだろう?
私と妹は一緒の部屋に住んでいるのだけれど、可動式の薄い間仕切壁で半分に分けられているだけで、出入口のドアは一箇所。寝ている可能性にかけて間仕切壁をずらして顔を出して覗くとベッドに妹はいなかった。胸騒ぎがする。なにかあったのかもしれない。家中に響く大声で妹の名前を呼ぶ。けれど、静けさという孤独感だけが壁に反射して返ってくるだけだった。
両親は時々カフェなどで夜のデートを楽しむことがあるから妹も一緒に連れていったのだろうか?それはそれで寂しい気持ちになる。少し寝落ちしただけで、こんなに後悔するなんて……悲劇のヒロインに陥りそうになるのを排除するために首を振って部屋の外に出て家の中を探す。
キッチン、両親の部屋、トイレやバスルームにもいない。嫌な予感がして裏庭のプールにいってみる。オレンジ色のLED照明で照らされている水面にあってはいけないものがプカプカ浮かんで漂っていた。
見覚えのあるパジャマ姿で、最初は人形に見えた。
いや、そう思いたかった。
私の頭の中は一瞬で真っ白になる。