命の狭間
その日の起床も早かった。
乾ききらない寝袋にくるまれて目覚めたわたしの耳に飛びこんできたのは、女性が泣き喚くような風の音だった。
誰かが小屋の壁、扉とのべつまくなしに叩いている、という錯覚と恐怖を覚えたのだが、実際は単純に風雨が小屋を揺すろうとしているに過ぎなかった。
この日の午後に、わたしはこの恐怖などゆるいと思ってしまうほどの悲惨と恐怖、混乱に遭遇するのだが、この時は、なんというか、本能的な恐怖に肩や首が硬直したものだ。
でも……思う。もしかしたらこの声は、あの風雨は、北海道の奥深い自然からの警告だったのではないか、と。
午前5時の出発は強まり続ける雨風のために待機を余儀なくされた。
ガイドのリーダー役の岸田さんはラジオに聞き耳をたて、携帯画面に見入っていた。
ラジオが十勝地方の予報「曇り、昼過ぎから晴れ」と流した時、岸田さんと同じガイド役の伏見さん、森中さんも同時に、ほう、とため息をついた。
安堵の空気が彼らに流れ、やがて小屋全体に波及する。
午後から天候は好転する。ということは、わたし達、年老いた40人の集団は午前さえ凌げば、午後にはニシクルキム山の山頂で、憧れの眺めを眼下に収め、夜には麓の温泉にたどり着けるのだ。
行程を説明するリーダーの岸田さんの声は空港の時と同じく、安心感に溢れていた。
30代半ばの彼は、聴いた話だと2児のお父さんらしい。保育園の保母さんたちからも、人気なのだろうなと思うようなカリスマ性を、この時のわたしは感じていた。隣の西沢さんだって同じだったと思う。
ずぶ濡れの寝袋も、風雨に怯えた目覚めも、登山ツアーの思い出つくりのエッセンスなのだと、わたしは思った。というより、思う他はなかったのだ。この隔絶された自然の中では、40名の高齢者たちは、ガイドの人たちに頼るしかなかったのである。
だから……。
「出発はします。が、ニシクルキム山の登頂は見合わせます。迂回路で下山しましょう」
と岸田さんが言った時は、わたし達は耳を疑った。
男性陣から不満の声があがる。わたしは困惑。女性陣は男性に同調したり、わたしみたいに困惑したりと様々だ。西沢さんは小さく肩をすくめた。
「でも、死んじゃうよりいいかも」
何気ない彼女の一言に、わたしは言い知れない不安が背を上がるのが分かった。それは冷えに近い感覚で……。わたしくらいの年齢だと、縁起でもないと怒るのが筋なのだろうけど、この時のわたしは違った。
なんというか、初めて、現実を認識したのだ。
雨もずぶ濡れの寝袋も、登山ツアーのアクセントで、安全が保証されているわけではない。
ガイドの岸田さんは二児の父。たくましい。
背の高い伏見さんも、ずんぐりむっくりの森中さんも、良い人たちだけど、自然はそんな事はおかまいなしなのだ。
そして、わたし達は、隔絶された大自然の中の、古ぼけた小屋に『取り残されている』。
「僕たちの仕事は山に登ることじゃなく、皆さんを無事山から下すことです」
岸田さんの声が響き、小屋は静まりかえった。
風雨の声だけが存在を強める。
結局それ以上の異議はツアー客からあがらずに、避難小屋を出発。
10分ほどして登山道を雪が覆いはじめた。
雪渓に至ったのだ。ツアーのパンフレットにもあった渓谷。万年雪の渓谷も、わたしがこのツアーを選んだ理由だったが、至るとその高揚はすぐに消えてしまった。
雨と明け方の闇に沈黙するその灰色の谷は、わたし達の行く手を阻むものに過ぎなかったからだ。
渓谷の斜面、その傾斜はきつく、アイゼンというカンジキというか、スパイクににた用具を靴に装着する必要があったが、わたしはこれに不慣れで、時間がかかってしまった。
雨と風の中でわたしを待つ面々の視線は厳しく、肩身は狭くなるばかりだが、西沢さんが
「大丈夫よ。焦って外れちゃって滑って大怪我とかよりもね。ちょっと時間がかかる位があたしも安心」
と言ってくれたのだ救いだった。
わたしの装着を確認後、一行は渓谷を進み始める。
遅れをもたらしたのが申し訳ない、というよりむしろムキになって、わたしは手足を大きく動かした。
「急ぎすぎると危ないですよ」
と、岸田さんから注意を頂き、落ち込みつつも、雪の渓谷を通過。
そう、通過自体はスムーズだったのだ。
でもこの後に事故が頻発した。何人もの人が転倒し、膝や腕を打撲したのだ。
これはこの渓谷が、山と山を馬の鞍のようにつなぐ地点であったためだ。
西から吹いてくる風に沿うように、この鞍は伸びている。鞍を載せた馬が受ける以上の強風を、わたしたちは受け続けた。
進めば進むほどに強くなる風。雪から覗き始めた足元の岩はどれも大きい。
この大きな岩をのぼりおりする時に限って、足元からすくい上げるような風が吹く。
わたしもよろめくが、西沢さんが手を掴んでくれて、難を逃れた。
高齢者たちにとって、打撲は痛い。特に、登山ツアーに応募するだけあって、わたしも含めて皆さん痩身である。ふっくらとしているのは西沢さんくらいだ。
つまり脂肪のクッションがない。転倒の衝撃に弱いのだ。わたし達はまぎれもない老人なのである。
この老人たちの世話のために、誰かが転ぶたびに、40人の集団はいちいち止まった。
この日の風速は20 - 25 m/秒と聞いている。台風並みだ。
岸田さんはこの台風の中で、先頭から叫ぶ。
「風が強く吹いたらとにかくしゃがんでくださいっ!!」
必死に張り上げる声は、渓谷を加速する風にきえていく。
「避難小屋……いかないのかしら」
ぽつりと漏らす西沢さんの声が、何故かはっきりとわたしの鼓膜に届く。
「どういうこと?」
必死に体勢を維持し、岩をのぼりくだりしていた足を、わたしは止めた。
西沢さんの手を取って、下りるのを手伝いながら、風の中で訊く。
「地図、頭にいれておいたの。エスケープルートがあるはず。避難小屋に一泊って形になるけど、色々大騒ぎになるけど、でも……」
風の音と圧力が、一瞬世界から消えた気がした。
「止まらないで下さい!! 後ろがつかえています」
岸田さんの怒鳴り声が響く。
わたしは我に返った。
「素人の話。忘れて」
西沢さんは小さく首をすくめ、風にバランスを崩し転びかける。
彼女の体を何とか受け止め、抱き締めつつ、わたしは
「うん。頑張りましょう」
とかすれた声で言った。
そう。この時はまだ、頑張れていたのだ。
結局、この強風の中を3時間下る形で、わたし達は溶岩石地帯に到着した。
通常は一時間半だから、2倍の時間がかかったことになる。
が、何はともあれ、目的地の1つには到達したのだ。
こみ上げる達成感は、強まる風雨に立ち消えてしまった。
遥か昔、幼少時の公園の景色を思わせるこの一帯は、のざらしの溶岩石はどれも巨大だった。
多分、天候さえ良ければ、ここには極上の異世界感が満ちていたと思われる。
でも実際は、それはただの壁だった。
強まる雨風は岩石を縫って行進するわたし達に容赦なく打ちつけたし、壁となった岩石の横を抜けた途端、全身を打つように吹き付けてくるのだ。
もちろんナキウサギなど確認はできなかったし、探す余裕もない。
ウサギの鳴き声など聴こえない。
代わりに後方で悲鳴のような声があがった。
男性の悲鳴だ。
「無理だ!!」
「「落ち着いてください!!」」
最後尾を見守る森中さんと、わたしの前の岸田さんが同時に叫んだ。
この叫びを皮切りに、座り込む人が出始めた。
誰かがへたりこむと、その後ろを行進していた人が、アサっての方向に歩き出す。
そして、溶岩石が冷えてできた台地に座り込むのだ。
そのたびに行進は止まる。
わたしは地に列を作る蟻たちを貴いと思った。
彼らは止まらない。
……それでも、この集団は溶岩の地帯を抜けた。
沢状の窪地で風を避け休憩。エネルギー補給のブロックを魔法瓶のお湯で流し込む。
「美味しいね」
「うん」
西沢さんの言葉にうなずきつつも、わたしの脳裏から不安が晴れない。
不安は、不信ともいう。
雨は止まない。お湯だけが温かい。
避難小屋がある。向かえば泊まれる。
『予定を変更します。避難します』
と岸田さんが言ってくれれば、この不安は無くなるのに、と思いつつ、ちらちらと彼の顔を盗み見するが、結局そういう言葉を聴く事はできなかった。
「行きましょう。登頂ルートからは外れました。上り下りはありますが、後は一本道です」
代わりに、彼のこういう言葉が風に呑み込まれた。
小休憩は彼の合図と共に終わり、立ち上がろうとして、よろめく。
足に力が入らない。とんでもなく、四肢が冷えているのだ。
どうやら、休憩時に体が休眠モードに入ってしまったらしい。
手足をさすりつつ、立ち上がる。
横を見ると、西沢さんもよろめいていた。わたしだけではない事に安心する。
道は緩いのぼりとなった。
ここをしばらく進むと、上の広い平らな場所に出て、視界が開けたが、目を開けていられない。
風がいっそう強くなったからだ。
それでもわたしたちは進む。
一本道。これがとにかく希望を与えた。
けれど……。
6時間歩いた果てに、それを目の当たりにして、全員が息を呑んだ。
下山のための路は川に切断されていた。
だいぶ下ったと思う。斜面の上方にはニシクルキム山とは別の山頂があり、そのすぐ下には水をたたえる沼があった。その沼が、降り続く豪雨に溢れたのだ。
包丁で切った指から、血の雫が流れるように、雨は筋を作って、どことも知れぬ奈落に注いでいた。
陽は上がって久しかったが、降りしきる雨のために山林は煙るように暗く、ただ……。
ただ、川だけがわたし達を塞いでいた。
「見てみますね」
岸田さんが動いた。
幅2mの川に進みいると、膝までが消えた。
「流れは急ではありません。渡れます。渡りましょう」
皆で顔を見合わせる。安堵。
岸田さんがわたしに手を差し伸べる。
「東原さん。第一陣、お願いします」
わたしはちらりと西沢さんを見た。
すると彼女は、うなずく。
「わたしもすぐに渡るわ」
そうだ。どうせ、全員渡らねばならないのだ。
川の中に立つ岸田さんの手を取る。足を流れに入れると、さっそくよろけた。
が、岸田さんが支えてくれたおかげで、なんとか踏みとどまる。
膝から下が流れるような異物感に浸されて、足の感覚がなくなった。が、とにかく必死に筋肉を動かす。前へ。川の先へ。
2mの川を渡りきると、緊張の糸が切れて、雨にぬかるんだ路にへたり込んだ。
西沢さんがおっかなびっくり渡ってくるのを眺めながら、ああ、足が冷たいと思う。
気がつけば下半身がずぶ濡れだ。
ヤッケの隙間から侵入してきた風雨で、わたし達はずぶ濡れだった。
が、ぐっしょりと下半身が浸されるのとはまた別だと思い知らされる。
熱の奪われ方が違うのだ。氷水に太もも、ふくらはぎが包まれ続ける感覚。
何より、ズボンがとても重くなった。心も……。
でも、とりあえず靴を脱いで、水を抜くが、いつまでもそれは底から出て行ってはくれなかった。
……この渡河に随分と時間がかかる。
雨に濡れたわたし達は、川のおかげで腰から下がずぶ濡れだ。
最後の1人『無理だ』と叫んだ男性を渡し終えた時……。
岸田さんの表情が緩んだ。
安心したのだろう。
そのまま川の半ばからこちらに上がろうとして、彼の身体は斜めに崩れ、水に沈んだ。
あがる悲鳴。
伏見さんと森中さんがあわてて川に入り、岸田さんを助け起こし、難なきを得たが、このせいで彼は全身がぬれぼそった状態になった。
しかしここにいつまでも留まり震え続けるわけにもいかないので、わたし達は歩き始める。
と、5分ほど歩いた所で、少し後ろから悲鳴があがった。
女性の声。ぎょっとしつつ、西沢さんと共に振り返ると、彼女の足元には、茶色いとしゃ物。
あまりちゃんとは話していないけれど、たしかわたしよりも何歳か年下の方だ。
瞳がキラキラしている。うっとりというか。大きく見開いた瞼から、赤ちゃんみたいな無垢な瞳があらわれて、高音の声をあげている。
「落ち着いて下さい。大丈夫ですから。落ち着いて下さい」
多分、だけど。
川を渡る前なら、岸田さんの声には安心感があった。
どんなに風雨が強くても、それが掻き消えても。
それでも、わたし達の耳には、その安心感は胸に火を灯したはずだ。
が、この時、逆に不安はふきすさぶ風と共に加速した。
岸田さんの声が震えていたからだ。
全身を浸した川の水は彼から去らず、声からも覇気を奪う。
それでも行進は再開。でもすぐに、別の女性が歩けなくなった。ずぶ濡れが効果を発揮している。
寒いというよりも、奪われるのだ。
熱が。ぬくもりが、体から消えていく。
わたしは厚着の服を宿泊所においてきた事を後悔した。
体が岸田さんほどずぶ濡れではない森中さん、伏見さんたちが、懸命に体をさする。
彼女の名前を呼ぶ。
「大丈夫ですか」
「下れば麓につきます」
「頑張ってください」
絶え間ない説得。
……でも、わたしを含めた40人の人だかりの真ん中で、彼女は白目をむいて、声にも応じなくなっていった。
とうとう。
本当にとうとう。1人……。
でも、声かけは続く。岸田さんも森中さんも、伏見さんも必死だ。
でも彼女の意識は戻らないし、風も雨も止まない。
腰から下はぐしょぬれ。
「避難所。行けなくなっちゃったね」
ぽつりと西沢さんが言った。
彼女の視線は、川の向こうに投げられていた。
こうして腕時計の針は昼を回った。
皆座り込んでいる。
72歳の方を中心に、男性陣が立ち上がって、わたしたちを囲んで、風よけを作ってくれた。
彼らは交互に壁となり、折を見て座る。
火を起こせたら良いのにと思ったが、燃料になるものは無かった。
風も強い。
この風に、
「寒い、寒い」
という叫び声が混じる。
初日の白雲荘では品の良い笑顔で気さくに色んな人に話しかけていた彼女。
その彼女の声が酷く不快だ。
彼女をなだめていた72歳の男性が、不意に立ち上がった。
意識の無い女性にぴたりと寄り続けるガイドさんたちに詰め寄る。
「これは遭難だっ! 救援を要請しろ!」
怒鳴り声が山に響いた。
彼の手は岸田さんの胸倉をつかんでいた。が、岸田さんは無言。ただ、相変わらずぬれぼそった髪と顎の先が細かく震えている。
……結局ガイドさんたちは小型の簡易テントを設営。
森中さんが、白目で昏睡を続ける女性に付き添うために残ることになった。
そしてわたしたち一行は先に進む。
ほどなく別の女性が意識不明に陥った。
ここで岩陰を探してテントを設営。
すると別の女性2人も歩けなくなり、ぬかるんだ地面にへたりこむ。
みんな心の糸がぶちぶちと切れ始めている。
そして、それは連鎖する。糸ではない。布だ。わたし達は縦やら横やらの糸になり、登山という共通の目的意識を持って、1つの強固な何かになっていたのだ。
が、布に小さく鋏を入れ引きちぎるように、山は、風は、雨は、そして川という現実は、集団から、具体的な意識を奪っていった。
結局、この女性2人と無理だと叫んだ男性客、ガイドの伏見さんの計5人がこの場で緊急野営をすることとなった。
「救助の要請をしろ!!」
誰かが叫んだ。
が、岸田さんは答えるかわりに、
「行きましょう」
と震えた声で言った。
何か壮絶な声だった。死を帯びたような、不吉な声だった。
全員が黙り込み、ばらばらと岸田さんの後を追い始めた。
「でも……ついてくしかない、よね」
西沢さんがそう言って、路にたちすくんでいたわたしの手を引いてくれた。
とにもかくにも、わたしたちは懸命に歩き始めた。
すぐに先頭の岸田さんに追いつく。
小さく振り返ると、視界に確認できる人数はこの時点で10人に減っていた。
が、人数が少なくなったからだろうか。
岸田さんは後ろを振り返ることがすくなくなった。
ただ、歩く足は速い。
山を迂回する道は平坦だけど長い。
わたしたち老人は、30代の岸田さんについていくのに精一杯だ。
結局、必死でついていくわたしと西沢さん。
わたしたちの後ろの男女、そのさらに後ろとは、かなりの距離が開くことになった。
……15時頃、わたし達は開けた台地に到着。
標高も大分下がってきた。が、植生が繁雑を増してきたので、一抹の不安を覚える。
岸田さんからはぐれて迷ったら……。
西沢さんと共に途方に暮れる。
その場合、引き返すしかない。
でも、雨で曇った空から、陽は失われかけている。
夜が迫っているのだ。
「写真、いいですか」
岸田さんに声をかける。
ルートを示す看板が、台地を囲む森の端にぽつんとあった。
写真に残しておけば、迷っても路を探す事ができる。
それにもし……何かあっても、記録を遺したい。
それは、西沢さんと共に、とわたしは思ったから声をかけたのだが、岸田さんには思いっきり無視をきめこまれた。
というより、彼の視界にわたしたちはいなかった。
風と雨は収まってきていて、なんというか、同じように、彼のわたしたちに対する関心も、希薄になった気がした。
仕方が無いので、西沢さんと自撮りをする。
何故かこんな時にもピースサインが出てしまう。習慣とは恐ろしい。
後続をまたずして、岸田さんが歩き始めたので、後ろにつき従う。
10分ほど3人で進んだところで、岸田さんが座り込んだ。
わたしは顔を覗きこむ。
「岸田さん?」
返事がない。
でも、瞼は開いている。
けれど、その奥の瞳は……どこも見ていない。
わたしと西沢さんは交互に彼を呼びかける。
森中さんと伏見さんがしていたみたいに、彼の濡れぼそった衣服をさする。
が、瞳に光は戻らない。
だだ、虚無だけが増していく。
「起きてっ! 子供もいるんでしょっ!」
わたしの手が自然に岸田さんの頬を張る。
でも、……抵抗がない。くにゃりとして。
意志がない。痛みに対する抵抗すら、岸田さんから失われている。
わたしは絶望した。
あたりはもう暗くなり始めている。
西沢さんがため息をついた。
「この人も、あたしたちも、……もう……」
携帯がなった。
酷く陽気な、善意に満ちたメロディー。
サウンド・オブ・ミュージックの主題歌。
かじかむ手で衣服の内側から取り出す。
番号は伴侶のものだった。
「房子? そっちはどう……」
「助けて」
「え」
「お願い、助けて。あたしたち、遭難しているの」
必死に訴えたいのに、何故か喉から出てくる声は、消え入るような感じで。でも、必死に訴える。
伴侶の助言とおりに、110番通報。
警察の方に、岸田さんに代わるように頼まれたが、彼の意識は混濁していて、もう疎通は困難だった。
でも、彼の代理で、とにかく道筋を伝えて、切ると、岸田さんが横に崩れた。
「岸田さん」
「起きて。死んじゃうわよっ!!」
西沢さんが彼の耳元で叫ぶ。わたしも励ます。
ぴくりと彼のつむじが震えた。
「起きて!!」
わたしは叫ぶ。
どこにこんな力がのこされていたのか。
分からないけど、とにかく、叫ぶ。
けれどすぐに、岸田さんから力は喪われる。
でも、わたしたちは励ましを続ける。
これは後から考えれば空虚な時間だった。
40分以上の励ましの間に、陽は落ちて、風は止み、……代わりに、雪が降ってきたからだ。
「責任も取らないで!!」
雪と共に、西沢さんは立ち上がり、叫んだ。
「東原さん。行こう。わたし達で、山を下りよう」
西沢さんの手が差し伸べられる。
わたしは一度、もう光が完全に喪われた岸田さんを見て、視線を彼から切り、西沢さんの手を取った。
音も無く降り始めた雪は、やがて猛烈な吹雪と変わったが、幸いだったのは東風だったことだ。
つまり、風はわたし達の体温を奪い続けたが、同時に後ろから吹きつけて、背も押し続けてくれた。
でも、雪はやまない。
あっという間に足首が埋まるほどに、積る。
西沢さんとわたしは励ましあいながら、雪の中を進む。路は屈曲を繰り返し、どこまで下りているのかは分からないが、一本道だ。とにかく、進めば下りれるのだ。
が、カーブを進みきった時に、斜面が壁となって風がやんだ。
気が一瞬抜けて、限界がきた。
わたしの膝が崩れ、雪に埋まる。
ささえようとして、西沢さんも、雪にへたりこんだ。
「ごめんなさい、ね。西沢さん」
「大丈夫よ。というより。わたし達って、おばあちゃんなのよね」
今更ながらの言葉に笑ってしまった。
この間も、肩に頭に、雪は積もっていく。
わたしは彼女の雪をはらってあげた。
彼女もはらってくれる。
「今ね、後悔してるの」
「ツアー来た事?」
首を小さく傾げる西沢さんに、わたしは苦笑をする。
「ううん。人生最後の写真が、ピースサインとか、なんかかっこ悪いじゃない」
「かっこいいよ。悪いなんていう奴には、化けてでてやりゃいいんだわ」
泰然と言う西沢さんに、わたしは笑った。
「何してるんだ。あんたたちは」
低い声の方向を見ると、72歳さん。
「もう、動けなくて」
「動け。立て。そこの角を曲がったら、登山口だ」
72歳さんの言葉は本当だった。
彼は地図をたよりに独り歩いてきて、雪に埋もれつつあるわたし達を発見した。
彼に無理やり立ち上がらせられて、登山口まで至った時に……わたしと西沢さんは抱きあい、膝から力が抜けたまま、雪に崩れて、泣きじゃくった。
……以上が、この登山ツアーの一部始終だ。
季節よりもかなりはやい雪の中、下山に至ったのは、わたしと西沢さん、72歳さんと後2人。
残りの5人は雪に埋もれて死亡した。
森中さんたちがみていた女性たちはみんな死亡。
自衛隊のヘリが発見した時、森中さん本人も仮死状態だったが、搬送先で蘇生。でも、意識は現在に至るまで戻ってはいない。
伏見さんが受け持った方々も大半が死亡。彼自身も発見時は凍傷で意識が混濁していたが、搬送先で回復。ガイドを続けている。
岸田さんは、……死亡。
他の遭難者と同じく、やっぱり、雪山に同化するみたいに、白く埋もれていたそうだ。
彼を含めたガイドさん達に対する風当たりは強い。3人もいて、何故こんな悲惨な事態を招いたのか。
エスケープルートを選択すれば済む話だったのではないか。でも、そういった云々は結果論に過ぎない。
彼らの仕事はわたし達を無事に、かつ、お金をかけずに穏便に、山から帰す事だった。
ガイドの仕事はボランティアではない。お金がかかっているのだ。エスケープルートの使用はホテルのキャンセル、救難の要請による費用などの損害を、彼らの会社に与えてしまう。
だから岸田さんたちは老人達40人よりもお金を優先した。結果、遭難事故を招いたのだが、不思議と彼らを恨む気にはなれない。
だって、恨むにも、一番の責任者である岸田さんは、亡くなってしまったのだから……。
西沢さんとは住所を交換しあい、年賀状のやりとりをする仲である。
この前、意外と近い市に住んでいた72歳さんがお亡くなりになり、葬式に参列をしたら、久しぶりに顔を合わせた。
見違えるほどやせていた。
山はこりごりだという事で、水中歩行に切り替えたらしい。
映画も高校生が水泳をする青春ものにはまっているという。
で、わたしはというと。
登山を続けている。
登るのは主に、標高300mに満たない小さな山だ。
これは、上手く言えないけれど、整理をつけるためだ。
特に、下山のとき、わたしは整理のために考え込む。
色々な出来事が脳裏をかすめる。
岸田さんの声。瞳。山の雨と風。2mの川。そして、雪。
まだ、整理がつかない。が、おばあちゃんなわたしはとにかく、あの死の、というより、生も死も全く関心のない自然の中を、歩き続けたのだ。
歩く形で、走っていたのだ。
何を間違えても、どこを踏み間違えても、わたしたちはあの雪山に同化して、命はニシクルキム山、雲の場所に吸い込まれていたはずだ。それは、生の狭間。
40名中、生き残った20名は全員、そう考えているはずだ。
と、思いつつ、やっぱり思考はあの山に、あの雪の空間に飛ぶ。
もしかしたら、これは夢かもしれないとも思う。
全ては夢で、本当はわたしは西沢さんと抱きあって、雪に埋もれて冷たくなる最中なのかもしれない。
そう思うと、わたしの足は自然と止まるが、そんな時はまず腕をさする。
岸田さんをさすったのと同じ腕だ。さっか熱を感じつつ、わたしは息を吸う。
それから、下りの山路を歩き出す。
路は我が家に続いている。