現実はそう上手くはいかない
俺は寝れずにいた。
明日はいよいよ恋人になってからの初デートだ。
彼女のエスコートの仕方は既に予習済みだ。
頭の中でそれらを復唱していたら寝るタイミングを失ってしまった。
私は寝られずにいた。
明日はいよいよ恋人として遊ぶ。私にとっては初デートだ。
そんなことを考えていると恥ずかしくなる。
そして、優くんが愛おしくなる。
そのたびに抱き枕を強く抱きしめる。
「ああ、ダメだ...好きすぎる。」
気が付くと朝日が昇っていた。
結局、俺は一睡も出来なかった。
待ち合わせ時間は午後の三時なので余裕があると言えば余裕がある。
まだ大丈夫か...そう思うと急に眠気が襲ってきた。
大きなアラーム音と共に目が覚める。
午前十一時。待ち合わせ時間まで余裕がある。
ベッドから起き上がりシャワーを浴びにいく。さっぱりすると予め用意していた私服に着替える。
さっと髪を乾かし、ヘアバンドで止める。
そして家を飛び出した。
「いらっしゃいませ。」
と店員さんの大きな声で迎え入れられる。
「こちらへ、どうぞ。」
と私は案内された席へ向かう。
「本日は?」
席に座ったのを確認すると聞いてくる。
「今日はこんな感じで!」
携帯を見せる。
「おお!」
驚いていた。
それはそうだろう。いつもの髪型ではないのだから。
ここは私の行きつけの美容室。私が中学生の時から通っている。
私を担当してくれる人は決まっている。高木さんという。話し上手で人を褒めるのが上手い。最初に担当してくれた時から気に入ってずっと彼に切ってもらっている。
世間話や身の上話をして盛り上がっていた。
「そう言えば最近、山吹さんよく笑うようになったよね。」
彼はそんな些細な変化にも気が付いてくれる。
「彼氏できたとか?」
「そうなんです。」
鏡を見ると顔が赤くなっていた。恥ずかしい。
そんな私を見て高木さんが笑っていた。
それから一時間くらい経過した。
「よし、出来たよ。」
鏡に映る私はまるで別人だった。気に入ってくれるかな。
そんな不安な気持ちが顔に出ていたのか高木さんが言う。
「大丈夫さ。にあ...いや、なんでもない。最初に僕が言うのも悲しいだろう。」
高木さんの優しさなのだろうか。
でも、言ってくれた方が勇気出るし嬉しいのになと思う。
「ありがとうございました。」
「また来てくださいね!頑張ってね!!」
会計を済ますと私は美容室を出た。
さっきより風を感じられて凄く気持ちいい。それに頭が軽い。
家に帰り待ち合わせ時間に間に合うように身支度をする。
目が覚めた。時計を確認すると午後一時を過ぎていた。
どうも最近、生活リズムが崩れている。早急に直さなければ、と思いながら一階に降りる。
少しででも睡眠を取ったおかげか身体がだいぶ楽だった。体調もそんなに悪くない。ただ眠いだけだ。
一階には誰もいなかった。妹は予備校だろう。...母さんは知らない。
食卓の上に置かれているおにぎりを口にする。寝起きのせいか喉が通らない。無理にお茶で流し込む。
それから身支度をしていると二時を過ぎていた。少し早い気もするが家を出た。
髪型や化粧、服の皺のチェックなどをしていたら二時を過ぎてしまった。
私は急いで家を出る準備をする。
「お気をつけてくださいね。」
そんな慌てた様子の私を見て心配になったのか使用人が声を掛けてくれた。
「いってきます。」
と大きな声で挨拶をする。
「いってらっしゃいませ。」
と使用人が深くお辞儀をする。
いつもの分かれ道に差し掛かった時だった。
山吹であるような、ではないような人が歩いているのを見かけた。
俺は歩みを止める。じーっと目を凝らして見ると山吹だった。
俺はその場に立ち止まり山吹が合流するのを待つ。
少し早歩きで歩く。待ち合わせ時間までにはまだ余裕がある。そんなのは分かっている。
でも家でじっとしていられなかった。
恋人としての初デートだと思うと居ても立っても居られない。
すると分かれ道の端に一人の男性が立って、こちらを見ているのに気が付いた。
誰だろうと思い少しペースを落とし目を凝らす。
すぐに優くんだってことに気が付いた。その瞬間ペースを上げた。
山吹がどんどん近づいてくる。
俺は驚きを隠せなかった。腰ら辺まで伸びていた髪が肩くらいの長さになっていたからだ。
凄く似合っていた。また、ヘアバンドがさらにその良さを引き立てる。
「お待たせっ!」
と合流したのと同時に声を掛けてくる。俺は山吹の方に目をやれずに地面を見つめたまま返事をする。
「ああ。」
正直な話、目のやり場に困っていた。
いつもより可愛いし、綺麗だからだ。それに露出が多い。上はノースリーブで肩が露わになっている。
下はミニスカートで、細長くて細い綺麗な足が露わになっていた。
私は、髪切ったこと気が付いてくれるかな?思い切って背伸びをした服装をどう思ってくれるかな?などと感想を楽しみにしながら歩いていた。
そして、合流した私は元気よく挨拶をした。意図的ではない。彼を見ると自然とそうなってしまうのだ。
「お待たせっ!」
なぜか優くんは目を合わせるどころか私のことを見向きもしない。
やっぱり、少し派手にやりすぎてしまったのかなと後悔する。
...妹キャラが好きって聞いたから妹っぽい感じにしたのになぁ
チラッと山吹の表情を確認した。
すると少し悲しそうな、寂しそうな表情をしていた。
おそらく俺が原因だろう。言わなければ。褒めなければ。
書いてあっただろう?
相手の服装や化粧を褒めることが大事だと。そこから始まると。
でも、勇気が出ない。
あれほど鏡に向かって練習していたのに。口にすることが出来ない。
...綺麗。...可愛い。
たかが三文字の言葉なのに...
服装もダメ。髪型もダメ。
なら私に残された最後の手段は呼び方、話し方だけだ。
鏡に向かって沢山練習した。
よし...何故か声にならない。
喉に何かが詰まっている、そんな感じだ。
あれほど練習したのに...言えるようになったのに。優くんを目の前にすると言えない。
俺たち、私たちは、五分ほど無言のままその場で立ち尽くしていた。
俺は勇気を振り絞って言う。
「...い、良いと思う。」
私は勇気を振り絞って言う。
「...あ、ありがとう。ゆ、優斗くん。」
俺にとって、私にとって、これが限界だ。
現実はそう上手くはいかない。