お祭り編 後半
「...くっそ。」
山吹とはぐれてから十分が経とうとしていた。
花火が打ち上がるまで約十分。それまでに山吹と合流し、花火の見える位置まで移動時間しなくてはならない。
そう考えると残された時間はほぼない。
焦りすぎて冷静な判断が出来なくなっていた。だから俺は今もこうして同じところをひたすら探している。
山吹も同じように回っていたとしたら、すれ違いになってしまっているかもしれない。
そうだとしたら最悪だ。何よりも人が多いため、全てのすれ違う人たちの顔を確認するのは非常に困難であった。気が付かないうちにすれ違っていたことも十分に考えられる。
一か所に留まるか...
でも、山吹がここへ来る保証はない。
だとしたら何が最善の策なんだろうか。
山吹ならどうする。電話は繋がらない...人が多い、この状況で...
「...もしかして。」
俺はある場所へ目掛けて走り出した。
肩と肩がぶつかる。すみません、と何度謝ったことか。
そんなことは気にしていられない。たぶん、残り時間は三分あるかどうかだ...
「...間に合ってくれ。」
目的の地に着いた。先ほどと比べて雰囲気が異なっていた。前に来た時のように静まり返っていた。
残り一分を切っていた。
待ち合わせの場所を探すがいない。
「...くそっ。」
やっぱり違ったのだろうか。ここではなかったのだろうか。
俺は最後の望みをかけて階段を上がる。ここまで既に走ってきた。だから、この階段を全力で駆け上がるのはきつい。
それでも俺は...
階段を登りきると山吹が立っていた。
「...はぁ、はぁ、や、山吹...。」
息を切らしながら彼女の名前を呼ぶ。
「...楓馬くん...ごめんね。」
今にも泣きそうな声で謝る。
「...間に合って、良かった。」
「...え?」
ヒュー、ドンと花火の打ち上がる音が響く。
少しの間、辺りが明るくなる。赤くなったり黄色くなったり青くなったり...その色は様々だ。
「...綺麗。」
と山吹が囁く。
花火を見上げる山吹の横顔を見る。彼女の顔が何色にも染まる。その度に思い出す。
山吹とは色々なことがあった。
彼女との出会いは入学式。入学式当日に、友達になってくれ、と言われたのが最初の出会いだった。
いまになって思い返してみると、あのとき俺は山吹に一目惚れしたんだと思う。
最初は変な奴だなと思っていた。
宿泊研修の班長会議で話す機会ができた。それからメールのやり取りをしたり、一緒に帰宅するようになった。そのころから俺は山吹に違和感を感じ始めていた。
宿泊研修では俺の班と山吹の班が喧嘩をした。それから俺たちは口を利かなくなった。メールもしなくなった。
だが、文化祭でのことだった。山吹が自殺しようとする。正義感に駆られた俺は山吹を臭い台詞で説得をし自殺を防いだ。それからは同じ部活で同じ時間を過ごすようになった。
実際に関わり合ったのは短い期間だった。
この短い期間で、喜び、幸せ、悲しみ、怒り、苦しみ、あらゆるものを分かち合った。時に衝突し喧嘩をすることもあった。お互いに本音をぶつけ合ったことだってある。その短い期間に一年分くらいの思い出が凝縮していた。
だから、こんな短時間で俺はこんなにも山吹に惹かれたのだろうか。
自分でも山吹を好きになった理由はない。いや、分からない。
でも、これだけは自信持って言える。
「...俺は山吹のことが好きだ。」
ゆっくりとこちらを見る。
驚いていたり、喜んでいたり、悲しんでいる様子もなかった。
ただ、ただ、泣いていた。
「..山吹?」
俺は心配になり名前を呼ぶ。
これは、どっちの反応なんだろうか。俺はどうすれば...
「...ごめんね。」
山吹が言う。
その瞬間、俺の頭の中が真っ白になった。俺の身体だけがこことは違う異空間に切り取られたような感覚だった。
花火の音、人々の歓声、自分の鼓動。それさえ何も聞こえない。
蒸し暑い空気、絶望感さえ何も感じない。
ただ、そこにあるの虚無感だけだ。
「...ごめんね。ごめんね。」
謝るたびに涙を流す。
もう何度謝ったのだろうか。
そして、なぜ謝っているのだろうか。
「...山吹。もういいよ。」
俺は自分から初めて自分で終わらせようとした。
「...違うの。」
否定する。
何が違うと言うのだ。
「...嬉しいのに、なんでかな、涙が、止まらないの...。」
そう途切れ途切れではあるが、はっきりと言う。
山吹が答えを出すまで、黙って話を聞くことにした。
いま、俺が何か言ったところで何も変わらないし、余計に話をややこしくするだけだ。
「。...楓馬くんに、好きって、言われたとき、最初は、ビックリした...とても嬉しかった。
...でも、同時に、涙が、止まらなくなったの...だから、せっかく好きって、言って、くれたのに、申し訳ないな、って思って、謝っていたの...。」
泣きながらでも頑張って気持ちを伝えようとしているのが伝わってくる。
「...山吹。」
俺は山吹を抱き寄せる。
その瞬間より一層、山吹が泣く。
花火の音が彼女の嗚咽を搔き消す。俺は彼女が泣き止むまで、ただじっと花火を見上げていた。
どのくらい時間が経過したのだろうか、山吹の方を見ると泣き止んでいる様子だった。
俺はそっと離れようとするが、山吹が離してくれない。
「...もう少しだけ、このままで、いさせて。」
どうやら泣き止んではいるようだ。
だが、まだ完全には落ち着いていないらしい。
「...恥ずかしいから、このままで聞いて。」
本当の目的はそっちだったらしい。
「...私も楓馬くんのことが好きだった。」
好きだった...?過去形...?
「...んん、今でも好き。でも、私は楓馬くんのことを好きなって良いのかな、って心のどこかで感じてしまうことがあるの...。その資格があるのかなって。」
「...山吹。」
「...だから、私から言わせて。」
そう言うと自ら離れていく。
二、三歩、後ろへ下がる。
大きく深呼吸をして言う。
「...とても弱くて、泣き虫で、めんどくさくい女の子です。
...きっと、あなたに沢山の迷惑をかけるでしょう。
...きっと、あなたに沢山の苦労をかけるでしょう。
...きっと、あなたに沢山の心配をかけるでしょう。
...それでも、こんな私を好きでいてくれますか...?」
それはもう既に分かりきっていることなんだよ。
山吹はか弱くて、泣き虫で、めんどくさい奴だ。
お前にどれだけの迷惑や苦労、心配をしたか分からない。
それでも俺は...
「...そんな君が好き。」
と言える。
「...ありがとう。私も好きです。」
その瞬間、山吹が俺の前まで来て背伸びをした。
唇に柔らかい感触があった。柔らかくて仄かに温かい。そして漂う甘い香り。
ああ、俺は山吹とキスをしたんだなと実感する。
「...キスしちゃったね。」
と恥ずかしがりながら笑う。
俺は何も答えらなかった。ただ頷くことしかできない。
それからは恥ずかしさのあまり、お互いに無言のまま花火を眺めていた。
花火が終わり、俺たちは帰ろうとする。
立ち上がって歩き始めようとしたら、後ろからシャツの端を引っ張られた。
山吹が下を俯いてこう言う。
「...そ、そのさっきみたいに逸れたら困るから...そ、その。」
言わなくても分かる。
俺は黙って手を握ってあげた。
手汗、など考える余裕もない。俺に出来るのはそれで精一杯だった。
手を繋ぎながら彼女の家の前まで送った。
こうして俺たちは付き合い始めることとなった。
七月三十一日。それが俺たちの記念すべき日だ。