好きな人は特別な存在である。
俺は後悔していた。
どうして、あの時に伝えなかったのだろうか。
きっと、そうすれば今こうして苦しむ必要もなかったのに。
結局のところ俺は俺のことしか考えていなかった、ということだ。
なんて愚かで最低な兄なんだ。
それから二日後。今日は山吹との予定がある。
優菜のことがあるので断ろとも考えたが、山吹自身は関係ない話なので可哀想だと思った。
それと優菜にも山吹さんのデートには行ってあげてね、と言われたこともあって断ることはしなかった。
なぜ知っているのかは追求しなかった。というより出来なかった。
待ち合わせ場所へ俺は向かった。どうも乗り気にはなれなかった。足取りが重い。
五分遅れくらいで着いた。そこには既に山吹の姿があった。
上は白のノースリーブ、下はデニムスカートだった。普段より綺麗だった。薄く化粧でもしているのだろうか。
片手には何か袋を持っていた。何処かで買い物をしてきたのだろうか。
俺を見つけると笑顔で小さく手を振ってくれた。
そんな山吹を見ると元気が戻ってくるような感じがした。
ああ、好きなんだなと俺は実感する。
「待たせたな。ごめん。」
と謝る。
「うんん、大丈夫だよ。私もいま来たばかりだから。」
きっと、彼女は嘘ついている。
なぜなら、首元に汗をかいていたからだ。この炎天下の中、先に来て待っていたんだろう。
俺はなんて最低な男なんだと改めて実感する。
どうやら行く宛は決まっているらしく案内してくれた。
辿り着いた場所は神社だった。
「え、ここ...?」
と俺は思わず聞いてしまう。
「うん、そうだよ。」
と答えてくれた。彼女の言葉には迷いがなかった。だから迷った、ということはないらしい。
最初から神社に来るつもりだったようだ。
「ここはね、仲直りの神社って言われているの。」
「仲直り...?」
俺たちは神社の階段を登りながら話す。
山吹は速いペースで登っていく。
俺は一歩ずつ、ゆっくりと、登る。
「そう。例えば、喧嘩した恋人とか夫婦。あと...兄妹とか。」
なぜか強調するように最後に言う。
「そう言った人達が、ここで二人一緒にお参りするとね...仲直りできるんだって。」
最後の一段を登りきったと同時に俺の方を振り返りこう言った。
「私、知っているよ。」
「...なにを?」
聞くまでもないだろう。仲直り、兄妹。
山吹は最初から知っていた。俺が優菜に告白され、その答えを出さず、いや、伝えずにいることを。
「優菜ちゃんに告白されたこと。そして、その答えを保留にしていることも。」
「なぜ...?」
それも聞く必要のないことだ。
既にわかりきっている。優菜と山吹は最初から繋がっていた。お互いに情報の共有をしていたのだろう。
恐らくは合宿の日以降だ。あの日、山吹たちで何かあったのだろう。
「優菜ちゃんに聞いたから。」
俺の思っていた通りの答えだった。
階段を登りきる。
そして、お互いに無言のまま賽銭箱の前まで歩く。
そこで俺たちは百円を入れ、手を合わせた。
「少し話そうか。」
と言われ近くにあった木製のベンチに腰を下ろした。
「本当は今日ね、楓馬くんと一緒に買い物をして、楓馬くんに選んでほしかったんだ。」
彼女は正面の森を見つめながら言う。
恐らく彼女が持っている紙袋。その中身が俺に選んで欲しかったものなんだろう。当然、それが何かは分からないが。
「そっか。それは悪いことしたな。すまん。」
何を?などとは聞けずに謝ることしかできない。
「どうして謝るの...?」
と俺の顔を見て聞く。
「いや、俺のせいで気を遣わせてしまったな、と...。」
俺と優菜のことに無関係な山吹を巻き込んでしまった。
俺はそれについて謝罪をする。
「楓馬くん...。勘違いしないでほしいな。」
と言い放った。
勘違い...?
「楓馬くんは、私のこと無関係だって思っているでしょ?」
俺の思っていたことを見透かしているように言う。
「全然、無関係じゃないから。今はまだ言えないけど...私と優菜ちゃんは関係おおありだよ。」
と俺の目を見て言う。真っ直ぐと、だ。
理由は言えないけど、俺と優菜のことは山吹にも関係しているようだ。
恐らく、その理由が彼女たちを繋いでいるのだろう。きっと、それは彼女たちにとって大事な理由なのかもしれない。
「だから、ここに来たの。」
「それは...?」
「私、今のままじゃ嫌だ。今の楓馬くんは嫌い...」
今の俺は嫌い...
今の俺とは...一体?
「悪い。」
俺は素直に謝る。
「それだよっ!悪いって言って逃げようとする。目の前のことから逃げる。優菜ちゃんのことだってそうっ...!」
そのとき俺の中で何かが切れた。
「これが俺だっ!俺はいつだって逃げてきた。いつも自分のことしか考えてないっ!
...俺はどうしようもなく愚かで最低な男なんだ。」
俺は怒りに身を任せて吠える。
「違うよ...楓馬くんはそんな男の子じゃないっ!不器用だけど優しい人なんだよっ!」
俺に抵抗してくるように山吹も叫ぶ。
「違くないっ!俺はただ、ただ、自分を守るため、自分の価値をあげるため、自分の味方を増やすためだけに優しさを振りまいているだけだっ!
...偽りの優しさなんだよ...!」
これは...本当のことだった。
自分が傷つくのを恐れて他人に優しさを与えていた。そうすれば俺に危害が加わることはない。
優菜の件だってそうだった。優菜への優しさ、兄なりの想い、などとかっこつけて...
でも、結局のところ自分だけが傷つかないように逃げていただけだ。
「なら...私にくれた優しさも嘘だって言うの...?」
彼女の目には薄っすらと涙があった。
「ああ、そうだ。自分のためのしたことだ...」
間違いじゃない...
実際にあの件も自分のために動いた。賢治のように誰も失いたくないと...
結局のところ俺は自分の理由のためにだけに動いていたのだ。
人がどうなろうと関心がない。ただ自分の身を守ることさえできれば...
そこに他人のことを思いやる気持ちなど...
「それは嘘だよ...」
山吹が泣いている。
「あ...。」
俺はどう答えていいか分からない。
自分でも言い切れないのだ。
「どうして、自分のことを悲観することしか出来ないの...?
楓馬くんの言っていることは募金するのは困っている人のためではない、自分の名声のためだ、って言っていることと同じ。確かのそれを良しとしない人もいるわ。でも、私はそれが悪いことだって思わない。
だって、関心があるから募金をするんだよね...?無関心の人だったら募金はしない。
優しさだってそう。もちろん世の中には偽りの優しさが溢れている。
でも、無関心の人より偽りの優しさを振りまいている方がよっぽど素敵だよ?」
山吹は俺が振りまいている偽りの優しさを肯定してくれた。
「...偽りの優しさでも人は救われる。私のように...」
「お、俺は...」
「これだけは忘れないで。私は楓馬くんに一生、感謝し続ける。」
俺はどんな言葉をかけたら良いのか分からなかった。
だから俺たちは気が済むまで、ただ、ただ、黙っていることしか出来なかった。
山吹は俺の偽りの優しさを肯定しただけではなく感謝までしてくれていると言ってくれた。
だからと言って俺は俺のことを好きになれない。
「楓馬くんは優しいから思う詰めてしまうんだよね。」
両手で俺の手をそっと包む。
「きっと、自分のことを責めて嫌いになる。」
温かい。
「自分が自分のことを嫌いでも、楓馬くんのことを愛してくれる人だっているんだよ?」
すごく温かい。
「愛されることって難しい。それが特に他人なら...」
温かい。
「そんな中、楓馬くんは沢山の人に愛されている。だから、自分に自信をもって。
そんなに自分を責めないで。困ったことがあったら一人で抱え込まないで。
忘れないで...私はずっと君の傍にいるから...」
俺を真っ直ぐに見つめる。
「私を...うんん、やっぱり何でもないや。」
そう言うと立ち上がる。
「あ、優菜ちゃんと仲直りしてねっ!
私、このあと用事があるから先に帰るね。今日はありがとう!またね!」
と言って早足で行ってしまった。
あまりに急な事で俺は、またな、すら言い忘れてしまった。
彼女が何を言いたかったのか分からなかった。
でも、確かに彼女は傍にいてくれる。俺はそれだけでだいぶ救われた気がする。
好きな人が傍にいてくれる。こんな幸せな事は他を探しても見つからないだろう。
俺は決心した。
「気持ちを伝えよう。
でも、まず先に優菜のことを解決しなきゃな。」
「ああ、言えなかったな...」
私は神社から出たあと独り言を呟いた。
私は気持ちを伝えたかった。あの空気のまま勢いで言いたかった。
でも、出来なかった。優菜ちゃんがまだ戦っている最中なのに横槍を入れるなんて卑怯な真似は出来ない。
だって、私と優菜ちゃんは正々堂々と戦うと約束したんだから。