表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫陽花通り  作者: 藤田 紗碧
4/5

「そのままでも、良いかもしれない」

「え?」

 不思議に思って彼を見上げた瞬間、私は固まってしまった。

「美雨、綺麗だ」

 アマネが私を見つめて、そう言った。

 あの眼差しで。

 身体中の熱が一瞬にして顔へと集まる。

 胸の奥がぎゅっと締めつけられる感覚に、呼吸が苦しくなって倒れてしまいそうだった。

「……好き」

「何だ?」

「好きだよ、アマネ」

 今伝えてしまわなければ、胸がつぶれてしまいそうだと思った。伝えてしまえば、少しは気持ちが軽くなるはずだと思った。

 それなのに――。

「〝すき〟とは何だ」

 え――?

「〝すき〟とは、どんなものだ?」

「あ、……ごめん。……今の忘れて」

 今までに感じた事のない衝撃が胸の中を走り、私はその場から逃げ出すように駆け出していた。

 〝好き〟が伝わらない。

 そうだよね。アマネは人間じゃない。梅雨の妖精だ。雨を降らせるためだけに生きる存在なんだ。

 きっと恋なんて知らないし、しない。

「馬鹿みたい」

 人間と妖精が一緒になれるわけないのに。そんな事は、考えなくたって分かる事なのに!

 制服に泥が跳ね上がることも気にせずに、私は傘を閉じて、力いっぱい走った。



「小川さん、最近ぼーっとしてるけど、どうしたの?」

 片付ける本を持ったまま本棚の前で突っ立っていた私に、青空先輩が声をかけてきた。

「あ、すみません……」

 あれから数日が経った。

 私は雨が降ってもアマネに会いに行かなくなってしまった。

 今は紫陽花通りを通らずに、迂回うかいして帰宅している。よく晴れた日でも、何となくその道は通れなくなってしまった。

「梅雨が明けたら夏休みだね。夏休みはどこか行くの?」

 青空先輩が私の手から本を取ると、棚に並べながらたずねてきた。

 梅雨が明ける。

 梅雨が明けたら、アマネはどうなってしまうのだろう。また来年になれば会えるのだろうか。

 それとも――。

「小川さん……」

「あ、ごめんなさい! 夏休みですか? 夏休みは、特別何もないです。昔は家族旅行で海とか山とか行きましたけど、最近は家族の休みが合わなくなってきたので、どこにも行かなくなっちゃいました。お盆に祖父母の家に行くくらいですよ」

 そう言って笑いかけた時、隣の本棚から話し声が聞こえてきた。

「もうほんと、早く梅雨明けしてほしいよね~。薄暗くて気分が下がる~」

「あ、さっき職員室に用事があって行ったんだけどさ、テレビがついてて、今年の梅雨は短いって聞こえてきたよ」

「え、マジ~? めっちゃ嬉しいんだけど~」

「なんか、あと二、三日くらいで明けそうだってさ」

 え? あと二、三日で……?

「うそ……」

「小川さん、本当に大丈夫?」

 どうしよう。もうアマネに会えないの?

 ちょっと待って、お別れなんて、まだ心の準備が出来てないのに。

「そろそろ閉める時間だね。小川さん、座って休んでていいよ。あとは僕がやるから」

「いえ、やります。大丈夫です」

 私は本を片付けながら、残っている生徒たちに声をかけていく。そうしている間も、頭の中はアマネのことで一杯だった。

 でも、どんな顔して会えばいいのか分からない。アマネは何も気にしていないかもしれないけれど、でも、私は彼の顔を見るのがつらい。

 つらいと思うけれど、でも、やっぱり、


 逢いたい――。


「迷ってる時間はないよね……」

 私は鞄からスマートフォンを取り出して、週間天気予報を検索した。

「うそ、そんな……」

 今週の天気は、曇りや晴れマークが並んでいる。そしてどの日も降水確率が低かった。

「小川さん、お疲れ様。どうしたの? 僕でよかったら話を聞くよ?」

「先輩、私……」

 気がつけば涙が頬を伝っていた。

「好きな人に、もう会えないかもしれないんです」

「好きな人……」

 言葉に出したら、それが現実になりそうな気がして怖くなった。

「アマネ……」

 私はよろよろと立ち上がると、紫陽花通りへと足を向けた。後ろで青空先輩の声が聞こえたけれど、何を言っていたのか、耳に入ってはこなかった。


 空は薄明かるかった。雨が降りそうで降らないような微妙な空模様。今日の天気は曇りだ。

 アマネには会えないかもしれない。

 躊躇ためらいながらゆっくりと歩いていたはずなのに、気がつけば早足になっていて、紫陽花通りへの曲がり角に着く頃には小走りになっていた。

 曲がり角の手前で立ち止まる。

「アマネに会わせて。お願い」

 アマネから受け取った傘を強く抱き締め、私は一歩踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ