勇者の祖母はいじわるばあさん
「ウワァァーン、父さぁん。ばあちゃんがぁ!」
久しぶりに自分の屋敷へ帰ってきたクロードを迎えたのは家族の明るくて暖かい「おかえり」の声ではなく、大きな大きな泣き声だった。
その声の正体は父親が帰ってきたことに気づいた途端に足元にしがみついて泣きだした6歳の息子ブライアンだ。彼の泣き声はまるで火のついたような激しさで、大けがでもしたのかと心配してしまいそうなほどだったが、父親は小さくため息を一つ吐いただけだった。なぜならこの一幕は帰ってくるたびに起こるいつもの事だったし、その原因もいつも変わらない。そして息子から事情を訊かずともその原因はもうじき自分でこちらへ来るだろう。
「はぁ、今度はなにをしたんですか。お母さん」
駆け出してきた息子と対照的に静かにゆっくりと老婆が現れた。老婆の名前はリーン。クロードの母でありブライアンの祖母だ。ギョロギョロとよく動く大きな目とニヤニヤと笑っているその口元があいまって魔女を連想させる。
「ヒーッヒッヒ、久しぶりに帰ってきていきなり随分だねぇ。私は知らないよ。ただ、この箱は爆発するから絶対にゼェーッタイに開けちゃダメだって言ったのにこの子が言いつけを破っちまったのさ」
「おいおい、ブライアン。人の持ち物を勝手に触ったのか?それにばあちゃんの言うことは聞かないとダメじゃないか」
「だってばあちゃんが箱の中をニヤニヤ眺めてるから絶対良い物が入ってると思ったんだもん」
自分が悪いことをわかっているブライアンはばつが悪そうにボソボソといいわけをした。その姿を見たリーンが嬉しそうに口を開く。
「おやおや心外だねぇ。ばあちゃんはバクダンをニヤニヤ眺めるのが趣味なのさ。ほらこれに懲りたら危険だと言われたことはやらないことだね」
そう言うリーンの表情から何かを察したブライアンの顔に少し緊張が走る。
「例えば、あんたがこっそり計画している立ち入り禁止の森へ仲間と冒険しに行く事とか…」
「なに!ブライアン!」
話を聞いて事情を察したクロードがブライアンをキッとにらみつける。途端に青い顔をするブライアンの横でリーンはニヤニヤがとまらない。
「ご、ごめんなさい!もうっ、何で知ってるんだよ!ばあちゃんのバカ!」
ブライアンは父親から怒られたくないと一目散に家の外へと飛び出していった。
まだまだ泣き虫で逃げ癖のあるブライアンの姿を見たクロードは思わずため息がでた。
「はぁ、お母さん。息子の面倒を見てくれるのはありがたいんですが、あいつをからかうのは程々にしてやってください」
「嫌だね。あの子をからかうのが私なりの健康法なのさ。それにクロード、そう思うんだったらもっと頻繁に帰ってきてやりなよ。じゃないと次はあの子がどんな目に合うかわかったもんじゃないよ。ほらほら。玄関でいつまでも喋ってないでさっさと荷物を片しちゃいな」
口では勝てないとわかっているクロードは肩をすくめたあと、荷物をおろすために自分の部屋へと消えていった。
「…ふぅ。これで、あの子が幼馴染をケガさせちまうイベントはつぶせたかねぇ。いくら無事に助かるって言ってもつらい思い出なんて無いにこしたことはないんだから」
2人が消えた館の入り口で誰に聞かせるわけでもない独り言をつぶやきながら、リーンはブライアンが走っていった外の方をじっと眺めていた。その顔にはさっきのニヤニヤ笑いはなく、代わりに慈しむとっても優しい瞳があった。
実は彼女はただのイジワルばあさんではない。彼女は転生者だったのだ。この世界に前世の記憶を持ったまま生まれた彼女はすぐにこの世界が自分が昔よくプレイしていたゲームの世界だということに気が付いた。しかし、一つ誤算だったのはこの世界での彼女の立場は魔王でも勇者でもなく、勇者の祖母だったということだ。自分が物語になんら影響を及ぼさない立場だということを理解した彼女は早々に主人公になることをあきらめ、この世界の住人としての平凡な幸せを得ることを目標に切り替えた。
しかし、そんな彼女にも一つだけ悩みがある。それは彼女の孫であり、後に勇者として立ち上がることがシナリオで決まっているブライアンのことだ。
物語がこのままゲームの通りに進んでしまえば彼女の孫は勇者として間違いなく魔王を倒すことができるだろう。しかしゲームのエンディングで勇者は魔王と共に命を落とすことになっている。このままでは世界が平和になったとしてもかわいい孫が死んでしまう。そこで、彼女はそれを阻止するために本当ならモブ以下の物語にも出てこないポジションであるにもかかわらず意地悪ばあさんという役割を自ら掴み孫が死なないように、そのうえで世界が平和になるようにとひそかに暗躍していたのだ。
「まずは生きてこそだよ。私にとってあんたは世界と同じくらい大事なものなんだからね」
「あのぉ、お母さん。部屋を開けたら上からタライが降ってきたんですけど…」
「ヒーッヒッヒ」
イジワルなのも本当だ。