第八話:科学者と生き残ったハンター達
気力と魔力を使い果たしていたエーリッツェは、助かった自分の命を喜ぶよりも、骨折した足の痛みよりも、眼前で繰り広げられた圧倒的な戦いと、それを成し得た二人、いや、一人と一頭の存在に思考と感覚の全てを奪われていた。
まず黒ずくめの男、顔立ちは南方系とも北方系ともとれるが、その白い肌から察するに北方の出身だろうか。いや、今見せた圧倒的な戦いと出で立ちから考えると、貴族の高魔力保持者の線が強いか。
一般的に高魔力保持者はその身に常時シールドを展開している。そのおかげで太陽光から放射される紫外線を無意識のうちにカットし、色白の者が多い。
尤も、この世界の人間は紫外線の存在など知らないし、紫外線が日焼けの原因であることも知らない。それでも、ほとんどの高魔力保持者の肌の色が白い、言い換えれば日焼けしていないことから、肌の白い人間は北方の出か高魔力保持者だというのがこの世界の常識だった。
ついつい黒竜にとどめを刺した男の見た目に気が行ってしまったエーリッツェだったが、それよりもと、思考を切りかえた。今考えるべきは、男の見た目などよりも、男に首筋を撫でられて喜んでいるように見える黒狼についてだろう。
本来、黒狼が人に懐くことなどあり得ない。黒狼にとって、人はそのほとんどは餌であり、稀に敵であるかだ。それがあの黒狼は、まるであの男の飼い犬のように懐いているし、男もそれが当然であるかのようにふるまっている。
あの黒狼を子どもの頃から飼い慣らしたのだろうか。それにしたって、あれほどの黒狼を飼っていれば噂の一つ二つ耳に届いているだろう。
エーリッツェの疑問は尽きない。
あの男にしても、黒竜に傷を負わせるどころか、その足を叩き切り、さらにただの一突きでとどめを刺すほどの実力者だ。ところが、それほど強い、いや、人の領分を超越した男がいるという噂の一つすら、エーリッツェは耳にしたことが無かった。
そうとなれば、成人はしているようだがまだ若く見えるあの男はどこかの王族で、成人するまでその実力と黒狼の事を隠されていたのだろうか……。
などなど、エーリッツェは自分の置かれた状況や怪我、命拾いしたことを忘れて思考の海に潜っていた。つい先ほどまで黒狼を労わっていた男が話しかけていることに、エーリッツェはしばらく気付かなかった。
「――か? 怪我してるようだけど大丈夫か?」
いつの間にか、覗き込まれるように男に話しかけられていたエーリッツェは、そのことにようやく気づく。慌てて返事を返すが、その表情には驚きと戸惑いと怯えが混ざり合っていた。
◇◇◇
黒竜と戦っていた怪我をしている男に話しかけてみたが反応がない。焦点が定まっていないその顔に何度か声をかけ続け、ようやく気づいたようだ。
「――ッ!! あ、あぁ、大丈夫だとは言い難いが、何とか」
「悪いな。驚かせるつもりは無かった」
ようやく気付いてくれた男が驚きながらも複雑な表情をしていることに、若干の焦りと申し訳なさを感じていた。それでも、予想外の場所で現地人と接触できたことは幸運だと思っていいだろう。
しかしながら、話しかけている男からふと視線を外した時に横たわる無残な遺体を見つけ、いたたまれない感情に支配されていく。
「これは……ひどいな。そこの遺体は、あんたの仲間か? それからあんた、さっきの三人。ああ、背の高い金髪の男と若い銀髪の女、それに小柄な色黒の優男と知合いか?」
俺の問いかけに男はしばらくの沈黙を以て返した。その表情は助かった安堵よりもも仲間を亡くした無念さを滲ませているようだった。
「……あ、ああ、あんたが言うとおりだ。そこで死んでいるのも、あんたが言う三人も俺の仲間だ。だが、まずは礼を言わせてくれ。まだ油断はできないが、俺とその三人はあんたのおかげで命拾いしたようだ。俺の名はエーリッツェだ」
「そうか、それは残念だったな。俺の名は平沢昌憲だ。マーサとでも呼んでくれ。あんたは命を助けられたと言ったが、礼を言う必要はない。俺はあの黒竜を狩りにここに来たんだ。たとえお前たちがここにいなくてもあれは俺がしとめる予定だった。まぁ、あれがお前の狙った獲物だったとしたら横取りしたようで悪いが」
少し気障ったらしいセリフになってしまったが、実は動揺している姿を見せまいと自分を制するのに必死だった。目の前には無残な人の遺体が転がっているのだ。それも一人や二人ではない。
ある者は首から上が無く、ある者は内臓をまき散らしている。遺体なんて棺桶に入った綺麗なものしか見たことが無かった。今眼前に広がる光景は、あまりにもむごく耐え難いものだった。
自ら進んでファンタジー世界に転移してきたのだから覚悟はしていたが、ここまで惨いものだとは思っていなかった。損壊の激しい遺体を目の当たりにすることが想像していた以上に精神にダメージを与えることを、この時はじめて理解した。
「このざまだからこの格好で失礼するが、もう一度礼を言わせてくれ。ありがとう。助かったよ。それに黒竜のことは気にしなくていい。襲われはしたがアレは俺たちの獲物じゃない。むしろ凄い戦いを見せられて驚いているだけだ」
そんなことをエーリッツェと名乗った男が話していた時だった。
「エーリッツェ!!」
一人の女が飛び込むようにエーリッツェにしがみ付き、嗚咽を漏らしはじめた。女が飛び出してきた大岩の陰には、二人の男が朝陽を背にして逆光の中から見守るように立っている。
朝陽を遮るように腕をかざしながら眼を細めてその二人を見やるが、今は邪魔になるかなと、その場を離れてしとめた黒竜の元へと歩いた。
黒竜の体長は五メートルを超え、尾まで入れた全長は七メートル近くある。体格から考えるにその体重は二トンを超えているだろうか。体は鱗に覆われている訳ではなく、艶のある短い体毛に覆われ、朝陽に照らされて輝いて見えた。
頭部は体格に不釣合いなほど大きく、巨大な口には鋭く大きい牙のような歯が並んでいる。体毛があることからも黒竜が地球でいう爬虫類ではなく、恐竜に近い種であることが伺えるが、一番に感じたことは「カッコいい」という一言に要約できた。
俺の中で竜すなわちドラゴンは、オオトカゲやワニのような爬虫類ではなく、体躯のがっしりとした恐竜に近い姿でイメージされており、たとえ体毛に覆われていようとその姿はまさしくドラゴンだった。
そんなことを考えていたら、ハティが威嚇をしはじめたことで一人の男が歩み寄ってきたことに気付いた。岩陰ではエーリッツェたち四人が互いの無事を喜び合っていたはずだが、近づいてきた金髪の大男はその中の一人のようだ。
「ハティ、ステイだ」
俺は慌ててハティの首筋を撫で、に威嚇を止めさせる。そして視線を戻せば、金髪の大男は怯えるようにしてハティを伺っていた。
「不用意に近づかない方が良い。それから、あまりハティの眼を見るな。襲われたくなかったらな」
大男は激しく首を縦に振って同意を示すと、恐る恐るその口を開く。
「俺たちの危機を救ってくれたこと、礼を言いたい。ありがとう」
「ああ、気にするな。そこのエーリッツェという男からすでに礼は受け取っている」
「礼を言ったばかりで何だが、ひとつ頼まれごとをしてくれないだろうか。助けてもらったばかりで不躾なことは分かっている。しかし、俺たちだけではどうしようもないんだ――」
気まずそうに、しきりに恐縮しながら願い事をしてきた大男の名はリーガハルというそうだ。俺は彼の願い事をとりあえず聞くことにした。
「頼まれごととはなんだ? あの黒竜を譲ってくれと言われてもそれは聞けないぞ」
「まさか、あんなデカブツ、たとえ貰っても俺たちだけじゃ運べない――」
リーガハルの願いは俺にとって至極簡単で都合のいいことだった。それは仲間の遺体を埋葬している間の護衛と、動けなくなったエーリッツェと傍を離れたがらないエリーネ、それと入手した薬草などの運搬である。
「――初めは護衛だけを頼もうと思っていたんだが、あの黒竜はどうやって運ぶんだ?」
「アレを運べるだけの荷車があるんだ。その荷車をハティに引かせる」
「それならばエーリッツェとエリーネも運んでくれないか。もちろん報酬は上乗せする」
「問題ない。それに報酬なんて要らないよ。ただ街のことを教えてくれるだけでいい。あ、案内も頼めたら嬉しいかな」
リーガハルともう一人、ヒュッツェという男は二人で船まで戻り、それを漕いで帰るらしい。身軽になった二人だけならば、船まで全力で走れば問題ないそうだ。
リーガハルは持ち帰った薬草などを売った一部で報酬を払いたいと再度言ってきたが、必要ないと断った。どのみち、黒竜を金に換えれば大金が転がり込んでくる。それに、今彼らに恩を売っておけば、ハンターとして行動するうえで都合が良いはずだ。
話の後、リーガハルとヒュッツェは仲間の遺体を一か所に集め、大きな穴を掘って埋葬していた。手伝おうかとも思ったが、他人が手を出すことではないだろうと見守ることにした。しかし疑問が無いわけではない。
「一体一体穴を掘らないのか?」
「そんなことをしていたら時間がかかるし、仲間同士同じ穴に埋葬されたほうが彼らも嬉しいだろう」
それがこの世界で生きるハンターの考え方なんだなと、一人納得し護衛を続けることにした。
一方、エーリッツェにすがりつくように泣いていたエリーネという女は、彼の折れた足に添え木を縛り付けていた。
俺はその間にアトロに連絡を入れ、荷車を転送してもらっていた。空間から突然出現した木製の大きな荷車に、作業を続けていたリーガハルたちは驚いていたが、転送魔法だという一言に納得していた。この世界では一般庶民はがその恩恵にあずかることはまず無いが、転送魔法は特定の場所では普通に使われているらしい。
ハティに関しても当然聞かれたが、相棒だということで無理やり納得してもらい、むやみに近づかないことを徹底してもらった。
そして今、リーガハルたち二人と別れた俺は、ハティの引く黒竜を載せた荷車の御者席に一人座っていた。エーリッツェとエリーネは二台に二人で座っている。荷車はハティが引くには遅い速度で音もなく滑るように道もない草原を進んでいた。
ゆっくり移動しているのは骨折しているエーリッツェを乗せているからだが、この速度で走っても夕方までには目的地に到着できるだろう。出発したのは午前十時過ぎ。目的地であるハンターギルドの出張所までの距離は四百キロ、速度は時速六十キロ弱だ。時間にして七時間弱かかるが、午後五時ごろには到着できる。
「どうして手綱も無くて繋がってないのに進めるんですか?」
「ハティと荷車は魔力で繋がってるんだ。それに魔力で方向とか速度を教えているから手綱も必要ない」
エリーネは不思議そうな顔をしていたが、彼女はその説明で納得してくれた。しかし、彼女の質問はそれで終わりでは無かった。
「あんなに重い黒竜を載せてるのに、どうしてこんなに早いの? それにこの荷車はどうしてこんなに揺れが無いの?」
「ああ、それはね――」
いくら見た目は木製の荷車であったとしても、それは俺が作ったものだ。ならば当然普通の荷車であるはずもなく、速度が出せて揺れ難くなるような仕掛けが施されている。
これはこの世界で金もうけのために考えた魔道具の一つで、重力軽減の魔道具を搭載しているからだ。エリーネは、「そんな高級な魔道具が使ってあるなんて」と驚いていた。
エリーネの質問はまだ終わらない。
それは俺にとって、最初に聞かれるだろうと思っていた事柄だった。出会い方が普通ではなかったがゆえに、後回しになったのだろうが、俺本人に関する質問。つまりお前は何者だ? どこの出身か? という問いかけだった。この質問に関しては、当初から答え方を決めていた。
「あの山脈の向こう側に家がある」
である。そして。
「俺は外の世界からこの世界で暮らすために来た」
つまり、異世界人であることを隠そうとは考えていない。それがたとえ信じてもらえなくても構わない。目立って何ぼ、有名になってこそこの世界に来た意味がある。それによって降りかかる困難などたたき伏せてやる。それが俺の考えだった。
この答にはエリーネにもエーリッツェにもさすがに驚いていた。と、思ったのも最初だけで。二人とも信じていないようだった。
口に出すことはしなかったが、それでもいいと思った。この会話がきっかけで二人から硬さが取れたと言ったらいいだろうか、恐れが無くなったと言ったらいいだろうか、とにかく打ち解けて話ができるようになった。