後日談その三:オヤジたちの苦悩
昌憲は悩んでいた。
この世界に来てかれこれ二十年、思うがままに行動し、やりたいことをやってきた。
もちろん、やりたくないこともやってきたが。
リーガハルやマーガッソたちとの冒険は確かに楽しいし、Sクラスハンターのアルセーニが仲間に加わったことで、行動範囲も拡大していた。
いまさら何を悩む必要があるのか? と思う諸氏も多いだろう。
しかし、誰しも悩みの一つや二つはあるものだ。
そしてその悩みとは、年齢による衰えと、その付随効果である。
もうすぐ四十になる昌憲の見た目はまだ若い。
が、若者に見えるか?
と、問われれば、答えは否だった。
年上の仲間三人も歳相応の容貌に変わり、冒険者ギルドでは最古参のベテランパーティーとして認知されている。
「なあマーガッソ」
「なんだ?」
「お前もめっきり老けたな」
「人のことを言えたがらか? と言いたいところだが、若作りのお前が羨ましいよ」
若かりし頃のマーガッソであれば、むきになって反論したであろうが、丸くなったというか達観したというか、あっさり心境を吐露するあたりに、時の流れを昌憲は実感していた。
「で、どうしてそんなことを?」
「いや、娘たちがな――」
娘たちとは、十歳の三女と九歳の四女のことである。
つい数年前までは一緒に風呂に入っていた娘たちが、最近は近寄るだけで嫌な顔をするようになった。
というのが昌憲の悩みである。
冒険から帰ってきたときなどが、特に顕著だった。
思い切って理由を聞いてみると。
『お父さまは最近変な臭いがします』
口をそろえてそう言った二人の娘に、昌憲は心底打ちのめされていたのだ。
要するに加齢臭である。
ちなみにルーリとミルフィーネは十七になり、近頃は社交に夢中で家族としての触れ合いはめっきり減ってしまった。もうそろそろどこかに嫁に行ってしまうと考えるだけで憂鬱になる。
それは置いておくとしよう。
「そこで相談だ――」
加齢臭の原因物質であるノネナールの生成を抑える酵素をふんだんに含む材料採取。
それが昌憲の相談だった。
加齢臭について、いつものようにマニアックな解説をはじめた昌憲に、マーガッソやアルセーニは、またはじまったか、と、聞くふりをして聞き流していた。
しかし、一人だけ真剣にその話に聴き入っている、というよりは食いついてきた男がいた。
昌憲と同じく年頃の娘を持つリーガハルだ。
「すぐ行こう、マーサ」
今にも飛び出しそうな勢いで食いついてきたリーガハルに、昌憲はとりあえず安堵の表情を見せる。
しかし。
「降りた。俺は絶対行かねーからな!」
「我も降りる」
あからさまな拒否反応を見せたマーガッソとアルセーニ。
彼らが嫌がるのには理由があった。
それは、昌憲が告げたとある薬の材料と、そこに生息する魔物に問題があったのだ。
「ほほーう、そんなことをほざいていいのかね? マーガッソ君。この前渡した例のモノ、新シリーズができてもあげないよ」
「クッ、卑怯だぞマーサ」
「で、どうなんだ?」
忌々しく昌憲を睨みつけていたマーガッソであったが。
「わぁーったよっ! 行きゃぁいんだろ、行きゃぁ」
「わっ、我も同行させてもらうとしよう」
昌憲は、マーガッソにとある魔道具を融通していた。
その魔道具の新作をもうあげない、と、脅迫に出たわけであるが、マーガッソの様子を見るに、絶大な効果を発揮したようである。
その魔道具を渡していないアルセーニまで乗ってきたことが昌憲には不思議なことであったが、後にマーガッソから理由を聞いて、昌憲は納得することになる。
そして、その魔道具とは、夫婦生活のお供であり、昌憲が地球からもってきたウェブデータベースを参考に創り上げた、この世界では完全にオーパーツ的なものであった。
しっとりとした質感、硬すぎず柔らかすぎない弾性、滑らかな表面、魔導の力でクネクネと動くその道具とは、いわゆるアダルトグッズである。
マサヤ総帥でもある昌憲のイメージダウンになるからと、こっそりアトロに相談した時に販売を自粛させられた逸品であるが、マーガッソによれば、良好な夫婦生活維持に絶大な効果が得られるということだった。
アルセーニは、マーガッソからその魔道具の効果を聞くにつけ、その魔道具を試したくなったらしい。
アルセーニ夫婦は齢五十をとうに過ぎているというのに、やることはしっかりやっているようだ。
はじめから乗り気だったリーガハルと、しぶしぶ同行を了承したマーガッソ、恥ずかしげに同行を申し出たアルセーニと共に昌憲が向かったのは、大陸の少し南にある群島である。
熱帯のその島に、ギルドの転移ゲートから移動した四人の出で立ちは、とても熱帯地域を冒険するとは思えないようなものであった。
ゴーグルをつけ、全身をすっぽりと覆う放射線防護服のようなモノ、と言ったらいいのだろうか、とにかく通気性がわるそうであり、真夏という時期を考えれば暑苦しいことこの上ない恰好である。
ギルドの転移ゲートへ行く最中、昌憲たちが奇異の目で見られていたということは言うまでもない。
転移した島は、熱帯地域というだけあって気温も高く、しかもそれを助長させるかのような格好をしていることもあって、昌憲たち四人は地獄の蒸し暑さに苦しんでいた。
転移した場所は砂浜だが、そこから少し入った森の中は、まさに鬱蒼としたジャングルである。
しかし、大型魔獣の生息地域だけあって、わりと道幅も広く歩き易い獣道に昌憲たちは助けられていた。
「アチィ。やってらんねぇなぁ、マーサ。こんなもん脱いで、早いとこ楽になりたいもんだぜ」
「そう文句を言うな、マーガッソ。それを着ていないとひどいことになるのはお前も分かってるだろ?」
「分かってるけどさ」
「それ、お出ましだぞ」
昌憲たちの前に現れたのは、ダチョウを二回りほど大きくした陸生の巨鳥、南島ドリだった。
それが二羽。
そして、その巨鳥の向こうに、目的の獲物が群生していたのである。
「コイツは俺とアルセーニで相手する。マーガッソとリーガハルは採取に向かってくれ」
南島ドリは戦闘能力値が六千近いSランクの魔獣である。
戦いにくいジャングルの中では、Bクラス冒険者のマーガッソやリーガハルには厳しい相手だ。
「引きつけておいてくれよ」
「了解」
アルセーニが片割れの動きを、狭い場所でも扱いやすい短槍で牽制し、昌憲はいつもの通り自称覇者の剣でもう一羽と戦いはじめた。
それを迂回するように、マーガッソとリーガハルが広い獣道から外れて目的の食材へと向かう。
南島ドリは、三メートル近い高さから、落下するようなするどいクチバシによる突き攻撃を連打してくる。
しかも異常なまでに素早い。
たとえ昌憲であっても、その鋭利で貫通力のあるクチバシ攻撃をまともに喰らえば、軽い怪我ではすまされないだろう。
「おっと、危ない危ない。しかしっ!」
甲高い金属音を響かせ、剣の腹で突き攻撃を受けた昌憲がその攻撃を受け流すと、ここがチャンスとばかりに覇者の剣を振るった。
覇者の剣は見事に南島ドリの長い首を捕え、そして、分断することに成功していたのである。
頭部が無くなった南島ドリが、その長い首から血しぶきを上げて倒れ込む。
それと同時に、アルセーニの方もかたがついていたようだ。
短槍が見事に南島ドリの頭部を貫いていた。
「相変わらず器用な倒し方をするヤツだ」
南島ドリは長い首のおかげで間合いが広く、突き攻撃をしてきたときにしか攻撃チャンスが来ない。
しかし、小さい頭部を三メートル近い高さから繰り出してくるので、超高速で迫り来るその頭部を槍で射抜くなど、よほどの達人にしかできない芸当なのである。
「我らも採取に向かった方がいいのだろうか」
「いや、コイツは高く売れるんだ。今のうちに血抜きをしてしまおう」
「恨めしそうな顔で睨んでくるんだが」
「なに、気にする必要は無い。コッチの処理が終われば加勢するさ」
南島ドリの足をロープで縛り、頑丈そうな木の枝に吊るしながらそう言った昌憲の鼻腔が異変を捕えた。
アルセーニは昌憲を手伝いながら、ものすごく申し訳なさそうな視線を、黙々と採取を行うマーガッソたちに投げかけている。
そして、昌憲の鼻腔が捕えた異変とは。
「臭ぇ!! おい、マーサっ! そんなことは後回しにしてお前も早く採取作業に取り掛かれ」
文句を言いつつも、キノコを小枝で突いてその匂いを嗅ぎ分けているマーガッソと、黙々と同じ作業を続けるリーガハル。
そう、マーガッソとアルセーニが今回の同行を渋った原因はこの臭いにあった。
カメムシ臭と表現したらいいのだろうか、その強烈な異臭を放つキノコこそが今回の採取ターゲットである。
このキノコ採取は、ギルドに依頼として出れば文句なしのSランク依頼であり、それは、このキノコの群生地にセットで生息している南島ドリが原因であった。
このキノコは、見た目がそっくりな別のキノコと混ざるように群生しており、そのキノコの匂いは臭くはない。
そして、臭くない方のキノコが南島ドリの好物であり、今回目的のキノコを採取する場合はトップレベルの冒険者複数名で行う必要があったのである。
さらに、臭いキノコと臭いのしないキノコの判別方法が問題だった。
このキノコは非常によく似ており、南島ドリは突かなくても判別できるようだが、人が判別するためには、わざわざ突いて臭いをかぎ分けるしかないのである。
しかも、一回突いてしまうと、辺りに強烈なカメムシ臭を巻き散らかすので、一つ一つ小枝で突いては鼻を近づけるという、拷問のような判別方法を行わなければならない。
暑苦しいなか、防護服を着てきたのは体に匂いが移らないようにするためである。
それならば、わざわざ最初から蒸し暑い思いなどせずに、採取直前に防護服を着込めばいいじゃないか?
と、考えるかもしれないが、南島ドリと戦っている最中に、うっかり臭い方のキノコを踏みつけでもしたら、大変なことになってしまうのである。
あえて時間をかけて南島ドリの血抜き処理を行った昌憲は、まだ終わらないキノコの採取に、舌打ちしながら加わったのだった。
そして、キノコ採取を終えた昌憲たちは、浜辺まで戻ると防護服を脱ぎ捨て、異空間へとそれを処分した。
南島ドリ二羽は、臭いが移ることを恐れ、昌憲とアルセーニが採取に加わる前にギルドへと転送してある。
「ふぅ、ようやく終わったぜ。マーサ、ここまでして手伝ったんだ。早いうちに例のヤツを頼むぞ」
「わ、我にも頼む」
「了解だ。今日はありがとう」
妙に恥ずかしそうにそう言ったアルセーニと、キノコからできる薬に期待感一杯のリーガハル、ヤレヤレ感満載のマーガッソと共に、ギルドへと引きあげた昌憲は、対応した職員が顔をヒクつかせていたことに気づくことはなかった。
そして、意気揚々と王城に帰着した昌憲への、出迎えた娘たちの反応は想像に難くはないことであった。
そう、あまりにも強烈なカメムシ臭の中で作業していた昌憲の鼻が、麻痺していたのである。
強烈なカメムシ臭が、僅かではあるが防護服の間隙を縫っていたのである。
鼻をつまんであからさまに顔をしかめた娘たち。
「お父さま、いつもとは違うとっても嫌な臭いがします。近寄らないでくださいませ」
これで終了になります。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。




