後日談その二:王子と王女たち(下)
ファンタジア魔導学園武闘大会がついに開幕しようとしていた。
今日はそれぞれの部門で予選が行われ、明日決勝トーナメントが開催される。
昨年順位十六位以上は予選が免除されるが、去年の二年以下で決勝トーナメントに進出したのは十名だったので、予選上位二十六名までが決勝トーナメントに参加できる。
去年まで魔法部門に出場していた健は、予選からの登場になる。
ただし、参加人数が多すぎて、一日で行うには試合会場と審判が足りないため、予選で試合をすることはない。
木偶相手に剣または槍で与えたダメージによって、本戦出場者を決定するのだ。
予選に使う木偶は、昌憲が経営する魔道具工房によって開発されたものであり、受けたダメージを数値化することができるようになっている。
ダメージは一回の攻撃で判定するのではなく、十秒間にどれだけのダメージを蓄積できたかで優劣を判定することになる。
連撃を叩き込むもよし、一回の攻撃に全てを込めるのもよし。
とにかく合計ダメージが多い者が予選を突破できる。
対戦相手がいないので駆け引きなどは発生せず、回避や捌きも関係なく、ただ、力と速度にものを言わせるしかない。
よって、本当の武力は測れないが、ごまかしが効かず公平であることに間違いはないのだ。
予選で使う木偶は、たとえ昌憲が渾身の力で攻撃したとしても、破壊できない強度に設計されているので、学生がいくら本気で攻撃しようが、壊れることなどあり得ない。
「よう」
「おはよう、アールガッソ」
王城から学園の敷地にある寮に戻ってきた健に、廊下で出くわしたアールガッソが声をかけてきた。
アールガッソは予選免除のせいか、部屋着のままだ。
「朝メシか?」
「いや、城で摂ってきたよ。着替えてすぐ会場に行く」
「そうか、ケンは予選からだったな。まぁ、お前なら絶対通過できるとは思うが、手を抜くなよ」
「もちろん全力で行くよ」
「よく言った。メシ食ったら見に行くからな」
「応!」
昌憲と交わした約束。
そのご褒美で俄然やる気に満ち溢れている健に、アールガッソは不思議そうな顔をしていた。
数日前までの自信なさげな健を見ていたからだ。
着替えて寮を出た健は、いつもの黒いローブ姿ではなく、槍剣技の授業で使う革製の軽鎧を身に付けていた。
健の所属は魔法科であるが、魔法科にもコマ数は少ないが槍剣技の授業はあるのだ。
そのまま予選会場である正面グラウンドに赴き、そしてポツポツと集まりはじめた出場者の先頭に陣取って予選開始を健は待ったのである。
あれほど興味なさそうにしていた健が、今では武闘大会が待ちきれないといった風情だ。
理由はもちろん昌憲との約束である冒険と必殺技だ。
そして、そんな健に近づく一人の少女がいた。
「あ、あのつ! おはようございます。ケン様」
革の軽鎧で身を包んだクリスティアナ。
彼女は怪我をしていたはずである。
「怪我はもう治ったのかい?」
そう言った健であったが、クリスティアナは骨折していたはずだ。
この短期間で治るはずがない。
「い、いえ、まだ治っていません」
「じゃあどうしてそんな恰好を?」
「私のために戦ってくださるケン様を同じ姿で応援したくて」
「じゃあ大会には出ないんだね」
「はい」
「よかったぁ。安心したよ」
「…………」
「…………」
一心同体で応援したいがために、同じ鎧姿になり、予選開始前から応援に来たクリスティアナに、健はこのとき涙腺が緩んだ。
しかし、健の矜持によると、めったなことでは女の前で涙を見せられない。
とくに、その女が意識している人であればなおさらだ。
健の前に出ると、勝気で凛凛しい性格が、なりを潜めるクリスティアナと、彼女を意識してクールに振る舞おうとする健。
そんな二人の周りには、近づきがたいオーラが漂っていた。
「あらまぁ、朝からお熱いことですわね。それはそうとクリス、あなた、お出ならないのではなくて?」
「い、いや、これはだな……」
「クリスティアナは大会には出ないよ。これは僕を応援するためなんだ」
「ケン様の言うとおりだ」
いつものように二人だけの世界を作り上げていた健とクリスティアナに、同じ革鎧姿のエフィーナがちょっかいを出してきた。
「はいはい、分かりましたわ。しかしですね、先生がお困りのようです。クリスはお下がりになった方がよろしいですわよ」
いつの間にか出場者が集まり、出場者名簿をもって予選前半の順番と出欠を確認に来ていた教師が、近寄りがたい二人に困り果てていたのだ。
例え王族であろうと、生徒には威厳を持って接する教師もいるが、この教師はその例には当てはまらないようである。
エフィーナが来たことに、安堵の表情を隠そうともしないことからも、この教師が健とクリスティアナに遠慮していたことが分かる。
そんな一幕の後にはじめられた予選ではあったが、参加人数が非常に多いこともあって、昼休憩を挟んで続けられていた。
朝一から予選に訪れた健であったが、その順番は昼休憩後だったのである。
出欠確認は午前だけでも二回、午後も二回行われるので、要するに健は朝一から来る必要がなく、むしろ邪魔者だったりしたのだ。
そんな感じで気合が空回りしている健ではあったが、木偶を剣か槍で攻撃するだけでいい予選で失敗することなどあり得なかった。
その場でスコアが発表されるわけではないが、夕方に貼りだされた予選通過者の順位表とスコアの最上位、すなわち第一位に健の名前が燦然と輝いていたのである。
「今年もダメでしたか。でも、来年こそは決勝に残って見せますわ」
「そうだな、今からが一番伸びる時期だ。怠けずに頑張れば来年は通過できるさ」
「お兄様」
予選の順位表を見に来た健とアールガッソ、それにエフィーナとクリスティアナだったが、エフィーナが予選通過を果たせなかったことで微妙な雰囲気になりかけていた。
しかし。
「二千七百超えって。呆れた数字だな、ケン。お前本当は魔法よりも剣術のほうが上なんじゃないか?」
健がたたき出したスコアは、二位のそれを二倍以上引き離していたのである。
予選通過ラインは七百程度、二位でさえ千をやっと超えたスコアだったのだ。
このスコアは、昌憲が戦闘能力値として定義した数値に近づくように算出される。
よって健の戦闘能力値もこのスコアに近いということになるのだが、それはまた別のお話。
「そうですわ。わたしもケン様に弟子入りしようかしら」
「ななな、なんということを。フィーナが弟子入りするなら私も是非」
エフィーナの発言は、社交辞令的なニュアンスが含まれていたが、それを聞いたアールガッソは、どうやら本気で落ち込んでいるようだった。
俺じゃダメなのかと。
そして、クリスティアナといえば、こちらは本気で健に教えを乞いたい願望が全身からにじみ出ている。
健は幾分元気になったエフィーナに安心し、クリスティアナには「考えておくよ」と割と本気で返事をしたのである。
そして迎えた決勝トーナメント当日。
「予選は通過できたようだな。お前とは決勝までいかないと戦えないが、絶対途中で負けるんじゃないぞ」
「ああ分かっている。優勝は僕のものだ」
互いににらみ合う健とマーベリスト。
魔法部門槍剣技部門それぞれ三十二名の決勝トーナメント出場者が、グラウンドの試合会場に整列し、学園長からありがたいお言葉を賜ったのちの一幕である。
アールガッソとともに、応援に来ているエフィーナとクリスティアナが陣取る観客席へ向かおうとしたときのことであった。
魔導学園のグラウンドを二つに分け、東の会場で魔法部門、西の会場で槍剣技部門の試合が行われることになっている。
そして、それぞれの試合会場を取り囲むように観客席が設けられ、エフィーナとクリスティアナは南側の中央に家族とともに陣取っていた。
観客席南側は、いわゆる王侯貴族の専用席であり、一般用の客席と比べると、席の間隔がやや広く、使われている椅子も質がいい。
武闘大会にはほぼ毎年どこかの王族の子息が参加しているが、今年の観客席に陣取る王族の面々は、例年になく豪勢な顔ぶれになっていた。
というか、大陸主要各国の国王が集結する異常な事態になっていた。
普通は王子王女が大会に出場するといっても、それは学園内部の催しであり、国王が観戦に訪れることはまずない。
しかし、試合会場側から向かって右側にシルベスト王国国王と王妃、中央にアルガスト王国国王と第一王子第二王子、その隣に昌憲一家、そして左側にシリアンティムル帝国皇帝が陣取っているのだ。
しかも、当然のように各王族たちは護衛や取り巻きを引き連れており、会場を取り囲む観客席の外側にも、多くの王侯貴族関係者がごった返す異様な雰囲気になっていた。
ここまでの面子が揃ったのは、ひとえにクリスティアナの婚約発言が発端になっていたのである。
特にクリスティアナ皇女の婚約問題を抱えるシリアンティムル帝国の面々は、皇女の婚約者がどちらになるのか気が気ではないようだ。
経済大国であるシルベスト王国王子のマーベリスト、新興国ながら絶大な発言力と軍事力、資金力を誇るファンタジア魔導王国王子の健。
そのどちらも、得難い婚約相手であり、二人の王子の勝敗の行方が今後の国勢に大きく関わってくる。
どちらに転んでも、いまだに財政の苦しいシリアンティムル帝国にとっては喜ぶべき事であろうが。
そして、そんな帝国のお国事情など、お構いなしにいよいよ決勝トーナメント一回戦が開始されたのである。
「ケン・ヒラワサ・ファンタジア、ミッチェル・リードリッヒ、互いに開始線へ…………。 はじめっ!」
健の一回戦の相手は、槍剣技科の三年生である。
というか、健以外の決勝トーナメント進出者は全て槍剣技科の生徒だ。
予選で突出した成績を残した健は、上位有力者とは勝ち進まなければ当たらないような配慮がなされていた。
二年生ながら昨年優勝したマーベリストとは決勝まで勝ち進まないと当たることはない。
予選免除のアールガッソもマーベリストと同じブロックである。
試合開始の合図がなされてからも、すぐに戦いがはじまることはなかった。
はじめて槍剣技部門に出場した健は、相手の実力を測りかねて出方を待っているし、対戦相手のミッチェル・リードリッヒは、健がたたき出したスコアから、警戒しているようだ。
健は一メートルほどの木剣を片手で構え、ミッチェル・リードリッヒは槍を模した二メートルほどの木製の棍を構えている。
装備は互いに革製の鎧であるが、実技の授業で使うものではなかった。
マサヤ印のダメージが計測できる革鎧である。
二十歳に満たない学生の試合だけあって、ルールは安全性を配慮したものになっていた。
首から上への攻撃と、急所攻撃は禁止であるし、革鎧以外への攻撃はダメージをカウントされない。
首から上へと急所への攻撃は一発で反則負けとなり、反則を犯して重傷を負わせれば即退学。
死亡させてしまえば刑事罰を問われることになる。
手足への故意の攻撃も反則であるが、一回目は注意にとどまり、二回目で反則負けだ。
腰から胴部、肩にかけての革鎧で計測されたダメージが、一定値に達すると勝敗が決する仕組みになっている。
互いに相手の出方を伺い、こう着状態に陥りかけていた試合だったが、しびれを切らしたミッチェル・リードリッヒが、牽制の突きを放ってきた。
その動きを見た健が動く。
健の槍術の一番の師匠は、元ロイエンタール帝国第三将のアルセーニだ。
アルセーニの戦闘能力値は六千弱で昌憲やクロトたちには劣るが、技の切れは負けていない。
そんなバケモノ級の師匠に鍛えられている健には、ミッチェル・リードリッヒの放つ突きが、余りにもスローモーだった。
相手は魔法科の生徒ではなく槍剣技科の生徒だ。
誘いかもしれないと、一瞬ちゅうちょした健だったが、突きを内側から払いあげ、空いた左脇腹へ一撃。
続けざまに右脇腹へ一撃。
そして左肩へ一撃。
都合三連撃を叩き込んだ。
いつでも跳び退れるように、力はほとんど入れていない。
しかし。
あまりにもあっけない幕切れだった。
うずくまるミッチェル・リードリッヒ。
そして「勝負ありっ!」と試合の終了を宣した審判。
軽い気持ちで放った連撃でダメージが規定値に達していたのである。
健の登場とあって、試合を注視していた観客たちからどよめきがあがり、そしてそれは歓声に変わった。
「いい動きだったぞ、健。だがまだ一回戦だ、気を抜くな」
「ありがとうございます、父上。でも、なんだか戦った気がしないんだ」
「相手は学生だからな。だが、何度も言うが気を抜くな」
「はい、分かりました父上」
観客席の昌憲に、勝利の報告をした健に、エフィーナとクリスティアナが声をかける。
「圧勝でしたわね。一応、おめでとうと言っておきましょう」
「さすがケン様ですわ」
「こんにちは、エフィーナちゃん。それにクリスティアナちゃんかい?」
「こんにちは、マーサさま」
「ははははいっ! クリスティアナです。マーサおっ、おとぅ…… さま」
「あはは、気が早いね。しかし、お義父さんか…… 悪くないな」
義父呼ばわりされて機嫌が良さそうな昌憲と、赤面して小さくなってしまったクリスティアナ。
健はどこ吹く風で無関心を装っているが、内心はクリスティアナが昌憲に気に入られたようで嬉しくてたまらないのだ。
午前中の二回戦にも圧勝した健は、家族とともに昼食を済ませていた。
アールガッソとエフィーナは、同じく応援に駆け付けた家族と、クリスティアナも父親と昼食を共にしている。
午後一の三回戦も余裕で突破し、迎えた四回戦、すなわち準決勝。
試合開始早々審判に勝利を宣言された健は、同じく準決勝に進出したアールガッソとマーベリストの試合を、観客席に移動して観戦していた。
「そこですわ! 兄様」
「あーっ!」
「勝負あり! そこまで」
エフィーナの絶叫とともに勝負が決した試合は、規定事項であるかのようにマーベリストの勝利という結果に終わった。
ただし、健の試合とは違って熱戦と言っていい好勝負に、観客からは盛大な拍手が送られている。
マーベリストは、自分の勝利が当然であるかのように片手をあげて歓声に応え、アールガッソはあからさまに悔しがっていた。
「惜しかったな」
「お世辞は止めてくれ。完敗だった……」
「ほんと、情けないですわね。アールガスト王家の嫡男ともあろう者が、商家の子せがれに不覚をとるなんて」
「母様、そこまで仰らなくても」
傷心のアールガストに追い打ちをかけたのは、彼の母君であり、相当に機嫌が悪そうだ。
武を第一に重んずるアールガスト王家の皇太子妃らしく、アールガストの母親は息子の不甲斐なさを叱咤したのだ。
ただし、息子を嫌っているということはなく、機嫌は悪いが愛情に満ちた叱咤であるため、皇太子やサルガッソ国王はその様子を微笑ましく見守っていた。
そして、この程度の叱咤で腐るようなアールガッソではないことも、 皆の知るところであった。
「情けない話だが、奴を疲れさせることすら俺にはできなかった。少しでもアシストしたかったんだが……」
「奴の動きを見れただけでも十分さ」
申し訳なさそうにしていたアールガッソに、いつものキレはなかった。
完敗したことがそうとう堪えているようだ。
「そう落ち込むなって、奴のことは僕に任せてくれ。とっておきの技があるからな」
とっておきの技。
それはもちろん昌憲に伝授された必殺技である。
健はこれまでの試合で、あえて必殺技を使わなかった。
いや、使う必要がなかったというのが正しいのだが、健的にはあえて使わなかったのである。
それはもちろん、最大の見せ場である決勝戦で必殺技をお披露目したかったからだ。
そしていよいよ、決勝戦がはじまろうとしていた。
健もマーベリストも長めの木剣をその手に試合場で対峙している。
「いいかケン、これはクリスティアナとの婚約を賭けた決闘だ。汚いまねをするんじゃないぞ」
「おまえこそな」
「…………」
「始めっ!」
ついにはじまった決勝戦。
健は木剣を片手で持ち、半身で前方に突き出している。
方やマーベリストは、木剣を両手で構え、同じくその切っ先を健に向けていた。
そして。
切っ先はそのままに、持ち手を引いて間合いを詰めてきたマーベリストに、健は動じることなく迎え撃った。
詰めてきた勢いと体重を乗せ、胸をめがけて突き出された剣を、健は軽く払いあげて左にステップする。
そして、ステップすると同時に空いた脇腹を薙ぎにいった。
マーベリストは咄嗟にしゃがみ込んでその剣を躱す。
今までの相手ならば躱しきれなかったが、剣はマーベリストの頭上を通過し、二人は再び対峙していた。
「今のは危なかったよ。だけど、その程度の攻撃ではボクには通用しない。次は本気でいくよ」
脇腹を薙ぎにいった健の攻撃は、もちろん本気ではなかった。
マーベリストがどの程度の反応を見せるか様子を見ただけである。
「僕の実力をこの程度だと思わない方がいい」
「その言葉をそっくり返そう。今のがボクの本気だとでも思ったのかい?」
そう言ったマーベリストが再び突っ込んできた。
なるほど前回より速い。
そう思った健も、速度を上げる。
突き出された剣を今度は上から叩き落とし、そこから振り上げるように左の腰を狙った健の攻撃がかすった。
かすった程度ではあったが、はじめて相手の攻撃をその身に受けたマーベリストの表情が歪んでいる。
よほど悔しいのだろう。
そのまま対峙することなく、さらに速度を上げた突きから、一瞬の引きを見せて連突き。
そこからさらに勢いを乗せた振り下ろし。
と、マーベリストの攻撃が苛烈さを増していったのである。
健も負けてはいない。
マーベリストの剣戟を、躱し、払い、かち上げては反撃を加えていく。
その反撃はかすりこそすれ、いまだにクリーンヒットは無い。
そこからさらに二人の攻防は激しさを増していった。
静寂を保っていた観客席からは、次第に歓声が上がりはじめ、大きくなっていった。
そして二人が離れたその時、健はマーベリストが肩で息をしていることに気づく。
二人が距離をとったことで、一旦歓声が極大になり、そして静寂が訪れた。
観客は固唾をのんで勝負の行方に注目している。
――今だ、今しかない。
――待ちに待ったこの瞬間。
――父上から伝授された必殺技を、注目が集まる今、この時に放って勝負を決めるっ!
「受けてみよ! 西方の魔王を葬りし伝説の秘奥義、我が究極の秘技。くらえぇ! 烈風木葉ざ「勝負ありっ! そこまで」…… ん!?」
衆目の前で公言しておいて秘奥義も秘技もないと思うが、それはあまりにも絶妙のタイミングだった。
締りが悪いというか極まりが悪いというか……
かすっただけの攻撃ダメージが溜まりに溜まって、勝負はすでに決していたのだ。
審判は観客が静まるのを待っていただけである。
マーベリストは地に膝をついて下を向いた。
必殺技を出すタイミングを誤った健は、それはないだろう? という表情で口をアワアワさせながら審判を見ている。
観客はどう反応していいか分からず、目が泳いでいた。
気まずく、そして微妙な雰囲気が会場を支配していったのである。
しかし、一人の観客の拍手が切っ掛けとなって、次第に拍手の輪が広がり、そして歓声へと変わっていったのだった。
膝をついていたマーベリストは、フラフラと立ち上がると、健のところに歩み寄り、そして握手を要求してきた。
「今日のところはボクの負けだ。認めよう、お前は強い。しかし、クリスティアナのことを諦めたわけじゃないからな」
「次こそは必殺技で勝負を決めてやるから覚悟するんだな」
握手に応じた健は、そう言って昌憲やクリスティアナたちが待つ客席へと引き上げたのである。




