後日談その二:王子と王女たち(中)
健が槍剣技部門に出場することを決断した翌朝。
夕食までには帰ると言って冒険に出かけた昌憲が、朝帰りしてアトロにお小言を頂戴しているのを横目に、魔法科の制服である黒いローブをまとい、健は魔導学園へと向かった。
学園には、登校する白いブレザーや黒のローブ、そして紺のブレザー姿の生徒が多数。
紺のブレザー姿の生徒は、昌憲キモ入りの魔導工学科の生徒たちだ。
そして、魔法科午前の講義が終わったあとの昼食後。
中庭のベンチには、まったりとくつろいでいる健とアールガッソがいた。
槍剣技科のアールガッソは、濃紺の縁取りがされた白いブレザー姿だ。
「で、どっちに出るんだ?」
「槍剣技部門に出るよ」
「そうかそうか、うんうん。よく決断してくれた。頼みにしているぞ」
バンバンと健の両肩を叩きながら涙を流したアールガッソに、健もまんざらではない様子だ。
と、そこへ二人の女生徒が近づいてきた。
一人は包帯で腕を吊っている。
「もう大丈夫なのか? クリス」
エフィーナの後ろに隠れるようについてきたクリスティアナ。
二人とも下はチェックのミニスカートだが、上はアールガッソと同じような白いブレザーを着ている。
腕を包帯で吊ったクリスティアナが痛々しい。
「ああ、講義を受けるだけなら支障はない。実技はまだ無理だが」
「その姿を見れば分かるさ。災難だったな」
アールガッソとエフィーナ、それにクリスティアナは、学年は違えども同じ槍剣技科である。
槍剣技科は健の学ぶ魔法科とは棟を別にしていることもあり、昼食時や放課後や休日以外ではほとんど顔を会わすことがない。
この四人は休み時間や放課後、それに休日にはよく行動を共にしているのだが、クリスティアナは怪我のせいで数日ぶりの登場だった。
「おおお、お久しぶりです。ケン様」
「こんにちは、クリスティアナ。怪我は大丈夫?」
「はい」
アールガッソに対しては、普通に話せていたクリスティアナ。
しかし、その横にいた健を意識した途端に顔を紅潮させ、ドモリながら挨拶してきた挙動不審な彼女を見れば、クリスティアナが健を意識しまくっていることは誰の目にも一目瞭然である。
そして、爽やかに、かつクールにクリスティアナを気遣って見せた健であったが、裏腹にその内心はクールではなかった。
十五歳になったばかりの健もまた、性に芽生えたばかりのやりたい盛りなのである。
ただ、格好つけたがりの父親の影響を多分に受けているせいか、特に、意識した異性の前では自分を着飾る傾向が強かった。
意識した異性に対してだんまりになってしまう父親とは異なり、多くの女性に囲まれて育ったことで、女性に対する免疫は出来上がっているのだ。
ただし、意識している相手に対して、妙にクールに振る舞ってしまう健が、誰を意識しているかも一目瞭然なのである。
「あ、あのっ! ケン様は槍剣技部門に出場なさるのですか?」
「どうしてそのことを?」
「エフィーナから」
もともとクリスティアナは、健が身体強化魔法を得意にしていて、剣術においても類稀なる才能と実力を持っていることを見抜いていた。
それは、何度か訪れたことがあるファンタジア王城で、バケモノ級の達人相手に行っていた剣術の訓練を、何度か目撃していたからである。
幼少の頃より身体強化魔法が得意だったクリスティアナは、その優れた動体視力でも追い切れない幼い健の動きに、度肝をぬかされていたのだ。
そして、同時に健に対して、絶対的な憧れを抱くようになっていったのである。
パーティー会場で、自分と結婚したければ武闘大会で優勝しろと、マーベリストに言い放ったことを後悔していたクリスティアナは、そんな健が槍剣技部門に出場すると聞いて嬉しくてたまらなかったのだ。
健とクリスティアナ。
学科は違えど、この二人が互いを意識し合っている、というよりは、互いを好きあっていることは、多くの生徒や教師の知るところになっているというのが実情であり、また、この二人の関係は学園の名物にもなっていたりする。
そして、この二人に絡むもう一人の人物もまた、名物だった。
「あぁ、今日もなんと麗しいことか。クリスティアナ、ボクは君のためならどんなことでもできる。今度の武闘大会も君のために戦うよ」
バラの花びらでも舞い散っているかのような、派手なエフェクトが幻視できそうな登場をした一人の生徒。
あの一件以来、会うたびにクリスティアナに求婚するようになったマーベリストである。
「貴様の思い通りには絶対にならん。覚悟しておくことだ、マーベリスト王子」
健と二人だけの世界を作り上げていたクリスティアナは、その世界を破壊した不届き者に対して、見下すように冷たく言い放っていた。
健も機嫌が悪そうである。
じつはコレ、学園では毎度の光景であり、この三人の絡みを見ようと、多くの生徒が離れた所から注目しているのだ。
ファンタジア王立魔導学園は、創立十二年とまだ歴史は浅いが、多くの王侯貴族の子女が大陸中から集まっている。
色恋沙汰が大好物な王侯貴族が、大陸の主要三国の王子王女の恋の行方に興味がないわけがない。
もちろん、生徒の大半は平民であり、平民と言えど難関の選抜試験を潜り抜けてきたエリートである。
選抜試験は、身分の上下なく行われる公平な試験であるため、この学園に在籍する王侯貴族もまた、優秀な人間であることに変わりはない。
が、しかし、いくら優秀な王侯貴族だろうと、その本質は変わらないのである。
もちろん、平民の生徒たちも、今をときめくファンタジア魔導王国の第一王子である、健の恋の行方が気にならない訳はない。
現国王の昌憲が平民のリリルリーリを第一王妃に娶ったという事実も相まって、健に憧れる平民の女生徒も多い。
彼女らの中には隙あらば未来の王妃の座を射止めようと積極的に自分をアピールする者もいれば、ただ単に気になって仕方がないという者も存在する。
もちろん、貴族の女生徒の中にも健の妃になることに憧れる者は多い。
王子王女たちの演じる恋の行方。
その結末が破局に向かうことを願って止まない乙女たち。
ただ単に気になって仕方がない乙女たち。
応援している乙女たち。
妬みの視線を送る野郎ども。
そんな野次馬たちの視線が集まる中。
「あぁ、いつもながらつれない。でもそれがいい。クリスティアナ、君こそがボクの妃にふさわしい」
「そう言っていられるのも今の内だ。槍剣技部門にはケン様が出場してくださるからな」
「ははははっ、笑わせるね。魔法科のケンが果たして勝ち抜けるのかな?」
「そんなことはないっ! ケン様は絶対に優勝してくださるのっ! わたくしと婚約するために!!」
健が槍剣技部門に出場する理由を、クリスティアナのためだということを彼女に話した者はいない。
そして、婚約という言葉は、健はおろか彼女の親友のエフィーナですら聞いたことがなかった。
二人だけの世界を壊されて機嫌悪そうにしていた健も、その大胆な言葉に驚き固まっている。
アールガッソも同じだ。
しかし、エフィーナだけは目を輝かせていた。
売り言葉に買い言葉で、妄想の中だけにしまっておいた言葉をつい口に出してしまったクリスティアナ。
そして、彼女が発した婚約という言葉に、さすがのマーベリストもその表情をゆがめ、肩を震わせていた。
「ケン! 君とクリスティアナはいつからそんな関係になっていたんだ!!」
「い、いや、僕も今初めて聞いた。でも」
固まっていた健は、そう言ってクリスティアナに向き直る。
「嬉しいよ、クリス。こんな僕で良かったら」
「ケン様」
マーベリストのことなど忘れ、再び二人だけの世界を築いて見つめ合う健とクリスティアナ。
その二人だけの世界がまたもや壊されることになる。
「けけけけけっ、決闘だ。ケン、今すぐボクと決闘しろ。クリスティアナは渡さない」
「渡さないも何もないだろ、マーベリスト。武闘大会で決着をつければいいじゃないか」
「それもそうだな。いいかケン。ボクと当たるまで絶対に負けるんじゃないぞ。もし途中で負けたらボクの勝ちだからな」
魔法科の健が勝ち抜けるわけがないと言っていたことも忘れ、そう言ったマーベリストは、肩を怒らせて足早に校舎の中へと消えていった。
仲裁に入ったアールガッソは、そんなマーベリストをヤレヤレと見送ったのである。
武闘大会の前日はその準備のために休校日になっていた。
健も王城で朝を迎えていた。
「おはようございます。朝食の準備が整っております」
「ありがとうアリス。すぐ行くよ」
武闘大会を明日に控えた健は、今日一日、ゆっくり王城で体を休めようと考えていた。
「健、あなたクリスティアナさんとの婚約をかけて決闘なさるんですって?」
「ぶふっ!!」
母、リリルリーリから突然ぶつけられた問いかけに、健は口に入れていたものを吹き出してしまった。
シルフィーネやミルフィーネ、それにルーリは目を輝かせて健に注目している。
そして、昌憲は何食わぬ顔で食事を続けている。
「あらあらはしたない。健、お行儀が悪いですわよ」
「かかか、母様。ど、どなたからそのようなことを……」
「ラキが教えてくれたのよ」
実はこの武闘大会を借りた決闘と婚約の話、王城のメイドたちのほとんどが知るまでになっていた。
というか、王城にいて知らなかったのは、冒険に出ていた昌憲くらいのものである。
そんな昌憲は、興味がないことには、われ関せずのようだ。
息子の婚約に興味がないというのは昌憲らしいが、昌憲は、健のことを既に一人前の男として認めているのである。
そして、学園の学生相手に、健が不覚を取ることなどあり得ないと安心していた。
自分の冒険にはまだ危険すぎて連れていきたがらないが。
王侯貴族の間では決闘こそめったにあることではないが、婚約に関しては生まれたばかりの赤子ですらその対象になることもあって、珍しいことでも何でもない。
というか、十五にもなってそういった話がないことのほうが少ないのだ。
そんな社会背景もあって、リリルリーリや妹たち、シルフィーネなども健が望むならば婚約することに異存はない。
「クリスティアナさまが、わたくしたちのお姉さまになられるのですね。母様」
「ええ、そうですよ。ミルフィーネ」
「まあ、楽しみですわぁ」
「そうね。ルーリ」
シルフィーネとミルフィーネ母娘も、リリルリーリとルーリ母娘も、すでに健がクリスティアナと結ばれることが規定事項になっているようだ。
健は、そんな母娘たちの会話に、ただ赤面するしかなかった。
「でも、剣術ではマーベリストに勝てないかもしれない」
そして、そんな規定事項のような母娘の会話を聞いて、自分の剣術に自信が持てていない健は、急に不安な気持ちに支配されることになった。
そんな弱気になっている健を見かねた昌憲が、朝食後、健の部屋を訪れて勇気づけようとご褒美を提案したのである。
「なぁ健。勝ったら冒険に連れて行ってやろうか」
ベッドに腰を掛けて下を向いていた健が、その言葉に勢いよく顔を上げた。
「本当ですか、父上!」
「ああ、本当だ。リリィたちには内緒だぞ。だから勝て、俺の息子が負けることは許さん」
「うん、絶対に勝つよ!」
いつもの輝きを取り戻した健に、昌憲は畳みかける。
「よく言った。それでこそ俺の息子だ。ヨシッ、特別にご褒美だ。お前に父さんの必殺技を伝授してやる」
「ほ、本当ですか!」
「ああ、教えてやろう。そして、決闘に勝ったらさらにワンランク上の技を伝授しよう」
「勝つっ! 絶対に勝つよ」
昌憲の必殺技を教えてくれると聞いた健は、その嬉しさのあまり、弱音を吐いて自信を無くしていたことなど忘れ、その瞳をキラキラと輝かせていた。
その表情は、かつて昌憲がはじめてこの世界に来て自称覇者の剣を作り上げ、これからはじまるファンタジー世界の冒険に、純情な少年のような期待感を抱いたときと瓜二つだった。
そして、王城の練武場移動した昌憲は、健にいくつかの必殺技を、その名前と共に授けたのである。




