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第六十六話:帝都決戦前


 ロイエンタール帝国に攻め込むと決めた当日の朝、いつもより遅い時間に工作室で目覚めた。出来上がった装備を身に纏い、その上からいつもの黒いコートを羽織って管制室へと向かう。管制室では、すでにアトロがバックアップの準備を進めているようだった。


「準備は昼までに終わりそうか?」

「いえ、すでに完了してますの」

「クロトの方はどうだ?」

「クロトもすでに準備を終えていますの。騎士隊詰所に全員集合済みです」

「それじゃあ、飯食って、いっちょ演説でもしにいきますかね」


 満足が行く装備を創り上げ、十分な睡眠がとれたおかげで体も心も軽かった。それは正に、いまからピクニックにでも出かけるような晴れやかさだった。



 ◇◇◇



 少しだけ時間を遡り、昌憲が襲撃を予定している早朝。ロイエンタール帝国の宮殿では、エンザーニが暗殺されたことを受けて、彼の副官を務めていたメフィストが警備兵を集め檄を飛ばしていた。


「エンザーニ将軍閣下が闇討ちされ、まことに残念ながらお亡くなりになられた。閣下をお守りできなかった護衛はすでにその責をとって全員自害し果てておる。閣下が闇討ちにあわれ、お亡くなりになられたことは真に残念な結果ではある。が、閣下の犠牲を無駄にすることは許されない。エンザーニ将軍閣下は自らの命を以って帝国の危機を我らに示したもうた。閣下も仰っていた事ではあるが、近く敵の襲撃がある可能性が極めて大きい。貴様らは自らの職務を全霊を以って全うせよ! 敵の侵入を許すな! 心して掛かれ!」


 実のところ、エンザーニの護衛たちはエリンギーニ皇帝の逆鱗に触れて、報告に訪れたその場で消し炭にされていたのであるが、エンザーニの副官だったメフィストは、事実を捻じ曲げてそれを美談とし、利用したのである。そしてエンザーニが暗殺された事実を以って、宮殿の警備はより一層厳重なものへとなった。


 しかし、エンザーニの暗殺を命じたアトロの狙いは別なところにあった。暗殺によって宮殿の警備が厳重になるということは、当然織り込み済みだ。


 エンザーニにはエリンギーニ皇帝さえも知らない秘密があることをアトロは見抜いていた。それらを全て考慮に入れた上で、アトロは彼の暗殺を命じていた。


 全ては昌憲の想いを成就させるために。


 エリンギーニの命を受け、エンザーニの代役を務めることになったメフィストであるが、無表情に装っている外見とは裏腹に、その内心はいらだちの極みにあった。


 彼の今の立場は、例え代役といえど地位的には大きな出世であり、襲撃を乗り切れば将軍職に就くことも現実味を帯びてくる。それでも、現時点でその立場につくことはメフィストの望むところではなかったのだ。


 メフィストには大いなる野望があった。その野望のために、いつかは行動を起こす気があるのは彼しか知らないはずのことなのであるが、今はまだその時ではない。そうメフィストは考えていたのである。その計画が、エンザーニの暗殺によって狂わされてしまった。


 警備兵に檄を飛ばし、宮殿の防衛体制を強固にしたメフィストは、宮殿内の執務室に戻り昨日まではエンザーニが座っていた椅子に座って、計画の練り直しをはじめた。


 その状況を彼の知り得ぬ場所から人知れず観察する者がいた。屋敷の管制室で、襲撃計画のフォローとその準備を進めているアトロである。


「さて、これでお膳立ては全て完了したと言いたいところですが……。最後にこの男がどう動くか、ぎりぎりまで見極める必要がありそうですの」



 ◇◇◇



 管制室を出た俺は、ロイエンタール帝国の宮殿に突入する予定の騎士とIALAが集まる騎士隊詰所へと足を運んでいた。詰所には、すでに全員が集合しており、各々、思い思いの時間を過ごしているようだ。


 俺が入ってきたことで、詰所に集合していた騎士たちは即座に姿勢を正して整列をはじめる。


「畏まる必要は無い。楽な姿勢のまま聞いてほしい」


 クロトによって徹底的に鍛え上げられている騎士隊員の精鋭たちは、俺の言葉を聞いて肩幅に足を広げ手を後ろに組んだ。もっと気楽に話を聞いてほしかったが、クロトの指導が行き渡っているのだろう。騎士たちはきっちりと整列した。IALAたちは騎士たちの後方に整列している。


「もう聞いているとは思うが、本日正午過ぎに我々はロイエンタール帝国の敵本拠に乗り込み、敵の首領を打倒する。帝国を瓦解させ、我々の大陸へ侵攻するということが、いかに愚かな行為であるかということを解らしめるつもりだ。そのためには帝国兵士に我々の圧倒的武力を見せつけなければならない。計画に変更はない。宮殿の正面から堂々と乗り込み、力を見せつけ、そして帝国皇帝を打ち倒す。お前たちはそのために集められた精鋭部隊だ。自信を持って与えられた役目を全うしてほしい。以上だ」


 我ながら柄にもない大層なことを言っているな、これではどこぞの独裁者と変わらないじゃないかと、自分の言い放った台詞に嫌悪感を抱いていた。


 もちろん、大言壮語を語ったつもりはないし、普段は調子に乗ってもっと偉そうなことを口にすることはある。しかし、初めて経験する一国を滅ぼそうという出撃に、今まで考えもしなかったこと気になりだしていた。


 自分たちの身を守る事に繋がる最も手っ取り早い方法だと分かっているとはいえ、 これから行おうとしていることはまごう事なき侵略であり、もっと穏便な方法は無かったのかと自問を繰り返していた。


 しかし、いくら繰り返したところで、宣戦布告も無しに侵略してきたのはエリンギーニの方であり、その防衛戦において犠牲と出費を強いられたことは確かだ。


 エリンギーニの打ち出している国家拡大方針と、彼の性格を考えれば、彼が生きている限りこの手の侵略戦争は無くならないだろう。しかし、例え彼を亡き者にしたところで、同様の思想を持った者が力をつければ、同じことの繰り返しではないか?


 かつての地球でも、領土拡大や資源確保のための侵略は何度も繰り返されてきたことであり、侵略や強奪は人間の性ではないのか? ならば、今エリンギーニを亡き者にしたところで、それは無駄なことになりはしないか?


 自問を繰り返すうちに、なにが正解なのか、自分の選択は間違っていないのかと、ここに来ても迷いというか戸惑いを覚えていた。


 しかし、すでに出撃準備は整っており、騎士たちにはあんなに偉そうな演説まで垂れてしまっている。ここで今更、出撃は無しだと言い出すことなど出来ようはずはない。


 エリンギーニ打倒の方針を打ち出し、その準備を進め、自分用の新しい武具を作ろ終えたときまでは迷いや葛藤は無かった。それは、理不尽に襲いかかってきたエリンギーニに対する怒りと、防衛戦を勝利に導いた高揚感と、そこまでに至る忙しさによって深く考える時間をとれなかったからだろう。


 万全の準備を整え終え、少しではあるが時間に余裕ができてしまったことで、これから自分が行おうとしていることへの迷いと葛藤を覚えてしまったのである。


 僅かにできた余裕が考える時間を生み、嫌悪感が迷いや葛藤に変わってしまった。もう少し考える時間が欲しい。そう思いながら管制室へと向かっていた。


 リリルリーリと健と、出撃までの少しの時間を共に過ごそうと考えていたが、今の顔を見せて心配させるわけにはいかない。だから出撃までの時間を管制室で過ごそうと思った。しかし、俺を見たアトロは開口一番こう言ったのである。



「なんですのマーサ、その腑抜けた顔は。剣の出来栄えが思うようにいかなかったのですか?」

「いや、剣は思い通りの仕上がりなんだけど」

「歯切れが悪いですね」

「アトロには分かるか? 俺たちがやろうとしていることは、エリンギーニと同じことなんだぞ」

「いまさら怖気づきましたか。よく考えてください。マーサ、貴方がやろうとしていることは、両大陸に住む民の願いですの。それはすでに調査済みじゃないですか」


 アトロの口調は穏やかだった。

 しかし、決して昌憲を元気づけようだとか、奮い立たせようとしているのではない。


 穏やかな口調とは裏腹に、その表情はいつもと変わらない冷徹なものであった。

 昌憲は今、悩みと葛藤にさいなまれているが、そんな昌憲に対しても、アトロが変わることはないのだ。

 昌憲の判断材料となる事実を冷静に判断して述べる。

 それが、アトロの役目なのである。


「それは分かっているつもりだよ、アトロ。けど、いくら民が願っていたとしても、皇帝を殺したとしても、いずれはまた誰かが同じことを繰り返すと思うんだ」

「そんなことで迷っていたのですか。いいですか、マーサ。貴方は地球で築いた地位や名誉を捨ててまでこの世界に来たのです。それは何のためですか?」

「そんなこと決まってるさ。ワクワクするような冒険をするためじゃないか。戦争をするためじゃない」

「そう、マーサはそれでいいんです。”でも”とか”だけど”は禁止ですの。いいですか、貴方は自分のことだけ考えていればいいんです。ファンタジアの民もそんなマーサに付いて来ましたの。そのためには、理不尽な邪魔をする者が現れたら排除すればいいだけです。何度でもです。それに、恒久的な平和なんてあり得ないことじゃないですか? 人間の欲は際限がない。それは歴史が証明していますの。マーサが気にすることではありません。貴方は自分の理想のため、やりたいことをやるために動けばいいんです。そう考えて国を興したんじゃないですか。そのために犠牲にしなければならないこともあるでしょうが、それはその時に考えればいいんです」

「そうなんだけどな……」


 アトロの言っていることはよく理解できた。確かに俺は自分の夢に従って、これまで迷うことなく突き進んできたのだから。


 しかし、国王という立場になって妻子ができたことで、自分以外の者についても考える必要性が出てきたことも確かである。それが、迷いを生じさせていた。


 たとえ相手が欲にまみれた人道にもとる人間であったとしても、邪魔だからと言って殺してしまっていいのだろうか? 国を滅ぼしてしまってもいいのだろうか?


「”だけど”は禁止と言ったはずですよ、マーサ。すでに貴方の望みを叶えるために、結果的に何人もの人間を殺してきているのです。しかし、その行為は多くの者の支持を得ていますの。全ての人間の支持を得ることなんて不可能。全ての人間の夢を叶えることも不可能なんです。人を殺すという行為に、完璧な是はないでしょう。しかし、人道にもとる者を放置しておけば、結果的により多くの者が犠牲になりますの。しかも、帝国皇帝エリンギーニは強欲と選民意識の権化。マーサ、貴方は彼の存在によってこれから散っていくかもしれない命まで、その責任をしょい込むつもりですの? エリンギーニには戦争責任を取ってもらう必要があるとマーサも言っていたじゃないですか」


 このときはまだ納得していなかだったが、アトロが言った「責任をしょい込む」「戦争責任」、この二つの言葉が切っ掛けだった。


 エリンギーニを殺し、結果的に彼の国を滅亡させるという大それたことをしようとしている自分に、強い責任を感じていたのだと考えることができたのである。


 アトロが言うように、このままエリンギーニが存在し続けることによって起こる悲劇や、犠牲になる命を考えれば、その責任まで全てをしょい込むことなど自分には絶対にできないだろうと考えることができた。


 ロイエンタール帝国を滅ぼせば、次の覇権をめぐって争いが起こるかもしれない。しかしロイエンタール帝国の滅亡は、、恐怖政治と圧政に苦しむ西の大陸の民や権力者に、自分の意思で行動できる自由を与える切っ掛けになるはずでだ。


 ロイエンタール帝国が滅びた後のことまで俺が責任をしょい込む必要は無い。西の大陸に住む者たちで自由にすればいいのだ。


 エリンギーニには侵略戦争を引き起こした重大な責任がある。戦争になれば多くの犠牲が出ることは必定。侵略戦争は彼の利己的な欲求によるものだから、その責任をとる必要がエリンギーニにはある。


 この、戦争責任の追及という大義を失念していた事に気づいた。それほどに、皇帝を殺害し一国を滅ぼすということが、地球で育った俺にとっては大それたことだったのである。


「なんか吹っ切れたよ。思い出させてくれてありがとう、アトロ。リリィと健の顔を見てくる」


 そう言って管制室を出ていった俺の気分は晴れやかだった。そして、いまからピクニックにでも出かけるような気軽さで妻子にこう言ったのである。


「今からちょっと悪の首領をブッ飛ばしてくる。明日は健を連れてピクニックに行こう」

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