第六十二話:二人のツワモノ
マサノリ・ティル・ヒラサワ・ファンタジアと名乗り、見たこともないほどに見事な剛剣を構える黒づくめの男。その男から発せられるピリピリと痛い魔の圧力に、アルセーニは久しぶりに訪れた剛の者を感じとり、期待に胸を躍らせていた。
自らの持つ剛槍の間合いギリギリ、それはアルセーニが感じとったその男の間合いでもあった。その間合いを堅持する。うかつにはそこに踏み込めない。そして踏み込ませない。
軽々しく踏み込めば、なにが起こるか分からない。しかしそれは、アルセーニにとって喜びであって恐怖ではなかった。
いっときの静寂。
周囲の戦いから隔絶されたその世界でアルセーニが駆ける。小手先の技は要らない。己の持てる力のすべてを槍先の一点に集中させ、一合。
アルセーニは、実戦と鍛錬で鍛え上げ、想いを乗せた渾身のひと突きを突き入れる。 しかし、その剛槍はすんでのところで見事に打ち払われた。
「やるじゃないか。けっこう手がしびれたぞ」
「貴様の払いも見事だった。我が槍術を存分に振るえるこの機会、存分に楽しませてもらおう」
「ふん、戦闘バカの類か。だが、そういうのは嫌いじゃない。せいぜい楽しませてもらおうか」
◇◇◇
一方そのころ、昌憲が戦うすぐ近くでは小競り合いなどではなく、初めて経験する本格的な戦いに身を引き締めながらも喜びを感じていた男がいた。
かつて北方の帝国に属する小国の騎士隊長を務めた、ファンタジア魔道王国の現王国騎士隊長であるアーセルハイデルだ。彼はもともと、シリアンティムル帝国に属する小国セイシェルの騎士隊長だった。
その頃のアーセルハイデルは、隣国との小競り合いくらいしか戦いの場に赴いたことはなく、クロトの配下になってからも、国の存亡をかけるような本格的な戦いに参加したことはない。
騎士の本懐とは、主のために忠誠をつくして戦うことである。クロトという新たな主を得、忠誠を誓い、今まで戦ってきたが、今日の戦いは国の存亡どころか大陸の存亡をかけた戦いである。その本格的な戦いに主と共に参加できることは、彼にとってこの上ない喜びだった。
実際にその敵と戦った今、敵がたとえ訓練された魔獣だったとはいえ、単独では絶対に勝てないその魔獣を、ファンタジアでも戦ったことがないような強さを持ったその魔獣を、部下の騎士たちとの規律のとれた連携で連破したことには、今までに感じたことがない充実感と高揚を得るに至ったのである。
そして今、アーセルハイデルと彼の指揮する騎士隊の眼前には、ボートに乗った敵の本隊が攻め入ってきていた。
「アーセルハイデル! 一人たりとも大陸に侵入させること、まかりなりません」
「御意! ファンタジア王国騎士団、眼前の敵兵を粉砕せよ! 侵入を許すな!」
◇◇◇
昌憲が敵の武将と対峙している。
それを邪魔する無粋な者の排除と、もしもの時のために、彼の転送をいつでも行えるように周囲を、戦う二人の周囲を警戒する者の姿があった。昌憲の懐刀を自認するアトロだ。
アトロは妹にあたるIALAたちとの通信網と、自身の目で直視した周囲の状況から、この戦いが、すでに勝ち戦であることを確信していた。三十人規模の小隊とそれを補佐するIALAの連携に、上陸してきた魔猿はそのほとんどが命を落としている。
いくつかの魔道具が故障し、いや、恐らくあの男に破壊されたのだろうとの推論を得るに至っていたが、その影響も自らの主に告げる必要性を認めなかった。
故障した魔道具の合間を縫って侵入してくる敵の兵士も、魔猿を倒し終えた小隊に比べればはるかに少数であるし、流れに逆らって長時間ボートを漕いできた疲労も大きい。
案の定、上陸してきた敵兵はクロト率いるファンタジアの騎士隊に囲まれ、血で海を赤く染めていた。敵艦の艦砲もそのすべてを無力化することに成功している。
それならば、自分の仕事は主の楽しみを邪魔する輩が現れないように警戒を強めるのみである。二人の戦いぶりを見たところ、主が負ける要素も認められない。
「油断は禁物ですの」
もしものことが起こるとは考えられないだろう。そう戦況を分析したアトロではあったが、彼女が警戒を怠ることはなかった。
◇◇◇
渾身のひと突きを打ち払われたアルセーニは考えていた。想いを乗せたひと突きを打ち払われた。しかし、想いまでは打ち払われてはいない。
手がしびれたと軽口をたたいてきた敵将の動きは、想像をはるかに超える速さと、力強さと、正確さを兼ね備えていた。それはまさに、彼こそが想い焦がれた好敵手であることの証だ。魔法に頼り切った輩ではない。”武”を前面に押し出した好敵手である。
ならばとアルセーニは考える。敵の武が、黒づくめの男が、想像をはるかに超える速さと、力強さと、正確さを兼ね備えているならば、自分はそれらを合わせた総合力と経験に裏打ちされた技の運用で上まわればいい。
皮一枚の見切り、最小限の力でのいなし、技と技をつなぐタイミング、体捌き。それらを駆使して上まわればいい。そう思えるだけの余裕と経験、それに自信がアルセーニにはあった。
「少しギアを上げるとしよう」
黒づくめの男が吐いたギアという言葉、その言葉の意味をアルセーニは知らない。しかし、彼には予想ができていた。今よりレベルが上の攻撃が来る。
アルセーニはその予想、経験に裏打ちされた己の勘に従い集中力を上げる。僅かな魔の揺らぎも、僅かな筋の動きも、息づかい、目の動き、全てを読み取って見極める。そう自分に言い聞かせ、黒づくめの男を注視していた。
黒づくめの男が動く。その男から漏れ出る魔。それが足元へと集中し、気がつけば既に間合いの中。脳天をかち割らんと振り下ろされた剛剣を、アルセーニはとっさに鋼鉄製の槍の柄で受けた。
刹那、嫌な感触がアルセーニの両手に伝わる。弾くではなく、めり込む感触。
アルセーには、剛剣の力をねじる様にして外側下方へといなす。そして、その力に逆らうことなく体を捻った。剛槍はアルセーニの体に巻き付くような軌跡で円弧を描く。そのまま黒づくめの男の頭部へ襲いかかた。しかし、すでにそこには黒づくめの男はいない。
「今のはヒヤっとしたぞ。あのタイミングで俺の剣を受けながしてさらに反撃ができるとは恐れ入った」
「よく言う。その剣は何だ。鋼鉄製の槍の柄が切れかかっている」
「よくぞ、よくぞ聞いてくれた。その名も覇者の剣。この世に二つとない逸品だ」
「…………」
剣を掲げて自慢げにそう言った黒づくめの男に、アルセーニは返す言葉がなかった。 アルセーニは”何で出来ている”剣だと聞いたつもりだった。
しかし、返ってきた答えは『覇者の剣』という、子供向けのおとぎ話に出てくるような剣の名前だった。
脱力しかけていたアルセーニは、いかんいかんと集中を高めなおす。いまだに満足そうに剣を掲げて悦に浸っている黒づくめの男は隙だらけのように見えるが、うかつに間合いに入ることは、アルセーニの勘が否と告げていた。
黒づくめの男を見守るように腕を組んでいた女戦士。彼女も相当に出来るということは、漏れ出ている魔圧から伺えたが、彼女が額を押さえて渋い顔をしていることからも、あの黒づくめの男が隙を見せていることは明らかだった。
それでも、アルセーニには分かってしまう。うかつに飛び込めば返り討ちにされてしまうということが。
見極めなければならない。自分から動いたのでは絶対に勝てない。カウンターを決めなれば絶対に勝てない。そう、アルセーニは理解していた。
「あんたの強さに敬意を表して、そろそろ本気で行かせてもらおうか。覚悟はできてるよな」
「ふんっ、望むところだ」
真剣な顔に戻った黒づくめの男が、今まで片手で持っていた剣を両手で構えなおした。 アルセーニは一気に集中を高める。
そして、黒ずくめの男が消えた。
気がつけば、剛槍は持ち手のすぐ上で真っ二つに切断され、男の拳がアルセーニの鳩尾にめり込んでいたのだ。カウンターを決めるつもりで極限の集中の最中にあったアルセーニだったが、黒づくめの男はその数段上の速度と力で勝負を決していたのである。
しかし、今まで感じたことがないような高揚感と充実感にアルセーニは満たされていた。崩れ落ちる最中、アルセーニは満足そうな顔で意識を手放したのだった。
◇◇◇
ロイエンタール帝国軍兵士に先んじて上陸してきた敵将、名をアルセーニと名乗ったその将を打倒した俺に、戦いを見守っていたアトロが歩み寄ってきた。
アトロの後ろで俺の戦いぶりを見守っていたファンタジア連合軍の兵士たちから、怒号のような雄叫びが上がっている。
「すでに防衛戦の大勢は決したようですの。どうしますか? マーサ」
「俺は一旦城に帰る。アトロもその男を連れて一緒に帰るぞ」
『クロト、聞いているか?』
『……なんでしょうか主様』
『防衛戦の大勢は既に決したことだし、俺はアトロと共に先に城に帰る。事後処理を頼まれてくれるか?』
『了解しました』
「……どうするんですの? この男」
「ああ、城の地下牢にでも放り込んでおいてくれ。これだけの強者だ、殺すには惜しい」
「懐柔を試みるのですか?」
「まあそんなところだ」
気絶したアルセーニを肩に担いだアトロと共に、俺は妻子の待つ城へと帰還のだった。
◇◇◇
昌憲が去った海岸では、水流操作の魔道具がアルセーニによって破壊された場所から、少数のロイエンタール帝国軍の侵入が続いていたが、クロト率いる騎士隊に上陸を阻まれ、次々にその命を散らせていた。
その後もその状態がしばらく続いていたが、ほとんどのボートは戦艦へと引き返し、そしてその艦隊も海岸からは見えなくなった。こうして大陸連合軍は、ロイエンタール帝国軍の侵略を防ぎ切ったのである。
勝利が確定し、ロイエンタール帝国軍が引き上げた直後の海岸線では、大陸連合軍の兵士たちが発する勝鬨が長時間鳴り響いていた。
◇◇◇
城に帰着した俺は急ぎシャワーで汚れを落とし、妻子に元気な顔を見せていた。妻リリルリーリのほっとしたような笑顔と、息子健の安らかな寝顔に迎えられ、心洗われた気分だった。
「マーサさま、ご無事で何よりです」
「どれどれ」
リリルリーリから健を渡され、まだ首が座っていない息子を慎重に抱き上げると頬が緩むのを抑えられない。ついこの前までは、我が子がこれほど愛おしいとは考えてもいなかった。
目に入れても痛くないと、子供の写真を見ながらだらしない顔をしていたかつての研究仲間、その気持ちを身に染みて実感していた。敵との戦いには心踊らされるものがあるが、戦争での戦いは望むところではない。
息子の時代にその火種を残すわけにはいかない。寝息を立てる息子を見ながらそう心に誓った。
そして自室に戻った深夜、防衛戦の事後処理に駆けずり回っていたクロトから通信が入った。
『主様、戦果がまとまりましたが、お聞きになられますか?』
『そうか、ご苦労だったな。聞かせてくれ』
クロトの報告では、大陸連合軍の戦死者百五十一名。重傷者は八百三十名。
対して。
ロイエンタール帝国軍兵士の戦死者は五百二十二名。捕えた捕虜は重傷者含めて三百二十五名。魔猿は全て死亡。とのことだった。
『――分かった。今後のこともあるから、クロトは引き続き事後処理を頼む』
『了解しました。主様』
俺がクロトに言った言葉。
『今後のこと』
それには深い意味がある。ロイエンタール帝国艦隊は確かに引き上げた。その進路は西の孤島へと向かっていることが探査衛星で確認できている。
このまま何もしないで放っておけば、彼らが再度攻め込んでこない保証などどこにもないのだ。そう、『今後のこと』とは、ロイエンタール軍が二度と攻め込んでこないように、なにがしかの手を打つということである。
防衛戦において、大陸各国の絆を強めるためにあえてギリギリのところで迎え撃った。そして実際に勝利した。しかし、ロイエンタール帝国皇帝エリンギーニがその程度で諦めるような輩ではないことは、調べがついている。
ならば。
エリンギーニの息の根を止めてでも再侵攻を防がねばならない。大陸への侵攻など無謀なことであると、知らしめてやる必要がある。
そう決心し、妻と息子の笑い顔を想い描いて床に就いたのだった。




