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第六十話:決戦前夜


 アルガスト王国からファンタジアに戻った俺は、防衛戦へ向けての準備を進めていった。そして余談だが、アトロによるとこの防衛戦が終われば、シルフィーネを嫁にもらわねばならないことは決定事項であるらしかった。アトロにラキにリリルリーリにまで当然のように言われてしまっては逆らいようがなかった。


 それはさておき、大陸各国、各団体も役割に応じて急ピッチで準備を進めている。そして孤島の住民救出から二十日ほど経ったある日、シルベスト王国で実務者会議を取りまとめているアトロから通信が入った。


『マーサ、聞いていますか』

「……どうした?」

『敵艦隊が動き出しましたの』


 ついに敵が動き出したようだ。敵軍の規模は一基の砲門を備え付け、二百名の兵士を乗せた艦船が三百隻強。しかも各艦には強制催眠をかけられた魔猿が五頭積み込まれている。


 ようするに、三百を超える大砲と、六万を超える敵兵、千五百頭強の魔猿が敵軍の戦力である。しかも、兵の錬度でいえば敵兵の方が圧倒的に上だ。


 対する大陸連合軍は総数五万五千の兵力と、俺配下のIALARW百体、そして俺考案の魔道具だった。こちらのアドバンテージは陸側から応戦できるということと、敵が長い船旅である程度疲弊しているということ、敵にとって未知の魔道具とIALAというチートな戦力がいることである。


 しかし、百体のIALAは魔猿と敵艦砲への対処で手一杯になると予測できていた。艦隊が動き出したということは、船足を考えれば二十日後には大陸のシルベスト王国海岸に殺到してくるだろう。


「決戦は二十日後辺りだな。そっちの準備は間に合いそうか?」

『ぎりぎりですが、なんとかなりそうですの』

「それはよかった。準備を進めてくれ」


 アトロとの通信を切った俺は、魔道具の制作状況を確かめるためにイフェタ魔導王国魔工業協会本部に赴いた魔工業協会本部敷地内の格納庫には、防衛戦で使用する予定の魔道具が所狭しと並べられていた。


 製造棟や試作棟、研究棟全てで魔道具製作の組み立て調整が行われ、魔導技術者たちがせわしなく動き回っている。そのなかで指揮を執るシルバーミントを見つけると、彼のもとへと歩み寄った。


「よう、順調に完成しているようだな」

「これはこれはマーサ殿。いまのところは順調ですぞ」

「予定数量まであとどれくらいだ?」

「今のペースだと十日あれば何とかなるだろう」

「よかった。何とか間に合いそうだな」

「その言いようだと、敵が動き出したのかね?」

「ああ、二十日後には襲撃してくるだろう」

「しかし、敵も哀れよ。この魔道具の効果でどれだけの徒労感をあじわうことか」

「油断はできないがな」

「それもそうだ。もしものことがあるといかん。できるだけ製作を急がせよう」


 切り札である魔道具の製作が順調に進んでいることに安心した俺は、妻リリルリーリと息子健のもとへと帰還していった。


 考え得る全ての対抗策を実行に移した。あとはアトロとクロトに任せておけば俺の出番は決戦の時まで無い。そのときまで、魔道具が完成するまでの約十日間、俺は妻子と共につかのまの余暇を満喫するつもりだ。



 ◇◇◇



 昌憲がファンタジア王城でつかのまの余暇を過ごしているころ、ロイエンタール帝国を出航した帝国軍は三百隻を超える大船団で東に向かって航海を続けていた。船団の中央に位置する他の船より一回り大きな旗艦に、皇帝エリンギーニに特務を任された男が乗艦していた。


 その旗艦の船首デッキで、潮風を真横から受けながら前方を見据える身の丈二メートルはあろうかという大男。短く切りそろえた深紅の頭髪は、潮風に抵抗するがごとく天を向いていた。この男こそ、ロイエンタール帝国軍一の猛将と呼ばれている、帝国軍第三将アルセーニである。


「楽しみじゃねぇか。猿共を一撃で切り伏せただと。もしその話が事実ならば……」


 アルセーニは自分と同等以上の実力を持つかもしれないという、敵将の存在を皇帝エリンギーニに知らされていた。さらに、その部下数十名も魔猿を苦にしないほどの実力者であるらしい。


 アルセーニには、帝国軍一の武人と恐れられ、事実その通りの戦績を積み上げてきた自負と自信があった。そして、強者と武を競い合いたいという欲求が強かった。


 帝国最強は齢五十を超えてなお、他の追随を寄せ付けぬ強さを誇る皇帝エリンギーニその人である。その事実は、かつて敵として彼と幾度となく剣を交えたアルセーニも身を以って知っている。


 しかしアルセーニは、どちらかといえば魔法を戦いの主体とするエリンギーニとの戦いに、武と武を競い合う喜びを見出すには至らなかった。


 確かにエリンギーニは恐ろしく強い。自分では絶対にかなわない。それは分かっているが、彼と武を競い合いたいとは思えなかった。


 アルセーニがエリンギーニに従っているのは、戦に負けたことによる義理立てというか責任感によるものだ。決して忠誠を誓っているわけではない。


 魔猿を一撃でき切り伏せたという敵将の実力。その敵将と戦ってみたい。その敵将の戦い方が魔法主体でないことを願わずにはいられないアルセーニだった。



 ◇◇◇



 つかのまの安息の時は流れ、俺のもとにシルバーミントから魔道具完成の連絡が入ったのは、アトロからロイエンタール帝国軍の出向を知らされて十三日が経過していた。


 材料の見積もりを誤るというトラブルに見舞われ、予定よりも三日遅れの魔道具完成だったが、敵の襲来にはまだ時間があった。アトロからの連絡では、西の孤島で食料などの補給を済ませたロイエンタール帝国軍が孤島を出航したのが二日前。


 計算ではあと七日から八日でシルベスト王国に到着するはずだ。大陸連合軍はファンタジアからシルベスト王国に向けて既に出発しており、敵軍襲撃の五日前にはシルベスト王国の上陸予想地点に布陣する予定である。その二日後、俺は魔道具の移動に合わせてシルベスト王国の海岸線へと足を運んでいた。


 上陸に適した地形は俺が到着した海岸線で、その幅は約五キロメートル。大陸を分断するターリア川が注ぎ込むシルベストの海岸線は、遠浅の海岸になっており、予測上陸地点が王都から比較的近く、帝国の艦船が最も陸に近づける場所である。


 それ以外の海岸線はかなり沖の方まで遠浅な海底が続き、喫水の深いロイエンタール帝国艦隊が近づくことはできない。俺が敵軍の上陸地点に予測した場所は、小さな港を有しており、陸地から五百メートルほどまで大型船が近づけることが分かっている。


 この情報は、敵軍の知るところでもあった。帝国軍艦隊には上陸用の小型艇が積載されていることが確認できている。


「遅れて申し訳ない。マーサ殿」

「はじめ造る大型魔道具だ。ぶっつけでここまでできれば大したもんだ。無事に間に合ったしな。それより今は設置を急ごう」


 魔道具の設置作業を眺めていた俺を見つけ、走り寄ってきたシルバーミントが申し訳なさそうにしていた。高さ一メートル、横三メートル、奥行き一メートルの黒い直方体に、高さ五十センチ、横幅二メートルの楕円形の穴が開いた大型魔道具が海岸線に沿って運び込まれていた。


 その数二百五十台が約二十メートル間隔で海岸線に並べられている。一台あたりの製作費は大金貨十二枚。二百五十台で大金貨千八百枚。日本円換算で七億円強である。


 この魔道具が果たす役割を考えれば、ずいぶんに安上がりな兵器だと俺は考えていた。今日から明日にかけてこの魔道具を海中に隠すことになる。


「しかし、こんなもので敵の侵攻を本当に食い止められるのかと、いまさらながら不安がぬぐえんのだが」


 この前会ったときは敵の心配をする余裕があったというのに、決戦が近づいて不安になったのだろう、そう言って心配そうな顔をしたシルバーミントに、俺は自信に満ちた笑顔で答えた。


「なに、きっちりと計算してあるから心配する必要はない。敵の魔猿には効かない可能性が高いが。人間相手ならこれで十分さ」

「大金貨二千枚を切る低額で、敵本体六万の侵攻を阻めるのなら安い投資なのだが」

「確かに安い投資だ。しかし、投資額が少ないからといって戦果に影響が出るということはない。重要なのは魔道具の性能さ。テストでは問題なかったのだろう?」

「ああ、出力に関してはマーサ殿の計算通りの数値がでている。魔道具を使う魔導師たちの魔力が持つ限り期待通りの出力が得られることは保証しよう」

「だったら大丈夫だ。心配することはない」


 今一つ納得しきれない感じのシルバーミントに対し、当の俺は自信に満ちた顔をしてみせた。



 三日後、魔道具の設置を終えたイフェタの魔導具製作部隊は魔道具の最終調整を終わらせ、一部を残して帰国の途に就いた。そして入れ替わるように、ファンタジアで訓練していた大陸連合軍本隊が海岸へと到着した。


 決戦の時間まであと四日、アトロからの報告によると敵艦隊の航海は順調そのものだった。海岸線には大陸連合軍を率いてきたクロトに、実務者会議をまとめていたアトロも既に到着している。三人は海岸線の内陸に設置された大陸軍本営のテントで顔を合わせていた。


「久しぶりですの。マーサ」

「主殿、少しくらいは練兵に顔を出して下されば兵の励みになりましたのに」

「すまんすまん。アトロにクロト、よくやってくれたと礼を言うよ。本当に助かっている」


 少しだけ不機嫌そうにしていたアトロとクロトだったが、俺の申し訳なさそうな顔を見ると、口には出さなかったが笑顔を見せていた。


 クロトが「砂浜での訓練が残っていますから」と退席したテントの中で、アトロから敵将にかかわる情報が告げられていた。


「敵軍に一人だけですが戦闘能力値が突出している者がいますの」

「どれくらいだ?」

「遠距離からの測定なので正確な数値ではありませんが、五千を超えていることは間違いないかと」

「五千か。そいつは兵卒か? いや、それだけ強いなら兵卒ということはないか」

「ええ、ロイエンタール帝国軍の第三将にあたりますの。指揮官ではありませんが、恐らく貴方に対抗するために送られた刺客かと」 

「分かった。そいつには手を出すな。せっかく来たのだから俺が相手になってやろう。最近は緊張感のある戦いをしてないからな」

「分かりましたの。有りえないとは思いますが、分が悪いと判断した場合は手段を選びません。いいですね?」

「ああ、もしもの時は頼むよ。で、そいつの名は分かっているのか?」

「ロイエンタール帝国軍第三将アルセーニ将軍ですの」

「覚えておくとするか。ところで、防衛戦終了後の事案についてはまとまったか?」

「ええ、問題ありませんの。各国の同意は得られました。犬どもも帝国内に送り込んであります」

「ならば、当面は防衛戦に集中するとしようか」


 テントを出た俺は、行軍の疲れも感じさせずに砂浜を走る連合軍兵士を見て、随分とクロトにしごかれたようだなと幾分の安心感を覚えることができた。


 そんな彼らを横目に、魔道具を操作する魔導師たちに使い方のコツを伝授しようと、彼らがが集まる海岸線の一角に向かったのだった。



 それから二日間は、各部隊の最終調整と連携の確認が行われ、襲撃前日は兵士たちに一日の休息が与えられた。もちろん、街に繰り出すことは認められていないしアルコールもご法度だが、いつもより豪華で多めの食糧が配給され、各人が思い思いの一日を過ごしていた。


 決戦を明日に控えた夕方、俺は一旦王城へと戻り、リリルリーリと息子の健とのひと時を過ごした。二人が眠りについたことを確認したのち、転移でシルベストの海岸へと戻った。


 アトロとクロトに迎えられた俺は、本営のテントの中で最後の報告を受けていた。


「敵の動きは?」

「明日の早朝には船影が見えると思われます」

「そうか、連合軍の方はどうだ?」

「いまのところ順調です。全ての準備が整いました。クロト、兵たちの様子はどうですか?」

「はい、十分な休息をとることができたようです」

「そうか、いよいよ明日だな。俺はもう少ししたら寝るから敵艦隊が見えたら起こしてくれ」

「了解、マーサ」


 決戦前夜、テントの外に出た俺は、雲一つない満点の夜空に浮かぶ動かぬ月を見上げ、これからはじまる大陸の存亡をかけた戦いを前にその身を震わせていた。


 もちろんそれは、恐れをなしてのものではない。戦いに完勝してこの世界に己の名をとどろかせる。それは俺がわざわざこの世界に転移してきた目的の一つでもある。


 この戦いは望んだことではないし、もっと誰からも認められることで世界中に名を成したかったのが本音だった。しかしそれでも、敵が攻めてくるのだからせめてこの大陸に住まう人々に希望を与えられることを成そう。そう決意した俺は、きびすを返してテントに引き上げたのだった。

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