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第五十九話:飛び回る科学者


 ロイエンタール帝国軍を迎え撃つための戦略が決まってからは、作戦に参加する各国家及び団体が、それぞれの役回りを持ち帰って調整に当たっていた。シルベスト王国に設けられた実務者会議では、アトロ主導で作戦や役回りの細部について詰めの作業が続いている。


 シルベスト王国内では、クロトによる騎士隊と王国軍へのしごきとも取れる厳しい訓練が行われていた。この訓練には、シリアンティムル帝国とアルガスト王国の騎士たちも帰国することなく参加している。


 そして数日後、両国のその他の騎士や兵士たちも、そのほとんどが訓練に参加してきた。さらに、俺の呼びかけに賛同した冒険者ギルドやハンターギルド、傭兵ギルドに所属する者たちも訓練に加わった。


 冒険者仲間のリーガハルやかつてのハンター仲間のサッハディーリッツェ、怪我をしていたために狩猟祭に参加できなかったエーリッツェ、そして、隣国の王子マーガッソまでがクロトにしごかれていた。


 最終的に、ファンタジアで訓練する連合軍の兵数は四万五千を数えた。要するに、防衛戦に参加するほとんどの兵士がファンタジア王国に集結したのだ。


 ただし、戦地となるであろうシルベスト王国軍は、防衛戦準備のために自国内へ留まっていた。ファンタジア王国王都南部の広大な草原では、各所属団体ごとに訓練用の陣が敷かれ、クロトやその部下のIALAたちによって、過酷でありかつ実践的な訓練が、連携をとりながら集中的に行われている。


 そんななか、俺は自室に籠って書類と格闘していた。書類といっても、(まつりごと)に関するものではない。計算書をもとに、防衛戦で使おうと考えている魔道具の図面をチェックしているのだ。


 俺の自室にはリリルリーリと息子の健、ラキの姿もあった。少しでも家族と一緒にいたかった俺が望んだ結果だ。


「よしっ、完成だ!」


 そう言って机を離れた俺は、ベッドに座って健をあやしていたリリルリーリとラキのそばに歩み寄った。そして健の顔を覗き込む。


「ちょっと行って来るからな。いい子にしてるんだぞ」


 ダァダァと元気に両手を伸ばしてきた息子に笑顔を見せると、図面を持って部屋から転移したのである。その先は、イフェタ魔導王国の王城の一室だった。そこはかつて、俺が国王ヘイゼルハーベスタントと密会した場所だ。


 そこには俺からの連絡を受けていたシルバーミント伯爵が待ち構えていた。今や遅しと。


「すまん、少し遅れた」

「ささっ、図面を見せて下され」


 待ちかねていたシルバーミントは、挨拶もすっ飛ばして俺から強奪した図面に見入っている。俺としてはとっとと説明を済ませて次の用事を片付けたいのだが……。


 腕を組んで立ったまま、貧乏ゆすりをはじめた俺の小刻みに揺れる足を視界の端にとらえたシルバーミント。


「もう少し待ってくれ」


 そう言って、シルバーミントは悪びれることも無く図面に没頭している。俺にしても、約束の時間に遅れてきたこともあって催促することに気が引けていた。


 イフェタ魔導王国は、大陸連合軍に魔導兵を派遣し、作戦に使用する魔道具の制作及び提供をおこなうことが決まっている。大陸各国の存亡がかかった防衛戦になるので、もちろん金銭は絡んでいない。


 それは魔導技術を提供する側のファンタジアにしても同じである。どれくらい待っただろうか、体感的には一時間を超える時間だったが、ついにシルバーミントが顔を上げた。


「惜しいな、これほどの魔道具を使い捨てにするのか」

「そこまで理解したならもう説明はいいよな? それに、使い終わった魔道具は自由にしても構わん。持ち帰って好きに研究すればいいさ。じゃあな」


 そう言って帰ろうとしたしていた俺に、シルバーミントは口角を吊り上げた。


「なにを言っているのかねマーサ殿! 聞きたいことはまだ山のようにあるぞ」


 結局、この日俺は日が沈むまで質問攻めにあうはめになった。最後は根負けした俺が、動力系の部品を交換すれば他にも用途があって流用が可能であると説明したところで、シルバーミントを満足させることが出来たのだった。


 シルバーミントに開放された俺は、この日の午後約束していたサルガッソとの会談を行うためにアルガスト王国王城へと転移した。すでに夕食を済ませていたサルガッソに、嫌味を言われながらも彼の居室で話をはじめていた。


「――というわけで、なかなか解放してくれなくてな」

「分かった分かった、要となる魔道具の打ち合わせならば仕方がないのう。それでだ、敵戦力の大半は魔道具で何とかするとして問題は魔猿だったか、その魔猿の強さは?」

「力だけで言えば魔サイ程度だ。ただし、動きは竜種と比べても遜色ない」

「……手練れのハンターなら四名一組でなんとかなる程度かのう」

「単体相手ならな」

「厄介なことだ。で、数はどの程度かのう?」

「正確な数は分からないが、おおよそ千だな」

「千! ……魔獣に慣れた王国兵といえどきついか」

「それは分かっているさ。そこでだ。アルガスト王国兵とハンターの中から精鋭を五百名程選抜せよとの命を――」


 対魔獣戦に慣れたアルガスト王国の精鋭を防衛戦の要にしようと俺は考えていた。 もちろん、自分たちファンタジア陣営の活躍の場は確保する予定だが、いかんせん魔猿に対抗できる精鋭の数が足らないのだ。


 さらに、俺は今回の防衛戦で大陸各国の繋がりを強固にしようと考えていた。そのためには各国の事情に合った役割をそれぞれの国が担い、兵士や国の代表に力を合わせて勝利したという実感を持ってもらわねばならない。そして各国をまとめあげ、その戦いを勝利に導いたという実績が俺は欲しかった。


 それぞれの国が果たすべき役割については、アトロ主導で各国の幕僚を集めて詰めを行っている。軍事的な連携はクロトが指揮をとって鍛え上げている最中だ。


 しかし、それだけでは足りないと俺は考えていた。これは兵たちを率いるクロトも同じ考えである。俺はクロトから頼まれていたことをサルガッソに告げると、その目的と彼らの役割を説明した。


「なるほど、お前の考えはよう分かった。協力することを約束しよう」

「良かった。そろそろ帰るよ」

「まぁ待たんかい」


 用事は済んだとばかりに帰ろうとした俺をサルガッソが引きとめた。嫌な予感がしてならない。実のところ、ほとぼりが冷めるまはサルガッソと顔を合わせたくなかったのだ。それに、少しでも早くリリルリーリと健のもとに帰りたかった。


「あの話ならもう少し待ってくれ」


 俺はとある事情に先手を打ってこの場から逃げ出そうとしている。しかし、サルガッソはそんなことはお見通しとばかりに行動に出た。


「シルフィーネ、入れ!」


 サルガッソの叫びから時間をおかずに、隣の部屋で隠れるように待機していた女が姿を現した。シルフィーネ・ティロル・アルガスト、アルガスト王国の第三王女である。彼女の年齢は俺の二つ下だ。


「ご機嫌麗しゅうございます。マーサ様」


 頬を染め、畏まって白いドレスのスカートのすそをつまんだシルフィーネは、いつもより丁寧でいて、決して厚くはない自然な化粧をほどこしていた。


 その美しさに思わず見とれてしまった俺であるが、用件が分かっているので、たちまち緊張して固まってしまう。彼女の腹違いの兄であるマーガッソと行動を共にするようになってからだが、アルガストに立ち寄った際には俺はシルフィーネとも顔を合わせるようになっていた。


 はじめの内はいわゆるツンデレ反応を見せていたシルフィーネだったが、顔を合わせるうちに、いつのまにかツンは鳴りを潜めてデレだけになっていった。


 とくに、シルフィーネがリリルリーリの妊娠を知ってからはその傾向が強くなった。 最近ではサルガッソからも、正式にシルフィーネを嫁に貰ってくれとの書状を受けとっている。


 その話を知った正妃のリリルリーリでさえ「血筋を多く残すことは王の務めです」と、シルフィーネを迎えることに賛成していた。


 リリルリーリは何度か俺と共にアルガスト王国へと赴いたことがある。その時にシルフィーネとも顔見知りになっていたし、彼女に悪い印象は持っていないようだった。


 国王が複数の妃を娶ることは常識であり、正妃一人だけというのはあり得ないことだった。しかも、リリルリーリの妊娠を知ってからだが、俺は男女にかかわらず第一子に王位継承権一位を贈ると公言していた。


 これは次期国王の母の座を狙った求婚を防ごうという俺の浅はかな考えなのだが、それが裏目に出たのだ。ようするに自爆だった。正妃のリリルリーリが懐妊したということで、逆に第二妃の座を射止めようする勢力が増えてしまったのだ。


「よ、よう」


 やっとのことで、恐ろしくぎこちない返事を返した。 サルガッソは、ガラリと状態が変化した俺に「後はよろしく」とニヤリと笑みを浮かべ部屋を後にしてしまった。


 リリルリーリと結婚して女性に慣れたということもあるが、俺はマーガッソやリリルリーリが同席した日常的な会話に関しては、シルフィーネに対しても普通に接することが出来るようになっていた。


 進歩はしているのだ。しかしそうであっても、色恋沙汰が苦手な俺は、恋愛感情を向けられることどうしていいか分からなくなる。


「このたびはお世継ぎのご誕生おめでとうございます」

「あ、ありがとう」

「リリルリーリ様のご様子は麗しゅうございますか?」

「お、おう」


 シルフィーネの目が獲物を狙う獣のように感じるのは気のせいだろうか。適齢期をいくぶん過ぎているとはいえ、彼女はまだ十分に若いし可愛い。


 そんなシルフィーネが俺のことを想ってくれることは嬉しいが、この場から逃げ出したい想いがそれよりも強いのだ。その逃げ出したい想いが叶えられることは、当然ながらなかった。



 ◇◇◇



 昌憲が修羅場に立たされているころ、ロイエンタール帝国の帝都では先遣隊が襲撃を受けたことが皇帝エリンギーニに報告されていた。


「猿共の餌を奪還された上に、猿共まで失ったというか。戯けが」

「も、申し訳ございません」

「役立たず共めが…… まぁいい。たかが六十匹だ。艦隊の準備はどこまで進んでおるか」

「船の方はほとんど完成し、現在主砲の取り付けを行っており、遠征軍六万は三十日後には出航できるよう準備を進めております」

「二十日で何とかせよ。下がれ」


 玉座に座るエリンギーニは、伸ばした白い顎ひげをさすりながら不機嫌そうに腹心を下がらせた。このエリンギーニという男、軍服を着た出で立ちを見るに、見た目は六十近い老将であるが、れっきとしたロイエンタール帝国の皇帝である。


 武を重んじ、着飾ることを好まない男であるが、その性格は決して良いとは言えなかった。あえてよく言えば質実剛健、しかしその実は武に偏った選民意識の傀儡である。


 部下や帝国民は彼の人徳に従っているのではない。その圧倒的な武力と恐怖に従っているのだ。いまだ衰えぬその体つきが示す通り、エリンギーニは戦闘狂でもあった。彼は自分の持つ武に絶対の自信を持っている。


「にしても、魔猿六十匹を二十人そこらで瞬殺か、それだけの精鋭と巨狼をも従えているというその男、殺りおうてみたいがはたして……。まずは奴を当ててみるか」


 このときエリンギーニは、久しく無かった強者との戦いに想いをはせていた。そのためには、敵将の実力が己と戦うに値するのか? 戦いを堪能できるだけの武力があるのか? どうしても知りたくなってしまった。


 エリンギーニは、わずか一代で圧倒的な武力を振るうことによって皇帝にまで登りつめ、さらに西の大陸を統一したほどの男である。


 未熟だった若いころには苦戦する戦いも数多く経験した。しかし幾多の実戦を重ねるうちに、その強さに並ぶものが居なくなってしまったのである。


 エリンギーニは今でも武の鍛練を怠ることはない。いつか訪れるかもしれない強者との痺れるような戦いを、待ち焦がれているからに他ならなかった。

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