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第五十七話:科学者の救出作戦~後篇~


 突進してきた魔猿を一刀のもとに切り殺した昌憲は、魔猿の頭を喰いちぎって放り投げたハティの首元を撫でて労っていた。


「よくやったぞ、ハティ」


 眼前にいる魔猿の群れに飛び込まないのは、後方から駆け寄ってくるIALAたちを待っているからだ。さすがにこれだけの数の魔猿に飛び込むのは、いかな俺であっても怪我をする可能性が高い。


 しかし、指揮官と思われる男が発した命令により、魔猿が一斉に殺到してきた。ざっと数えて五十頭強。馬車が並んで四台は通れるほどに、無駄に広い町の中央通りが手狭に感じるほどの大群だ。


 これだけの数に殺到されて、無策ではいかに俺とハティであっても苦戦は否めない。 というか、間違いなく苦戦するだろう。しかし、無策でこんなところまで突っ込むほど愚かではない。


 想定していたパターンに照らし合わせて防壁をはるつもりなのだが、格好つけて詠唱している余裕など無い。余裕などないが、焦っているわけでもない。


「これでも喰らいやがれ!」


 殺到してきた魔猿が次々に見えない防壁にぶち当たっていく。そのぶつかる様は、気づかずに窓ガラスに衝突し、へばりついた間抜けのようであり、間を置かずに後続に追突されて歪な悲鳴を上げる様は、すこぶる滑稽だった。


「クックックッ、見ろあの間抜け面を」

「マーサ様、余裕でございますね」


 いつの間にかIALAたちが俺の横に追いついていた。


「チッ、もう追いつきやがったか。もう少し遊びたかったが仕方がない。馬は?」

「予定通り本隊に預けて参りました」

「そうか、防壁を解くぞ。魔猿の殲滅に集中しろ。一匹も逃すなよ」


 視線を魔猿に固定したまま無言で頷いたIALAを横目に、防壁を解除した。支えを失った魔猿が地に落ちるよりも先に、後続の魔猿に押し出されてくる。その中央へハティが頭を下げるようにして突進し、斜めに救い上げるように複数の魔猿を弾き飛ばした。


 ハティはそのまま魔猿の集団の中で暴れまわっている。IALAたちはハティによって弾き出された魔猿の首や頭部を確実に槍で突き刺し、一撃で致命傷を与えていった。俺もまけじと自称覇者の剣で魔猿の首を刈っていく。


 次第に立っている魔猿の数が減ってゆき、最後の一頭が覇者の剣によって切り伏せられた。辺りにはおびただしい量の黒い血が月光に照らされて溜まっている。



 ◇◇◇



 精強を誇る魔猿の群れが瞬く間に血の海に沈んでしまった。その惨劇をなすすべもなく眺めるしかなかったヴァルラムは、目の当たりにしてもなお信じ難い光景に、かつて覚えたことがないほどの絶望を感じていた。


「…………」


 現実を否定したいものの、言葉すら発することが出来ず、念じても状況が覆るはずもなく、かといって眼前に悠然と立ち、血を払う超人たちと巨狼をどうこうしようとも考えるに至らなかった。


 いや、至れなかった。金縛りになったわけではないのに動くことすらできない。そして、二百名を超えるヴァルラムの部下たちはといえば、じりじりと後ずさりをはじめていた。


 いわゆる敵前逃亡であるが、ヴァルラムはそれに気づけない。この光景を見れば、ヴァルラムよりも部下たちの方が正気を保てているようにみえる。


 しかしそれはくぐってきた修羅場の数、経験の差からくる常識がヴァルラムには多くあったからである。逃げ切れるはずがない。その常識がヴァルラムの動きをとめていた。



 ◇◇◇


「引くぞ」


 全ての魔猿を葬り去った俺たちは、通りの中央にひとり呆然と立ち尽くす敵兵をどうすることもなく、進撃してきた道を引き返した。


 あと少し港方向に進めば、敵の本営と軍艦が停泊していることは分かっている。残る敵兵を殲滅し、六隻の軍艦を沈めることは、今の俺にとって容易なことだ。しかし、そうしようとは思わなかった。


 これには幾つかの理由があるのであって、面倒くさいからとか、観衆がいないからとかいう俗物的な事情だけが理由ではない。



 ◇◇◇



 本隊を率いていたアトロは、町の中央通りを中ほどまで進んだところから北にある集会所へと向かった。しばらく進んだところでクロト率いる分隊と別れ、再度西へ進んで集会所に到着したところで、二百名強の敵軍と遭遇していた。


 アトロが率いる本隊は、三国の騎士隊を中心とした精鋭ぞろいだ。しかもその数は敵軍の二倍を超えていた。アトロは逡巡することなく指示を出す。


「ファンタジア王国騎士団と王国兵は敵軍の足止めにあたれ。集会所へは一人も通すな。アルガスト王国騎士団とシリアンティムル帝国騎士団は住民の護送を開始せよ」


 馬から降りたファンタジア王国騎士団と王国兵合わせて三百名が、敵軍に相対するように防御陣を敷き、アルガスト王国騎士団とシリアンティムル帝国騎士団が集会所へと入っていく。


「決して突出するな。密集して敵の攻撃をやり過ごせ」


 馬車が余裕ですれ違えるほどの集会所正面の道を、百名ほどのファンタジア王国軍が槍を突き出す形で埋め尽くし、百名が裏通りへと周った。残りの百名は二手に別れ、バックアップの態勢をとっている。


 対するロイエンタール帝国軍先遣隊第二部隊は部隊を二手に分け、残った百名が前段に大盾、その隙間に後方から槍をのぞかせ、そのさらに後方には魔術師らしき数名が詠唱をはじめていた。


 ロイエンタール帝国軍先遣隊は、西の大陸を統一するにあたって実戦に揉まれてきた部隊である。とっさに築いた陣形を見ても、対軍の集団戦闘経験が無いファンタジア軍より洗練されていることが一目瞭然だった。人数的には勝っているが、経験が足りていない。いくら精鋭を集めたからといって、このままでは多くの犠牲を出すことになるだろう。


 アトロは、一人切り込んで敵を無力化しようかとも考えた。しかし、敵の数が多すぎることと、敵一人一人が戦い慣れているということを考慮し、思いとどまった。指揮官が戦闘で手一杯になるわけにはいかないのだ。

 

 そう判断したアトロは、敵の魔術師たちが詠唱を終える前に魔術障壁を自軍の前に展開した。魔法すなわち次元理論を熟知し、研究を怠らない昌憲のようなマニアックな者でもないかぎり、アトロといえど魔法も物理も共に防ぐような障壁など張れないのである。


 今のファンタジア軍ではいくら守りに徹しているとはいえ、槍撃と攻撃魔法を同時に防ぐことなど出来ない。槍対槍だけの戦闘ならば、敵を殺すことは出来なくとも防御に徹することで、集会所からの撤退までは防ぎきることができるはずである。


 気がかりは集会所の裏手に回った百名弱の敵軍であるが、IALAを一名指揮官につけているので、同様の戦術で凌ぎきることが出来るだろう。


 そんなことをアトロが考えているうちに、敵軍魔術師の詠唱が終わり、五十センチほどの火球が次々に放たれた。しかし、火球は障壁によってその行く手を阻まれ、自軍の五メートルほど前方で弾け、掻き消えていった。


 槍を構える兵士たちには輻射による熱気だけが届いている。間断なく襲い来る火球とその熱気で、槍を構えた騎士の表情は硬い。


「敵の魔法が届くことはありませんの。貴方たちは敵の前衛にのみ集中しなさい」


 やさしく、そして力強く響いたアトロのこの言葉が、騎士たちの緊張をほぐしていった。このときのアトロの口調、彼女を良く知る人物、例えば昌憲やクロトやラキなどが聞けば耳を疑うことは間違いないであろう。


 しかし、普段アトロに人間扱いされていないライカールは、門の陰からこの言葉を聞いて彼女の心理状態を把握していた。それは、不甲斐ないファンタジア騎士にアトロがイライラを募らせていることが分かるからである。


 それはさておき、次々に門から出てくる住民たちが、アルガスト王国騎士団とシリアンティムル帝国騎士団に守られて東に向かう中、落ち着きを取り戻したファンタジアの騎士たちは、敵の槍撃を凌いでいた。


 全ての住民が集会所を出発した今からが、撤退戦の本番だ。拠点をただ防衛するだけでいい防衛戦と違い、後退しながら敵の攻撃を防ぎきらねばならない撤退戦の難易度は高い。しかも、戦う術を持たない弱りきった千名を超える住民を守りながらの撤退戦である。


 しんがりという大役を任されたファンタジア騎士隊の士気は高いし、精鋭ぞろいであることは間違いない。しかし、敵は勝ち戦に慣れた精鋭だった。


 その実力差は明白だ。撤退を開始した直後から、ファンタジア騎士隊に攻撃を凌ぐ余裕がなくなっていった。 アトロのイライラは募るばかりだ。本来ならばあるまじきことだが、イライラが過ぎて昌憲からの通信さえ無視している。


 そして追い打ちをかけるように、百メートルも後退しないうちに、最初の犠牲者を出してしまう。喉元に槍を受けたファンタジア騎士が倒れた。それでも、士気が上がっている騎士たちに動揺は見られない。


 しかし、このままではいずれしんがりが突破されてしまうだろう。両脇から回り込んでくるかもしれない敵の分隊にも気を配らねばならない。


「弱すぎますの。クロトにはキツく言っておかねばなりませんね。訓練が足りないと」


 火球を障壁で防ぎながら、アトロは小声で呟いていた。作戦の目的は住民の救出であり、敵の殲滅ではない。敵の生死については問わないが、積極的に殺す必要はない。ただし、魔猿に関してはできるかぎり殲滅する。昌憲が繰り返し強調していたことである。


 なぜ敵を殲滅して島を奪還しないのか? その真意について、アトロは昌憲から聞き及んではいないし、今はどうでもいい。そんなことよりも、このままではしんがりが瓦解してしまうことが明らかだった。


 そう考えたアトロは、状況を打開するために作戦には無い行動に出ることにした。アトロたちは人間ではないので、どれだけイライラが募ろうとも自分の仕事はキッチリこなすことが出来るのだ。感情を表に出すことはあるが、精神が破壊することは無い。


「障壁を物理に切り替える。火球に備えよ! 最前列の者は後衛に下がれ!」


 障壁を耐魔法から耐物理に切り替えたアトロが、しんがり最前列が後退するタイミングで敵兵の前に躍り出た。突如見えない障壁に槍を止められ、まさに人間離れした彼女の力で前進を阻まれた敵兵と、上空から降り注ぐ火球に必死で対応するファンタジア騎士隊。


 突然のことに、双方に僅かな混乱があったが、すぐにそれは無くなっていった。敵軍は人数にモノを言わせて障壁を押し返しはじめている。いくらアトロの力が人間離れしていようと、五十人近い兵士の前進を一人で受け止め続けることはできない。


「負傷した者は控えと交代せよ! そして隊列を整えよ! 再度障壁を切りかえる!」


 じりじりと後退しながら敵の槍撃を食い止めているアトロの後方では、落ち着きを取り戻したファンタジア気騎士隊が、火球を捌きながらも迅速に隊列を整えていた。


 そして、期を見計らっていたアトロが後方に高く跳躍し、隊列を立て直した騎士隊と入れ替わると、同時に障壁を耐魔法に張り替えた。さらに、アトロは跳躍の際に視認した敵の指揮官めがけて、持っていた槍を投擲していたのである。このままでは隊列を立て直したところで、元の木阿弥なことが明白だったからだ。


 いくら手練れの指揮官といえど、アトロが放った槍を躱すことなど出来ようはずがなかった。実際には、彼女が槍を投擲したことすら認識できずに敵の指揮官は絶命していた。


 時を同じくして、敵と遭遇しなかったクロト率いる分隊が住民を引き連れて本隊へと合流したことを、小型探査機でアトロは確認していた。


 さらに、魔猿の軍団を殲滅した昌憲とIALARWが、挟撃する形で敵の後方に近づいていることを、敵の指揮官に槍を放った際に確認できた。


「どうにか上手くいきそうですの。一人とはいえ犠牲を出してしまったことは画竜点睛を欠く結果になりましたが、もう少しの辛抱ですか」



 ◇◇◇



 魔猿の処分を終えた俺はハティに騎乗し、IARAたちとともに町の中央通りから北に逸れてアトロたち本隊がいるであろう集会所を目指していた。


 魔猿と共にいた敵兵は二百名に届いてはいなかった。ということは、同数以上の敵兵がアトロたちのところへ向かっている可能性が高い。 人数的にはファンタジア軍が圧倒しているが、町中の路地での戦いでは乱戦になっている可能性がある。


 乱戦になれば双方に多数の戦死者が出ているかもしれない。クロトの分隊は敵兵に襲われることも無く住民の護送をはじめていると連絡があったが、アトロからの返信は無かった。苦戦しているか、よほど機嫌が悪いのかのどちらかであろうと思うが、実際はその両方だったようだ。


 前方に見える敵軍らしき人だかりの向こうから、跳躍したアトロが槍を投擲していた。 作戦には無かった行動である。


 アトロが作戦に無い行動をとっているということは、予期せぬ事態に陥っていると考えた方が納得できた。俺がハティと大暴れすることで引きつけておくべき敵兵と、アトロの率いる本隊が相まみえているという事実からも、作戦に無い行動を敵がとったということになる。


 部隊を二分した敵の指揮官を褒めるべきか、自分のたてた作戦に穴があったのかのどちらかであろうが、今は現実に即した行動を取る方が優先されると昌憲は考えた。幸い、敵軍はアトロの本隊に集中しており、挟撃には絶好の条件が揃っていた。


「前方の敵兵を蹴散らせ。敵兵の生死は問わないが、逃げる者を追う必要はない」


 IALAに指示を出し、俺自身も敵兵の中にハティ共々突撃していった。指揮官を失い、直後に予期せぬ挟撃を受けたロイエンタール帝国軍先遣隊は、反撃をする機会さえ得ることはできなかった。


 というよりは、状況を理解することもできずに瓦解させられてしまったようだ。背後から圧倒的戦闘能力値を誇る俺たちに強襲されたのだから、当たり前といえば当たり前の結末である。


 その後ファンタジア連合軍と島の住民たちは、一人の敵兵に遭遇することなく転移ゲートからファンタジア王国へと避難することに成功していた。孤島に最後まで残った俺とアトロは、ファンタジアへと通じる転移ゲートと、それが存在した痕跡を消し去って帰還したのだった。

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