第五十五話:科学者親になる
『主様、報告があります』
『クロトか、報告は後だ。生まれたよ、生まれたんだ!』
クロトからの通信を一方的に切った俺は、勢いよくドアを開けて部屋に飛び込んだ。 ベッドに横たわるリリルリーリは、ぐったりと疲れているようだったが、その顔は嬉しさとやり遂げた達成感があふれている。
そして、白いタオルにくるまれた赤子がリリルリーリの顔のそばに近づけられると、彼女はその頭を優しく撫でた。
「マーサ。王子様ですの」
「ああ、ああ! よくやったぞリリィ」
「マーサさま……」
元気な赤子の顔と俺を見たリリルリーリは、そのまま疲れ切って眠ってしまった。笑みをたたえたまま寝息をたてはじめたリリルリーリの頭を優しく撫で、渡された息子を胸に抱く。
この世界に転移してきたときには、自分が現地の女性と結婚して子供を授かるなど考えてもいなかった。この世界に溶け込んで自分の存在感を増しながら夢だった冒険に明け暮れる。それが目的だった。
しかしその過程で短期間のうちに建国までこぎつけ。王となり、妻を娶り、子を授かった今。俺にはもう一つの欲求が芽生えた。妻と子を守り、幸福な人生を送らせたいと。
けれども、一国の王として国民を守り、領土を守り、近隣諸国との関係を深めていかなければならないことも事実である。妻と子と共に過ごせる時間は制約されるだろう。ならば、今のうちくらいは出来るだけ一緒にいてやりたい。そう考えていた。しかし。
「マーサ、クロトから報告がありましたの」
腕に抱いた息子の寝顔に、これからの自分が取るべき道を考えていたところに、アトロが神妙な顔で報告してきた。
「どうした?」
「捕えられていた島の住人が十数名殺されました。魔猿の餌にされた模様です――」
アトロによれば、三隻の魔猿の乗せた軍艦が新たに加わったことで、魔猿の食糧として確保していた住人の死体が予定よりだいぶ早く底を付き、捕えていた島の住人を魔猿の餌として与えはじめたということだった。
少なくともここ数日は、妻と息子のそばを離れる気がなかった。そんなときに告げられた敵の凶行。完全に水を差された形である。生まれたばかりの息子をリリィの世話人に預け、どうしたものかと考える。
「困ったことになったな」
「いかがなされますか? もちろんマーサが出ていくというのは無しですの」
「そんなことは分かっている。出撃準備はどうだ?」
「昨日アルガスト王国とシリアンティムル帝国の騎士団が到着しましたの。ですから人員だけは揃いましたが、物資や連携の確認はこれからです」
「読みが甘かったな、こうも早く敵の数が増えるとは考えていなかった」
「どうなさいますか?」
「少し時間をくれ。それから、出撃準備を急いでくれないか」
「了解、マーサ」
俺は息子をもう一度抱かせてもらってから自室に引き上げた。そして思考を現実に切り替え、これ以上犠牲を増やさないための方策を考えはじめた。
準備不足で攻め込めば、負けることはないにしても小さくない人的被害がでることは想像に難くない。ならば、IALAを全てつぎ込むか?
たしかに彼女らをすべて投入すれば味方の人的被害は出ない。しかし、捕えられている島の住人は二千人を超え、全てを守り通すことはできない。 結果的に彼らの犠牲は増えることになるだろう。
このまま出撃準備が整うのを待っていても、魔猿の食糧という形で島の住人の犠牲は増えることになる。どうすれば犠牲を増やすことなく島の住人を救出できるか。住人の犠牲を最小にするためにはどうすればいいか。
初めての妻と子と過ごす時間を邪魔された形で良い考えが浮かぶはずもなく、思考の迷路にはまり込んでしまった。そして、答えが出ないまま時間だけが過ぎていった。
◇◇◇
一方、自国の騎士団を援軍として送ったアルガスト国王サルガッソは、政務を一時的に第一王子に任せ、息子のマーガッソとともに大陸の中央に位置するギルド国家エルト共和国の首相官邸に足を運んでいた。
官邸に設けられた大会議場には、大陸各国の宰相や国王が集合している。ファンタジア王国からは忙しい昌憲やアトロとクロトのかわりに、代役を押し付けられたラキが出向いていた。
大会議場に設けられた巨大な円卓。その上座に陣取ったサルガッソが、集った王たちに語りかける。
「緊急事態につき挨拶は省かせていただく。西の大陸の覇者ロイエンタール帝国が我らの大陸に侵攻する準備を進めていることは承知していると思う」
そう言ってサルガッソはラキに視線で合図を送った。ラキはアトロから預かった録画用魔道具を円卓の中央に設置されたディスプレイに接続し、映像を映し出した。
昌憲と同じく目立ちたがり屋のラキであるが、このときばかりは大人しくしている。 というか、面倒なことを押し付けられてご機嫌ナナメのようだ。ディスプレイには完成が近づいた数百隻の軍艦が映し出されていた。
「御覧の通り敵軍規模は軍艦で三百隻余り、兵力は六万を超えると思われる。さらに数は不明であるが、魔猿と呼ばれる魔獣を多数従えていると聞く。一国の軍でこれを迎え撃つことは不可能である。我々の兵力規模は小さい。奴らを迎え撃つためには大陸中の兵力を集中させねばならんことは皆も理解していると思う」
サルガッソの状況説明に一人の男が声を上げた。
「我はシリアンティムル帝国第二十五代皇帝キルヒスハル・エルス・ディ・ミーア三世である。アルガスト王国国王サルガッソ殿、貴殿の言は尤も。大陸の危機とあっては兵力の出し惜しみは得策でない。苦しい時ではあるが我々も出兵を考えておる。しかし、準備を進めるにも情報が足りない。敵の上陸地点を把握しておられるか?」
「これは、情報をもたらしてくれたファンタジア魔導王国国王マーサ殿の予測であるが、敵の上陸地点は大陸の西方シルベスト王国であると思われる。長距離の航海を強いられることを考えれば、西の大陸から最短地点のシルベスト王国が上陸地に選ばれることは疑いないであろう。さらに、シルベストには豊富な食料や物資が揃っておる。奴らがこれを狙ってくることは間違いない」
サルガッソの説明を聞いて青ざめたのは、当のシルベスト王国国王セレブリニアスである。いままで豊かな国で安穏と生きてきたセレブリニアスは、どうしていいか分からなかった。
しかし、うろたえるセレブリニアスに代わって、シルベスト王国宰相のコンティーヌストが手を上げた。
「発言をお許しいただきたい。シルベスト王国国王に代わり、私同国宰相コンティーヌストが申し上げる。確かにロイエンタール帝国軍の侵略は疑いようがないでしょう。その上陸地が我がシルベストであることも得心がいきます。そして、それは当然我が国が迎え撃つべき問題。仮に大陸連合軍を結成するにしましても、その指揮権を――」
◇◇◇
「――サ、マーサ」
いつのまにか自室のソファーで眠り込んでいたようだ。アトロの呼ぶ声で目を覚ました。 窓からは朝陽が差し込んでいて、時刻は既に朝のようだ。
「っんー、寝てしまっていたか」
「その様子だと、答えはまだのようですね」
「…………」
アトロに指摘されたとおり答えはまだ出ていない。それは、一人の犠牲者も増やさずに住民を救出したいという、物理的に不可能な欲求があったからだ。不可能なことをどれだけ考えても答えなど出るはずがない。
苛立ちが不可能ごとを不可能ごとと気づかせない冷静さを失わさせていた。さらに、今までは失敗してもそれがそのまま人命にかかわることなどはなかった。
囚われているのは自国の国民ではないし、関わりあったわけでもないが、理不尽にしいたげられる力ない民を見捨てたくはないし、いずれは大陸に攻め入ってくるであろう外敵に完勝しておきたいという思惑もあった。それらいくつもの要因が迷いを生み、王としての冷静な判断を鈍らせていたのである。
「リリィ様と王子様のお顔を見られては?」
「……そうだな。一度リセットすることにしようか」
アトロの助言にそのままリリルリーリの部屋に顔を出した昌憲は、ベッドの上で我が子を抱く彼女の満ち足りた安らかな顔と、彼女の腕に抱かれてすやすやと眠る息子を見て、霞がかかったような頭の中が、晴れたような感覚を覚えた。
父親になったという実感が湧いてきたわけではない。妻と息子のために頑張ろうと再認識したわけでもない。ただ、二人を見ているうちに活力が戻ったような気がしたのである。
「リリィ、もう大丈夫なのか?」
「ええ、こうしてこの子を抱くくらいは。早く名前をつけてあげないといけませんね」
「そうだな。でも、もう名前は考えてあるんだ。だけど……」
「あら、わたしにも教えていただけないの? 何か問題を抱えておいでのようですね」
「リリィ、すこしだけ待っていてくれないか。俺なりの答えを出したいんだ」
「ええ、マーサさまのお考えのままに。私はこの子とお待ちしています」
優しい笑顔を我が子に向けたリリルリーリが、俺の顔を見ることはなかった。しかしその口調は穏やかであり、俺を信頼しきっていることもまた確かだった。
リリルリーリは孤島で起こっている事件について何も知らない。しかし、俺を含めた周囲の雰囲気から大きな問題が起こっていることを感じ取っているのだろう。
それでも夫を信じて我が子に微笑みかけるリリルリーリに、俺は冷静な思考を取り戻し、大きな自信を貰っていたのである。
「何を焦っているんだ俺は」
一度自室に戻ってシャワーを浴び、アトロのいる転移してきた屋敷の管制室に足を運んだ。そして、自信を持って彼女に指示を出す。
「待つ!」
「は?」
珍しく素っ頓狂な反応を見せたアトロ。そんなアトロにニカッと明るい笑みを見せた。
「出撃準備が整うまで待つ。だから出来るだけ急いでくれ」
自信を取り戻し、いつもの顔に戻った俺を見て、アトロは嬉しそうに答えた。
「了解、マーサ」
自分にできる最善を尽くす。意識をそう切り替え、救出作戦をシャワーを浴びている最中に考えなおしていた。 焦って今飛び出しても結果はろくなことにならない。ならば一人でも多くの住人を助け、味方の死者を減らすべきだ。
そのためには何をすればいいか?
それは出来るだけ早く、しかし万全の準備をすることである。間に合わずに犠牲になる者は、言い方は悪いが運がなかったとして切り捨てる。れが犠牲を最も減らし、妻子との時間を確保する最善策であると気づいたのだ。
移動時間を早めるために、王国軍に属していない冒険者登録のIALAを指揮して新たな転移ゲートを増設することにした。クロトを自国軍とはせ参じた二国の騎士団との連携の確認調整に専念させ、二日でアトロが全軍を纏め上げたのである。
作戦は当初の予定から大きく変更し、最大限の効率化を図って準備期間を二日短縮した。作戦の目的は島の住人の救出であり、敵軍の殲滅ではない。
これは、いずれ大陸に攻め込んでくるであろう敵の大船団に対応するための布石でもある。そこまで考えられるだけの冷静さを取り戻していた。
さらに、作戦に参加する兵士はファンタジア王国軍全体から精鋭のみを選抜し、作戦に参加するIALAも倍増させた。全体の指揮官にアトロを就かせて俺自身も最初から作戦に参加するようにしたのである。
当然アトロの反対にもあった。しかし、有無を言わせず押し通した。
俺は黒狼ハティを兵士と騎士団に慣れさせるために、連携確認中の部隊をハティに騎乗したまま視察を繰り返した。選抜された兵士や騎士団員は、最初の内はハティに驚いていたものの、さすがは精鋭というだけあって連携が乱れることはなかった。
そして作戦当日の深夜、郊外の新たに増設された転移ゲートを前にファンタジア王国兵士とアトロの騎士団、アルガスト王国とシリアンティムル帝国の騎士団員たちが整列していた。
その中には参加を志願したシーハルの姿もある。マーガッソも参加したがっていたらしいが、サルガッソ国王と共に国際会議に同行している。ハティに騎乗したまま彼らの前に進み姿勢を正す。
「皆も知っての通り、我々は外敵にとらわれた孤島の住民を救出する予定である。目的は住民の救出であって外敵の排除ではない。奴らの最終的な狙いは我々の大陸であるが、本作戦はその緒戦だと思え。功を焦って指示された作戦を放棄する者は容赦なく切り捨てる。無駄のない連携を心掛けよ。与えられた職務を全うせよ。しからば戦果に応じた褒賞を約束しよう。戦果とは住人の救出である。これを忘れるな。完勝するぞ!」
演説を終え、クロトに合図を送る。
クロトの指示で転移ゲートが開かれ、決められた順番通りに整然と兵士たちがゲートに消えていった。俺はハティに騎乗したまま最後にゲートを通過し、全員の転移が完了したのだった。




