第四十四話:科学者と帝国宰相
イフェタ魔導王国で国王相手の和平交渉を成功させた俺は、観光もせずにマサヤ本社へと帰着していた。そして今、本社三階の応接間でとある要人との打ち合わせを行っている。アトロはとある調査のために山向こうの屋敷へと帰還していて広い応接室に二人きりだ。
「これほど早く、あの主戦派で知られるイフェタ国王から同意を得て来られるとは、いやはや、マーサ殿の行動力と交渉力には驚かされるばかりだ」
「なになに、大したことではありませんよライハイスハル宰相閣下。これもマサヤの利益を追求せんがための仕事ですから。それに、閣下もわざわざこのような所までご足労頂き痛み入ります」
丁寧な言葉使いからも分かる通り、この時点ではライハイスハル公爵の事を完全に信用している訳ではない。しかし、彼との付き合いが俺に益をもたらすことは確信していた。
イフェタでの和平交渉における同意条件を、ライハイスハルに分かりやすいように条文にまとめた形で報告していった。彼は渡された用紙を見てフムフムとうなずきながら報告に聴き入っている。
「なるほど、イフェタ国王もしたたかなことよ。その条件で貴君に益はあるのか?」
「閣下が心配なさるもごもっとも。ですが、我々マサヤにも帝国にも大きな利益をもたらすことは間違いないでしょう。そしてイフェタにも」
「確かに、我が国の木材や鉄鋼資源が効率よくイフェタに供給されれば、両国の国益はバカにできぬ額になるであろうからな。マサヤ繁栄のためとはいえ、ここまでの交渉を成し遂げるとは……商人とは、げに恐ろしきものよ」
そう言ってライハイスハルは満足そうだった。この和平条件が両国に多大な利益をもたらすということを理解したのだろう。そうなれば緊張が緩和するのは間違いないのだから。
「それで宰相閣下、次はリシュティルとの交渉についてですが、その席には閣下にもご同席願いたいのですが」
「もちろんそのつもりだ。恥ずかしながら、リシュティル国王は呆れた愚王でな。私がいないと何を言い出すか見当もつかん」
そうは言っているが、ライハイスハルにはリシュティル国王が絶対に逆らえない策があるようだった。
「しかし、そのような愚王が収める国が、あの厳しい国状でよく持っていますね」
「そう思われるが当然であろうな。リシュティルが破滅に至らぬは、側近のおかげよ」
「側近と申されますと?」
「リシュティル王国宰相リーディスハイル伯爵の手腕だ。但し、国王と主戦派の重臣がさんざんに足をひっぱているおかげで国力は衰退を続けているがな」
「なるほど。そういうことですか」
「今回の和平を望んだのも、兵士の仕事を求めたのも全てリーディスハイルによるものだ。国王や他の重臣は何も知らぬことよ」
ライハイスハルが言うには、リシュティルとの交渉では国王と一人の重臣を何とかすればいいらしい。その他の重臣は、リーディスハイル伯と友好的でわりと有能であるため、和平交渉には同意するだろうとのことだった。
国王に絶対的権力とカリスマ性があるイフェタ魔導王国では、国王一人を納得させれば良かったが、国王が愚王で重臣たちに権力が分散したリシュティル王国では、ほぼ全員を同意させなければならない。
「リシュティルの内部事情はよく分かりました。国王とその重臣のうち一人を納得させればいいわけですね」
「いや、あの二人が和平案に納得することはあるまい。まず国王だが――」
ライハイスハルによれば、愚王と言われるリシュティル国王は極めてプライドが高く我がままであり、かつ、選民意識が非常に強い。
ならば自分より身分が低い者の提案など、それがどれほど国益を成すものであっても受け入れないだろう。さらに、その提案を成す者が貴族でもない俺であることも大きな問題となるかもしれない。
この和平案は全て公爵ライハイスハルが考えたことにすればいいように思えるが、実績作りのためにこの仕事を受たという経緯もある。それは今後の世界的展開とマサヤの利益を得るために必要な事だった。
言い換えれば、金儲けをした上で、大陸中に俺の名を知らしめることが重要なのだ。相応の利益が無ければこんなつまらん仕事を請け負うはずがない。
話を戻すと、プライドが高く我がままなリシュティル国王に、この和平案を飲ませるためには帝国宰相ライハイスハル公爵の地位が必要となる。
なぜならば、属国の王よりも帝国の公爵であるライハイスハルのほうが、身分的には上だからだ。和平交渉の原案は俺とライハイスハル公爵の二人で作るが、交渉は公爵が行う予定である。
俺の役目は兵士の受け入れや資源売買に関する顔見せと、公爵の補佐だ。国王をどう納得させるかはひとまず置いておこう。今回の和平交渉においては国王よりも、もう一人の重臣の方がやっかいだからだ。
和平を渋るであろう重臣とは、リシュティルの軍部を掌握するリンゲイルという男爵だ。配下にある将兵の大半が軍務を離れることなど、そう簡単には認めるはずがないだろうからな。
彼の家は、代々当主を軍部の最高位である国軍最高司令官に送り込む家系だということが分かっている。繰り返すようだが、ほぼ軍事放棄と変わらない今回の和平案には賛成できるはずがないのだ。
そこをどう説得するのか? リンゲイル男爵を説得できるなどとは考えないほうがいいだろう。ならばどうするのか? それをこれから話し合うのだ。
国王に対しては、帝国宰相であるライハイスハル公爵がこの和平は皇帝の勅命であると、ひとこと言いえば従わざるを得ない。
渋るようであれば皇帝への反逆として粛清も可能である。これはもはや交渉ですらない。しかし、軍部を掌握しているリンゲイル男爵は、いくら勅命であろうと、退路を断つようなことをしてしまえば武力による反乱を起こしかねない。
彼にとって軍事力を放棄するということは、男爵家の存在意義を無くすことに等しいからだ。これにどう対処するかが問題だった。
「交渉が無理なら、いっそ粛清でもしてしまうか?」
ライハイスハルから告げられたこの物騒な提案に、俺はすぐさま反対の意を示した。 いくら和平のためとはいえ、粛清などという物騒なことを行ってしまえば、俺やマサヤに対して暗いイメージが付きまとうことになりかねないからだ。渋い顔で反論した俺を見て、ライハイスハルは笑って見せる。
「ははは、冗談だよ」
その後、活発な議論を重ねていったが、この日はこれといった名案が出ることは無かった。今日の時点では、リンゲイル男爵についての情報が足りなかったのだ。
「一度頭を冷やすことにしようか。続きは明日だ」
「賛成ですね。ご一緒に食事でもどうですか? ご馳走させていただきますよ」
「それは有り難い」
長時間の議論で疲れた精神を癒すため、ライハイスハルを接待することにした。場所はマサヤ系列の高級料理店で、ラキたち歌劇団の歌と踊り付きである。結果彼は大層満足し、マサヤ系列の高級ホテルで宿を取った。もちろん、費用は全て俺の負担だ。
俺がライハイスハルを接待している間、指示を受けたアトロはリンゲイル男爵の身辺調査を行っていた。そして翌日の朝には結果が報告されたのだった。
ライハイスハルとの打ち合わせが再開される昼過ぎまでの時間、アトロからもたらされた情報をもとに交渉の糸口をつかもうと策を練っていた。
ライハイスハルに交渉は無理とまで言わしめた難敵を、もし交渉で落とすことができれば、それは俺の名に大きな箔が付くことになるだろう。
「いやいや、待たせたな」
予定の時間より少し遅れてマサヤ本社の応接室に案内されてきたライハイスハル。よほど慌てて急いで来たのか、額には玉のような汗が流れ、しきりに手拭いでそれを拭っていた。
そんな様子を見せても、四十過ぎのナイスミドルなライハイスハル公爵は、むさ苦しいオッサン臭ささを感じさせない。どことなく上品さすら感じさせるほどだった。
「そんなことはありません。冷たい飲み物でもお出ししましょう」
「そう言ってくれると助かるな。昨夜は飲み過ぎたようだ。実に素晴らしい酒と料理、それに歌と踊りだったよ。まさか君が飲めないとは思っていなかったが」
「いや、あれは飲めないのではないのであって」
「そう意地を張るな。はっはっはっ」
ライハイスハルにまで酒が飲めないことが知られることになり、少しだけ接待したことを後悔した。この話題を切りたかった俺は、半ば強引に打ち合わせを再開した。
「では、打ち合わせを再開しましょう」
そんなこんなで再開された打ち合わせで、俺はリシュティル国軍最高司令官リンゲイル男爵を落とす私案を披露したのである。
「ほう! この短時間でよくそこまで調べ上げたものだな……いや無理だろう、短時間過ぎないか?」
「密偵からの報告が今朝早くに上がってきまして。閣下がおいでになるまで作戦を練っていました」
得心がいったと納得顔のライハイスハルだったが、俺が提示した策に関してはひとこと言いたいことがあるようだった。
「そういうことだったのか。だが、この策にはまだ穴があるな。奴の性格を考えると――」
俺も当然ライハイスハルが指摘した穴には気が付いていた。しかし、一見穴のように見えることこそが、リンゲイル男爵を落とす罠になっているのだ。
そのことをライハイスハルに順を追って説明していく。彼は俺の考えにはじめの内は驚いていたようだったが、しばしというよりはずいぶん長い時間黙考したのちに、その案を受け入れたのだった。
「良く……考えたな。皇帝陛下の許しを得る必要があるが、この案でいいだろう。交渉は五日後だ。再度聞くがお前は本気なのか? やり遂げる自信があるのか?」
「ライハイスハル帝国宰相閣下、自信ではありません。既に確定事項ですよ、これは。そのための準備も既に最終段階に来ていますから。今更引く訳にもいきません」
表情を引き締め、居住まいを正した俺は、ライハイスハルに釘を刺すようにそう言ったのだった。俺が示した交渉案を熟考ののち同意したライハイスハルは、陽が傾きはじめる前に急ぎ帝国への帰途についたのだった。
交渉までの間にできた十分な時間を使って、策を細部に至るまで詰めていった。さらに、リンゲイル男爵を重点的にであるが、その他の重臣についても調査することを忘れていない。
そして今頃は、ライハイスハルも策を盤石なものとするために十分な根回しを行っているはずだ。
こうして、リシュティル国王における和平交渉の外堀は埋められていったのだった。




