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第四十話:歪な主従契約


 マサヤの新たな製造拠点の建設がはじまって既に一年弱、俺がこの世界に来てから二年強の時が経過していた。新製造拠点は周辺産業まで加味すると小都市を形成するほどの大規模なものになっている。


 それほどの規模だからだろう。そこで生活をはじめた人々はこの地をマサヤシティと呼び、もともとネーザイカールという地名があったにもかかわらず、帝国もマサヤシティをこの地の正式な都市名にしてしまった。


 いくら皇帝の勅命であれ、すでに由緒ある地域名があった歴史ある帝国の土地を、新参者が興した屋号にちなんだ名称に変更するということには、一部貴族の反対があったらしいが、皇帝のマサヤに対する帝国復権の想いがそれを押しとどめてしまったそうだ。


 マサヤシティと名付けられた新生産拠点は完成一歩手前まで来ており、一部ではすでに製品の製造がはじまっていた。大陸全土から募った魔工職人や通常の職人に対する教育は順調に進み、すでに製品の生産に従事している者も多い。


 一年前まではほとんど草木も生えないような荒地だったこの土地が、今や都市として機能しはじめている。拠点となる巨大工房区画の周りには従業員、周辺産業に携わる人々の家が立ち並び、集まった人々を目当てに商店や飲食店が進出してきていた。


 それらの商店や飲食店が集まって商業区画を形成している。そこには当然マサヤも店舗を構えているが、マサヤの製品だけで生活できるわけはないので、様々な商店が軒を並べ、商業区画はいまだ建設中の工房区画よりも活気に満ち溢れていた。


 俺は今アトロと共にとある目的のため、マサヤシティを訪れていた。


「ずいぶん人が集まってきたな」

「ええ、中には不届き者もいるようですが……」


 商業区画の人ごみをアトロと共に歩く俺の視線には、露店の店主にからむ数名のガラの悪そうな男たちの姿が映っていた。外見から察するに、騎士崩れか傭兵だろうか。


「目障りだな。潰すか」

「マーサが手を下すまでもありませんの」

「総帥だ」


 ゆっくりと歩く俺から離れてアトロが男どもに近寄っていく。そして近づくにつれ、アルコールの匂いが彼女の嗅覚センサーを刺激した。それも構わずアトロは店主の胸倉を掴んで脅している大男の腰のあたりを掴むと、有無を言わさず頭上へと持ち上げる。


 アトロによって軽々と持ち上げられた大男は、ひっくり返った虫のように手足をばたつかせ、状況が分からないのだろう、慌てふためいている。


「目障りです。マサヤシティに貴方がたのようなクズは必要ありませんの。今すぐ出て行きなさい」


 そう言ってアトロは持ち上げていた男を涼しげな顔で、ひょいと路上へと放り投げた。 呆気いとられてその様子を見ていた男たちと放り投げられた男が、ようやく状況を飲み込んだらしく喚きはじめる。


「てっ、てめぇ何しやがる! 俺たちをただの傭兵崩れだと思うなよ」

「貴方たちの素性など関係ありません。目障りですからすぐに立ち去りなさい」

『アトロ、変な噂が立つとマズイ。攻撃されても殺すなよ』


 俺の通信にアトロは無言で軽く頷き、いきり立つ男たちに寒気がするような笑みを、魔力を上乗せして射し向けた。その笑みでほとんどの男たちはすくみ上ってその場で震えだしたが、放り投げられた男だけは立ち上がりざまに剣を振り上げて襲いかかってきた。


 しかし、アトロは上段から切りつけてきた男の剛剣を、指で摘まんで受け止めて見せた。そしてそのまま親指と人差し指で摘まんだ剣を下方へと、はじめは弱い力で、徐々に力を強めて押し込んでいった。


 男は紅潮させた顔をプルプルと震わせながらも必死の抵抗を試みるが、アトロの力はその遥か上を行っている。地球でこんなことをすれば、いくら力が強かろうと体重が男より軽い彼女の方が浮いてしまうのだが、アトロはしっかりと余剰次元に足を据えているので、男の方がひざを折って最後には尻餅をついてしまった。


「まだ続けますか? それとも正当防衛として殺して差し上げましょうか?」


 まるでうじ虫でも見るような目つきで男を見下すアトロ。しかし、男は予想のナナメ上をいく反応を見せた。


 まるでアトロに恋い焦がれたように、今まで怒りと焦りに満ちていた目をとろりと溶けるようなものに変え、居住まいを正すとアトロの靴にそっと口づけを落としたのである。


「我が主にふさわしき、強く美しく高貴なお方よ。どうか私めを下僕としてお使いになられますようお願い申し上げる所存。無論、この場で死を賜るも甘んじて受けましょうぞ」


 てっきり捨て台詞を吐いて逃げ出すか、そのまま怯えて逃げ出すかと考えていたアトロは、男の反応に驚き動けないでいた。


『どうするんだアトロ、なかなか面白い展開になっているが、俺は構わんぞ』


 可笑しくてたまらないと言った感じで通信を送ったからだろうか、アトロは冷静さを取り戻したようだ。


「いいでしょう。ろくな死に方をしない程度にこき使って差し上げますの。これを受け取りなさい」


 アトロはその小さな手の平に小さな瑠璃色のピアスを一組召喚し、それをつまむようにして別の手で自分の鼻をつまみながらて男に渡した。男はそのピアスをうやうやしく両手で受け取る。


「これは?」

「通信用の魔道具ですの。その汚らしい耳に常に付けておきなさい」

「このような貴重なものを頂いてもよろしいので?」

「そのピアスで私からの指示を受けなさい。貴方からの通話はピアスに魔力を送り込めばできますが、決して貴方の方から私に連絡を取ることは許しませんの。私から通信が届いた時のみ、魔力を通して返事なさい」

「はっ、承知いたしました。私、ライカールと申します」

「私の名はアトロ、私の名を口にすることは許しますが、貴方の汚らわしい名など呼ぶ口は持っていませんの。私の前では貴方は犬です。飲酒を絶ち、身だしなみにはもっと気を使うように。次に私の前に現れたとき、酒臭かったりその汚らしい装いを見せたりすれば即座にその命を絶って差し上げますの。分かりましたか、汚らわしい犬よ」

「はっ、ご命じのままに、アトロ様」

「今日はこの地から消えなさい。目障りです」


 アトロは侮蔑を込めた視線で男を見下ろし、大勢のやじ馬の面前で屈辱的な言葉を男に浴びせたのだが、男はそれを喜び、ますますアトロに心酔しているようだった。


 傍から見ていた俺は、ともすれば極めて特殊な性癖を持つ者同士の会話に聞こえて、ついて行けないでいた。犬呼ばわりされた男は仲間らしき者たちを引き連れてその場を後にする。その後ろ姿は、酔っぱらって露店の店主に絡んでいた時からは想像だにできないほどに洗練されたものだった。


『なぁ、アトロ。お前はそういう性癖だったのか?』

『私に性癖などありませんの。マーサ、あれはあの男が本気かどうか試しただけです』

『総帥だ』


 人垣から二人の様子を見ていた俺は、アトロの答えに納得できないまま人知れずその場を後にした。あれはどう考えても男を試していただけじゃない。きっとあれが彼女の本性だ。


 アトロは大勢のやじ馬たちを躱すようにその場を後にし、俺に気を使って遅れて後に続いた。そして、来訪の目的だった工房区画の入り口にあたる大通りにようやくたどり着いた俺の横には、何食わぬ顔で建設中の工房群を眺める彼女の顔があった。


 当然であるが、俺たちは建設が大詰めを迎えた工房群をただ眺めに来たわけではない。 帝国の宰相ライハイスハル公爵と会談をすることが目的だ。普通ならば俺が帝都へ赴くべきところだが、ライハイスハルがわざわざこんな所まで出向くことには理由があった。


 彼の表向きの来訪目的はマサヤシティの視察なのだが、真の目的は帝国のとある属国で起こっている問題についての話し合いである。


 約束の時間にはまだ少しあるかと考えていた俺のもとに、十名程度の護衛を付けた一台の馬車が近づいてきた。ライハイスハルの馬車だろう。


 馬車は俺の前まで来てから停車し、予想どおりライハイスハルがドアを開けて手招きしている。 俺はアトロと共に馬車に乗り込むと、御者に行先を指示した。


「わざわざ宰相閣下自ら出向いてくれるとは思いもしませんでしたよ」

「いやいや、相談があるのは私の方だ。忙しい身で付き合ってくれることに感謝しているよマーサ殿」


 馬車は工房区画の中央を走る大通りの中ほどまで進むと、辺りの工房とは一風変わった二階建ての建物の前で停車した。


「ここがマサヤシティ工房区の管理事務所です。ライハイスハル宰相閣下」

「意外とこじんまりした事務所だな」


 馬車を下りた俺を先頭に管理事務所に入れば、前触れもなしに突如マサヤのトップと帝国宰相が来訪したことで、管理事務所はハチの巣をつついたような大騒ぎになっている。


「連絡もなしに来て悪かったな。奥の応接間を使わせてもらうぞ」


 俺の申し出に一人の男が駆け寄ってきた。


「そ、そ、総帥に宰相閣下、このような所においで下さいまして光栄の極みであります」


「そうかしこまらんでもいい。茶の一杯でも出してくれるか?」

「は、はい! すぐに持ちいたします」


 応接室は質素な造りであり、中央に背の低いテーブルとその両脇に四人ほどが座れるソファがあるだけだった。奥の席を宰相に譲り、相対するようにアトロと共にソファに腰を下ろす。 時を同じくしてさっきの男がお茶をトレーに乗せて運んできた。


「宰相閣下はお忍びだ。ここに来られたことは口外するなと職員に徹底させてくれ」

「はいっ! 徹底させます」


 お茶が入ったカップをテーブルに置いた男は後ずさるように頭を下げて応接室を出て行った。


「この部屋は防音結界を張ってあるから音は外に漏れません。遠慮なく用件を話してもらいましょうか」

「分かった。では早速だが用件を話そう――」


 宰相の話を要約すると、マサヤシティに隣接する属国が帝国への借金で破たんしそうである。 その原因は、国をまとめるはずの王が愚王であることと、もともと落ち込んでいた主要産業である鉄鋼業と林業に携わっていた者が、マサヤシティに流れて税収が極端に落ち込んだことらしい。


 属国が借金で破たんしそうな原因の一部がマサヤシティにあるのだから、マサヤには再建に協力してほしい。ということだった。


 本来であるならば、属国の代表が俺の所に願い出るべきなのであるが、今の属国にはマサヤと交渉できるまともな人材がいないらしい。


「まったく、帝国に属する国であるというのに恥ずかしい話だが、マーサ殿にはぜひとも協力していただきたく……」

「私どもは何をすればいいので? 出来るだけ簡潔にお伝え願いたいのですが」

「かたじけない――」


 宰相の話によると、問題の属国はもともと二つの国だった。片方の国の国王が急死したことにより、世継ぎがいなかったこともあって隣国に併合されたのだが、その王が愚王で今の状況に陥っている。


 もともと二つの属国は南側に隣接する国との小競合いが絶えない状況にあって、隣接する国の事情でここ数年は落ち着いているが、軍事には力を入れていた。


 しかし今の状況になって、国軍の兵士に食わせる金が無くなってしまった。さらに、いつ小競合いがはじまるか分からないこともあり、兵力を落とすわけにもいかない。


 俺には兵士であってもできる仕事の斡旋と、できうれば隣国との和平を結ぶ懸け橋になってほしい。というのが宰相の願いだった。


「食いあぶれている兵士はどれくらいで?」

「二万五千だ」


 二万五千もの職業兵士とその家族を食わせるだけの仕事を与える。その上で二国間の和平を取り持つ。


「難題ですね」

「それは分かっている。しかし、恥ずかしい話だがマーサ殿しか頼る相手がいない。帝国にそれだけの兵士を養える仕事はないし、帝国主導で和平を結ぶことは難しい」

「何故?」

「もともと帝国とはいっても属国だが、その隣国との間には禍根があるし、隣国は属国の鉄鋼資源を欲しがっている」


 宰相から提示された難題に、俺はこの場で答えを出すことが出来なかった。


「善処はしますが、しばらく考えさせてもらいないでしょうか」

「もちろんだとも。そう言ってもらえるだけで有り難い」


 会談を終え、エルト共和国の本社ビルに帰着した俺は、総統室に籠ってこの難題に取り掛かったのである。

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