第三十八話:最果ての森
「よっ」
「久しぶりじゃないかマーサ」
久しぶりに会ったリーガハルは、その元気そうな声に似合わずやつれているように見えた。それでもその顔からは笑みがあふれていた。
「お前の名声はこんな片田舎まで鳴り響いているぞ。まさか商売人で名を上げるとはな。そんなお前がわざわざこんな片田舎のハンターギルドに来たってことは、あの依頼受けてくれると考えていいのか?」
「ああ、その話な。懇意にしている商会の会長からお前らが困ってるって聞いてな」
「そうか! 引き受けてくれるのか」
そんなに喜ばれると照れるじゃないか。まぁそれは置いておいて、爺さんからはハンターギルドからの依頼だとしか聞いていなかった。だからいきなりリーガハルに会えたのは都合がいいのかもしれない。
「まぁ待て。一応ギルドからの依頼だからな。話をして筋を通しておかないと」
「その点は気にするな。手続きはすぐに済む。任せておけ」
リーガハルはギルド職員を捕まえてなにやら耳打ちすると、その職員はすぐに一枚の紙を持ってきた。そしてその紙にサインさせられ、すぐさまギルドを出ることになった。
ハンターギルドが依頼を出すことはめったにないと聞いていたから、なにかイベントが起こるものだとワクワクしていた気持ちを返してほしいくらいの呆気なさだった。
俺たち二人はその足てエーリッツェ隊の詰め所へと向かい、リーガハルは隊長室のドアを勢いよく開け放つ。
「…………」
そしてなにも言わずにそっとドアを閉めたのだった。なんだろうこの既視感は……。そうだ、確かあのときはサッハディーリッツェと一緒だったか。ノックをしないのはエーリッツェ隊の伝統らしい。
「リーガハル!」
エーリッツェの怒鳴り声をドア越しに聞きながら、そんなことを思いだしていた。チラりとしか見えなかったが、今日もエーリッツェはエリーネとイチャついていた。あれだけ仲がいいのに結婚しないのだろうか。
「すまん! 取り込み中だとは考えもしなかった」
「いいから入れ。朗報なんだろう?」
部屋に入るとエリーネが恥ずかしそうに着衣を直していた。エーリッツェはリーガハルの後ろから顔を出した俺の顔を見ると、一瞬目を丸くして笑みをたたえた。イチャコラシーンなど見られても恥ずかしくもなんともないということか。これは見習わなければならんと心に留めておく。俺ももう大人だからな。
「誰かと思えばマーサじゃないか! 元気そうだな。最果ての森同行の件、引き受けてくれるのか?」
「ああ、知り合いの商会経由で困ってるって聞いてな」
「それは有り難い。君とあのなんといったか……黒狼がいてくれれば魔獣どもが近寄らないからな」
「ハティだ」
「そうだったそうだった。連れてきてくれるんだろ?」
「当然だ。いちいち魔獣の相手なんかしてられないだろうからな」
ハティがいればカシール大草原の奥地まで侵入してもほとんどの魔獣は近寄らない。竜種だけは別だが、やつらの数はそれほど多くないから運が悪くなければ鉢合わせることはないだろう。
「せっかく来てくれたんだ。土産話も込みで今日の夜は付き合えよ」
「美味いものが出るならな」
この国の肉料理は豪快なものが多く、味も野性味があって好きなほうだった。上品な一流料理も旨いことは美味いが、マナーを気にしながら味わうよりも、何も気にせずに肉にかぶりつくほうが俺には合っている。
そして期待どおり、夜は少人数でのバーベキュー大会になった。酒は進められても飲まなかったが、肉のほうは期待通りの味で、雰囲気も相まってことさら美味く感じられる。
「なぁ、サッハの姿が見えないんだが」
「奴は移籍したからな」
「移籍?」
「いわゆる逆玉というやつだ。ほれ、狩猟大会が終わった後に女と腕組んでただろうが」
リーガハルにそういわれて思いだした。あのときのサッハディーリッツェのだらしない顔を。たしか女の名は……。
「サヴィーネといったか」
「そう、それそれ」
「ディノス男爵家のご当主様だ」
「あのサッハが?」
「いやいや違う。サヴィーネ・ディノス男爵閣下だ。サッハは男爵閣下の夫で、今はディノス家の騎士隊を率いる隊長様だよ。そして今頃は新婚旅行の真っ最中のはずだ」
あのときのサッハディーリッツェのデレたニヤけ顔を思いだしたら殺意がわいてきた。しかし、結婚など絶望的だったあの男に嫁が来たんだ……いや、奴の場合は婿か。会うことがあったら盛大に祝ってイジリ倒してやることにしよう。
そんなこんなで翌朝、隊舎の前にはエーリッツェ隊の精鋭たちが呼び集められていた。サッハディーリッツェが抜けたとはいえ知っている顔ばかりだ。
「今日集まってもらったのは他でもない。倒竜の英雄マーサが助っ人に参じてくれた。懸案だった最果ての森に遠征するぞ」
エーリッツェの宣言に隊員たちの絶叫に近い歓声が沸き起こる。やはりハンターは狩りに出てなんぼというところだろう。まぁ今回は狩りというよりは採取だがな。
「出発は明日の陽の出前だ。それまでに各自準備をしておくように」
結局この日はそのまま解散となり、隊員たちはそれぞれが準備のために奔走することになった。普段の狩りならば準備にそれほど時間は掛からないが、今回はカシール大平原を横断する必要がある。
準備はそこそこに俺が手を貸して転移させることも可能だが、それでは俺がいないときに遠征ができなくなるし、頼り切りになるのは隊の士気にも関わるとエーリッツェが申し出てくれた。
エーリッツェ隊は前回の遠征で主力隊員の半数以上を損耗し、サッハディーリッツェまで抜けている。今の若い隊員たちには経験が足りないのだそうだ。だから今回は助っ人が必要だったし、わざわざ苦労してでも経験を積む必要があるということだった。
もちろんその意見に否やはない。大賛成だ。だから今回俺はサポートに徹しようとも考えている。
「これが遠征ルートになる。お前には必要ないかもしれんが覚えておいてくれ」
「ああ、助かるよ」
エーリッツェが見せてくれた紙には簡易的な地図が描かれていた。そこに矢印て遠征ルートと野営場所が書き込まれている。
「やっぱり今回も船で行くのか」
「その通りだ。荷馬車を引いて大平原を突っ切るなんてお前がいなきゃ不可能だからな」
「じゃぁ俺は川岸をのんびり行くとするか」
「それで構わん」
予定では四日かけて川を遡上し、日中一日かけて採取を行う。夜は魔獣の活性が極端に上がるからだ。野営は安全なボート上で行い、そのとき俺とハティは陸から警戒することになる。
俺とハティの出番は彼らが上陸してから採取を行い、荷をボートに積み込むまでの間になる。通常だと採取は二~三時間しか行わないが、今回は俺とハティがいるから陽が出ているうちに可能な限り採取を行うことになっている。
「リーガハルは?」
「ああ、あいつならヒュッツェと共にボートの準備に出かけている。今回は荷物が増える予定だからな
前回より一回り大きなボートを使うんだ」
エーリッツェから明日の予定を聞き、俺は一旦隊舎を出ることにした。べつにすることもないが、屋敷に戻って極秘裏に進めている計画の進捗具合を確認しておこうと思ったからだ。
そんなことはさておき、ついに出発の朝がやってきた。エーリッツェの元に訪れると、隊員たちはすでに隊舎に集結しており、俺の到着を待っていたようだ。
「よし、出発だ」
その合図とともに、俺たちはひとまずボートが留めてあるタリア川の船着き場へと足を向けた。そして到着したところでハティを召喚し、二手に分かれて最果ての森を目指す。
「頑張れよー」
エーリッツェの掛け声に合わせてオールを漕ぐ隊員たちにエールを送る俺は、ハティの背中で欠伸が出るような旅路を進んだ。ただし、道ああるわけではなく草原を進むわけだが、それほど草が茂っているわけではないので見通しはいいし悪路でもない。
俺としてはのんびりとして牧歌的な、エーリッツェ達にとっては忙しくて過酷な行程は順調に進み、予定どおり四日目の夜には最果ての森が見える位置にまで到達していた。今夜はこの位置で一泊し、明日の朝からが採取の本番になる。
エーリッツェたちは川の中から突き出た岩にボートをつなぎ、夜を明かしている。俺は暢気にハティを枕にして草原で夜を明かす。彼らに悪い気もするが、この経験が若手にとって重要だと説明されれば手を貸すべきではないだろう。
そして迎えた早朝。エーリッツェたちがボートを岸に係留して降りてきた。
「いよいよだな」
「ああ、今回だけだがしっかり護衛を頼むぞ。森の中は見通しが悪いからな。とくに魔獣の接近には注意してくれ」
「任せておけ」
ハティを連れている時点でほとんどの魔獣は近づいてこない。問題はハティを恐れない強い魔獣だった。それは草原に生息する竜種であり、森に生息するネコ科の大型魔獣だ。
ファンヴァストにとっては残念だが、エーリッツェたちにとっては幸いなことに、森に到着するまで竜種は現れなかった。森の中ではあらかじめ教えてもらった採取場所に俺が先行し、安全を確保したのちに隊員たちが採取を行っていった。
通常は二から三か所しか回らないらしいが、今回は量を採取する必要があるので十か所近く回ることになった。途中襲ってきたネコ科の大型魔獣は、ハティ牽制を行っている隙に不可視化した俺がとどめを刺すという戦法でしとめることができた。
「コイツは売れるのか?」
「白魔ヒョウだな。幻の魔獣と言われているが価値があるのは毛皮だけだ。剥ぎ取りは俺たちに任せてくれ」
「それは助かる」
エーリッツェの提案で、毛皮の剥ぎ取りはボートの傍でベテランのヒュッツェがやってくれることになった。彼は恐ろしいほどの手際で素早く剥ぎ取りを済ませてくれた。俺がやっていたら一時間以上かかるところを、ものの十分ほどでやり遂げるのだからスゴイとしか言いようがない。
「スゴイ手際だな。助かったよ」
「なに、遠慮することはない。マーサが護衛してくれたからこれだけの収穫になったしな。それにマーサがいなかったら俺たちはコイツの腹の中だ」
ヒュッツェは謙遜してそんなことを言っているが、白魔ヒョウが襲ってきたのはすでに陽が傾きかけていたからだろう。
「まだ油断はできんがお前のおかげで大量に採取することができた。助かったよ」
「お互い様さ。俺は俺で楽しめたし予定外の収穫もあったしな」
「そう言ってくれると助かる。俺たちはこのまま休まずに川を下るがお前はどうする」
エーリッツェは明らかに安堵した表情だった。ここから先にはほとんど危険がなく、遠征の成功は確約されたようなものだからだろう。しかし俺はちょっとだけ消化不良だ。
「別件の依頼も受けているからな。俺はもう少し平原をうろつくよ」
「ではここでお別れだな。今回は本当に助かった。隊を代表して礼を言わせてくれ」
「そんなに畏まるなよ。俺としてもこの遠征は楽しかったからな」
「ハハハッ、お前にとっては最果ての森でさえ楽しい娯楽か、つくづくレベルの差を実感させられる」
そう言ってエーリッツェたちは薬草が詰まった袋を満載したボートで川を下って行った。俺としては確かに楽しかったが、暴れ足りないという不満もあった。それはハティも同じだろう。
さらに、日程的にはまだ二~三日の余裕があるのだ。せっかくの休暇みたいなものだから存分に楽しまなきゃ損だろう。
ということでハティの背に跨り、俺は十分に狩りを楽しむことにした。魔獣を狩っては屋敷に転送し、時にはハティとじゃれあって日ごろ積み重ねてきたうっ憤を晴らしたのだった。
ちなみに狩りの成果は、茶毛竜を三頭、黒竜を一頭、おまけで食糧にもした赤魔牛を三頭だった。ファンヴァストも喜ぶことだろう。
こうして久しぶりにまとまった休暇を堪能した俺は、狩りの成果をハンターギルドに提出してひと騒動を巻き起こし、気分よくクロトやラキが待つエルト共和国へと帰還したのだった。




