第三十七話:緊急依頼
シルベスト王国での営業権を勝ち取り、エルト共和国へと戻った俺たちは、首都エルティアスのマサヤ本社へと帰着した。それから数日後、本社の引っ越しが行われた。
マサヤ新本社は三階建てで、通りの中では大き目なレンガ造りの建造物であり、一階の大通りに面したフロアが小売及び製品の展示スペースになっている。これは、かつてファンヴァストに調達を依頼していた広めの敷地に建てられていた。
俺は今本社三階にある総帥室でクロトとラキを交え、シルベスト王国での店舗展開についての計画を練っていった。俺のマサヤ内での役職名について対外的にはすでに公表済みであるが、このころから自分の事を社員にも総帥と呼ばせている。
「ぬしさまぬしさま」
「総帥と呼べと言っているだろう。で、なんだラキ?」
「あのねぬしさま、お願いがあるの」
お祈りするように両手を胸の前で組み、つぶらな瞳をウルウルさせているラキを見ていると、とても彼女がAIだとは思えなくなってしまう。その根幹となるアルゴリズムを組んだ身とはいえ、経験の積み方でこうも個性が豊かになるとは驚きだった。
それはもちろんいい意味での驚きであり、彼女らIARAの人格は人間と同様に尊重すべきだと思っている。
「だからなんだ」
「えっとね、ラキのマサヤ歌劇団をね、おっきくしていいかな」
「おっきく?」
「えっとね、えっとね――」
要約するとヤマサ歌劇団の人数を倍増させたいらしい。具体的にはシルベスト王国国内から人員を集めて妹グループを設立し、シルベスト国内のファン層を開拓したいということだった。言い方はまどろっこしいが理にかなった提案だと思う。
実際マサヤの売り上げに対する彼女らの貢献は極めて大きい。魔工業ギルドから入ってくる技術使用料よりも明らかに多い。
「分かったラキ。大々的にやってくれ」
「やったぁ。ぬしさまだぁい好き」
「こらこらじゃれるな」
打ち合わせそっちのけでじゃれついてくるラキをあしらっていたら、来客を告げるアラームが鳴った。
『ジーニャ商会のファンヴァスト会長が面会を希望されています』
「ああ、通してくれ」
『かしこまりました』
そう待つこともなくいつものように入室してきたファンバストにお茶を出し、用件を聞く。
「なんの用だ爺さん」
「会長と呼ばんか、会長と」
毎度のやり取りだが、今日のファンヴァストはいつもより腰が低いように思えた。わずかな違いだがこうも頻繁に顔を突き合わせていると分かるのだ。こういうときは厄介な頼みごとをしてくる場合が多い。そう身構えていると。
「折り入って相談なんだがの。アルガストのエーリッツェという男に手を貸してくれんか。具体的には」
「乗った!」
勢い身を乗り出して叫んでいた。そしてクロトの冷静沈着なツッコミを受ける。
「主様。興奮なさるのは分かりますが、アトロ姉様にご相談なされるべきかと」
「むむむ……それもそうだな」
「その前に最後まで話を聞かんかい。このバカたれが!」
冷静になって話を聞いてみると、あのカシール大平原奥の森。たしか最果ての森だったか。そこに自生する薬草類の需要が拡大しているというか、誰かが採りにいかないと困ったことになるということらしい。
少し込み入った話になるが、つい近年までこの大陸には戦乱が満ちていて、それが治まった最近では人口増による薬不足が慢性化しつつあるという。
あの森で手に入る薬草類には優れた薬効成分が多く含まれていて、定期的な供給が待ち望まれているらしい。そこで狩猟大会の上位チームに声がかかったということだが、リスクが大きすぎてどこも引き受けない。
唯一実績があるエーリッツェ隊に対する民や王国貴族の期待は大きく、大陸中からの声で動かざるを得ない状況に陥っているということだった。
「うんうん分かる。分かるぞぉ爺さん。やっぱり俺が必要だよな」
「会長と呼ばんかバカたれが。でだ、ついでに竜種も狩ってきてくれれば嬉しいんだがの」
これはアレだよな。ファンタジーな物語にはつきもののお使いイベント。困っている人の困難な依頼を受け、その見返りに称賛とアイテムが手に入る。今回の場合アイテム入手はないだろうが、そこまで物欲に執着はないから無問題だ。
むしろ称賛されるほうが嬉しいし、人から頼られるというだけでやりがいは大きくなる。というかすでにやる気満々だ。竜種はついでに狩ってきてもいいが、エーリッツェ隊の重荷になるようだったら諦めよう。
「まぁ待て。アトロに聞いてみる」
『いきなりなんですの? マーサ』
「しばらく俺が抜けても大丈夫か?」
『いろいろ抜けすぎていますの。報告には五W一Hが重要だとあれほど』
「固いことゆうなよ」
『固い柔らかいではありませんの。だいたいマーサは――』
ついつい焦っていろいろ端折ったらお小言が始まってしまった。しかし、そんなことでメゲる俺ではない。シルベスト王国での営業権を獲得した今となっては、出店計画とその基本方針さえ固めてしまえばあとは実務担当に任せられるのだ。一から百まで俺が指揮を執る必要なんてない。
それが分かっているからクロトは反対しなかったし、アトロはお小言で済ませてくれているのだ。俺じゃなきゃできないことをサボろうとしたら、アトロもクロトも必ずそのことを忠告してくれると俺は彼女らを信頼している。
これは言い訳じゃない。希望的観測でもない。そして願望でもない……はずだ。
「信じていいんだよなっ。アトロ」
『脈絡もなく思っていることを口に出さないでください。何が言いたいのかさっぱり分かりませんの。マーサの悪い癖です』
「すまんすまん。で、いいんだよな。なっ」
『ハァ……そんなに嬉しそうに言われたらダメとは言えませんね。困ったものです。いいでしょう。後のことは私とクロトで何とかしておきます。どうぞご存分にやりたいことをおやりになりやがれですの』
アトロになんと言われようが俺の気持ちが揺らぐことはない。彼女の言葉には棘がいっぱいだがそれはいつものことだ。いちいち気にしていたら彼女とは付き合えない。
それでもアトロの許しを得られたのは確かだ。そのことをクロトに伝えねばなるまい。
「でだ、詳しくはアトロから聞いてほしいが俺はアルガスト王国に十日間ほど出かけることにした。クロトには出店計画の陣頭指揮を任せたい。やってくれるか」
「はい。謹んで拝命いたします」
クロトは俺の前では聞き分けがいい優等生だ。どんな指示を出しても嫌な顔一つせず引き受けてくれる。しかし俺は知っているのだ。彼女は決してお人よしではない。判断も早くて正確だし、無能な奴は無慈悲に切り捨てる冷酷さも併せ持つ。
できないことはできないとはっきり言うし、そもそも無理無謀なことを口にしたり、できると信じて疑わないような低能には虫ケラ接すような態度をとる。
さらに言うと彼女は筋金入りのドSであり、少々Sっ気があるアトロなど可愛いと思えるような冷たい視線を部下に向けることがあるのだ。
だから俺は思うんだ。クロトだけは決して怒らせてはいけないと。あんなウジ虫を見るような視線で言葉攻めを受けたら俺の精神は絶えられない。
「助かったよ。頼りにしているからな。クロト」
ついでに言うとラキの性格は……言わなくても分かるだろうが一応。とにかく彼女は純真で可愛いものが大好きだ。頭も切れるし、人にものを頼むときも的確に役割を振り分けたりできる。
そして戦闘能力もアトロやクロトに劣る物ではない。その幼い言葉遣いや態度から彼女を侮っていると痛い目を見ることになるだろう。
「じゃぁあとは任せた。クロトにラキ、しっかり任務にあたってくれ」
「仰せのままに。主様」
「じゃんじゃん新しいお洋服が売れるようにするからね。それから歌劇団ももっともっと立派にするんだから。ぬしさまも頑張ってね」
「総帥と呼べ、総帥と」
彼女ら三人の名はギリシャ神話の運命の三女神にちなんでいるが、その役割はまるで違うものになってしまった。でもそれはどうでもいいことだ。それぞれに人間らしい個性があり、俺にとっては愉快な家族も同然なのだ。
そんな彼女らに別れを告げ、ウキウキとした軽い足取りで総帥室を後にし、エーリッツェやリーガハルが待っているだろうアルガスト王国へと向かったのだった。




