第三十四話:シルベスト王国を攻略せよ~襲撃者と苦悩する科学者~
五十名を超えるマサヤ関係者と共にシルベスト王国に入って二日目の早朝。 野営地に停車する馬車のゆったりとした座席で、未だに攻略の糸口が見いだせないことに苛立ちを覚えていた。
外ではラキが音頭を取って朝食の準備を進めている。マサヤがシルベスト王国に進出するために必要な攻略方法考案のタイムリミットは、準備を考えると今日一日。陽が暮れるまでには何とか攻略法を見いだしたい。
見いだせなければ出たとこ勝負の不確かな交渉になることは確実である。綿密な計画を立てた上で十分な準備をしてから行動に移すのが俺の信条だ。出たとこ勝負は何としても避けたい。このまま考えても埒が明かないと判断し、屋敷にいるアトロへと通信をつないだ。
『アトロ聞こえるか』
『……どうしましたの? マーサ』
『頼みがある。ヘッセンサーヴェスト侯爵に関するデータを全て閲覧できるようにしてくれ』
『お送りした情報だけでは不足でしたか?』
『ああ、昨日までの情報では攻略の糸口にすら成り得ないよ。もう一度すべてを洗い直したい』
『了解ですの』
転移して山向こうの屋敷に戻らなかったのは、疲れるからだ。長距離の転移は馬鹿に出来ない体力を消耗し、神経をすり減らす。攻略法を考える必要がある俺はそれを避けたかった。
俺は馬車を下りると、警備を続けているクロトに少し離れると言って人影のない場所まで歩いた。周囲に人がいないことを確認し、懐からスマートフォンタイプの携帯端末を取り出した。屋敷のサーバーへと接続したのである。
小型探査機によって集められたヘッセンサーヴェストに関する全ての情報は、アトロに内蔵された情報処理演算装置を介して、サーバーへと整理された状態で保存されている。情報の形式はほとんどが画像ファイルと動画ファイルであり、アトロによって時系列順に日付とインデックスが付加され、整理されていた。
「アトロは相変わらずいい仕事をする。これなら検索する必要もないな」
俺が地球にいた時代の検索では、動画や画像に写った人物を画像そのもので検索することが出来るのだが、アトロがテキストで分かりやすいインデックスを付けているので検索する必要が無い。
俺が探しているのはヘッセンサーヴェストの弱みである。それも悪事を働いた決定的な証拠となる弱みだ。それさえ握っていれば、それを材料にして交渉を有利に進めることができる。
さらに、交渉を持ちかけて門前払いされる可能性を考えると、弱みを握る有効性は格段に上昇する。ここは何としても、ヘッセンサーヴェストの弱みとなる情報を探し出して攻略の糸口をつかみたい。
俺はインデックスを頼りに、画像ファイルに的を絞って閲覧を進めていった。さすがに動画ファイルの中身を確認するには時間が掛かりすぎると判断したためだ。
小型探査機によるヘッセンサーヴェスト関係の情報については、すでに一度アトロから報告を受けているのであるが、アトロといえど収集した情報の全てを解析している訳ではない。何も処理をしなければ聞き取れないような会話や、何気ない仕草などから有益な情報を得られる可能性が残っている。
俺はその可能性に賭けていた。そして幾つかの気になるファイルをリストアップすると、アトロへと再度通信をつなぎ指示を出す。
『チェックを付けた画像ファイルに関係する動画を重点的に調べて、ヘッセンサーヴェストの弱みになりそうなものを探してくれ』
『了解ですの』
馬車へと戻った俺は、既にはじまっていた朝食の輪に加わった。そして、朝食を運んできたリリルリーリが明らかにテンパっていたのだが、俺はその理由が分からなかった。
戻ったリリルリーリがラキに慰められている理由が分からない。そんなことよりも俺の頭はヘッセンサーヴェストとの交渉のことで一杯だった。そんなこんなで朝食を済ませた一団はシルベスト王宮への移動を再開したのだった。
予定では明後日の夕方に王都に到着し、そのままホテルで一泊したのち、その翌朝に移動を再開して昼過ぎに王宮に到着する。公演は夕方からなので、それまでの時間で旅の疲れを癒すことになっているのだが、俺はこの時間を使って交渉の準備を仕上げるつもりだ。
そのためには今日の夜までにヘッセンサーヴェストの弱みを探し出し、明日一日を使って交渉のための下準備を進めなければならない。昨日と同じく、快適な馬車の座席で思考の海に沈んでいったのである。
◇◇◇
マサヤ印の超高級馬車で優雅な小旅行を満喫しているファンヴァストは、向かいに座って考え込んでいる昌憲に幾度となく声をかけていたが、彼がそれに気づくことはなかった。
最近になってだが、昌憲という男を理解しはじめていたファンヴァストは、こうなったときの彼は何か突拍子もないことを考えていることが多いことに、少しだけ不安を感じていた。
◇◇◇
結局ろくな材料が揃わなかったことで、二日目の野営地へ到着するまでいい作戦を考えられなかった俺は、夕食をとったあとアトロに通信をつなごうと、ひとり大地から突き出た岩陰に移動した。もう、アトロの情報だけが頼りなのだ。
俺たちが野営地としたこの場所は、シルベスト王国唯一の丘陵地帯であり、農産物を作る畑や民家が存在していない。だからと言って旅の難所という訳でもなく、脅威となる魔獣や大型の獣も生息していない穏やかな土地である。
ゴロゴロとした小石が多く、水はけがよすぎるために農作地には適していないが、周囲には林が点在しており、鹿やウサギに似た獣が生息しているので、シルベスト王国で唯一狩りができる場所でもあった。
作戦が決まっていれば狩りでもして夕食の足しにしたいところだったが、今はアトロに報告を聞くことが優先される。岩陰までたどり着いて通信をつないだ俺に、アトロから期待していたものとは別の情報がもたらされたのである。
『アトロ、何かいい情報はつかめたか?』
『マーサ、今はそれどころじゃありませんの。馬車が包囲されています』
『チッ、今頃来やがったか』
『クロトは既に臨戦態勢に入っています』
『了解した。賊を無力化してからまた連絡する』
急いで俺はクロトに通信をつなぐ。
『クロト、アトロから話は聞いた。何人かは殺さずに生け捕ってくれ』
『承知しました』
クロトは既に状況を完璧に把握していたようだ。ヘッセンサーヴェスト侯の執事がコンタクトをとっていた武装集団は、傭兵崩れであると調べがついている。彼らの行動はアトロが小型探査機で常時監視しており、その情報は逐一クロトやラキ、同行しているIALARWたちへと流されていたのだ。
◇◇◇
賊たちは周囲の林に散らばって身を潜め、昌憲たち一団の様子を伺っている。彼は今馬車側の岩陰に身を潜め、賊たちが動き出すのを待っている。そんな昌憲をよそに、夕食を済ませた販売員やファンヴァストなどはすでに馬車へと戻っていた。
シルベストに遠征すると昌憲が決めた直後に、馬車には最高レベルの防御装置が取り付けられている。外部からの攻撃は魔法も物理も、光や音さえも中へは届かない。それでもクロトは、アーセルハイデルを視線だけで呼び、小声で指示を出した。
「賊に囲まれています。貴方たちは全員で馬車に張り付いて、一人の賊も馬車には通さないようにしなさい。近づいた賊はすべて殺して構いません」
「クロト様は」
「私は主殿と共に賊を殲滅します。いいですか、決して馬車を離れないこと」
アーセルハイデルは黙ってうなずくと、部下たちに視線を飛ばしてかねてより決めてあった配置につかせた。騎士にとって主の命令は絶対であり、また、命令されることは喜びである。
アーセルハイデルは正式な騎士ではないが、クロトを主と定めて忠誠を誓っている。数年ぶりに巡ってきた騎士としての使命に値する戦いに、その身を歓喜させていた。
クロトのの配下になっても、今までは暴力的嫌がらせを鎮圧することか、訓練程度しか仕事が無かった。訓練そのものは充実していたので、張り合いのある生活を送れていたが、命のやり取りとなれば話は別なのである。
アーセルハイデルにとってジリジリとした時間が流れていく。どれほど待っただろうか、事情を知らないほとんどの者が眠りについたころ、ついに賊たちが動き出したのである。
馬車の周囲に座り込んで仮眠のふりをする護衛部隊めがけて一斉に矢が放たれた。しかし、神経を研ぎ澄まし、賊の攻撃を待ち受けていたアーセルハイデルたちには通用しない。 常に手を掛けていた剣で飛来する矢を叩き落としていく。矢の雨が止んだ時には馬車の周囲に矢の小山が築かれ、馬車には一本の矢も届いてはいなかった。
そして、矢が通じないと悟った賊たちが次の手に出た。それは槍を持っての一斉突撃である。闇夜に慣らしてあるアーセルハイデルたちの目に映った敵の数は五十名ほど。対してアーセルハイデルたち馬車の護衛は俺とクロトを加えても三十二名。
頭数と護衛対象がいる状況下では圧倒的に不利なのであるが、昌憲とクロトという規格外が二名いることを考えれば、可愛そうなのはそれを知らない賊の方である。槍を構えて包囲の輪を狭めるように突進してくる賊の集団に、昌憲とクロトが動いた。
◇◇◇
殺さずに捕える必要があるのは、賊のリーダー格とそれに近しい者のみ。あとは生死不問でよい。リーダーの位置はアトロからの情報ですでにつかんでいる。わざわざ探す必要は無かった。
馬車に近い岩陰に身を潜めていた俺は、狭められる槍の輪の外側を走る賊のリーダー格に一瞬で近付き、脇腹に一発のボディーブローを放った。
もちろん力は極限まで落としてある。そうしなければ拳が賊の腹を突き破ってしまうからだ。あまりの衝撃に息ができなかったのだろう、声も出せずに苦悶の表情を浮かべた賊のリーダー格は、その場に崩れ落ちて意識を飛ばしたようだ。
『賊のリーダー格は捕えた。クロトは好きに動け』
すかさずクロトに連絡を入れた俺は、そのまま馬車に殺到する賊たちの背後から電撃を浴びせかけたのである。
◇◇◇
一方クロトは昌憲とは馬車を基点に反対側で突進してくる賊たちを迎え撃った。昌憲から入った連絡により、遠慮する必要はすでにない。迫り来る槍を飛び越え、すれ違いざまに上空から刀を一閃。着地して賊たちの背後から手当たり次第にその首を切り飛ばしていった。
アーセルハイデルはクロトが戦う様子を一瞬でも見逃すまいと、その目に焼きつけようとしていた。崇拝し、忠誠を捧げた主の戦いである。それは彼にとって神の御業に等しいのだ。
そして、彼女の戦いは圧巻の一言に尽きた。クロトが動いたと思った次の瞬間、気がつけば賊どもの首が宙を舞っていたのである。このとき、アーセルハイデルは自身の力なさを恨めしく思っていた。せっかくクロトが目の前で戦いを見せてくれたのに、それを目で追うことすら叶わなかったからである。
それでもアーセルハイデルは自分の役目だけは忘れなかった。いや、忘れるはずがない。それは彼にとって神の言葉に等しいのだから。自分の仕事は賊たちを馬車に届かせないことであると。
昌憲とクロトの攻撃範囲から幸運にも外れ、馬車を固めるアーセルハイデルたちのもとに届いた賊は十数名。一時は傭兵に身をやつしたとはいえ、クロトの指示で訓練に明け暮れているアーセルハイデルたち元騎士の実力は、そこいらの傭兵崩れには荷が勝ち過ぎていた。
しかも、既にその頭数においてもアーセルハイデルたちが苦戦する要素はない。賊たちは一瞬のうちに切り伏せられたのである。馬車の中で眠る者たちは、外で戦闘が行われたことに誰一人気づいてはいない。
◇◇◇
馬車の周囲は血の海であり、賊たちの死体がそこらじゅうに散乱していた。王侯貴族が集まるステージで講演を行う販売員たちに、さすがにこの光景を見せることは出来ない。戦いがあったという痕跡ですら残すべきではなかった。
『クロト、生きている者を縛り上げて林の中で尋問してくれ。それから販売員たちに気づかれないように死体と血の処理も頼む』
クロトに事後処理を指示した俺は、こんどこそアトロからの報告を受けるために岩陰へと身を隠した。さすがに護衛に携帯端末は見せられない。こうして、襲撃の一夜は更けていったのである。




