第三十二話:続・科学者の冒険
食材を集めて森を出てみれば、そこには想像だにしない光景が広がっていた。もとい、人物がいた。
「冒険ごっこは楽しかったですか? マーサ」
「うげっ」
そこにはアトロがすまし顔で佇んでいた。その横には巨大なイノシシ型の魔獣をしとめてきたハティが、借りてきた猫のように巨体を丸めておとなしくしている。ハティの耳は力なく垂れ、明らかにアトロに対して委縮しているようだ。
「うげっ、ではありませんの。急に通信回路が切断されたかと思えば、こんなところで現実逃避ですか? ご丁寧に念入りな隠蔽工作までおかましになりやがり、探し出すのが大変でしたの」
「なっ、なんで分かったんだ」
「この子のおかげですの。だいたいマーサはちょぉっと忙しくなったくらいで――」
どうやらハティの魔力が追跡されていたらしい。たしかに迂闊だったが、まぁそれは置いておくとしてだ。こうなったアトロには絶対に逆らってはならない。一言でも反論しようものなら何十倍にもなって返ってくるのが分かり切っているからだ。
時間にすればそう長いものでもないが、事実をもとにしたお小言を聞かされ続けて一気に萎えてしまった。せめてもの慰めにと、わずか数時間の自由を得るにとどまった逃避行を心の中で振り返って萎えた気持ちを癒すとしよう。
「――お分かりになりましたか? お分かりになりましたか?」
おっといかんいかん。危うくアトロを怒らせるところだった。
「もちろんだとも」
「まぁ、私の話を右から左に聞き流していたのは大目に見ましょうか。今は」
ヤヴァい怒らせた。アトロは怒らせると後が怖いんだ。忘れたころにネチネチネチネチとぶり返してくる。これはなにか対策を考えておくべきだろうか。そんなことをうつむいて考えていた。
「マーサ」
「はい」
「そこまであからさまに落ち込みますか……。私はなにも、休むのが悪いと言っているのではありませんの。コソコソ逃げるようなことをせず、堂々と休暇を取ればよろしいではありませんか」
話の展開が考えていたことと違うようだ。俺は勢いよく顔を上げ、アトロに視線を合わせた。それを見て彼女は微笑を浮かべる。
「マーサ、一人でこっそり休暇を取るより、みんなで楽しく息抜きをしましょう」
「そうだな。俺が間違っていたよ」
たしかにアトロが言うとおりだ。冒険は何も俺一人でしなければならないというものではない。すでに冒険とは言い難いのは置いておくとしても、大人数でこの大自然を楽しむのも悪くはないだろう。
仲間たちを呼び寄せ、レジャーと割り切って楽しむこととしよう。本当の冒険は次の機会にお預けとなるが、すでに溜まったうっ憤は晴れているのだから。
「よし、みんなを呼び寄せてキャンプと行こうか。アトロ、段取りをお願いできるか?」
「そう言われると思っておりました。すでに準備は万全ですの」
そう言ってアトロが右手を振り上げると、その先の空間が大きく十字に割け、そこからわらわらと人が出てきた。みんな見知った顔だ。
「あっ、ぬしさまだ。こんなところで遊んでたなんてズルいです。ラキも混ぜてもらいますからねっ」
ラキや彼女といつも一緒にいるリリルリーリ、マサヤ歌劇団もぞろぞろと出てきた。クロトや彼女の部下たち。そしてファンヴァストまでもがいる。さすがにジーニャ紹介の従業員まではいなかった。
「よっ、爺さんまで来たのか」
「会長と呼ばんか、バカたれが」
俺はハティを連れて彼がしとめてきた獲物を処理するために少し離れた場所へと移動した。獲物はハティより一回り大きく、しかも丸々と肉付きがいい。しかしハティはそんな巨獣を苦も無く引きずっている。
このあたりというかこの平原は普通のハンターでも簡単に殺される魔獣がうようよいるが。アトロにクロトにラキがいるから団体さんの護衛はいらないだろう。団体さんから多少離れようがそもそもハティがいるおかげで、ほとんどの魔獣は近づこうとしないはずだ。
団体さんから十分距離を取ったところで血抜きを行い。獲物の腹を裂き、肝臓だけを取り出して袋に入れた。残りの内臓をかき出し、ハティに合図を出す。
「よしっ」
許しが出たことでハティは大量の内臓に顔を突っ込んでむさぼり食いだした。内臓はハティにとってご馳走である。しかし俺たち人間にとってはリスクが多い部位だ。完全に火を通せば問題ないが、わざわざ好んで食うようなものでもない。
ただし肝臓だけは、この世界でも滋養強壮にいいと珍重されているのだ。生食さえしなければなにも問題はないし、好みの差はあれど味や触感もいい。
皮をはぎ、おおざっぱに解体を済ませたところでアトロを呼ぶ。
『解体が終わったから取りに来てくれ』
『了解、マーサ』
こうしてブロックになった肉を見ると、我ながら獣の解体が上手くなったなと感慨深いものがあった。
アトロからクロトに指示が行ったのだろう。クロトとその親衛隊ともいうべき騎士たちがわらわらとやって来て肉のブロックを運び去っていった。
「主様、もうすぐ焼きの準備が整います。なにかリクエストは?」
「あそこの袋に森の食材が詰まっているんだ。さっきの肉を使ってシシ鍋かなんかにしてくれないか」
「アトロ姉様が味噌を用意してくださいました。トン汁にするのはいかがでしょうか」
「もちろん構わない。それにしてもトン汁か、懐かしいな。アトロの奴め俺の好みを分かってやがる……」
Sっ気とお小言が減れば完璧なんだが、と危うく口に出しそうになったが、彼女の地獄耳を思い出して踏みとどまった。
そんなことを考えつつも皆のところに戻ってみれば、そこにはバーベキュー会場ができあがっていた。ラキが音頭を取って女性陣が野菜や肉をカットし、クロトの指示で野郎どもが火力の調整をしたり会場を整えたりしている。
「これはアレじゃろ、ビッグボアのフィレ肉は蕩けるように美味いからのぅ」
「あのイノシシはビッグボアていうのか。肉は大量にあるからリブロースでもカルビでもフィレでも好きなだけ食えばいいさ」
「それにしても惜しい。お前はこの肉がいくらするか分かっておらんだろう?」
「そんなに高いのか?」
「ビッグボアのフィレなんざ食に道楽を求める王侯貴族くらいにしか渡らんからのぅ。買い取って売り払いたいわい」
「ま、今回はあきらめるこった」
「分かっとるわい。極上のフィレ肉が食えるだけマシよ」
そう言いながらもファンヴァストは惜しそうな視線を切り分けられる肉に固定していた。その視線の先はもちろんフィレの部分だ。
ファンヴァストとだべりながらしばらく待っていると、焼き上がった肉を持ってラキとリリルりーりが声をかけてきた。
「会長さんはこれだよ」
「おお、おお。そのフィレ肉をワシにくれるのか。ありがとうな、ラキ嬢ちゃん」
「マーサさまにはこちらを」
「ああ、ありがとな。リリィ」
「いえいえ、どういたしましてです」
ラキからフィレ肉が乗った皿を受け取ったファンヴァストは上機嫌だった。味付けは塩コショウのみだが、遠火の直火であぶっり、こんがりと焼け色がついたフィレ肉は、その香ばしい香りも相まって美味そうだった。
緊張気味のリリルリーリが渡してくれた皿には巨大な骨付きカルビがデデんと乗っていた。普段は脂っこい部分は極力食わないようにしているが、今日みたいに運動した日は別だ。
赤い顔のリリルリーリは俺に皿を渡してスタタタと走り去ってしまった。真剣に骨付きカルビを焼いていたから顔が火照っていたのだろうか。
「んぐんぐ、脂っこいがしつこくないな。爺さんが言うだけあって確かに美味い」
「会長と呼ばんか会長と。まぁ、竜種には負けるがの。しかしまっこと惜しいことをしたわい。たまーにでいいから竜種とかビッグボアとか仕入れさせてくれんかのぅ」
「機会があればな」
ビッグボアの肉は大好評だったようで、またたくまに全員の胃袋に収まってしまった。そのあとのトン汁も大好評で、皆腹一杯なはずなのにお代わりまでしてこちらもすぐになくなってしまった。
ファンヴァストのじいさんだけはトン汁の具材が分かったらしく、しきりに「なんと勿体ない使い方を」とボヤいていたが、その食べる顔が至福に満たされていたのを俺は見逃さなかった。食後はお茶を飲みながら、まったりと流れゆく時間とそよ風を堪能し、のんびりとした時間を過ごした。
その後俺はハティとじゃれあったり、たまたま近くに寄ってきた魔獣をしとめたりして余暇を満喫し、クロトとその部下たちはファンヴァストに頼まれて森に食材を取りに行ったりしていた。ラキ達マサヤ従業員は平原でボール遊びに興じている。
「暢気なものですね」
「ああ。だがそれでいいさ。あいつらには苦労させっぱなしだからな」
ハティと十分に遊んだ俺は彼を住処へと送還し、今はアトロと沈みゆく夕日を眺めている。
「マーサも十分に楽しめましたの?」
「ハティと遊んだのも久しぶりだったからな。本当はもっと冒険したかったが楽しめたことは間違いないよ」
「それはようございました」
こうして俺のプチ冒険プラス慰安旅行は幕を閉じたのである。




