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第三十一話:科学者の冒険


 シルベスト王国行きは俺が言い出した事案である。だがしかし、俺のうっ憤は溜まりに溜まっているのだ。俺は本来商売をしにこの世界に来たのではない。剣と魔法の世界で冒険がしたかったのだ。商売人になりたければ地球で十分なのである。


「なぁハティ、お前もそう思うだろ?」


 巨大な湖のほとりで黒狼ハティの首筋を撫でながら聞いてみたが、もちろん返事などない。ただ、ハティも久しぶりに俺に会えたのが嬉しいのか、すこぶる機嫌がいいのが伝わってくるのだ。何故そんなことが分かるのかって?


 そんなことはどうだっていいじゃないか。こうやって顔をスリつけてきてくれるだけで俺には分かるんだ。ただ、なんというか少し臭いがきつくなってるみたいだ。というかかなり臭いぞハティ。


「ハティ、水浴びだ」


 そう言って湖に飛び込んだ。ハティはそんな俺を追って水際まで足を進めたが、入水することには抵抗があるようだった。湖の水は透き通っていて思ったより冷たい。きっと湧水が大量に沸いているのだろう。


「さあ来いハティ!」


 そう叫んで水面をバシャバシャ叩き、ハティを誘惑してみた。楽しそうに水面を叩く俺の姿を見て我慢できなくなったのだろう、ハティは恐る恐るといった感じだったが湖に入り、俺のところまで泳いできた。泳法はもちろん犬かきだ。


 俺はそんなハティを労り、手荒く首周りを撫でながらも汚れを落としていく。ハティのほうも構われるのが嬉しいようで、何度も何度も俺の顔を舐めてきた。そんなハティを相手にしながら体全体をワシャワシャと丸洗いし、上がった体温を下げるように泳いだり魚を追ってみたりして湖を楽しんだ。


 ハティはそんな俺を追いかるように泳いでくるが、泳ぎに関しては俺のほうが能力は上だったようで追いつかれることはなかった。しばらく奇麗な水を堪能した後、陸に上がって魔法で水分を吹き飛ばす。遅れて上がってきたハティは全身をブルブルとふるって水を飛ばしていた。


「うん、臭いもほとんどしなくなった」


 クンクンとハティの匂いを嗅ぎ、水洗いの効果を確認していたらハティも俺の匂いを嗅いで対抗してきた。


「どうした? 俺はそんなに臭わないぞ」


 そう言ったところでハティには分からないだろうし、彼の嗅覚からすれば匂わないことはあり得ない。


「さて、冒険するとは決めてきたが……」


 何をするかまでは決めていなかった。この平原で魔獣を狩りまくってもいいし、森に分け入ってキノコや木の実を採取してもいい。山岳地帯まで分け入って鉱石を探すのも有りだ。


 今俺がいるこの地は拠点としている屋敷を構えた巨大カルデラの内陸部だ。ただカルデラと言っても小さな大陸くらいの面積はあるし、ボヤっとしていたらあっという間に時間が過ぎ去ってしまう。早いとこ何をするのかを決めて取り掛からないと、せっかく得たこの機会が無駄になってしまうだろう。


「狩りはリーガハルたちと嫌というほどやったしな。今日は森でキャンプでも楽しむか」


 キャンプと聞けば冒険とは言い難いだろう。しかしこの大地ではキャンプをするだけでも大冒険になるのだ。手つかずの大自然。辺りをうろつく凶悪な魔獣たち。そのどれをとっても、この地が一般のハンターだけでは入り込めない難所であることに変わりはなかった。


 ただ、ハティという心強い相棒がいることによって冒険をしているというスリルは味わえないかもしれない。しかし考えてみろ。別に命がけで危険なところに行かなくても今の俺にはこの地で十分に楽しめるのだ。だからそれでいいじゃないかと割り切ることにした。


「いんや、そう形式ばる必要もないか。出たとこ勝負でいったほうが楽しいかもしれないな」


 いつもは計画建てた行動を取るように心がけているが、名ばかりでも冒険に出るのだから無計画に行くのも面白いかもしれない。とりあえずは森を目指すが、途中に面白いものがあれば寄り道しよう。そう考えてハティに跨った。


「いくぞっ!」


 掛け声と同時にハティのわき腹を軽く刺激し、森へめがけて駆け出した。森までは百五十キロメートル以上あって地平線の向こうだ。その奥に外輪山がかろうじて見えているから目標を見失うことはない。


 百五十キロメートルと言ってもハティが駆ける速度は速い。ハティにしてみればジョギング程度の感覚だろうが、俺を乗せるのが久々とあって今日は気合が入っているようだった。一時間もかからずに森の外縁が見えてくる。


「結局寄り道しなかったな」


 途中何度も魔獣に出会った。しかしその全てがハティを恐れて逃げ出してしまった。地形的にも興味をそそられた場所はなく、ただ平原が続くのみだったから寄り道することなく森まで到達してしまったというわけだ。


 森のふちに到達し、ハティから降りる。いつものように首筋を手荒く撫でて労を酬いる。


「食事の時間だ」


 そう言ってハティの背を叩いた。するとハティは草原へと駆けていく。これが俺たちの食事の合図になっていた。ハティは自分の食糧を求め草原で狩りを行い、俺は森に入って食材集めだ。


 ハティたちの習性に倣うならば共同で狩りを行い、上位の者から食事をとるのが筋だ。しかし毎回それをやっていると効率が悪いし偏った食材、つまり肉だけの食事になりやすい。


 だからハティに教え込んだのだ。狩りはハティに任せ俺は野草とかキノコを採取する。だって肉ばかりじゃ飽きちまうからな。もちろん食事は俺が先に口をつけてからハティに食べる許可を与えている。これだけは絶対に守らなければならない。


「さてと、この辺りは初めてだからな。どんな食材が手に入ることやら」


 食材が手に入らないという不安はない。何せ外輪山に囲まれたこの森には貴重な食材が豊富に自生しているのだ。それはこの地に来てから何度か確認しているから間違いない。この辺りに来るのは初めてだが、森の植生が変わらないのだから食材にも変わりはないはずである。たぶん。


「おっ」


 森に入ってすぐ、早くも最初の食材が目に飛び込んできた。朽ちた倒木に群生している赤ヒラタケである。名前は地球のキノコを参考にアトロが付けたものだが、この世界の呼び方は別にある。しかしその発音を記すことはできないからアトロが付けてくれた名前で通す。


 赤ヒラタケは群生するのが特徴だが、めったに見かけない珍しいキノコだ。アトロの情報によれば市井で売ればかなりの値段になる高級キノコで、味もその値段どおりに美味いものらしい。俺も一度しか食ったことはないが、そのときは肉と野草の炒め物に混ぜたと記憶している。


「気分的に今日は鍋にしようか」


 もちろん鍋の具にしても良い出汁が取れそうだ。ただし、群生している量がかなり多かった。全部は一度に食べきれないというか他の具も入れたいから食べる分だけ採っていこうか……。


「いや、お土産に採って帰ったほうがいいかな」


 日ごろ世話になっているマサヤの従業員とか、ファンヴァストとかの機嫌を直すためにもお土産が必要だろう。なにせかなり無理を言って出てきた負い目がある。美味い食材を提供して機嫌を直してもらわねばなるまい。


 美味い料理を振舞うという選択肢がとれないところが情けないが、俺には料理のレパートリーが狭すぎるのだ。ちゃんとした調理人に任せたほうがいいに決まっている。ということで赤ヒラタケを大量に採取し、食べる分を残して屋敷へと転送しておいた。


「さて、つぎは何があるかな」


 ワクワクした気持ちを抑えながら森の奥へと歩を進める。食材にしろお宝にしろ何かを発見しそうなこの期待感が冒険の楽しいところだ。いい言葉が思い浮かばないが、この期待感は狩猟本能とかに近いのかもしれない。


 そんな気持ちで歩いていると、次に見つけたのは縞ごぼうという根菜だった。縞ごぼうは地上に出た葉の部分に白い縞がはいったごぼうに似た根菜で、この世界では滋養強壮を高める薬草として珍重されている。


 薬草として使う場合は乾燥させて粉末にするのだが、煮つけや鍋の具材として食べても美味らしい。尤も、薬草としての価値が高いので食材として食べる人はまずいない。しかし、俺にそんな常識は通用しないのだ。美味いならたとえ高価であろうが食材として美味しく頂こうと思っている。


 というわけで生えていた四本ほどを引き抜いてみたが、そのあまりの大きさに俺は度肝を抜かれてしまった。ごぼうという言葉に騙されていたといったほうがいいかもしれない。太めの大根ほどのその根菜を四本すべて採取し、一本を残して屋敷に転送しておいた。


「これもお土産だな」


 その後も短時間で次々と食材を発見していく。見つけるたびに必要分を袋に詰め、残りを屋敷へと転送しておいた。


 そもそもこの森にはこの世界で貴重とされている食材の宝庫だ。そんな森が日本の国土に匹敵する面積で外輪山のふもとにあるのも俺がこの内地を拠点に選んだ理由でもある。


 森には有用な薬草や食材が豊富に存在し、中央の平原部にも価値の高い魔獣が多数生息している。いままで人間が入り込む余地がなかったこの外輪山内部は、この世界の人々にとっても俺にとってもまさに別天地なのだ。


「そろそろ戻ってきてるかな」


 もちろんハティのことである。森での食材集めに一区切りをつけた俺は、ハティがどんな獲物をしとめてくるのか期待感を膨らませて森の外へと足を向けたのだった。

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