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第二十八話:マサヤ一号店~二人の大貴族~


 昌憲がエルト共和国で活動をはじめて二陽と数日が経過したある朝、マサヤ一号店が開店を迎えようとしていた。マサヤ一号店は、富裕層の中でも特に裕福な者をターゲットにした超高級魔道具店である。開店を迎える今日は、昌憲が懇意にしている大陸有数の規模を誇る大商会、ジーニャ商会の会長ファンヴァストの伝手で、馬車を買い替えようとしている上客を二名招いていた。


 しかし、当の昌憲は一日早く出来上がった衣装を持って二号店に出かけているので、一号店の開店日かつ上客を招いているにもかかわらず不在である。それでも、マサヤ一号店の店長を務めるクロトの肝は据わっているようで、臆した様子は見せていなかった。


 なお、自ら連絡を取って招待した客を待つファンヴァストは、昌憲不在とその理由を彼女から聞いて、怒りを覚えるよりも、いかにも彼らしいことだと諦めの境地である。


 昌憲がファンヴァストを頼ってまで上客を招待した目的は、もちろん一号店の併設工房で制作した超高級馬車のお披露目と、その商談をするためであったのだが、マサヤのオーナーである彼が不在の今、クロトは今日の商談を是非とも成功させるべく気を引き締めていた。


 それは、今日の商談がこと金儲けという観点に立てば、非常に大きな意義を持つ正念場だからでる。今日マサヤに来店する二名の影響力は、それほどに大きい。


 そして、ファンヴァストに招待された二人が開店直前の店舗の前で鉢合わせたのだった。


「ん? これはこれはシルベストのルディーバルシスト公ではありませんか」

「ほう、誰かと思えばターリャのマティウスザイル候か――」


 二人の貴族ともファンヴァストの超上客であるが、どちらもファンヴァストに最新式の馬車を都合するように依頼を出していた人物である。


 大陸中央部の西に位置するシルベスト王国随一の大貴族であるルディーバルシスト公爵は、使用人を代理に出すと思われたが、わざわざ自らが出向くほどに気合が入っていた。


 その理由は、もっぱらファンヴァストの宣伝にあるのだが、彼自身が買い替えが必要になった自分専用の馬車を、己の目で直に見て確かめたいと考えていたことと、国を超えたライバル関係にあるマティウスザイル侯爵が出向いてくることが、知らされたからである。


 マティウスザイルについては、ターリャ王国王妃の使用する馬車を求めていた。二人とも多数の護衛団を引き連れての来店である。ルディーバルシストもマティウスザイルも表面上は和やかな会話を続けているが、その内心ではライバル心むき出しだ。


 昌憲に請われて、ファンヴァストがこの二人を選んだのには理由があった。それは、事あるごとに張り合ってきた二人に、見栄を張らせて馬車の価格を吊り上げようという魂胆である。


 何故彼がそんなことをするのかと言えば、マサヤとジーニャ商会が代理店契約を結んでいることにあり、今回の商談も、紹介したことによるリベートを売上金の一割貰える手はずになっているからだ。


 ルディーバルシスト公爵は、俗に言う腐敗貴族に相当する人間的に頂けない輩なのであるが、商人にとって、腐敗貴族ほど扱いやすく、また、容易に大金を落としてくれる存在はいないのである。そういう意味でルディーバルシストは、ファンヴァストの超上客なのである。


「お二方、いよいよ開店いたしますぞ」


 マサヤ一号店の巨大なガラス扉の向こうに掛けられた白いカーテンが開かれていく。証明に照らされた明るい店内が三人の視界に入ると、間もなくその両開きのガラス扉が開け放たれた。店内に入った二人の大貴族は、煌びやかに装飾された店内の雰囲気に、張り合うことも忘れて圧倒されている。


「これはまた何と雅な店であることか、貴殿もそう思うであろう? マティウスザイル侯」

「確かに雅ですなぁ、ルディーバルシスト公」

「お二方ともマサヤはいかがですかな、いかに由緒ある有名魔道具店といえど、これほどの店はそう在りませぬぞ」


 マサヤ一号店は、外見こそレンガ造りでこの世界の大型店舗の装いであるが、その内装は地球に存在する白亜の宮殿を模した総大理石仕立ての豪華なものだった。


 さらに、床には赤地に金縁の絨毯が敷かれ、天井からは超豪華なシャンデリアがキラキラと店内を照らしている。これらの内装は、地球で言えば驚くほどの珍しさではないが、文化が違うこの世界の貴族にとって、いたく新鮮であり、また、雅に映るものであったのだ。


 店長のクロトを先頭に整列して客を迎えた販売員の衣装が、クロトの趣味を反映して和装のイメージを取り入れた独特のドレスであったことが、店内の雅な雰囲気をさらに引き立てていた。


「本日は遠路はるばるようこそお越しくださいました。存分に当店の品をお見定めくださいませ」


 美麗にディスプレイされた魔道具はどれも異彩を放ち、フロアの正面奥には、あの超高級馬車がライトアップされて展示されている。二人の貴族は、しばらくクロトの麗しさに見入っていたが、その後ろにある豪華な馬車に気がついた。


「あれが例の馬車だな、ファンヴァスト君」

「そのようでございますな、ルディーバルシスト公」

「これはすばらしい。何とも上品で、格調高き造りであろうか」

「そうでございましょうマティウスザイル候。さらにこの馬車には最新の魔導技術がふんだんに使われていると聞き及んでおりますぞ」


 ファンヴァストがクロトに視線で合図を送る。


「どうでございましょうお客様方。ご試乗なさってみませんか?」

「それは有り難い。ワシが先に試乗させてもらうぞ、貴殿より身分が上だからな」

「なにを仰るルディーバルシスト公、ここは身分など存在しないエルト共和国ですぞ。先に到着した私が試乗するのが筋では?」

「まぁまぁ、お二人ともそう仰らずに。私を含めた四人で試乗致しましょう。そのほうがこの馬車の素晴らしさが分かりますよ」


 凛とした笑顔で二人の大貴族をクロトは言いくるめた。そして、彼女が販売員に合図を送ると、一人の小柄な女性が人力で馬車を外へと引いて行ったのだ。


「なんと、あのような小娘がこれほど大きい馬車を一人で……」


 そう言ってルディーバルシストは目を丸くしていたのだが、その横でマティウスザイルも顎を外していた。


「ささ、参りましょうぞお二方」


 ファンヴァストを先頭に店外へと歩み出た四人が馬車に馬をつなげる様子を見ている。


 馬車の大きさからすれば常識で考えれば四頭立てであり、重力低減魔道具付きの高級馬車で二頭立てなのだが、販売員が馬車につないでいる馬は一頭だけだった。決して強力な二角馬をつないでいる訳ではない。馬をつなぎ終えた販売員はそのまま御者席へと乗り込んでいる。


「準備ができたようでございます」


 クロトが馬車のドアを開けて三人を車内に招き入れ、最後に彼女が乗り込んでドアを閉めた。


「軽く富裕街を一回りしてください」


 クロトの合図を機に、静かに馬車が動き出す。


「ほう、これはまた…… ずいぶんと静かであるな。しかしこれほど遅くてはな」

「そう思われますか? ルディーバルシスト公。外をご覧くださいませ」


 クロトに外を見るように薦められたルディーバルシストが目を見開いた。マティウスザイルやファンヴァストも同様である。車窓から見える景色は飛ぶように流れ、パカパカという蹄の音とガタガタと車輪が石畳の上を回る音だけが響いている。しかし、馬車の中には少しの振動も伝わってはこなかった。


 これは、魔力ベアリングと魔力サスペンション、それに重力低減魔道の相乗効果なのであるが、特に前二つの魔道具はこの世界に存在していなかった技術であり、今後、重力低減魔道具以上の利益を昌憲にもたらすことになる。馬車に乗る三人の男たちは、それはもう十分に驚いていたのだが、クロトはここからさらにたたみかけた。


「これが通常速度での運行です。しかし、この馬車の性能はこんなものではありません」


 前に座るクロトが小窓から御者を務める販売員に、速度を上げるように指示を出す。 すると、並足程度だった馬車がみるみる加速し、ほぼ全力に近い速度にまで上昇したのだ。時速に換算するならば十キロ弱から四十キロ弱への加速である。


 この四十キロ弱という速度は、人ひとり騎乗した状態の馬車を引いていない運搬用の馬で出せる最高速度だ。糸を引いて飛ぶように流れる景色に、試乗した三人の男たちはただただ驚くばかりで声を上げることが出来ない。しかもその速度に達してなお、振動は伝わってこなかったのである。


 馬車は超高速で富裕街を駆け抜けていった。いつの間にかマサヤ一号店の正面駐車場に戻ってきた馬車から降りた三人に、クロトが問いかける。


「当マサヤが誇る最高級馬車の乗り心地はいかがでしたでしょうか?」


 あまりの驚きに放心状態で馬車から降りた三人は、微笑を浮かべたクロトに問いかけられたことで正気を取り戻した。


「す、すばらしい馬車だ。是非とも購入したい」

「私も買わせてもらいましょう。王妃様の驚く様子が目に浮かびますぞ」


 二人とも既に購入する気満々であるが、それを見たファンヴァストが演技じみた行動に出る。


「これは困りましたな。クロト殿、この馬車はまだこれ一台しか完成しておりませんのでしょう?」

「ええ、ファンヴァスト様。現時点ではこの一台のみでございます。もう少し待っていただければもう一台ご用意いたしますが」

「何を心配しておる。ファンヴァストよ! この馬車はワシが今日買って帰ると決めたのだ」

「ルディーバルシスト公、それは聞けぬ相談ですぞ。この馬車は私が購入するのですから」

「困りましたなぁ」


 動じることなく、わざとらしい困り顔を作ったファンヴァストに、クロトは心配そうな顔の裏で賞賛を送っていた。


「どうでございましょう。私にとってルディーバルシスト公、マティウスザイル候共に比類なく大切なお客様でございます、どちら様かを優遇して差し上げることは難しゅうございますれば、ここはひとつ、高くお値をつけていただけるお方に今日お持ち帰りいただくとして、もう一台はマサヤに至急制作させるということで」

「ワシは構わんぞ」

「望むところ」

「クロト殿、もう一台はどれくらいで出来ますかな?」

「そうですね、十日ほどお待ちいただければ何とか」


 高く売りたいのであれば、競り合わせるために製作期間をもっと長く設定すればいいのだが、クロトは高く売ることよりも早く実績――製作期間に短さと使い心地、それに、二人の大貴族が購入したと言う事実――を作ることを優先した。


 ファンヴァストにしてみれば出来るだけ競り合ってもらった方が良いのだが、そこまでの打ち合わせをしていなかったことが、彼にとって悔やまれるところだった。クロトが提示した金額は大金貨で二百五十枚――六千二百万円相当――である。


 この金額は昌憲が提示していたものよりも大金貨で五十枚多い。それは、この大貴族二人の財力をあらかじめ調査していたからに他ならない。


 今までの相場より大金貨百枚ほど多いが、シルベスト王国随一の大貴族と、ターリャ王国王宮の財力を鑑みれば、これでも少額であると考えられた。しかし、むやみに高額することは、今後の商いを考えれば、はばかられる事であった。


 結果からいえば、二人の大貴族――とは言っても一人は王宮の代理だが――の競り合いはルディーバルシストが制した。理由は簡単で、自分の財産を自由にできるルディーバルシストのほうが、王宮の代理であるマティウスザイルより有利だったからである。


 ルディーバルシストが競り落とした金額は大金貨四百枚――九千八百万円相当――である。 これは昌憲が想定していた定価の二倍の金額であり、彼から定価を聞いていたファンヴァストにしてみれば、してやったりの結果であった。


 マサヤ印の最高級馬車を手に入れたルディーバルシストの機嫌はすこぶる良く、その後も通信用の魔道具や保冷用の高級魔道具を買い求めていた。


 対して競り負けたマティウスザイルは、最初のうちは歯噛みしていたが、十日待てばよいということで納得し、しかもルディーバルシストより大金貨で百五十枚も少ない金額で済むとあって、王妃にも申し開きできると安堵していたのである。


 クロトはこの上出来と言える結果に、喜びよりも安堵を覚えたのだった。


 一方、昌憲設計の高級馬車にはじめて試乗したファンヴァストは、自分の選択が間違いではなかったと確信していた。それも当然であろう、何せこれほどの馬車を作り出せる男である。くだらない物も作り出すが、彼の引き出しはこれだけに止まらないことも確実だ。


 アルガストのオークションで討竜の英雄マーサとして登場した彼を見たときの、絶対にただの強者ではないという直感。


 狩猟祭後の懇親パーティーで偶然を装って近づき、話を合わせて行動を共にした判断の正しさ。その何れが無くとも彼と懇意になることはできなかっただろう。性格的には多少どころではない難のある男だが、そこのところは上手いこと躱しつつ付き合えば問題はない。それでも、彼が今後もたらしてくれるであろう事を考えれば、多少の無理は聞いておくべきか。


 などと考えるファンヴァストは、意気揚々と手に入れたマサヤ印の超高級馬車に乗り込んでシルベスト王国へと引き返していくルディーバルシストと、馬車を予約したことを王妃への手土産としてターリャ王国へと自分の馬車で引き返すマティウスザイルを見送ったのち、ジーニャ商会本店へと引き上げていったのである。

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