第二十二話:異世界攻略第二幕プロローグ~科学者の野望~
「この国でやりたかったことは取りあえず終わったよな。だったら次はエルト共和国だ」
そう考えた俺は、夜会の三日後には狩猟祭の入賞祝賀パーティーで知り合ったジーニャ商会会長ファンヴァストとという中年男と共に、彼の所有する馬車に同席していた。ファンヴァストの馬車はサスペンションが効いていないことと、舗装されていない道とが相まって、ガタガタと乗り心地が悪い。
「しかし惜しいですな。マーサ殿がもう数頭、竜種を狩ってくれると期待しておったのですが……」
「そんなことしたら値崩れするだろ?」
「いやいやとんでもない。竜種の素材を欲しがる金持ちはまだまだ多くおります。あと数頭程度で値崩れなど」
確かにファンヴァストが言うとおり、茶毛竜四頭はオークションの結果、総額で小金貨二千九百枚になった。一頭あたりにすると、以前アトロが茶毛竜をギルドに持ち込んだ時の金額とほとんど変わっていない事からも、ファンヴァストの言は頷けるのである。
「ところでマーサ殿。あの話は本当でございますかな?」
「ああ、そのつもりでいる。先に通商ギルドと魔工業ギルドに加盟してからだが、そのあとに色々と都合してもらいたい。代わりにジーニャ商会には便宜を図るつもりでいるからよろしく頼むよ」
「ええ、ええ頼まれましょう。我々にとって願ってもない機会ですからな」
などという軽い交渉を行いながらも、馬車はさらに三日を経てエルト共和国の首都へと辿り着いた。その道中は、尻が痛いこと以外は平穏そのもので、ターリア川沿いのでこぼこ道をのんびりと進む馬車の窓から見る風景は、牧歌的で心和ませるものがあった。
市街地へ入ると、石畳ではあるが舗装された道になり、馬車の衝撃が軽減されたことに俺は安堵したものだ。首都へと入る頃にはレンガ造りの大きな建物が広い道の脇に軒を連ね、道には大勢の人や馬、それに馬車が行き交うようになっていた。
俺は今、商業国家エルト共和国の首都にあるジーニャ商会本店の応接間で、ファンヴァストとの交渉を始めたところである。
「まずはこれを見てもらおうか」
そう言って取り出したのは、黒い直方体の四隅に穴が開いた箱のような物とランプ、それにフードつきのローブだった。取り出したとは言っても、鞄からなどではなく屋敷からの転送である。
先に言っておくが、エルト共和国でやろうとしている事は、自分の会社を立ち上げることでだ。そしてその理由は二つあった。
一つ目は、とある目的のために必要な資金を集めること。二つ目は、この世界を俺が望む世界により近づけること。一つ目の理由は取り敢えず置いておくとして、二つ目の理由が俺とって最も重要なことだった。
俺が望む世界とは言うまでもなくファンタジー世界である。この世界は魔法が存在している時点で、既にファンタジー世界であることは間違いない。
しかし、俺が求めるファンタジー世界とは、魔法にしろ、衣服にしろ、道具にしろ、文化にしろ、もっと過去に見たアニメや映画にあったような幻想的なものだ。
例えばフードつきのローブを羽織った少女が暗い部屋でパチリと指を鳴らすとか、魔法の杖で軽くたたくとかして魔法のランプがゆらゆらと灯る。俺の脳裏には、そんなシーンが描かれていた。
しかし現実は残酷だった。魔法のランプそのものがないし、何より庶民の暮らしに魔法が活用されていない。一応魔道具とかもあるらしいが、それは王侯貴族や金持ちが使うものであって高額だし、しかも俺がイメージしていた幻想的なものではないのだ。
どちらかといえば魔力を電気の置き換えた電気製品に近い。それなのにランプがないというのは不思議でならないが、とにかく俺の理想は正に幻想だったのである。
そんなわけで、理想のファンタジー世界を実現するためには、自分で起業して幻想的なものを作って売りまくるしかないと考えた。しかしそんなことに時間を奪われていたら冒険できなくなってしまう。だからできるだけ短期間に資金を稼ぎ、あとは他人に任せて俺は本来やりたかったことをやろうと思っている。
「これ……でございますか?」
ただし、ただ幻想的なだけでは普及するはずがない。販売する品は今までになく便利なもので、しかもリーズナブルでならなくてはならないだろう。そんなこともあって、自信作が現在応接室の低いテーブルの上に並べられているのである。ただし、一品だけは高価なものも含ませておいた。
しかし、テーブルに置かれた品を見て、ファンヴァストは少しがっかりした表情を見せていた。期待が大きすぎたのだろうか? それとも見る目がないのだろうか? それでも俺の自信は揺るがなかった。
それは、まだ目の前の製品説明をしていないこともあるが、どの品もこの世界の文明レベルからすれば、明らかに時代を先取りした先進的なものであると予想できたからだ。
俺が望む世界。それを実現させるためには、必要なものが多い。この世界に持ち込んだ物資を考えれば、大概の物は作れてしまうのだが、それでも数に限りがあった。
したがって、この世界の人間にも動いてもらわねばならないし、入手する必要がある物も多数存在する。その足掛かりとして、ファンヴァストのジーニャ商会を利用させてもらうことにしたのだ。しかし、俺が売りたいファンタジーチックな製品をいきなり受け入れてくれるかは不透明だ。
まずは便宜を図るというか、貸しを作る意味でファンヴァストに大きな利をもたらすであろう物の商談をすることにしたのである。それはこの世界でも金持ちにはすでに普及している製品の、グレードアップ版だった。
「おや? あまりお気に召さなかったようだな。だが、今から会長の度肝を抜いてみせよう」
そう言った俺は、まず手始めに二十センチ四方で、厚さが五センチほどの四隅に穴が開いた黒い箱のようなものをファンバストに持ってもらう事にした。
ファンバストはそれを俺に言われたとおり、ソファに座ったまま両手の平の上に乗せた。それを確認し、有無を言わさずその箱の上に飛び乗る。すると、彼の目がみるみる内に見開かれた。
「な、何という軽さ……これは重力低減魔道具ですな」
「その通りだ。驚いただろ?」
「いやあ、たまげましたな。これほどの小ささでこの軽減具合。画期的ですぞ。これが有れば……」
俺を魔道具ごと手の平に乗せたまま、ファンヴァストはこの後しばらく絶句していたのである。
この魔道具の重さは二キロ程度であり、俺の体重は七十五キロ強だ。普通ならば、ファンバストは七十七キロを手の平の上に乗せていることになるのだが、魔道具の効果で俺の体重が二十分の一に軽減されているため、彼の手の平には六キロ弱の重量しか掛かっていないのである。
絶句したままのファンヴァストを正気に戻すために、彼の手の上から跳び降りて向かい合うソファに座りなおした。そして、ここからは駆け引きの時間だ。いくら彼に貸しを作ると言っても限度がある。
「これの価値が分かるか?」
「ああ、分かりますとも」
「幾らなら買う?」
大陸屈指の大商会の会長を務めるほどの男であるファンヴァストが、希望価格を即答するはずは無かった。
「そう言うマーサ殿は、幾らなら卸してくれますかの?」
「それは会長次第だ。俺はこの後魔工業ギルドの試験を受けるつもりでいる。当然この技術も登録するつもりだ。しかし、今の段階で契約するなら直接卸しても構わない」
このとき俺はメーカーとしての強みを最大限に利用しようと考えたのである。中間業者を通さないメーカーからの直卸しが、小売業者にとっていかに魅力的であるかは理解に容易いであろう。俺の提案がいかに魅力的か、ファンヴァストは当然理解しているはずである。
この世界には特許制度が無い。だから魔道具は機密の塊なのだ。
少し話はそれるが、特許制度とはそもそも特許権を取得してから一定期間――地球の場合では出願時から二十年――その技術を独占できる代わりに、独占期間が過ぎれば誰でもその技術を無料で利用できるということに価値を見出すことが出来る制度である。
つまり、特許制度とは技術を永久に独占するためではなく、将来広めるための制度である。しかしながら、この世界の魔工業ギルドの技術登録制度の場合、製造技術は決して一般には公開されない。この世界の場合、魔工業ギルドの技術登録は、技術を永久にギルドと登録者で独占するための制度なのである。
話を戻すと、ファンヴァストはしばらく熟考したのち、希望価格を提示してきた。
「四つ一組で小金貨七十枚ではどうですかな?」
この金額に対して、俺は即答した。それは従来の重力低減魔道具の卸し価格の相場が、四つ一組で小金貨八十枚ということを知っていたからに他ならない。しかも、俺が用意した重力低減魔道具は従来品より小型で遥かに高性能だ。
「小金貨二百枚だ。これでも随分いい買い物だと思うぞ?」
「むぅ、では百五十枚でどうですかな?」
「百七十五枚。これ以上はまけんぞ」
ファンヴァストはしばらく考えたふりをして、渋々その金額をのんだ。しかし、本音を言えば渋々どころではなく、嬉々として受け入れていたようだ。その表情筋のゆるみを見れば良く分かる。
「よろしいでしょう。小金貨百七十五枚で交渉成立ですな」
「よし、交渉成立だ。契約書は明日取り交わそう」
「で、他の品も説明してもらえますかな?」
俺の読み通り、ファンバストは残る二品の説明を求めてきた。その表情は交渉を始める前と違い、期待感に満ち溢れているようだった。




