第十八話:狩猟祭最終日その一~科学者に訪れた好機~
狩猟祭最終日にまでもつれ込んだ優勝争いの主役である三チームが、それぞれの思いを胸にカシール大平原へと散らばっていった。もちろん俺たちはその中の一角だ。
現在僅差の二位に付けている俺たちエーリッツェ隊は、優勝を確実なものにするために、今日一日でほぼ積載量限界の五十二頭の魔羊を狩るつもりでいた。その数値は、計画変更を余儀なくされた三日目終了時に俺が決めた目標より十二頭多くなっている。
その理由は、優勝を争っているマーガッソ騎士隊と、シーリュッテ隊の成果が予想の上限に達していたことと、何頭かの魔羊を傷つけて値段が下がってしまったからだ。
いつものようにアトロからもたらされる位置情報を頼りに、黒狼ハティに騎乗してカシール大平原を駆ける。しかし、荷車を引いていないこともあって、その速度は三日目までとは段違いに早くなっていた。
ところが、物事は思い通りに進まないというか、今までもそうだったが、いい方にばかりは流れていかない。不運な事に近場には魔羊の群れが確認できず、今日は平原の東よりの遠方に進路をとっている。
アトロから示された位置までかかる時間は、荷車を引いていた頃とほとんど変わらなかった。しかも帰りは、いつもよりも重い荷車を二台も引いて帰らなければならない。
そんな不運も重なった俺とエーリッツェ隊だったが、狩りの方は順調とまではいかないまでも予定通りの成果を上げていった。
さすがの俺とハティでも逃げ惑う魔羊を二十六頭一か所に押しとどめるのは無理があった。これは四日目に二十頭を一か所に押しとどめてみて分かったことなのであるが、群れが大きくなるとハティが走る円の直径が大きくなり、魔羊たちが逃げやすくなってしまうのだ。
よって俺は、最初に魔羊を大群から分断する際に何頭かを投槍でしとめてしまおうと考えたのである。俺が背負う投槍は五本。これは二十頭が押しとどめる限界だと感じたためだった。
魔羊の大群に飛び込む直前に正面から一本の投槍を投げ、飛び込んだ真上から二本、着地して分断する際に二本、最後に押しとどめている最中に自称オリハルコンの槍で一頭しとめ、逃げる頭数を風魔法で調整して二十頭を押しとどめたのである。
かなり際どい調整だったが、俺はなんとかそれを成功させたのだった。仕留められた二十六頭の魔羊を確認したところ、二頭が腹と背に槍を受けて傷物になってしまったが、それは想定の範囲内だった。いや、全体を見れば予想よりもいい結果だった。
「マーサ、これで俺たちが優勝できると思うか?」
「上出来だよ。これ以上は狩っても運べないしな。急いで会場に戻ろう」
そう言って俺が二台の荷車を召喚すると、全員で魔羊をそれに載せ、会場へと急いだ。
◇◇◇
「あれではダメだな。小さすぎる」
一方そのころ、カシール大平原の北東よりに出向いていたマーガッソは、隠遁魔法で身を隠しながら倒すべき赤魔牛を慎重に選んでいた。
一日で狩ることが出来る赤魔牛は、どれほど頑張っても四頭が限界である。五頭目を狙っていると日の入りまでに会場に帰り着けないのだ。
マーガッソは三日目が終わった夜に、国王であるサルガッソの専用馬車を強引に譲り受け、秘密兵器として運搬用の荷車に改造しているのであるが、それを使っていることを考えても間に合わない。
したがって少しでも獲得金額を上乗せするためには、より大きく毛艶のいい赤魔牛を選ぶ必要があった。マーガッソは昨日の四日目もそうやって獲物を選んでいる。
それがエーリッツェ隊に順位を逆転されなかった理由であるが、それにも増して最終日である今日は慎重に獲物を物色するのだった。
◇◇◇
エーリッツェ隊が最終日二回目の狩りを終えて魔羊を荷車に積み込んでいた頃、サヴィーネ隊と共にカシール大平原北部中央よりまで遠征していたテルミッツェは、狙っていた魔猪があまり狩れていないことに苛立っていた。
「畜生ついてねぇな。何故今日に限って魔猪がいやがらねぇ」
狩りをしていられる時間はあと僅かしか残っていない。このままでは二隊でしとめた魔猪を全て自分たちの成果にしても、五位に入ることは出来そうもなかった。
実質二隊を率いているテルミッツェは、このとき焦りのあまり自分たちがいつもより僅かに南寄り、すなわちカシール大平原の中央部の北側四分の一程度の場所に差し掛かっている事に気がついていなかった。
しかしそのことが、幸運と言ったらいいか不運と言ったらいいか、実のところ後から考えれば途轍もない不運なのであるが、特別な獲物に遭遇することを招いたのである。
「あれは……竜種の幼生体。だよな」
本来、狩猟を行う上で幼生体を狩ることはあまり好ましくないとされている。しかし、それが竜種ともなれば話が変わってくるのだ。
当然、幼生体では成竜ほどの価値は無い。しかし、間違いなく小銀貨で一万枚は下らない価値があることは、テルミッツェにも想像できた。
狩ることが出来れば優勝に届く可能性だって高い。しかも、たとえ幼生体であっても竜種を狩ることが出来れば、それは大きな名誉になるはずである。
それは、本来竜種はカシール大平原の中央寄りから奥地にかけてしか生息していないからだった。それゆえにカシール大平原の中央以南はは危険地帯なのだ。
貴重な竜種の、しかも狩りやすい幼生体が目の前にいる。
成果が上がらずに焦っていたテルミッツェにとって、それは紛う事なき極上のお宝だった。逃す手は無い。いや、何よりも規律や習わしを重んずるよほどの頑固者でもないかぎり、狂喜するはずである。
「ようやく運が向いてきたようですねぇ」
いやらしい笑みを浮かべたテルミッツェは、共に行動していた隊員たちに竜種の幼生体狩るように命じたのだった。そのことがのちに悲劇を生む原因になることも知らずに。
◇◇◇
陽が西に傾き始めたころ、本日二回目の狩りを終えたエーリッツェ隊は、会場に向かって悠然と二台の荷車を進めていた。百メートルほど先にはマーガッソ隊とシーリュッテ隊が並んで荷車を引く姿が見えている。
「出来ることは全てやった。後は運を天に任せて祈るのみ」
そう呟いたのはリーガハルであって俺ではなかった。この時俺は、アトロから入った情報にかなりの焦りを覚えていた。
それは、マーガッソ隊とシーリュッテ隊が予想を上回る大物をしとめていたからに他ならない。二隊とも俺が想定した上限の頭数をしとめている。そしてそれが普通の赤魔牛や魔サイだったならば、今頃は俺も余裕の表情でいられたはずだったのだが。
ヤバい、ヤバいヤバいヤバい。このままじゃ本当に運任せじゃないか。みんなの前であれだけ優勝にこだわって、自信満々で提示した計画の結果がこれでは。もし優勝できなかったら格好悪い程度じゃ済まないぞ。
たとえ優勝できなかったとしても、エーリッツェ隊の仲間に俺が責められることなど有りはしないだろう。それどころか、例年稀に見る好成績をあげ、上位に食い込めたことで感謝されるかもしれない。
しかし、自分の立てた予想の甘さに辟易している現在の俺にとって、優勝できないことは恥以外の何物でもなかった。
既に南の大門が見え始めているが、自己嫌悪に陥っている俺は一人ぶつぶつと何かを呟くばかりで、もうすぐ会場に到着することさえ気付いていなかった。ずいぶん前からアトロによる連絡が入っていることと、走りながらもハティが後方を気にし始めたことにも気づけなかった。
『――サ、マーサ、聞こえますか?』
『あっ、ああ、すまない。考え事をしていたよ』
『そんな事より、問題が起こりました』
『問題?』
『後ろです。もうそこからでも見えるはずですが……』
アトロに言われて突如後ろを振り返った俺の視界に、四頭の茶毛竜に追われているハンターの集団が飛び込んできた。俺は最後方を守りながらハティを歩かせていたので、前を行くリーガハルたちはまだ気づいていない。
「リーガハル! ヤバいことになった。全速力で荷車と仲間たちを会場に連れていってくれ。そして門を閉めろ。地竜が襲ってくるぞ」
その叫びに慌てて後ろを振り向いたリーガハルの目にも、遥か後方に迫る四頭の巨大な魔獣の姿が映ったようだ。
「何という事だ! こんなところまで竜種がくるなんて……あれは追われているのか? とにかく事情は分かった。しかしお前はどうする?」
「俺のことは気にするな。あの程度の魔獣にやられるつもりはない。返り討ちにしてくれるわ。ガハハハハハッ」
竜種が四頭も攻め込んでくる。それはこの世界に住む者からしてみれば災難以外の何物でもないだろう。いや、災難どころか石壁を越えられたら超弩級の災害に成り得る緊急事態だ。
しかし俺にとって、それは突如降って湧いた好機だった。大勢の観衆の目前で、いや、ほとんどの者は逃げ出すであろうが、それでも幾人かの前で竜種という強敵と戦えるのだ。
しかもその数は四頭。しとめることが出来れば、それは伝説になること間違いなしだろう。今まで自己嫌悪に陥り、ダダ下がりだった俺の精神状態は、この瞬間に急上昇を遂げたのだった。
◇◇◇
少しだけ時を遡る。
テルミッツェに竜種の幼生体をしとめるように指示を出された隊員たちが指示に従い動きだした。しかし、嫌々ながらも仕方なくテルミッツェ隊と行動を共にしていたサヴィーネは、その異常さ、つまり竜種の幼生体を狩るという危険極まりない行為の意味を理解していた。
「気は確かかテルミッツェ隊長! そんな危険なことには付き合えない」
「ふふん、恐れをなしたか臆病者め。好きにすればいい。そのかわり借金をチャラにする話は無しだからな」
そう言って槍を構え、幼生体をしとめんと走り出したテルミッツェを尻目に、サヴィーネは部下の隊員たちと、引いてきた荷車に載る僅かな獲物をその場に放棄し、空になった荷車を引いてその場を後にした。
幼生体がいるということは、近くにその親がいる可能性が極めて高いのだ。ただでさえ、いつもより中央に近い危険地帯に出向いているのに、その上で竜種の幼生体を狩るなど狂気の沙汰である。
こんな所まで竜種が北上して来る事は珍しいが、茶毛竜なら可能性がない訳ではない。しかし今はそんなことを考えている余裕など無かった。
一刻も早くこの場を去り、安全圏まで退避しなければならない。そう思っていた矢先、後方から幼生体が発する断末魔の悲鳴が聞こえてきた。そしてその直後、成竜のものと思われる咆哮がサヴィーネの耳に届いたのだった。
「荷車を切り離しなさい! 全力で逃げるわよ」
サヴィーネの指示に、荷車を引いていた部下が短刀で馬と荷車をつなぐ革紐を切り離した。そして、それを確認したサヴィーネは全力で馬を走らせた。
◇◇◇
幼生体に自らの槍でとどめを刺したテルミッツェは、その返り血を浴びながらも竜種をしとめた興奮に酔いしれていた。
これで上位に食い込める。しかも優勝の可能性が高い。そう考えたら黙っていることは出来なかった。血塗れた槍を天にかざして歓喜の雄たけびを上げる。
しかし、その喜びが続くことは無かった。たまたま背の高い草に隠れて食事中だった茶毛竜の親が、我が子の悲鳴を聞いて姿を現したのだ。
耳もつんざく程の咆哮が辺りに響き渡る。
幼生体を殺めたテルミッツェ隊に向かって茶毛竜が殺到してきた。それに気付いた隊員たちが一斉にその場から逃げ出し、テルミッツェもその後を追う。
さすがのテルミッツェもこの時ばかりは懸命に自分の馬の所まで走り、そして飛び乗って逃げ出した。幸いなことは、馬が茶毛竜の咆哮に竦んでしまい、テルミッツェに騎乗されるまでその場に止まっていたことなのであるが、これが逆にサヴィーネ隊の窮地を招くことになった。
◇◇◇
テルミッツェ隊に先行すること数百メートル先を逃げていたサヴィーネ隊だったが、駆っている馬の能力の違いか、それとも茶毛竜に追われる馬の懸命さの違いか、二隊の距離が徐々に縮まってきていた。
そして、テルミッツェ隊と茶毛竜との距離も徐々に縮まっていたのである。しかも、運が悪いことに追っている茶毛竜は一体ではなかった。
その数は四体。群れで行動していた雄たちが、幼生体の血の匂いを振りまきながら逃げる憎き人間どもを、怒りに我を忘れて追ってきたのである。
懸命に馬を走らせ続けているサヴィーネは、前方に微かに見え始めた石壁にたどり着くより先に、茶毛竜に追いつかれることを確信せずにはいられなかった。
既にテルミッツェ隊を追う茶毛竜は、すぐ後ろまで迫ってきている。その前を懸命に逃げるテルミッツェ隊の命は、あと少しで蹴散らされるだろう。そしてその次は自分達の番である。
悔やんでも仕方がないが、テルミッツェが幼生体を狩ると言ったときに無理にでも止めておけば良かった。
「いや、その前に奴の要求などのまなければ良かったのだ」
後悔の念ばかりが湧き上がってくる。今思えば父が生きていた頃は幸せだった。それがどうしてこんなことに……。
ついにテルミッツェ隊に茶毛竜の集団が襲い掛かった。茶毛竜たちは次々に馬に乗るハンターに噛み付いては一瞬でその体や頭部を食いちぎり、ごみを捨てるかのように後方に放り投げている。
しかも、前を追うその足を止めることはない。やがて、一人だけになったテルミッツェが、忌々しいことにサヴィーネ隊の後方に追いついてきた。
そしてそれと同時に茶毛竜の牙がテルミッツェを襲う。しかしテルミッツェは、その牙を馬から飛び降りることで躱し、草原に転がるように叩きつけられた。
その様子を後方間近に見ていたサヴィーネは観念する。
――もうだめだ。
しかし、そのときだった。
サヴィーネの頭上を強烈に輝く青白い光と轟音、刺すような熱気が通過したかと思うと、前方から巨大な黒い塊がそれを追うように飛び超えていったのである。
そして、サヴィーネは見た。
前方に悠然と佇む黒尽くめの男の姿を。




