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第十話:ギルド出張所~少女と残された武勇伝~


「義兄さん」


 俺に対する三角巾男の発した「義兄さん」の発音は、日本語の「にいさん」ではなく現地語を俺が翻訳した「義兄さん」であるので、この時俺はその意味を正確に理解していた。三角巾男の「義兄さん」発言に俺が呆然としていると。


「止さんか、サッハディーリッツェ!」


 呆れたように左手で顔を覆っていたザッハドリッツェが、三角巾男サッハディーリッツェを怒鳴りつけた。そして、思い切りその顔を横殴りにする。


 あまりに強烈なパンチの威力に、見事な弧を描いて地面に頭から叩きつけられたサッハディーリッツェだったが、怯むことなく立ち上がるとザッハドリッツェを指差して喚き散らした。


「なにしやがるクソ親父。俺は真剣なんだ。邪魔すんじゃねぇ!」

「お前は性急すぎるんだ、サッハディーリッツェ。マーサ殿が困っておろう。だいたいお前は――」


 豪快な親子関係を目の当たりにした俺は、「義兄さん」呼ばわりされたことを一瞬忘れ、少しほっこりした気分になりかけた。しかし動揺していたのだろう、見知らぬ男、それもどう見ても自分より年上の男に、いきなり義兄呼ばわりされて訳が分からなくなっていた。


 互いに立ち上がり、俺の前で胸ぐらを掴み合ってツバを飛ばしながら、今でも言い合いを続けている親子に強引に割り込む。


「取り込み中のところ悪いんだが…………俺の話を聞けぇ!!」


 その絶叫に親子は首だけを俺に向けて静かになった。ガヤガヤとしていた周りの喧騒も収まり、焚火がパチパチと爆ぜる音だけが聞こえている。意図せずに衆目を集めてしまったが、その何事だと注目される雰囲気に飲まれることは無かった。


「ゴホン、取り込み中のところ悪いんだが。なぜ俺を義兄と呼ぶ?」


 その問いに答えたのは出張所所長のザッハドリッツェだった。


「ワシから話そう。こ奴では話がややこしくなるだけだからな。アトロという小娘が茶毛竜を持ち込んだのは――」


 ザッハドリッツェによれば、一陽ほど前に茶毛竜をこの出張所に持ち込んだアトロと名乗る小柄な少女がいた。


 茶毛竜は十数年に一度しか仕留められない貴重かつ凶暴な魔獣で、そんなものが持ち込まれたのだから当然大騒ぎになった。


 いったい誰がしとめたのか? その場にいた誰もが当然のように抱く疑問。まさか持ち込んだ小柄な少女があの凶暴な茶毛竜をしとめたなどとは、誰も考えていなかった。


 ザッハドリッツェの考えも当然そうだったこともあり、その少女に「この魔獣をしとめたのは誰だ?」と問うたところ、その答えは想像の埒外にあった。


『私がしとめましたの』


 当然であるがその言葉を信じる者など一人もいなかった。確かに、少女は平原側から茶毛竜を乗せた巨大な荷車を一人で引いて現れた。


 その事実からも、その色白な少女が高魔力保持者だということは一目瞭然だった。しかしそれでも、茶毛竜を単独でしとめるほどの強者だとは考えられなかった。


『お嬢ちゃん、嘘は良くないぞ』


 所長の息子サッハディーリッツェが少女をそう諭したのは、当然の事であると誰もが頷いていた。しかし、少女が自分の発言を否定することは無かった。しかも、挑発までしてきたのだ。


『私は嘘なんてついてませんの。信じられないなら試してみますか?』


 少女はそう言って不敵な笑みを浮かべた。そして、短気なサッハディーリッツェがその挑発にまんまと乗せられてしまった。


『おいたが過ぎるお嬢ちゃんにはお仕置きが必要だよな』

『その自信ありげな嫌らしい顔を、醜く歪ませて差し上げますの』


 途端にその場にサッハディーリッツェと少女を残して人垣が作られ、勝負が始まった。


 誰もが、サッハディーリッツェが少女を圧倒すると思っていた。しかし、その勝負はその場にいた全員の度肝を抜く結末になった。


 少女に対して足払いを仕掛けたサッハディーリッツェの蹴り足は、少女の足に綺麗に当たった。誰もが少女が転がされる光景を予測したそのとき、その場に転がっていたのはサッハディーリッツェの方だった。


 少女が何をしたのか理解できた人間は一人もいなかった。いくらサッハディーリッツェが少女をナメていたとはいえ、想像できない結果だった。


 サッハディーリッツェは国内でも上位のハンターである。それが、見た目麗しい少女にあっけなく転がされたのだ。不意打ちならまだ分かるが、きっちりと対峙した上での出来事である。誰もがその結果に息をのんでいた。


 自分が転がされたことに驚いたサッハディーリッツェは、一旦距離をとると、もう眼前の少女が格下だという考えを捨て、同格の実力者として認めたうえで再び攻撃を仕掛けた。しかしその結果も当のサッハディーリッツェや衆目にとって、信じ難いものだった。


 次の瞬間、攻撃を仕掛けたはずのサッハディーリッツェが少女の足刀で吹き飛び、少女は足刀を放った美しい姿勢のままで残心していたのだ。少女はサッハディーリッツェと同格どころか、遥かに各上だったのである。


『これで私がこの魔獣をしとめたことを分かってくださいますか?』


 その問いかけは、その場にいた全員に向けて発せられていた。誰もが驚愕を通り越して、少女に言われるがままに首を縦に振っていたのだった。


「その少女はアトロと名乗っての、勝負に負けたこ奴は自分の腕をへし折った強いその女に惚れてしもうた。という訳だ」

「まぁ、そういう訳だから。な、あんたは俺の義兄になる。ということだな」


 そう得意げに言い放つサッハディーリッツェの呆れた思考回路に、俺は呆れ果てしかなかった。アトロの事を家族だとは言ったが、妹だと言った覚えはない。


 しかしサッハディーリッツェは、アトロの事を俺の妹だと思い込んでいる。彼女は俺の助手を務めるヒューマノイドで、俺の妹どころか人間ですらない。


 ここはサッハディーリッツェに真実を伝え、義兄呼ばわりされることを止めさせようか。と、一瞬考えたが、勘違いさせておいた方が面白いかもしれないと、思い直したのだった。


 サッハディーリッツェはいい意味で、愚直で単純な男であるように思えるが、自分の感情を素直に表に出せる。俺はそういった男が嫌いではない。義兄と呼ばれることに対しては鬱陶しいが、それは改めさせれば良いし、頼み事などは素直に聞いてくれそうだと思った。


 サッハディーリッツェの愚直な性格も、慎重な俺の性格と相まって面白いことになるかもしれない。彼はずいぶん年上に見えるが、イジり甲斐もありそうだ。俺はそう考えたのだった。


「俺の事を気安く義兄と呼ぶな。お前にアトロをやるつもりはない……が、仲間としてなら話は別だ。俺はしばらくこの国でハンターとして活動する予定だからな」


 この話にサッハディーリッツェは一瞬落ち込むそぶりを見せたが、すぐに持ち直して自分に言い聞かせるように何やら呟いていた。その内容までは聞き取れなかったが。


「そうか、でも仲間としてなら一緒に居てもいいわけだよな。なっ」

「ああ、そういうことだ。よろしく頼む」

「頼まれた!」


 せっかく異世界に来て冒険できるのに、仲間がいないなど面白みが半減してしまう。ならばそれは早いに越したことはないし、面白そうな奴ならば歓迎すべきだ。


 なんてことをこの時は考えていたが、当のサッハディーリッツェは「これでアトロ嬢とお近付きになれる」と歓喜していた。


 彼の願いは無謀極まりないことだが、親密な関係になれるかもしれないという淡い希望をその胸に抱いて玉砕していく未来しか俺には見えなかった。頑張れサッハディーリッツェ。俺は応援しているぞ。


 そんなことがあって宴も終わり、ギルド事務所の仮眠室で一夜を明かした俺は、翌日、日の出と共に主張所を後にした。


 黒竜と麻袋に詰められた幾つかの荷物を乗せた荷車は四頭の馬で引かせ、腕がまだ完治していないサッハディーリッツェと、深夜に出張所にボートで辿り着いた金髪の大男リーガハルが俺に同行している。ハティが一緒だと馬が怯えて困るからと今回は馬車での移動になった。


 御者席で馬を操っているのは睡眠不足気味のリーガハルだが、これは俺に馬車を操った経験が無いことと、サッハディーリッツェの骨折がまだ完治していないからだった。


 舗装されていない幅十メートル弱の道の上を荷車は進んでいた。目的地はアルガスト王国王都のハンターギルド支部である。


 距離的には生活圏までで五十キロ、そこから目的のハンターギルド支部までで十キロほどらしい。


「この速度で進めば日が暮れるころには到着するだろう」


 とリーガハルは言っていた。サッハディーリッツェは、ただ俺に付いて行きたいと言って聞かなかった。リーガハルは仲間六人死亡の報告と最果ての森で採取した薬草や木の実それにキノコなどを持ち込む予定らしい。


「エリーネとかほかの仲間は?」

「あいつら三人はしばらく出張所で休養するそうだ。あんなことがあったばかりだからな」


 換金した代金は十等分して死亡した遺族にも渡すそうだ。それならばと黒竜を換金した代金の半額を、死んだ者たちの遺族に譲ると申し出たが、そんな大金を渡されても力ない遺族が危険に晒されるだけだと断られた。


「黒竜の相場ってどのくらいなんだ?」

「素人考えだが、落札価格で大金貨千枚を下ることは無だろう。恐らくだがその二倍を超えるかもしれない」


 竜種のような貴重な魔獣は、ギルドでは値決めできないので、持ち込まれるとオークションにかけられるそうである。大金貨はほとんど流通しない貨幣だが、バイヤーや仲買人たちの間では流通しているらしい。


 死亡者は六名だから売り上げの十二分の一、すなわち大金貨百七十枚弱という金額は、つつましい生活を送れば一家族が十年生活できる額になるらしい。確かに平民にとっては身を滅ぼしかねない大金だ。


「大金でなければいいのだろう?」


 金貨二百枚を銀貨に両替し、それを六等分して遺族に渡してくれと申し出たところ、リーガハルはなにやら呟くように考え込んだ。


「その程度なら問題はあるまい。しかし本当にいいのか?」

「構わんよ。むしろ遠慮なく貰ってくれたほうが俺の精神衛生上いいくらいだ」

「お前がそこまでいうなら手筈は俺のほうで整えておこう」


 と、俺の申し出を感謝しながら受け入れてくれたのだった。


 道中、三人で身の上話をしながら親睦を深めあっていたが、俺の出自の話になると、それはまたもや冗談と受けとられて信じては貰えなかった。


 さすがに黒狼を騎獣にした経緯を二人に話した時は、実際に俺に従っている黒狼を見たことと、黒竜をしとめた実力から信じてくれたようだった。


 余談ではあるが、サッハディーリッツェの年齢は三十二歳だそうで、その親のザッハドリッツェは六十歳らしい。ザッハドリッツェも遅婚だったが、その息子は未だに未婚で、その理由が「俺は強い女にしか興味が無い」と力説していたことにあるのは疑いようが無かった。


 ちなみに、金髪の大男リーガハルは二十八歳で二人の子供がいるらしい。



 西の空がまだ赤く染まる前に、魔獣に襲撃されることも無く無事にアルガスト王国の生活圏と平原を分ける境界に辿り着いた俺たちは、そこから少し速度を落として目的のギルド支部へと向かっていく。


 生活圏は高さ三メートルほどの石壁の向こうにあり、とはいってもその石壁は大陸を分断するほどの大規模なもので、この石壁がないと魔獣の襲撃などで人間は安心して暮らせないという。リーガハルによればアルガスト王国が大国として繁栄しているのも、この石壁があってこそだそうだ。


 生活圏に入ると頻繁に道行く人々とすれ違うようになったが、黒竜には分厚い麻布が掛けてあるので、人々は黒竜の存在には気付いていなかった。俺としては道中でもすれ違う人々の反応を見たかった。だから麻布を掛けたくは無かったのだが。


「竜種はその血までもが無駄なく利用される貴重な存在だ。長時間日光を当てるなんて論外なんだよ」


 そう言われると反論のしようがなかった。


 生活圏に入ってしばらくは、まばらに点在する民家や、穀物や野菜が栽培されている畑などが目立ったが、進むにつれて次第に畑が減り、民家の密度が増していった。


 やがて建物に商店が混ざりはじめるころには、道が石畳で舗装され、その道幅も広くなっていった。陽が傾き周囲に薄闇が混ざりはじめたころ、俺たち三人を乗せた荷車はレンガ造りで大きな三階建ての建物の横にある倉庫らしきところへと入って行ったのだった。

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