第一話:異世界攻略第一幕プロローグ~異世界に憧れた少年~
「異世界転移に成功しました」
そう告げて少女は見つめていたモニターから視線を離した。その優しく可愛らしい自然な表情からは想像しにくいが、彼女は人間ではない。
「分かっている。ついに俺の夢が叶ったよ」
彼女には失礼な言い方かもしれないが敢えて言おう。彼女は俺の傑作だ。様々なチート機能を内装しているが、有機細胞を外装したその姿は人間と区別がつかない。
さらに、彼女の頭脳であるAIは人間同様の意識を持つに至っており、人間を遥かに超える演算能力も合わせ持つ。彼女は俺が持つ知識とカネを惜しみなく投入して造り上げた理想の少女型ヒューマノイドだ。その名をアトロと命名した。
明るいピンク色のショートボブ。クリッとした瞳。透き通るような白い肌。少し低いが小さく形の整ったすっきりとした鼻。少しぷっくりとした薄紅色の魅力的な唇。どう見ても人間の美少女にしか見えないが、その自然な造顔は俺の親友こだわりの自信作でもある。
白を基調とした飾りのないシャツに、ひざ上の蒼いミニスカート。身長は俺より頭一つ低く、年齢は十五、六に見える。そんなアトロのAIは核となる部分を俺が組んでいることもあり、彼女は俺の考えを良く理解しているはずだった。
「泣くほどうれしいのはよーく分かりますが、本当に良かったんですの?」
「ああ」
アトロはそんな無粋なことを言うが、幼少のころからの夢が叶ったんだ。ファンタジー世界への転移を成功させた喜びを噛みしめてなにが悪い。退屈な日本になど戻るつもりはないし、尊敬していた両親はすでにこの世にいないのだ。万全の準備をして親友にすべてを任せてきた。
「地位も名誉も財産もぜーんぶ捨ててしまって。もう地球に未練はないと仰る?」
小国の国家予算規模の資産を捨ててきたのはたしかだ。しかし、そんなことは俺にとってアリんこよりもミジンコよりも小さなことだった。地球での安穏とした生活なんてクソくらえだ
「未練なんかあるものか。物心ついたころからの夢だったんだ」
俺は夢を叶えるために頑張ってきた。その証拠にこの引き締まった体つきを見てみろ。身長は元から高いほうだったが、均整の取れた引き締まった筋肉はたゆまぬ努力の証だ。
切っ掛けはテレビアニメだった。その舞台になった世界、ファンタジーな異世界で冒険するためにはどうすればいいかということにすべてを費やしながら俺は成長していった。
「それはなん度もなん度もなん度もなん度も聞きしましたの」
「でもな、アトロよ。俺は頑張ったんだ」
しかし俺の夢、すなわちファンタジー世界に渡るということは、あまりにも途方もないことで、そのきっかけを掴むのにも苦しい思いをした。それでも俺は夢をあきらめなかった。
心の支えになったのは親父のなに気ない言葉だった。
『マーサ、物理学を学びなさい。そうすれば望みは叶うかもしれないよ』
わずか五歳の幼児にそんなことを言っても、分かるはずもないだろう。しかし、世界的に有名な物理学者である親父は、親ばかな面もあったのだろうが、俺の夢を壊したくなかったのだと思う。
理知的で優しい親父に強い憧れを抱いていた俺は、その助言を疑うことなく本気で信じていた。今思えば、親父のこの一言が俺の運命を決定付けたと言っても過言ではない。
自らの夢を現実のものとするための学習、研究、鍛練、それらを怠ることなく続けてきた。もちろんつらいことも多かった。
「それでも俺はあきらめなかったさ。なぜかって? 楽しかったんだよ。強くなっていくことが。世の理を知ることが」
剣と魔法の世界に渡って冒険者となり、魔獣や強敵と戦って勝利を収め英雄譚を紡ぐ。何度でも言うが、それが俺の夢であり、その世界が憧れだった。
だから俺は格闘技を習い、剣の修練を積み、勉学に勤しみながら、異世界へと渡る方法を研究し続けた。その結果今があるのだ。世界転移に関する入念な準備の末、要塞と化した屋敷ごと異世界の惑星へと転移したのである。そんな俺の名は平沢昌憲。
このとき、俺は十九歳になっていた。言い訳がましいが、まだぎりぎり、法的には少年と呼べる年齢だ。それはともかく、剣と魔法の異世界を夢見た俺は、ついに自分の夢を現実のものとしたのだ。
「だからなアトロ、俺は嬉しいんだ」
幼いころからの夢をこんこんと語って聞かせていたら、アトロのやつ、ハイハイ分かりましたと言わんばかりに話をぶった切るんだ。俺はもっと語っても良かった。いや、明日の朝まで語って聞かせたかったというのに。
「マーサ、あなたの夢はよーく分かりました。でもこの話はすでに二十五回目ですの。私の貴重なメモリ領域に強固に焼き付いて困っていますのに、これ以上焼き付いて焦げでもしたらどうなさるんですか? 責任とって頂けますか? ……冗談です。で、これからどうしますの?」
その問いかけへの答えはすでに決まっていた。しかしその前に言わせてくれ。AIのくせに妙に人間らしい反応を見せるアトロだが、当初はそりゃぁ素直で人当たりも良かったんだ。けどな、どこでアルゴリズムを間違えたか小姑みたいになりやがって。
グチってばかりでも仕方ないから話を進めようか。俺はいずれこの異世界に住む人々と接触し、社会にインパクトを与えながらも溶けこみ、冒険や商売をしながら成り上がっていくつもりでいる。
そのためには文化や言語を理解習得し、敵と成りうる人間や魔物の情報を集める必要があった。俺は無神論者だが、神様による特典付きの異世界転移ではなく、自ら望んだ自力での転移だ。だから特典がないことは仕方がないと腹をくくるしかない。
もちろんそんなことは最初から分かっていたことだ。情報収集の下準備は既に整えてある。ちなみに、マーサとは今は亡き親父がつけてくれた俺の愛称だ。
「インビジブルシールド展開型の小型探査機を飛ばしてくれ。数は百機位でいいよ」
アトロにそう指示を出した俺は今、ともに転移してきた屋敷の地下一階部分にある二十畳ほどの管制室で、壁に設置された百インチほどのモニターを眺めていた。管制室の明かりは消されていて、モニターの映像による光がアトロの姿を淡く浮かび上がらせている。
モニターには屋敷の外部が映し出されていて、その光景は深い森の中だった。ツタが這う巨木の幹、緑の苔に覆われた巨木の根、枯葉や枯れ枝に埋め尽くされた地面、僅かに陽の光が射す薄暗い空間、そして、正体は分からないが、鳥であろうか獣であろうか甲高い鳴き声が聞こえている。
「小型探査機の射出が完了しました。映像を出しますか?」
「いや、今はいい。それより衛星軌道上の探査装置からの映像を出してくれないか」
アトロはいまだに俺の横に立ってモニターを眺めてじっとしている。彼女が動いた様子は伺えないが、唐突にモニターが切り替わった。
モニターには外輪山に囲まれた深緑の森と草原、そして中央に大きな湖が画面いっぱいに映し出された。この外輪山の内地には、社会的生活を営む知的生命体がいないことはすでに分かっていた。だからこの場所に転移してきた。
なぜならば、この場所こそがわざわざこの世界に転移してきた俺の最終目的を叶えるために必要不可欠な場所になるからであり、今はこの世界の誰にもその存在を知られるわけにはいかないからだった。しかも、この場所には俺の野望を叶えるための素材が揃っているのだ。
そんなことは置いておくとして、俺の指示を無視するかのように端末を操作する素振りも見せないアトロ。しかし彼女は指示を無視しているわけではない。懸命に職務を全うしているのだ。
アトロは自身に内蔵された制御装置から、衛星軌道上の探査装置に信号を送っている。さっき放った小型探査機百機も、同時に彼女が制御している。
「スケールを縮小して大陸全体を映してくれ」
モニターに映る外輪山に囲まれた分厚く巨大な森、中央に大きな湖とその周りの草原。その光景が次第に遠ざかり、大陸全土が映し出される。
その形は細長いいびつな長円形をしており、中央より下にそびえる巨大な山脈帯によって分断されていた。山脈の下、すなわち大陸の南側は周囲をすべて山で覆われており、その中は深緑の森が山に沿うように存在している。それはまるで巨体な噴火口か、隕石によるクレーターのように見えた。
山脈の上側は、ゴツゴツとした大岩がところどころに飛び出た高原に続く分厚い森の層を挟んで、山岳部や平野部が広がり、中央に幾つもの支流からなる巨大な川が流れている。その川は大陸の北側中央部寄りで西に逸れ、海へと注いでいた。
大河の河口付近には都市部と思われる人工的な造形が映し出された。この縮尺で判別できるということは、相当な巨大都市ということであろう。
そこからさらに北側には雪で覆われた山地と所々に緑はあるが、赤茶けた大地になっており、最北端のあたりは一面真っ白だった。
「川沿いに上流から河口まで拡大して流してくれ」
森から湧き出した川が草原を割って北へと流れている。草原に出てしばらく下ると、東側に小さな村落だろうか、十数戸の木屋根の家屋が集まり、そこから明らかに道と思える筋が川沿いと東へ伸びていた。
その後も川沿いに大小の集落や都市、大都市などが見てとれる。そして面白いことに、平原が終わる所には大陸を東西に横断する長大な石壁が確認できた。
「川沿いにある集落や都市の分布はあらかた分かった。もう一度引いて大陸全体を見せてくれないか」
モニターの映像がズームアウトしていき、再びいびつな長円形の大陸全体が映し出された。
「俺たちがいるのが外輪山内部北側の森。外輪山内部の面積は北側の四分の一程度か……アトロ、大陸の面積はどれくらいだ?」
「二千八百万平方キロ強ですの。北アメリカ大陸より若干広いといったところですか」
「そうなると俺たちがいる外輪山は、火山によるものとは考えにくいな。巨大すぎる」
「ええ、おそらく巨大隕石によるクレーターでしょう」
「大陸の中央にそびえる山脈帯。外輪山と同化しているが、これは大陸同士の衝突によるものだろうか?」
「間違いないと思いますよ。マーサ」
「それはそうと、他にも大陸はあるのか?」
「大小幾つかありますの。衛星軌道上の探査装置を移動させますか?」
「いや、さっき放った小型探査機を幾つか向かわせるだけでいい」
大陸に存在する集落や都市を確認したことで、俺の関心は一旦そこに住む知的生命体へと移った。しかし、地球人のような容姿の人間がいるかどうかは、すでに確認が取れている。
今はまだ小型探査機を飛ばしたばかりだ。接触するのはもう少し先になるだろう。詳細な調査はアトロと探査機に任せ、今は魔法についていろいろ試してみよう。
そう考えて管制室を後にしたのだった。