第2章39部:眼前の脅威へ
魔物達が迫っているという兵士の言葉を聞いて俺は頭を抱えた。
突然のジークの襲撃からリーベルの誘拐、そして混乱を極めるベルーコ王国に迫る魔物の群れ。
すべてがまるで仕組まれたかのような流れにジークに踊らされていたということを痛感するのであった。
そしてジークが口にした計画という言葉、全てはそこに帰結するのであろう。
今すぐ動かねばと気持ちだけが早まるが、激痛で立ち上がることが難しい。
「おい、貴様達はリーベル王女を守ろうとしたのか」
「ああ、そうだ。だが結果はご覧のあり様だけどな」
「そうか。リーベル王女は必ず救い出す。魔物の憂いを断ち切り軍を整えて進撃を開始させよう」
兵士の問いに俺は自嘲気味に答えた。
「それにあそこで倒れて苦しそうな顔をしているのは、さっきのゴスア人か」
「もしやジーク元兵長のグルなのか。もしや我々に芝居を仕掛けてきたというのか」
「ならば許せん。ジーク元兵長を追うよりも、この薄汚いゴスア人を処刑すべきだ」
兵士たちが憶測を口々に話していき、その視線の先には頭を抑えて呻いているミネルヴァに向けられていた。
そしてその会話はミネルヴァを処刑するという兵士のやり場のない怒りをミネルヴァにぶつけようとしていた。
「いい加減にしてください!」
兵士たちの声に突如として割り込む強い声が割り込む。
声の主であるゆーりの目の周りは赤く腫れているが、涙を袖で拭いいつもの引っ込み思案様子ではなく真剣な顔をしていた。
「なんですかさっきから薄汚いって。ミネルヴァは、ミネルヴァは私達とともにリーベルさんを救おうと立ち向かって傷を負ったんですよ。それにあなた達が見向きもしなかったメリエルとアガタも必死になって、死にそうになる思いもしたんです」
兵士たちはゆーりの言葉に対して何も言葉を発さずにただ耳を傾けていた。
「そんな私の家族に礼もなくて、それどころか薄汚いから処刑って。そんなの、そんなのってあんまりじゃないですか!」
ゆーりの心からの叫びに兵士たちは黙ってうなだれていた。
そんな中兵士の一人が歩み寄って頭を下げる。
「すまない。我々の発言が軽率であった。確かに皆が皆、リーベル王女のために戦っていただけたのだな」
「私ではなくてミネルヴァ達に言ってください。命を賭けて戦ったのは私ではなく、ミネルヴァ達なんですから」
「いや、いいんだゆーり。彼らのその言葉だけで十分さ。なにせ私は彼らと元々良い関係ではなかったのだから。敵対関係にあるものをすぐ考えを改めるなんて難しいじゃないか」
ミネルヴァが壁にもたれながらゆーり達の方向を見る。
まだ頭を抑えておりまだ痛みが治まっていないようだった。
「あと話を断片で聞いただけだが、まだまだ為すべきことはあるそうじゃないか。リーベル王女を取り戻す前に、今ここに魔物が来ているんだろう」
「ああ、そのようだ。放置すればもっとまずいことになる」
ミネルヴァは立ち上がるが足元がふらついており、近くのテーブルを手について何とか立って居られている状況である。
「そうよ。こんなところで立ち止まるわけにはいかないのよ。あいつはぎゃふんって言わせてやるわ。そしてあいつのあの考えを絶対正せてやるわ」
アガタが怒りに拳を震わせる。
命の危機に瀕した以上に、あの時のジークの言葉にひどく苛立っているようであった。
「アガタ、大丈夫なのですか」
「大丈夫って言えば嘘になるわ。怖かったに決まっているわよ。あの時あんたがあたしをかばわなければ、きっと死んでいたわ。本当にあんたには感謝してるわ。まぁ、さっきも言ったけどこんなところで立ち止まるわけにはいかないのよね。あたしにはあたしの夢があるの。実現するまで絶対倒れないわ」
ゆーりが心配そうに声をかけるがアガタは毅然として言い放った。
空のように青い瞳には誰にも語らない広大な夢が詰まっているのであろう。
「それにこいつもいつまでも怯えているんじゃないわよ。さっさといつもの生意気なお嬢様っぷりを見せつけなさいよ」
アガタが恐怖に震えて動物のように怯えているメリエルに発破をかける。
メリエルはその言葉を聞くと顔を俯かせたままアガタの胸のすぐそばまで近づいた。
「ありがとう……」
「はぁ? なんなの、あんたがいきなりお礼なんて。らしくないわね」
アガタは突然の感謝の言葉に当惑する。
「だってわたくし、あのときジークに腕を切断されるところでしたのよ。それをあなたが代わりに引き受けたのですわ。あのままならわたくしは……それにあなたは……」
「ああ、そういうことね。まぁあんたがヤバいと思ったから助けただけよ。そんなときに後先考えてる場合じゃなかったの」
「でも、あなたも殺される手前でしたのよ。感謝されて当然ですわ」
「あれはあたしの甘さ、っていうか性分のせいよ。逆に事態を危険な方向に進めてしまっただけ。お礼ならこのちんちくりんに言いなさいよ。なんだかんだ言ってこいつが助けてくれたからなんとかなったんだし」
アガタに呼ばれたゆーりは驚いた顔をしてメリエルの方を見る。
「ゆーり、礼を言いますわ。ありがとう」
「なんかメリエルからお礼を言われるのって新鮮ですね」
「本当にそうよね。この我侭お嬢様が何を言うのかと思ったら、急にお礼なのよね。また何か生意気なこと言われたら、何か言い返そうかと思ったけど」
「まぁ、わたくしをなんだと思っていましたの」
アガタとゆーりが感心したようにメリエルを見ると、当のメリエルは顔を赤くして反論する。
「いつもの調子に戻ったところ悪いんだが、俺を回復してくれないか。腹の辺りがまだ相当痛むんだ」
「そうですわね。終わったわけではありませんものね」
「終わったどころか、やっと始まったというところだからな」
メリエルがエーデルハルモニーを拾って俺に癒しの魔法をかける。
全身が優しい光に包まれて腹のあたりの痛みが引いていくの感じた。
「面倒をかけてすまなかったな。それじゃ俺達もまずは魔物退治といこう」
俺は立ち上がって肩を鳴らし自分の体調を確認すると、完治しておりすこぶる調子が良かった。
「あとゆーり、お前には感謝している。それでだ。これを渡す」
「これは? メリエルからもらっていた……」
ゆーりは俺から受け取った加速翡翠を握って呟く。
「使い方はわかっているか? 強く握って掲げるんだ。そうすれば信じられない速度で動くことができる」
「でも、どうして私に」
俺の顔を身ながら不思議そうにゆーりは疑問を投げかける。
「今後も危険なことが続くだろう。だから今回みたいになんとかなればいいが、そうじゃない場合もある。その時はこれを使って一目散に逃げてくれ。そうして助けを呼ぶなり安全な場所で隠れるなりしてくれ」
「え、でもそれじゃ、皆さんがピンチの時も助けるなってことですか」
「そういうわけじゃない。ただお前が真っ先に狙われた場合を想定した時だ。俺達は敵を倒すときは自分の安全だけではなく、お前を守るために戦っているといっても過言じゃない。お前が安全になればなるほど俺達も戦いやすいんだ」
俺が加速翡翠を渡した理由を説明すると、ゆーりは深く頷いていつでもとりだせるように懐に入れた。
これでゆーりの安全を確保ができれば魔物の不意打ちのリスクも減らすことができる。
そして何よりも俺がまた俺のうちに潜む白髪の男が目覚めた時に何をするかわからない以上、遠くに離れてくれることに越したことはないのだ。
ジークは何があっても倒し、あいつの計画を止めなければならない。
リーベル王女を連れ去る必要があったとなると、おそらく覇統鬼関連の強大な力に関係しているのかもしれないのだ。
だがその計画の前に眼前にある問題を対処しなければならない。
メリエルがミネルヴァの治療を完了した後、俺達は兵士達についていき荒れた城内を出て、街を侵攻しようとする魔物の群れの迎撃を行うことになった。
街ではこん棒を持ったゴブリという人の姿に酷似した魔物が甲高い声を上げながら暴れており、店や家に凹んだような痛みがあり、せっかくの飾りつけが荒らされている。
自警団や騎士が一体ずつ退治しているが、いかんせん数が多いようだ。
自警団の中には袋叩きにされたよう無数な打撲とともに、事切れているものもいた。
住人は見当たらず家に閉じこもっているか、魔物が中へ侵入し荒らされつくされたのか。
そのどちらかかと思われるほど住人の声が聞こえない。
「ひどい、あまりにもひどすぎます……」
ゆーりが街の惨状を見つめて呆然と呟いた。
俺達が飲んでいた酒場も看板が落とされており、中のテーブルや椅子に赤い血痕がぶちまけられている。
そして魔物の襲撃に驚いた顔の人や、怯えた表情で逃げ切れなかった人の遺体が散乱していた。
「……こいつらはやりすぎね。いくら野蛮な魔物とはいえやっていいことと悪いことがあるわ」
「同感ですわ。やり方があまりにも悪辣ですわね」
アガタが静かに怒りを燃やしているように呟くと、ずんずんと大股で歩いていく。
その無防備なアガタに気づいた一体のゴブリンが狂った笑いをしながらこん棒を振り回して走っていく。
「あ、危ないですわ!」
メリエルが駆け寄ろうとするが、アガタはその向かってくるゴブリンに向かってこれまで見たことないような強烈な火炎を放つ。
ゴブリンが苦しそうな声を上げて叫んでいたが、次第に声がか細くなり最終的には何者かも判別できない焦げた物体となっていた。
「今のあたしはひどく機嫌が悪いの。邪魔をするならただじゃおかないわ。一匹残らず灰に変えてやる」
アガタはひどくとげとげしい表情をしながら低く呟く。
「何か様子が、普段のアガタと違うような気がします」
「この惨状を見て怒り心頭ってわけだろうが、それだけでもなさそうだな」
考えられる別の要因は、あの時のジークに対する無力感を魔物に対してぶつけているのであろうか。
人を殺せぬ魔導に価値はないというジークの言葉が、アガタにとっては自分の心を深く抉るものだったのかもしれない。
だが今のアガタがやっていることも、対象を人から魔物へと変えただけに過ぎないのだった。
「……今のアガタは異常ですわ。まるで怒りに身を支配されているような。わたくし止めてきますわ」
そう言ってメリエルはただ前進していくアガタの肩を叩く。
「いい加減目を覚ましなさい。ゴブリンの非道な行いに腹が立つのもわかりますが、少しは頭を冷やしなさい」
アガタはその声の主を確認するかのようにゆっくり振り向き魔導を放とうと手をかざすが、メリエルの顔を見てはっとしたような顔をする。
「っ! ごめん。ちょっとカッとなって気が高ぶっていたわ。……でもよかった。あなたに向けて殺意を込めて魔導を放たなくて。区別がつかなくなっていたらあたしは」
アガタは謝罪を済ました後とても安堵したような顔をした。
その表情を見たメリエルはほっと息をついて、手に持ち何かあった時のために備えていたエーデルハルモニーを仕舞う。
「ジークに言われたことについては深く考えすぎるなよ。少なくともお前の培った魔導は俺達に役に立っているんだ」
「マサキ、あんたまで……フン! 変に気を使わないでちょうだい。あんなイカレ野郎の言葉なんて少しも効いていないんだから」
俺が声をかけると、アガタはすぐにいつものように腰に手を当てて強がった。
「それよりもさっさとこいつらを大事するわよ。これ以上暴れさせるわけにはいかないわ」
ゴブリンと人間の区別がつかなくなった時、その時こそアガタにとって取り返しのつかない選択となる。
それはおそらくアガタ自身も望んでいないことであろう。
幸いその道を選びたがる仲間がいないというのは、アガタ以外の顔を見ればわかった。
「安心しているところ悪いが、状況はいつの間にか大変なことになっているようだぞ」
ミネルヴァが騎士達の持っていた剣を拾い上げて、辺りを見渡すように指示をする。
すると俺達の周りを無数のゴブリンの醜悪な赤い瞳が取り囲んでいた。
おそらくアガタが燃やしたゴブリンの叫び声の異常性を察知して、略奪を一旦止めて俺達を取り囲んで始末することを考えていたのだろう。
ゴブリンはひどく興奮しており、こん棒を乱暴を振り回して威嚇するように低く唸っている。
そしてよく見ると時折手に持っている葉っぱを口にして、さらに興奮性が増したように奇声を上げる個体まででてきた。
「あのゴブリンが持っている葉っぱってもしかして」
「ああ、多分興奮作用を含んだ麻薬だろう。だがどうやって手に入れたというのだ。麻薬を作れるほどの知能があるゴブリンがいるとも考えられない」
ゆーりの質問にミネルヴァが答えた。
なるほど麻薬で興奮状態になれば、街の破壊活動や人々への暴力行為がより凶悪なものへとなるのだろう。
「誰かが手引きした可能性。それしかありませんわね。裏で取引していたものを誰かがゴブリンへ流した、と」
「もしかしてジークがそこまで手まわしていたってこと?」
「可能性は十分にあるな。ただ製造までがジークとは考えにくい」
ジークの騎士団長と言う身分を考えると多忙であることは考えられるし、立場的にも麻薬製造という行動はできないのだ。
一体のゴブリンが雄たけびを上げると、他のゴブリンが呼応して俺達に向かって一斉に飛びかかってきた。
「き、きます!」
ゆーりの叫びとともに俺達は武器を構え迎撃を行う。
「なるほど。興奮状態の敵というのはここまで動き単調なんだな。通り命中率が下がるわけだ」
ゴブリン達は単体ではそれほど強くもなく、簡単に撃退できたが数では圧倒的に上回っていたため、消耗戦でこちらが不利になっていくのは明らかであった。
ゴブリンの攻撃を交わし的確に攻撃を加え少しずつ戦闘不能にさせていくが、いつまでたってもきりがない。
「アガタ、さっさと範囲魔導で一掃できないものなのか」
「あたしだってそれを考えたけど、どうもこいつらが邪魔してき集中できないのよ」
アガタが苛立った口調で返答したが、こちらも自分の相手で手一杯であったためどうしてもサポートに回ることはできない。
ミネルヴァがさっさと片付けてアガタの援護に回ろうとするが、今度は別方向から襲われるメリエルの方が危険になる。
「きゃあっ!」
「くっ! 卑怯者め!」
ミネルヴァがメリエルへ襲い掛かるゴブリンを素早く切り払い援護をする。
「ちょっと、あいつだけずるいじゃない。あたしも守ってよね」
「ああ、すまない。今度こそアガタの方も面倒を見るさ」
ミネルヴァが簡単そうに言うが現実はひどく困難であることが間違いなく、単純に人手が足りていないから起こっている問題なのだ。
それに仮にアガタとメリエルを双方守れる形になっても、円陣で守られているゆーりからすれば死角ができてしまい、そこを狙われてしまえば致命的なのは間違いなかった。
アガタのヒートストームなどの範囲攻撃も期待できないため、この状況を切り抜けるのは至難の業であった。
だが俺は一つの考えを思い浮かぶ。
「なぁ、ゆーり。護衛の仕事で手に入れた道具あるよな。そこに目を眩ますものってあるか?」
俺がダメもとで尋ねてみると、ゆーりはカバンをごそごそと探し始めて閃光玉を取り出す。
「おそらくこれが使えるのではないでしょうか」
「でかした、ゆーり! それを上に投げろ」
ゆーりは俺の指示通り閃光玉を上空に投げて、空中で破裂して辺りを眩い光が暗い街の闇を切り裂いていく。
「皆伏せろ!」
俺は叫ぶと全員がゆーりが投げたものを察して、その光から身を隠すように動いた。
するとゴブリンたちは全員目くらましにあったかのように足取りがふらつき、互いにぶつかったり大きな声で喚きあって無防備となっていた。
「これで集中できそうか?」
「十分すぎるくらいよ。とりあえずこいらをふっ飛ばしてしばらくは寝てもらうわ。先日の魔導書を解読して覚えた魔導を試すときね。ヒートアクシス!」
アガタは詠唱を終えて凄まじい熱を伴った突風を前方に放ち、直線状にいた無数のゴブリンを一斉に吹き飛ばして道を開いた。
攻撃を受けたゴブリンは倒れたままであるが、他の目くらましを食らったゴブリンは依然としてその様子に気付いていない。
「とりあえず危機は脱したけど。どうすんのよ。このままこいつらを全滅させる気?」
「いやそこまでは考えていない。この戦いにはおそらくゴブリンを支持するリーダーがいるはずだ。そいつらを叩けば戦闘はそれ以上の労力なく済むだろう」
俺達は逃げながらこれからの動きについて考える。
「ですがそのリーダーはどこにいますの。闇雲に戦ってもさっきの繰り返しになってしまいますわ」
「いいや、大体目星はついている。こういう大規模な集団作戦でリーダーはどこにいるかとなると、全体を見渡せる場所。つまりあそこしかない」
俺はベルーコの街中を建物の間をすり抜けるなどの裏道を通りながらある場所へ向かう。
それにしてもベルーコを探索ていたからこそ、街全体の地理や街並みの構造がわかっていて助かっていた。
「あの偉そうなやつ。それっぽいだろ?」
「なるほど。あの大きなトカゲに、立派な王冠そして兵士が持つものとは違う上等な槍。間違いないだろうな」
俺が到着したのは街の入り口の大きな門の上であった。
中央に巨大なトカゲに乗った偉そうにふんぞり返った色違いのゴブリンこそがリーダーなのであろう。
俺達は門の上を駆けあがって様子を確認すると、周りには親衛隊と思しき装備が整ったゴブリンが数名控えている。
物陰に隠れてリーダーの様子をしっかり観察し、隙となる部分を探して確実に奇襲が成功する瞬間まで息をひそめた。




