第2章34部:焦燥とそして
日が上り切る前に俺は目覚めた。
体の疲れはまだとれておらず、どうしても不安や焦燥で眠りにつけなかったのだ。
外は朝靄がかかっており活動時間にしてはまだ早すぎるくらいだが今となってはちょうどいい。
俺はさっさと着替えて朝食も食べずに町中にある宿屋へ聞き込みを開始した。
ベルーコは広く宿屋だけでも一日で回り切れるかわからないのだ。
しかも午前に出発しているとなると調べる箇所を厳選しないといけない。
とりあえずは高そうな宿や劇場の近くの宿泊施設を中心に聞き込みを行った。
だが本人達の宿泊施設はおろか手掛かりとなる情報すら手に入れられず、俺の計画の甘さが露呈する形になり途方に暮れてしまう。
時間だけが過ぎていき街は次第に人通りが多くなり賑やかになるにつれて、不安が締め付けるように膨らみ胸全体を圧迫していく。
どうしようもない不安は俺の体にも表れていき喉は乾き呼吸が荒くなり全身が震えてきた。
「どうする。どうすればいいんだ。やれることは、まだやれることはあるのか」
俺は立ち止まり不安と戦いながら俺自身に問いかけを続けるが、どれだけ考えても頭が働かない。
いっそのことこの場から逃げ出したくなるが、ネルトゥスのあの光の剣を持つ姿と、覇統鬼は俺達を見ているという言葉が頭に思い出された。
さらに仮に逃げきれてもゆーりはどうなってしまうのか、ならば動かないといけないという使命感に駆られる。
だが体は凍り付いたように動けず、辺りをきょろきょろと見渡しても次第に視界が歪んでいき雑多の音だけが耳に入るだけであった。
「……っと、ちょっと」
「うるさい! 今考えているんだ。黙っていてくれ!」
俺は何者かの声を払いのけるかのように大声で叫んだ。
周囲の人々の足音が止まり俺に向かってざわめく声がした。
「ア、アガタ」
「あたしの声を聞いたら反応しなさいよ。こっちはね、わざわざあんたを探しに来たのよ。それにちょっと焦りすぎじゃない。ずっときょろきょろ見てでも足動かさないなんて。そんなんじゃ見つかるものも見つからないわよ」
その声の主はアガタであった。
しかしなぜアガタがここにいるのかわからず俺は当惑する。
俺がそれについて聞こうとすると、アガタが腰に手を当てたまま生意気な顔をして遮る。
「そういう話はあとよ。あと。それにあんた急いでいるんでしょ。そんなことしている場合じゃないわ。まぁ天才のあたしがいればどんな問題も解決よ」
いつもの根拠のない自信と生意気な言動が今ではなぜかとても心強く感じる。
「だけどどうするんだ。俺も宿には一通り当たったんだが」
「あたし達も手分けして宿に聞いたりしてるけど、まるで手掛かりがなかったわ。だから今ミネルヴァ達が通りすがりや劇場の人に聞いたりしているところ」
通りすがりに聞き込みは人数的にもアガタ達の協力があるからこそ為せるやり方であった。
俺達も同様に劇場の前を通る人々に闇雲に聞いていくがそれでも手掛かりはない。
図々しい俺達の聞き込みでも邪険に扱う人はいなかったが、親切に答えたくれた結果なので何一つ進展がなかった。
「ああ、どうすればいいんだよ。ここまでやってダメなんて……謝って許してくれるだろうか」
「バカキ! なに意気地のないこと言ってんのよ。そんな簡単に諦めないでよ。まだ時間は残っているわ。少しでも時間がある限り精一杯抗うわよ。それでもだめなら……そん時はあんたのずる賢さで考えなさい」
アガタが俺に発破をかけて立ち上がり聞き込みを再開しようとする。
そんな俺が絶望している表情をすると遠くから呼びかける声がした。
その声は次第に大きくなりこちらへ向かっているようだ。
「おーい。アガタ、それにマサキもいるじゃないか。ついに劇団の居場所がわかったぞ」
その凛とした声の主はミネルヴァであった。
傍にはヘロヘロになりながらも入っているメリエルがいる。
「へぇ。ミネルヴァ、見つけたってのはお手柄ね。んで一体どこなの」
「その詳しい情報をゆーりとキッドが情報収集しているところさ。とりあえずついてきてくれ」
「え~!? また走りますの!? 運動は苦手ですけど仕方ありませんわね……」
ミネルヴァとメリエルが俺達に呼びかけて劇場の中へと向かっていく。
俺はその走り去っていく後姿を眺めていた。
「ふふーん。よかったじゃない」
アガタが生意気な笑顔を見せて俺の背中を叩く。
「何ぼさっとしてんのよ。時間ないんでしょ。さっさとあたし達も行くわよ」
「……ああ!」
俺の胸の中で膨らみ続けた不安が萎んでいき、代わりに頼もしい光のようなもので満たされていくのを感じた。
なぜか涙がこみあげてきて、俺は袖で目を拭って遅れまいと駆けていく。
劇場の中ではまだ公演が始まらないからか客もまばらである。
広いテーブルが設けられていた受付の近くではゆーりとキッドが責任者らしき男性と何か話をしていた。
「もういいかね。事情はあまり飲み込めないがね、私は君の熱意に応えて話をしたんだ。これでいいなら仕事の続きをさせてもらうよ」
「わかりました。お忙しい中ご協力ありがとうございました」
ゆーりが頭を下げて責任者の男性に礼を言う。
男性は話しが終わるとすぐに奥へと引っ込んでいった。
「ゆーり!」
俺は駆け寄って叫んだ。
「マサキ、来てたんですね。やっとわかりましたよ。劇団の行き先が」
ゆーりが満面の笑みで親指を立てて俺に合図をした。
だがキッドはそれをバカにしたような目で流し見して肩をすくめる。
「おいおい。さっきの話を聞いていたのか。それに今この状況が困難の真っただ中でってことが」
キッドの言葉に対して俺は疑問を投げかける。
詳しくはわからないがその仕草から、どうやら一筋縄ではいかないということだけは伝わった。
「どういうことなんだ。詳しく教えてくれないか」
「ああ、教えてやるが今は時間が惜しい。手短に言うぜ」
俺達は劇場から出ながらキッドから責任者から聞き取った情報を教えてもらう。
「どうやらあの劇団は朝と言うよりも、夜が明ける前に出ていったようだぜ。場所はゴスア帝国。幸いにも俺達が通ったルートとは別で外回りの安全な道らしい。因みにこの移動は秘密なものらしくて関係者しか知りえないって話だ」
そして俺はその答えを聞いて辺りに緊張感が漂う。
事態は想定以上に刻一刻を争う事態であることを痛感し全員が口を閉ざした。
「なんなのよそれ!。もう遠くまで行っちゃったなら追いつくことなんてできるの? もしかしてあたし達のやってきたことは無駄ってことじゃないでしょうね!?」
沈黙を破ったアガタの言う通り、今からここを出発しても追いつけるかどうかはわからない。
もう遠くまで行ってしまっているのであれば往復だけでもかなりの時間がとられ、約束の期限をを過ぎてしまう可能性の方が高い。
「だが一つだけ可能性がある。愚直な賭けのようなものだがこれをやるしかない」
俺はメリエルに目配せし、メリエルの方は何かを察したように深く頷いた。
「あなたの考えていることは大体わかりましたわ。確かにできなくもないですわね。わたくしとしてもできる限りのことはサポートさせていただきますわ。幸運を」
そう言って懐より笛を取り出し、大きく息を吸った後その笛を鳴らした。
遠くから砂埃が舞い上がったかと思うと、こちらに猛スピードで向かってくる影に街の人々は驚きながら道を開けていく。
その立派な体躯と勇ましい顔つきとよく鍛えられた脚そして一目散に主人を思う忠誠心。
メリエルの愛馬であるエリザベートが俺達に姿を現した。
荷物を運ぶわけでもなくだからといってパレードでもないのに、街中で馬を呼び出し勢いよく駆けてくるとなると、迷惑であり騒ぎになるかもしれなかったが今はそんなこと考えている場合ではない。
「マサキ、もしかして」
ゆーりがエリザベートを見ながら恐る恐る質問する。
「こいつに跨れば万が一つにも可能性はある。人を乗せる馬車に比べると機動力に関してはこっちが上だからな」
俺がエリザベートの持ち主に似た余裕そうな顔を見て俺は確信した。
太陽はまだ昼を告げる鐘の音はなっていない。
劇団がどの方向にいるのかもわかったのであれば、もしかすれば今から出れば間に合う可能性もある。
俺はメリエルにすぐに出発するよう頼んだ。
「やはりわたくししかエリザベートを操れない以上、わたくしの出番は必然と言うわけですわね。ですが一刻を争う状況ですので、今すぐお出ししましょう。ですがその前にこれを受け取ってください」
そう言ってメリエルはカバンから二つの小さな緑色に輝く石を渡した。
俺はそれを手に取って握ると体が軽くなるような感じがする。
「これは」
「わたくしの部屋に届いてありましたの。名前は加速の翡翠ですわ。使い捨てではありますが誰でも使える細工を施しておりますわ。何かあった時にお使いなさい」
本来であれば激しい動きのできないメリエル用のアイテムであるのだが、今回の依頼の場合は直感的ではあるがこれを活用する場面がでてくると考える。
おそらくメリエルの仕送りスキルで手に入れたアイテムだろう。
使い捨てでレアリティも決して高くはないものの、あって困るものではなくむしろ便利なものだ。
俺はその加速の翡翠を受け取ると懐にしまい、馬に跨って出発しようとするメリエルの後ろに座った。
「マサキ、本当に大丈夫ですか」
「お前に心配されるなんて悪いことをしたな。大丈夫だ。なんとかやってやる。それじゃ行ってくる」
俺は軽く二本の指を目の辺りで立てたて、ゆーりを安心させようとした。
「さぁ、行きますわよ。ヤシアリンセの名に懸けて必ずや送り届けて差し上げますわ」
「ああ、頼む。全力でな!」
メリエルがエリザベートに鞭を放ちものすごい勢いでエリザベートが走りだす。
後方のゆーり達はあっという間に小さくなり、道行く人々は猛スピードで走り出す俺達に驚き道を開けてくれていた。
「いくら夜明け前に旅立ったとはいえそこまで遠くではないはずだ。頼むぞメリエル」
「承知いたしましたわ。エリザベート頑張ってくださいまし。大事なお願いですの」
エリザベートは鼻息を荒くしてベルーコ王国の都の入り口を抜けて、整備された道を通る時もあれば野を駆けて橋を渡っていった。
無尽蔵なスタミナと強靭な足腰のためかエリザベートの動きは止まることを知らず、馬に揺られて決して落ちまいと必死でメリエルへ捕まる。
脇を走る荷物を運ぶ馬車などはあっという間に追い越し、御者の人間がこちらに向かって何か怒鳴っているが聞く暇はない。
ただ俺達は劇団へ向かって全速で取り組むだけなのだ。
日は高く上りあとは落ちるだけであろうが、日が沈む前に合流して日を跨ぐ前に依頼品を渡さないといけない。
それは俺の命だけでなくゆーりの命もかかっているという責任感が、俺の中で強く鼓動しているからであった。




