第2章32部:王女と覇統鬼
演劇が終わると俺達は立ち上がってその場を去ろうとする。
久しぶりに演劇を見たためか謎の充実感が俺の胸をいっぱいに包み込んだ。
「ん~。いい劇でしたわね。さすが新進気鋭の若手女優のクリスですわ。こっちまで感情が伝わるほどの迫真の演技でしたわ」
「初めて見ましたけど、とてもよかったですね。まさか泣いちゃうなんて思いませんでした」
ゆーりがメリエルからハンカチを受け取り、涙でぬれた目元を拭う。
「まぁまぁっていうところだったんじゃないの」
「その割には目元が赤くなっているようだが?」
俺が意地悪っぽく言うとメリエルは顔を赤くした後慌てて俺達から顔を背ける。
「もう! ちょっとあの男の俳優がかっこよかったって思ったくらいよ! 決して泣いてなんかないわ。ただ続きがあるならあの男目的で行ってやらないこともないわよ」
「はぁ素直じゃありませんわね。こういう機会があったらまた誘ってあげますわ」
メリエルが大きく息を吐いた後肩をすくめる。
「演劇を見るというのも面白いな。心のこもった俳優の演技や演出に心が震えたさ。人に生き様を見ているようで楽しかった」
「ミネルヴァはよくわかっていますわね。物語だけじゃなくて真に迫るような演技を見るのも楽しむの一つですわ。よかったらわたくしのおすすめのものをご紹介差し上げますわ。あと俳優たちによるこの後サイン会がありますの」
「サイン会ね……いいわよ。私もついていってあげるわ」
ミネルヴァが自分の感想を述べると、メリエルは喜々として反応した。
アガタは演者に会えることをひそかに喜んでいるのか、チラチラとメリエルの方を見ながら承諾する。
とても楽しそうな様子でまるで今までこういうことを語りたい友人を欲しかったように見えた。
廊下へと出るとゆーりの胸のクリスタルが淡く輝き始めた。
「えっ!? なんでですか……こんなこと……」
動揺するゆーりに俺は気づいて俺はすぐに声を潜める。
「もしかして何か魔物でもいるのか?」
「い、いえそうじゃありません。多分。だけどこれがどこかへ指しています」
確かにクリスタルは全体が輝いているというより、ある方向に向けて輝いており、何かの対象に向けて放っていると考えるのが自然である。
光の先は劇場からでてくる大量の人混みの向こうを指しており、動きに応じて光りも方角を変えていた。
ゆーりはその光の指し示す方向に向けて急に駆けだす。
「おい、ゆーり! どこ行くんだ!」
「皆さんは先に戻っていてください。私ちょっとやることができました。メリエルごめんなさい。また後で」
「ああ! お待ちになって」
そう言いながらゆーりは劇場から出ていく人々の群れを逆走してその中へと埋もれていく。
「……仕方ない。どうせあいつのことだから迷子になるに決まっている。俺が後を追うからお前達は先に戻ってくれ。ゆーりを連れてどうせすぐ戻る」
「ちょ、ちょっと! もう! バカキもバカキで突っ込むことしか能がないんだから。あたしはサイン会に行きたいのに」
「まぁ私達まで追っていたらいよいよはぐれてしまうんじゃないか。ここはマサキを信じよう。大丈夫だ。ここであいつは大きな失敗はしないだろう」
後ろでは走ってゆーりを探そうとする俺を引き留めるアガタの声が聞こえたが、ミネルヴァが俺に託して引き留める声が聞こえた。
とりあえずはゆーりがどこに向かったかは手掛かりも何もないが、魔物でないと考えるともっと別のことなのであろう。
少し焦った様子でもあったのでおそらくは覇統鬼関連のことであると目星を付ける。
そうなるとゆーりが会いたがっている人物はただ一人。
俺は人混みの間を縫うように動いていく。
人気が少なくなった通路に頭をフードのようなもので覆って走っている少女を見つける。
手に何かを抱えており、辺りをきょろきょろしながらまるで隠れているような様子であった。
当初はゆーりかと思ったが、その顔つきは確かにあどけない少女であるが、煌びやかなドレスを身にまといどことなく気品を感じるものだったので違うということがわかる。
どこかで見たことあるような気がするがいまいち思い出せない。
俺はその少女に何か関連性があると感じ追いついて声をかける。
「あの、すみません」
「ん! なんだ! いきなり話しかけるなんて。こっちは急いでいるんだ。話ならあとにしてくれ」
少女は俺に向かって吐き捨てるように言うと、再び走り出したがすぐにこけてしまい胸に抱えているものを落としてしまう。
「いたた。くそ! お前にかまっていたら無駄な時間をくってしまった。私は急いでいるというのに」
「おいおい。大丈夫か」
俺は散らばった厚紙のようなものとペンを拾いあげて渡す。
少女は額を抑えて頬を膨らませながら俺に毒づいた。
「あー! 見つけました! あなたですね!」
ゆーりの声が曲がり角の向こうからしてすぐにこちらに駆けてくる。
胸のクリスタルの輝きは先ほどよりも増していた。
「あの、きっとあなたですよね。ネルトゥスさん。大丈夫ですか。立てますか?」
ゆーりがこけて座り込んでいる少女の腕を掴んで立たそうとする。
その時クリスタルの輝きはさらに強まり眩いものになり、俺は思わず手で目を覆った。
「は、離せ! 私をなんだと思って……うぅぅ」
立ち上がろうとする少女は言葉を言いかけるが力なく崩れ、その姿を見てゆーりはひどく動揺する。
「え? ええ!? どうしんたですか、急に倒れるなんて。私そんな強く握ったのかな。あ、マサキもいたんですね。どうしましょう……」
「どうするもこうするもわからない。だけどそもそもこの少女は、もしかして」
ゆーりが困った顔で俺の方を見て返答を求められる。
俺の方もゲームをやっていたとはいえこういう現象までは知らず、なぜこうなったかはわからないとして首を横に振った。
「そうです。きっとこの女の子こそネルトゥスを宿す王女、リーベルさんです!」
その名前を聞いて俺ははっとして、なるほどと手をポンと叩いた。
確かにゲームのストーリー中に目にしたキャラクターだ。
年相応のお転婆っぷりで王城を抜けだしたり無茶をする事があり、冒険したいという夢を持つ少女だ。
美しいものや珍しいものに目がないという性格であり、冒険をした暁には珍しい宝を集めるのが夢だと語っていた。
そのリーベル王女も今は意識を失い目覚める様子もなく、ゆーりは慌てふためいて落ち着かない。
「ああ、どうしましょう。せっかく出会えたのに、こんな風に倒れちゃうなんて……このまま生き返らなかったら……うーん……」
廊下でリーベル王女が倒れている様子を見られて通報されればまずい状況になる。
特に従者がこの状況を目撃されたら牢獄入りは間違いない。
「このまま放置するのがいちばんまずい。とりあえずもっと人気のないところへ移動しよう」
俺は魂の抜けたようなリーベルを担いで、より人目のない通路の奥まで運んだ。
しばらく時間が経っても意識が戻る気配はなく、いよいよ俺の方も不安になってきた。
「マサキ、どうしましょう。リーベルさんが一向に目を覚ましません。このままだと私達、殺人ですよ……そんなの重罪なんてものじゃないです。ああ、メリエルの言う通りネルトゥスのことを諦めればこんなことには」
ゆーりが頭を抱えてこの世の終わりのような顔をする。
時間で解決しないとなると俺の方も解決策が見つからず打開策について思案した。
そしてある方法を思いつく。
白雪姫よろしくフィクションにありがちなキスで目が覚めるというやつだ。
呼吸もしていないため人口呼吸が必要なのかもしれない。
「ちょっと、マサキ!? どうしたんですか。そんなに顔を近づけたりして……もももももしかして!」
リーベル王女の唇に顔を近づけようとすると、ゆーりがひどく早口な口調で焦っている。
そしていよいよリーベル王女との顔が零距離になり口づけを交わそうとした刹那、俺の顔が強くぶたれ体ごと壁に叩きつけられた。
「何をする無礼者! 不埒であるぞ。我をなんと心得る」
リーベル王女が立ち上がりぶたれた頬を抑える俺の顔を見ながら軽蔑したように言い放つ。
しかし先ほどと口調が大きく違っており、目つきは鋭く青から黄色の瞳へと変わり、流していたブロンドの髪は逆立っていた。
それはまるで別人のような感じを受ける。
「あなた、リーベルさん……ですよね?」
ゆーりが恐る恐るリーベル王女と思しき少女に話しかける。
「いかにも。我が身はベルーコ王国の第一王女のリーベルであるが、我が心の持ち主のリーベルは眠っておる。永劫の繁栄と煌びやかな芸術を司る煌々とした名前を聞くがよい。我はネルトゥス! ベルーコを守護する覇統鬼である!」
リーベル王女もとしネルトゥスは仰々しい物言いで、最後に片腕を胸の辺りに置いて名乗った。
目立ちたがり屋と言うか派手好きという噂通り、セリフ回しも芝居がかっている。
「そして貴様達は何者だ。返答次第ではこの場で光の彼方へ消えてもらうぞ」
「わ、私はゆーりって言います。召喚士をやっていて、両親を探すために旅をしています。それで、そのラインゴッドに行きたくて」
緊張した様子で自己紹介するゆーりをネルトゥスは値踏みするように視線を動かし、凛凛と青く輝く胸のクリスタルに目が止まる。
「ほぅ。貴様は召喚士か。人の子を呼び出し、大いなる力を使役するというものか。そしてその胸の水晶。……まだ生き残りがいるとはな」
そして次にゆーりの右腕に視線を移す。
ぼんやりとした黄色い光を纏っており、時折稲光のようなものが走っていた。
「だが我の力を奪い取るのは感心せぬぞ。いきなり我が力をあれほどの量を吸い上げるとは、せっかくの先ほどの劇の余韻に浸っているところを台無しだ。不用心な我も悪いが、あのままでは我が力を全て吸い上げられるところだった」
「ご、ごめんなさい。すぐ返しますから」
ゆーりがもう一度右腕でネルトゥスに触ろうとするが、ネルトゥスは後ろに飛びのき叫んだ。
「バカ者! それでは今度こそ我の力を吸い尽くされてしまうわ! 既に我の一部は貴様のものになってしまったのだ。もう我に返すこともできん。この落とし前どうつけてくれよう」
ネルトゥスは片手に稲光を纏った光の剣を生成し、怯えるゆーりに向ける。
「ごめんなさい! ごめんなさい! そんなつもりはなかったんです」
「許しを請えば許されると思っておるのか。宝も手に入れることもできなかったのだ。我の怒りに触れた罪は死よりも深い」
「早まるのはよせ。ちょっと待ってくれ!」
ネルトゥスが剣を構え振りかぶって今まさにゆーりを切り裂こうとする瞬間、俺は慌てて割り込んだ。
「む? 貴様はさっきの不埒者か。貴様も我に逆らうか」
「いやそうじゃない。俺の方からも頼む、ゆーりのしたことは謝る。だからこの場は穏便に済ませてほしい」
俺がゆーりとネルトゥスの間を何とか取り持とうとするがネルトゥスは聞く耳を持たない。
「何を言っているのだ。貴様もまとめて光りとなり消滅せよ」
ネルトゥスは聞く耳を持たないようだ。
だが何とかしてその剣を収めさせないと命すら危うい。
そして打開策を見つけようと記憶を頼りに俺はネルトゥスの特徴や性格を想起した。
「ああ、そうだ! さっき宝って言ったよな。宝ってどんなんだ。もしかしたら俺達の手で手に入れるかもしれないぞ」
「貴様、本当か? さきほどの演劇の女優と男優、そして詩人のサインなのだが。もう劇場にはいないであろうが、貴様たちにとってこられるのか?」
「ああ、なんとかやってみる。だからその剣を収めてくれないか」
「それはならん。そもそも貴様が邪魔しなければ手に入ったものなのだ。それで我の気を静めようとは肩腹が痛い」
「うーん。だったらこうだ。お前は芸術を司っているんだろ。とても貴重な書物があるんだ。それを渡すっていうのはどうだ」
ネルトゥスは俺の提案を聞いて顎に手を当てて考えた後手に持っていた光の剣を消した。
「貴重な書物……ふふふ。面白そうだ。小娘と小僧、貴様の命しばらく預けておく。明日までにサインと書物を持ってこい。もしできなければ貴様らの頭上より天の怒りが降り注ぎ、貴様らの身は灰塵と帰す」
「ふぅ。まずは交渉成立だな。わかった。期日通りなんとかするから待ってくれないか。約束は果たす。信じてくれ」
遠くからリーベル王女の名を呼ぶ男性の声がして、こちらの方に近づいてくる。
「リーベル王女! どうぞご無事で。どこへ行ったか探しました。む、貴様たちは何者だ」
三人の剣を帯刀したリーベル専属の親衛隊はリーベルを見て安堵した後、厳しい顔つきになり俺達に剣を向ける。
「気にする必要はない。この者の命は私の眠るネルトゥスによって命を握られている。そして彼らの命と彼らの持つ貴重品との交換ということで先ほど話が済んだのだ」
口調が変わり髪は下ろされ瞳の色も青色と最初に見た時のものに戻っている。
どうやらネルトゥスからリーベル王女に戻ったようだ。
「誠にありがとうございます。リーベル王女。必ずやお望みの物を差し上げましょう。ゆーり、行くぞ」
俺は膝をついて仰々し礼を言う。
「そういえば貴様の名を聞いていなかった。すぐに消えゆくやも知れぬ者だが一応聞いておこう。名は?」
「マサキと申します」
「ゆーりとマサキか。承知した。お前達の名を出せば城門を通すよう指示しておこう。くれぐれも逃げるような真似だけはせぬように」
リーベル王女は親衛隊に剣を収めるように手で指示する。
「それではこちらで失礼致します」
俺は立ち上がり深く頭を下げると、怯えて呆然としていたゆーりを引っ張ってその場を跡にする。
「マ、マサキ。大変なことに……」
「ああ、大変なことになってしまった。だがこうなったらやるしかない。このままじゃ俺達二人とも死んでしまうからな」
「本当にごめんなさい。あなたを巻き込むつもりはなかったのに」
ゆーりが涙目になりがら謝罪するが、俺はゆーりの手を強く握る。
「それ以上言うな。だがこれでネルトゥスの信頼に繋がれば旅もうまくいくはずだ。ただこうなってしまった以上前向きに考えていこう」
俺達は緊張感張りつめる劇場からそそくさと抜け出し満月亭へと戻った。
とりあえずは珍しい書物の目星はついている。
サインと書物、その両方はメリエルと相談しながら事情を話して譲ってもらえれば話は丸く収まるだろう。




