・25・『口を閉じろ』
採血終了後、切り傷を言霊で癒し、寝入る地竜に心中感謝を述べて、ロベリアは魔界へ帰った。
これで魔王復活の儀式に必要な全ての材料はそろったことになる。
細かい作業はまだ残っているが、ロベリアは事の次第を精霊王へと報告するため手紙を書き、それを影蟲に届けさせた。
影蟲を使って、魔力計測器と魔石を先に王城の地下に運ばせ、自身は飛んで王城を目指す。
その途中で『静寂の火花』にも準備が整ったことを伝え、図書館での待機を命じる。
――吹きすさぶ雪の中を王城のバルコニーの一つに降り立ち、図書館へと歩き始めるロベリア。
肩から下げているかばんの中には、カイと地竜の生き血の入った瓶、【半身の書】、白い下着が二着、父の部屋から勝手に失敬した白いシャツと白いスラックス、靴などが入っている。
そんな彼女自身の服装は、いつか精霊王と謁見した時と同じ正装の氷竜の魔族のドレスとケープ、青いブーツである。
長い雪色の髪は、珍しく結ぶことなく流れるままになっている。
歩きながら、ロベリアはかばんから【半身の書】を取り出し、初めから読み返し始めた。
儀式の方法の確認と、これからまず行わなければならない、ホーンレスタの魔力への還元の儀式の復習のためである。
ロベリアは【半身の書】の存在と中身の閲覧の許可を与えられはしたものの、儀式を行うのは初めてであるため、万が一にも失敗しないようにしなければいけないのだ。
読み返しながら、そんなプレッシャーがじわじわと胸に這い上がってきて、ロベリアは自分が緊張していることに気がついた。
(あー・・・やだー・・・ほんともー、なんで私が半身なんだよぉぉぉ・・・)
思わず頭を抱えたくなり、いまさらな思いがこみ上げてくるが、精霊王に命じられた以上、ロベリアに逆らう権利などない。
もし、彼女が一般的な魔族であったらきっと魔族で最も光栄なことだと狂喜乱舞したことだろう。
しかし、平穏を望む小市民精神を持って生まれた魔族としては残念なロベリアにとっては、強烈な重圧と責任を感じるだけの「罰」にしかならなかった。
もう全ての準備は整ってしまった、否、自分の手で整えてしまった以上ロベリアに逃れる術などなく、その足は、本人の感情とは裏腹に着実に目的地へと進んでいくのである。
やがて到着した重厚な扉の先の奥に、以前見たような暗がりの中に橙の火が揺らめいていた。
火の正体、閃光蛍の魔族はひたすらに本を移動させ、じっくりと観察し、何事かの法則に従って本棚に並べる、という作業を繰り返している。
「――こんにちは、『静寂の火花』さん」
「・・・・・・む? 誰だ貴様は」
しかし、声をかけたロベリアにちらりと視線をやっただけで、作業を止めることもなく男は訝しげに尋ね返した。
ロベリアはその返答に意表をつかれ、どういうこと? と首を捻り、ややあってこの魔族を洗脳した時、自分が妖精族の姿をしていたことを思い出した。
んんっ、と一度咳払いしてから、ロベリアはもう一度声をかける。
『同士よ』
「・・・・・・おお、貴様だったか。だが・・・貴様、見かけがずいぶんと違うが。魔族だったのか」
言霊の声音にか、魔族はふと動きを止め、今存在に気がついたかのようにロベリアをまっすぐに見た。
そして当然出てくる疑問に、
『あぁ。見ての通り、氷竜の血を引いている。・・・それより、儀式を行う。ついてくるがいい』
何気なくそう返答し、かかとを返して本棚の隙間を進み始める。
「おおおぉ!!! ついに! ついに来たのだなっ、この時がっ! 魔王様が亡くなられてから数千年・・・我が悲願が達成されるのだ!!!」
などと背後から聞こえてきた男の歓声に、ロベリアは一瞬身を竦ませ、
『・・・お前の犠牲によってな』
と、わずかにいらついた気持ちで皮肉を放った。
しかし、残念ながら、命を捧げることこそ最上の栄光とする魔族に、それは皮肉ではなくただの賞賛と受け取られる。
「おおお! なんという事だろうか! 我が血肉は魔王様の力となれるのだっ! なんと素晴らしい事か!」
(はぁー・・・・・・もーやだぁぁぁ・・・・・・!)
白目を剥きそうな最悪の気分に陥って、ロベリアは内心で悲鳴を上げ、沈黙した。
彼女が足を止めたのは、広大な図書館の地下部の一箇所。
そこにも他と変わりなく高い本棚が部屋を満たしていたが、灰色の岩の床の一部分に小さな模様が刻まれている。
それは二匹の翼のない竜、地竜が互いの尻尾を絡めあっている図。
ロベリアはいつまでも興奮している男に『口を閉じろ』と簡潔に告げて静かにさせると、その場に膝をついて、その模様をぐっと押し込んだ。
と、その模様の部分が丸く地面に押し込まれ、それと何かのしかけが連動したのか、ゴゴゴ・・・とかすかな低い音とともに地面が少し振動した。
するとロベリアたちがいるそのすぐ右の本棚が横にスライドし、その地面にぽっかりと下に続く階段が姿を現した。
ロベリアはすぐに立ち上がってその階段を下り始め、男もそれに続いた。
階段は入ってきた入り口が見えなくなるまであり、やがて先ほどの地面にあったものと同じ、大きさが30cmほどの模様が刻まれた岩壁でロベリアは足を止めた。
その模様にそっと手をかざし、囁く。
【 二つにして一つ 一つにして二つ 我らが至宝 】
と、刻まれた模様が緑の光を放ち、岩壁が左にずれて人ひとりほどが通れる入り口が現れ、その奥に広がる空間が見えた。
部屋は円筒系で、天井は低く、灯りは一つもない。
全て灰色の岩でできたそこは、広さは直径にしておよそ2m、正面に一つ、右に一つ、そして左に一つ初めの部屋への入り口と同じような人ひとりが通れるほどのアーチがあり、その先にも部屋があるようであった。
ここは、『片割れの間』と呼ばれる、魔界最上機密の魔王復活の儀式が行われる場所である。
かつてこの場所そのものの存在と、そこに入るための言葉を知っていたのは、魔王とその半身のみだった。
しかし、今それを知る者はロベリアだけである。
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