・2・「残念でしたー。それはフェイク」
その日の魔界は、いつも通りの嵐だった。
雪原ではブリザードが唸りを上げて大地を凍てつかせ、こぶし大ほどの雹が樹々を抉る。
ロベリアはそんな雪原上空を、優雅に西へ飛行していた。
自身を包む球形の氷壁で雹と吹雪を防ぎ、額から生える白い一本角が方角を正確に感知する。
背中から生えた一対の白翼をはためかせ、腰から伸びる長くしなやかな白尾を適度にふりふり、バランスを取っていた。
その小脇には、黒い箱を抱えている。
ロベリアはある友人に頼まれて、届け物をしに行くのだ。
その友人は今向かっている魔界の西方地域――火山帯に住んでいる。
届け物は黒い箱の中、雪原でも火山帯でも状態を保持する魔術を施してある。
それは友人の好物で、ロベリアしか手に入れられない物のため、数十年ぶりに「どーしても食べたいっ!」とお願いされたのである。
ブリザードに紛れて、ロベリアの左方から小型の氷竜が飛んでくる。
それに気づいたロベリアは、先手必勝とばかりに直径30㎝ほどの氷柱を生み出し、時速200kmの速さで氷竜へと打ち出した。
数秒後、「ゴギャっ!?」という驚愕と混乱が織り混じった断末魔を耳が広い、ロベリアはとくにリアクションを取ることもなく、飛行を続けた。
ロベリアの住む雪原から火山帯までは、彼女の翼で数刻程。
その間に二匹の氷竜と、二群の吹雪蜂、一人の魔族を倒して、やっとロベリアは火山帯へと入った。
一瞬前まで視界を白く染めていた吹雪が唐突に消滅し、眼前に広がるのは黒い岩肌に灼熱の溶岩が流れ、気温が常時60℃を超える世界。
友人はその中でも火山の麓にある溶岩洞窟にいるため、ロベリアは周囲の結界を火山帯仕様に変えて、高度を下げ始めた。
まず、ぶつかればその対象が粉砕する程度だった硬度を最低限まで下げ、氷を霧状に分解し、その温度を氷点下にする。
自動迎撃機能として、飛来物を瞬間冷凍した後、破壊するようにしておいた。
地上から20m程を飛行していると、
「・・・おい、『無慈悲な氷檻』だ」
「うわ、『無慈悲な氷檻』か・・・」
「『無慈悲な氷檻』・・・何しに西へ・・・?」
ぼそぼそと地上で怯えた言葉が囁かれる。
『無慈悲な氷檻』というのは、ロベリアの二つ名である。
初め二つ名という習慣を知ったロベリアは、父親と母親のそれに爆笑したものだが、自身がそう呼ばれ始めた時、あまりの恥ずかしさに数年家に引きこもっていた。
最も、二つ名がつくという事は、魔界では一つのステータスである。
「おーい、『無慈悲な氷檻』!! 俺と勝負してくれよー!!」
よって、このように好戦的な魔族からの決闘が後を絶たない。
ちなみに、先程雪原で倒した魔族一人も決闘である。
(んー・・・、この声はいつものアイツかー?)
ロベリアが下に目をやると、地上では真っ赤な長髪を一つに結び、額の横から二本の黒い角を生やし、血のように紅い瞳を爛々と輝かせた男が一人、両手と黒い尾をぶんぶんと振っていた。
ロベリアがわりと知っている魔族だ。
背中ではためく黒翼でこちらまでくればいいものを、なぜか地上でロベリアが降りてくるのを犬のように待っている。
(炎竜のガイト・・・『溶岩花火』かー。・・・めんどくさいけどー、まぁ、行くか)
「今行くー」
氷を鳴らしたような声(つまりとても澄んでいる声)と言われるロベリアだが、その口調はだるだる。
すーっと高度を下げ、地上に着く寸前に、地表から30㎝ほどの空中に厚さ5㎝の氷板を出現させた。
その上に降り立てば、主人に呼ばれた忠犬のように男が駆け寄ってくる。
地表の温度は常時溶岩で熱せられるため、自身の生息域を抜け出せるロベリアでも、火山帯の地面に直接触れるのは危険が伴うのだ。
「はい、ストップ」
男が残り数mという所で、片手を突き出し制止する。
「よう!! 久しぶりだな!! 30年振りくらいか!? 勝負しよーぜ!!」
戦闘民族全開の言いように、相変わらずだーと思いながら、ロベリアは首肯した。
この男は一度決闘を持ちかけてきたら、勝ち負けが着くまでまとわりついてくるのである。
下手に二つ名があるものだから、ロベリアの住む雪原までストーキングされ、それ以来この男からの決闘は即受け、即勝ちにする事にロベリアは決めていた。
「なにで勝ちー?」
「先に相手を気絶させる、でどうだ!?」
「オーケイ。じゃ始め」
そう言った瞬間、ロベリアは数十本の氷槍を前方に出現させ、男に向かって射出した。
「うおっと!! おいおいおい!! あいかわらずだなっ!!」
それをジャンプ一跳びで回避した男は、大口を開けて嬉しそう破顔する。
ロベリアも薄く笑みを浮かべながら、片手をくいっと上げ、氷槍を男へとホーミングさせる。
後方から迫るそれらに、男は左手を差し出して、その手のひらから直径100㎝ほどの炎球を生み出し、投げつけた。
炎球は氷槍と衝突すると、轟音を上げて爆発する。
高音の爆風がロベリアに吹き付けたが、それは氷点下の霧の結界が瞬間冷凍させて防いだ。
「『溶岩花火』と『無慈悲な氷檻』が闘ってるぞ」
「二つ名同士かよ! 逃げろ逃げろ!」
「あれが二つ名かぁ・・・。やっぱすげぇ」
爆音と衝撃波に、周囲にいた魔族たちがざわめき出す。
巻き好まれないように逃げる者、憧憬の眼差しで観戦する者、周囲に警告する者などなど。
そんな周りの動きにも気がつかず、二人は力と力をぶつけ合う。
「おら!! これならどうだっ!!」
男が叫びを上げて地面に両手を叩きつければ、溶岩の柱が乱立する。
それを避けもせず、霧の結界で破砕したロベリアは、破砕した溶岩石の欠片に氷をまとわせ、男に向かって吹き付ける。
男は全身に炎をまとい、炎球をぶつける事で余裕で相殺した。
しかし、
「残念でしたー。それはフェイク」
ニヤリと口角を上げたロベリアは、翼を使って上空に舞い上がり、口もとに手を添えて、大きく息を吸い込む。
一瞬、ロベリアの姿を探した男がしまった!という表情で身を固めた。
「ちょ、それっ――!!」
男の決定的な隙を見逃す事なく、ロベリアはふぅ、と軽く息を噴き出した。
キラキラと輝く結晶の混じる白い吐息は、刹那に速度と体積を増し、絶対零度の吹雪となって男に襲いかかる。
「氷晶の息吹。・・・これで勝ちー」
地上では、白く氷の彫像へと変わった男の姿があった。
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